MY LIFE AS A FOOTBALL

ないかな ないよな きっとね いないよな
会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ

光抱く友よ

2010年07月14日 | 木曜日のボール
高樹さん、ようこそ。 
お気づきのように、こちら側(オンサイド)は楽しいよ。


 作家の高樹のぶ子が、新聞にワールドカップについて書いている。

「サッカーという球技を、最初は冷ややかに眺めていた~」
というごく普通の中年女性が、
「これまでの不明を認めなくてはならない」と。 

 ※ 芥川賞作家を“ごく普通の中年女性“とは言わないか^^

90分闘って、1点差や引き分けになるスポーツなんて退屈!と思っていた人が、
得点はもちろん大事だが、得点に至るプロセス、ピッチ上のフォーメーションの変化が
サッカーなのだとようやく解ってきた。 と考えを改めるのだ。

・・・・・・今回のワールドカップ体験がそーさせたんだと。

ばしばし引用しちゃおう:

「軍事力や経済力、国連の安全保障理事国とも無縁な構図がここにはある。
 夏冬のオリンピックの勝敗地図とも異なっている。
 
 W杯という祭典は、何か既存の国家意識、大国主義を揺り動かす力がある。
 だからこそ素直に胸を張り、国旗を見上げ、国歌を歌うことができた」


 そう、だからスタジアムで歌う「君が代」や、打ち振られる「日の丸」は、
偏屈で狭量なナショナリズムとは、ままま逆、ドドド反対に位置している。
ま、うすらナショナリスト、ネオナチ、スキンヘッズも、少量混じることも確かだけど。

そーいえば、オリンピックでメダルをごっそり根こそぎかっぱぐ“赤い大国”も、
ここ南アフリカの地では・・・・・・その姿さえお見かけいたしません。 

 ※ ワハハハハ、なんのこたぁない、オレがうすらナショナリストじゃん

高樹さんはオーラス、こう書いております:

「必要なものは地面とボール1個。得点はゴールにボールを入れるだけ。
 単純だからつまらないのではなく、単純だからくっきり見えてくるものがある。
 原初の球技に近いほど、人間の能力の奥深さが現われるということだろうか」

 
 ここまで分かってらっしゃれば、ゆーことはありませんが、
この際、いちど「オフサイド」をくらってみることをおすすめします。

こちら側(オンサイド)と、あちら側(オフサイド・ゲームの外側)は、
実際に体験すれば1発で分かり、なにより目からウロコがボロボロ落ちます。
 
 
 次回は、わが心のほんの一部の師匠、美輪明宏の日本代表賛歌
「仲良き事は美しきかな」の考察を。 お楽しみに。

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