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前向きな毎日を送る

様々な人の影響を受け、色んな言葉に感動をしている日々を忘れないように・・・

母と回想法の会に参加

2025-05-31 16:35:00 | 私と周りの人のこと
おととい木曜日に母と回想法の会に参加した。

少し前から、新しく出来る会なのでぜひとお誘いいただいていた。

夫に車でホームに行ってもらい3人で会場であるお宅に向かう。

そのお宅はいつもお世話になっているOさんのウチ。家開きをしている。
ちなみに私が開催している居場所は彼が12年前に家開きをした前のお家。少し前からレンタルルームになっている。

あっ、その居場所に来てくれてるKさんが今回の会を始めた方です。
「誰でも参加ではなくて来て欲しい人にだけ声をかけてるの」と誰かに話しているのを聞いて、そうなの?とだんだん行く気になっていた。

話を戻します。

行きはいいけど帰りは?タクシーを呼んでウチに来てもらってラーメンでも食べようなんて思っていた。ホームではインスタントラーメンなど食べられないからだ。猫との再会も楽しいかなと。

朝、母を迎えに行ったら、何が何だかわからないと、困惑している。

きのう何度も話したよ、と言ってもそんなこと覚えているはずもなく、「どこに行くの?」と。
回想法なんて言ってもわからないから(私もよくわかってない)
  「友達のウチに行くの」と私。
「何しに?」
  「趣味の会で喋ったりして、頭動かして記憶をよみがえらすの」

「知らん人と話なんかでけへんわ」

 「ちゃんとやってくれる人がいるから大丈夫よ」

「なんかわかれへんわ」

と少々パニックぎみ、。

でも強硬に歯磨きをして、お出かけの服に着替えてもらってさっさと出かけた。

夫に会っても
「なんかわかれへんねんけど…」と助けを求める風だった。

前に一度行ったことがあったので、迷わず時間前に着いた。夫と別れてお家へ。

主催の方が2人、あと1人の方がいた。私と母を入れて5名。

回想法は1960年にできて、記憶を呼び起こして、前頭葉が活性化することで他の脳の色んな部分もどんどん活性されていく、との説明を受けた。

認知症の人でも大丈夫?と連れていくのが心配だったが、そうなのかと安心した。

この日は、子どもの頃こんな子だった、がテーマだった。

母は「そんな子どもの頃のこと何にも覚えてないわ」と言う。
まず、知り合いのKさんが話し、おばあちゃんに育てられたと聞くと、「ああ、私もおばあちゃんに可愛がられてたわ、両親は商売してたから」と思い出していた。

Kさんの隣のIさんから順に話して行った。

話している方の話を遮らないようにしないといけないのに、母は思いついたことを挟み、ちょっとハラハラした。
が、たまたまその時だけであとはちゃんとわきまえて聞いてくれていた。 
何も興味を示さないよりも興味を持って参加してくれたのでほっとしていた。

Iさんの次は1人飛ばして私になった。私は付き添いのつもりだったので急な展開に戸惑ったが、話し始めた。

昔のことを話すと、母は全て覚えていた。去年アルバムを見て話したのでその記憶は特によく残っているのかもしれない。

大好きだったばあばんのことは、父が下宿していた大家さんだったというのは知っていたが、大阪に来てお世話になっていたので自分の親より親みたいだったと聞いたのは初めてだった。

ばあばん40歳くらいやったね、とまた新しい情報が聞けてなんだかそんなこともここに来ての収穫だった。

私の耳掃除をしている時に妹がバンと叩いてしまったので、すぐに病院に行ったというのは前から聞いていた。耳かきを刺したまま、妹も連れて大変だったと聞いたのは初めてだった。(これは私が忘れてたのかも)
抜いて鼓膜が破れたりしたら怖いからそのまま付けて行ったようだ。

そんな色々な事件、これは私が覚えているというよりあとになってみんなから聞いた話しだと思う。

色々話して、私はおとなしかったけどしっかり者だったんだなと思った。

そこで、母は、「しっかりしてたけど、でばっていくほうじゃなかったねぇ」と初めて聞く言葉を何回も連発していた。
さっき調べたら、でばってというのはでしゃばりという意味のようだ。今度会ったら聞いてみよう。

そして、母の番。

何を話していいのかわからず、「もう90年も前のこと覚えてないわ」という。

「さっきおばあちゃんに育てられたって言ってたね」と言うと、そこから両親が商売をしていた、とか、おばあちゃんは私ばかり可愛いがるから姉二人はおもしろくなかったみたい、など話した。

高校を卒業したあとはYMCAに行っていたと聞いていたのでそのことを言うと、
英語が好きだったのでそこに行った。昔からなんでも好きにさせてもらった、ちょっとわがままやったんかな?など母の片鱗が伺えた。

会が終わってさて、タクシーで帰ろうかと思ったら、「このあとみんなでランチ行きませんか?」と。

長くなったのでつづきます。



※マダム・フィガロ(バラ)
道楽さんからお借りしています



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1年前、歩けない母と新幹線で移動 その4

2025-05-30 17:46:00 | 私と周りの人のこと
写真は昨年母と4月30日に東京に向かう時に出会った電車。可愛かったからついつい撮ってしまいました。

その日のことをすぐに書こうと思っていて、結局書けていなかった。

自宅からの私鉄でも、JRでも、たくさんの方にお世話になり、母を車イスで移動してもらいました。


その3からのつづき

30日(火)

9:45タクシー呼ぶ 9:55出る。
10:33地元駅から阿部野橋へ

前日から本日の予定を書いていた。


抜けるコンセントは全部抜いて、燃えるゴミはその日に出して、出せなかった缶のゴミはそのままにした。

GOアプリを入れたのでそれでタクシーに来てもらった。

エレベーターに近いところに行きたいと言ったら思った道じゃないところから行って、エレベーターの近くに降ろしてもらえた。

地元の駅からは駅員さんが車イスを押してくれた。母は電車の椅子に座りまた降りる時に向こうの車イスに乗せてもらう。

阿倍野橋駅からは若い女性駅員さんともっと若い男性の駅員さんが車イスの担当をしてくれた。
母と男性の後ろを私と女性駅員さんがついていく。
彼女と話すと、彼は新入社員でこれも研修の一つだと。彼は本当によく頑張ってるんです、あっこんなこと言って…とお客さんにこんな話してしまった…という感じだったけど、私はその先輩と後輩の関係がとても微笑ましくていいなと感動していた。

改札を出て、エレベーターに乗ったりして天王寺駅の改札まで送っていただき、今度は天王寺駅の車イスに移動する。
少し待ち時間があったので何か飲み物を買って来てもいいと言っていただき母を預けておにぎりと飲み物を買いに行った。

待っていると駅員さんが来て、長い距離を運んでくださった。

そして、11:20
はるか16号に乗って新大阪へ。

新大阪でもまた係の方のお世話になる。

いよいよ、新幹線の多目的室へ。


お出かけネットをスクショしていたみたいです


そして、横たわる母



寝ているので、窓から見えるのは空ばかり

全然話は変わるのですが、探偵ナイトスクープて富士住建のコマーシャルで出てくる青空がその時見た光景にそっくりで、見るたびに思い出します(東京だけのCMかもしれません)

閑話休題

幸いにも多目的室のすぐ横に多目的トイレがあった。

新幹線の小さなトイレを想像していたので、すごーく嬉しかった。

母について3回くらい行って、長い時間トイレを占領してしまった。

部屋では、おにぎりを食べたり本を読んで時間をつぶした。

母がイスをベッドにして使っているので、確か私にはパイプイスがあったような。
とても狭い空間で小さくなっていた。

東京に近づくと、空だけじゃなく、高い建物が少し見えているようだった。

14:33東京着。

車イスで夫との待ち合わせ近くの改札まで行った。
まるで歩けない母。

すぐに返しにくるので車イスを外まで貸してもらえないかと改札で聞いたがダメだった。

なんとか歩いてもらって駅の外に出て夫がいる予定の場所にいく。

母は立っていられず座り込む。椅子はなかったのでブロックかなにかに不安定に座っていた。

車はいない、夫とは会えない。

電話で場所をいくら説明してもわからない。タクシーでそちらに行くと言ってもそんな短距離行ってくれないと言い、ここまで来て、と引き下がらない。
歩けないからと何度言ってもそんな風に言われる。今まで上手く行っていたのに最後の最後に困難にぶつかった。

母はぐったりしている。

色々説明して、やっと来てもらえた。相当な時間が過ぎていた。

今その時のLINEを見ようと思ったが、先日間違って消してしまっていた。ああ、やっぱり必要な時もあるんだ。

夫と会えてから、食べ物がないのでスーパーに買い出しに行った。
食事をして(と言っても母は食べない)、16時ごろ22日に大阪から運んでずっと積んであった荷物をホームに届けた。

母はその日ウチに泊まった。

今まではベッドでなんとか起き上がれていたが、布団だと全然起きられない。やっぱりこんな時も必殺の起こし方があるのだと思うのだけど、力ワザで起こすしかなかった。

翌日、5月1日
母とGOで呼んだタクシーでホームに向かった。確か雨が降っていて傘が邪魔で苦労した。


一年前の記録をやっと書き終えました。

やれやれ。気になっていたのでなんか解放された気分です。

このあとは、
施設入居1日目からのことに続きます。


施設入居1日目からのこと - 前向きな毎日を送る

施設入居1日目からのこと - 前向きな毎日を送る

入居前のことはまた書くことにして、ここ5日間のことを残しておきましょう。5月1日(水)雨2時に訪問診療の契約があるので1時には行くと行っていたが、母の腰痛やトイレで時間...

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きのうのブログ訂正

2025-05-30 15:44:00 | 私と周りの人のこと
きのう書いたことが少し違っていたと気づいたのはたった今。

書いて残していたものが出て来たのでした。まあ、でもそんなに違ってもいなくて。どうして救急車を呼んだのかが残してあったのでその4にも 書いておこうかなと書いたのですが、またわけがわからなくなりそうなので、きのうの29日のところに加筆修正して来ました。

一年前のことは書いてる本人がわからなくなるような複雑なことになってしまいました。

なのでなかなか書けず1年以上経ってしまいました。


その4はもうすぐ出来上がる予定です。

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1年前、歩けない母と新幹線で移動 その3

2025-05-29 20:40:00 | 私と周りの人のこと
その2よりつづき

実は、この日(28日 日)のたぶん私が帰って来た頃から、「大に行きたい」と何度もトイレに行っていた。

もともと母は便秘がちではあった、また退院(26日)後もずっと便秘薬を飲んでいたが全然出なかった。

便意はあるが、何度行っても出ない。

行くと言っても歩けないからベッドから一生懸命起こして、そして痛い痛いと言いながら一歩一歩、歩いていく。

片手に杖を持ち、片手を私が受け持つ。そして手すりのあるところまで来たらそれを持ちながら歩く。

毎回そんなことをして、でも出ない。

あさって30日は行けるだろうかと不安を抱えながら寝た。

夜中たぶん5回くらい起きて、杖を駆使してトイレに行った。

幸い、いつも猫たちに起こされているので、隣の部屋で寝ている母が起きるとすぐに目が覚めた。(私って眠りが浅いのですね)

相変わらず片手に杖、もう片方の手でつかまらせて、痛みを堪えてゆっくり歩いて行った。

そんなに何度も行ったけど、やっぱり出なかった。

4月29日(月)
最後なのでとケアマネのヤマナさんが高額介護の書類を持って来てくださった。

母がまたトイレに行きたいというと寝ていたのを横に向けたりプロの方法でサラッと起こしている。
そのあと、母をベッドに座らせ両手を差し伸べて母の両手を手に載せてもらって後退りして連れて行った。
両手で安定して移動すると痛みもなく楽そうだった。
ああ、こんな風にするのだったのか…
起こすのも一大事、そして歩行は不安定で痛くて少しずつしか進めなかった。こんな方法を早く知っていればと悔やんだ。

やはり出ない母をベッドまで戻し、そのあとハグしていいですか?と言われ、戸惑った。

よくがんばりましたね、という気持ちで最後だから言ってくださったのだと思う。ハグとか習慣のない私は戸惑ったままハグをした。

ヤマナさんはこれから行くところがあるのでそこでお別れした。
本当にお世話になりっばなしで最後まで来てくださって…
彼女のおかげで母は楽しい一人暮らしが長くできた。

ヤマナさんに教えてもらった綿棒で刺激するというのもやってみたが、ダメ。
そこで思い出したことがあった。父親が医者だったヨッシーが、昔摘便をしたって言ってたなと。

そんなことやったこともないけど、色々検索してやることにした。

ビニール手袋をしていざ!

でも上手くいかない。
手で粘土のような固いものは触るのだが、つぶして取れたのはほんの少し。

で、やめた。

そのあと、また検索するとトイレに座ってやるとキケンとのこと。
素人がやると危ないとか、腸に傷がつくとか穴があくとか知ってとても後悔していた。

さて、まだ午前中。
だけどまた母は起きてはお腹が苦しいという。

こんなんで明日東京に行けるだろうか?何時間も新幹線に乗っていられるのだろうか。

摘便もできないし、苦しんでいるのでタクシーで病院に行こうとしたが、
先日入院した病院はゴールデンウィークでいっぱいで受け入れ無理とのこと。

摘便なんかしたから、帰る新幹線の中で腸になんか異常が出たらどしよう、と心配した。

救急相談に電話したら、救急車を何度呼んでも気にしないでと言われたので、悩んだ末頼むことにした。

4月5度目の救急車。というか22日から29日で3回目。1人の方は4月初めに来てくれた人だった。

2時ごろ来ていただいたが、連休中で引き受けの病院が見つからない。
何度も何度も連絡を続け、やっとだいぶ離れた病院に行くことになった。

誰もいない薄暗い院内。

母の診察を待った。

やはり、固い便がたくさん詰まっていて、たくさん摘便をしていただいた。いくら下剤を飲んでも詰まっているから出ないとのこと。浣腸もしたのでリハビリパンツにパットもつけて万全の体制で帰った。

診療明細書の時間は15時27分だった。

浣腸が効きすぎているのか帰ってから下痢ばかりしている。
でもやっぱり行きたいという。まだ詰まっているのかもしれない。
また摘便を試みた。まだ固いのが触れたがキケンなので取らなかった。
そしてヤブ医者とか暴言を吐いていた。
いっぱいいっぱいだった。

母はトイレに行きたいと言っても何も出ず(すでにリハパンに出ていた)

こんな状態で明日東京へ行けるのか?


その4につづく



※コバンソウ
先日居場所に行ったとき初めて見ました。ホワホワでなんかいいなと。
いつもは道楽さんのお花の写真を使わせていただくのですが、今日の話題にはもったいないのでへたくそな私の写真にしました。




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1年前、歩けない母と新幹線で移動 その2

2025-05-28 17:11:00 | 私と周りの人のこと
その1よりつづき

JRでは車いすの貸し出しがあり、天王寺駅構内をはるかに乗るまで運んでいただけることになりました。

明日、チケットを取りに行って、車イスのことも話してこよう。

懸案の色んなことがひと通りできたので、郵便局に転送届を出しに行くことにした。結構かんたんに手続きは終わった。一年後にまたすれば更新されるとのこと。

帰り道を歩いているとカラーだけやってるお店があった。
実は私、コロナで人に会わなくなったらヘアカラーに行かなくなった。
ヘアカラーをしないとなんとなく髪が丈夫になってきたのでカラートリートメントや光で染まるというのをやったりしていた。
と言ってもそれもサボりがちでもう、ひどい状態だった。

5月に真新しいところに母と行くのにみっともないなと思い、カラーをすることにした。

一様に一色で染まるのは嫌だなと思っていたら、なんとなくグラデーションぽく染まっていい感じになった。

こんな忙しい時にのんきなものです。

そのあとは、近くでカレーとナンを食べて帰った。

帰ってからは送る荷物をまとめたりした。

母の痛みは痛み止めを飲めばましになる、そんな具合だ。でもすぐに効かなくなって、痛み止め痛み止めと要求される。


4月28日(日)

近鉄阿倍野駅に車イスの打ち合わせに。

阿倍野駅から天王寺駅の改札まで送っていただけると伺い、肩の荷がおりた。もし阿倍野駅構内までですと言われたらそのあと天王寺駅までおんぶして行くしかないのかなとか考えていた。
なので、親切な駅員さんのお申し出は本当にありがたかった。

そして、天王寺駅のみどりの窓口にはるかと新幹線のチケットを取りに行った。
行くとチケットはまとめて用意されていた。車イスのことなどもその時に伺った。



こちらがはるかの特急券
(電気と水道はそのまま契約していたので、出来るだけ抜いていくようメモしていました)



これでひと安心。

帰りにイチゴを買って帰りました。


冷蔵庫に何も残したくなかったので、買い物は少なめにしていました。


同じ日に撮っていたメモ。
ヘルパーさんが記録してくださっていたものです。

さて、いよいよあさって2人で旅立つ。

色々準備は整ったのですが、少し不安を抱えながら布団に入った。


その3へつづく





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1年前、歩けない母と新幹線で移動 その1

2025-05-26 17:39:00 | 私と周りの人のこと
5月初めに母のところに行った時のこと。

サキサカさんに会った。

「始めは2人しかいなかったのよね、懐かしいわ」とサキサカさんは今いるみんなに話して、私が「そう一年前、5月1日」と言い、「あっ5月1日今日!」と言っていた。
そう、母がこちらに来てから
一年が過ぎていた。

大阪での最後の日々は忙しく、でもなんとか4月30日に一緒に来ることができた。

そんな最後の数日ことを残してなかったのが気になっていた。

母がホームに入る5月1日までのことを少し残しておきます。


当初4月29日に母を迎えに行く予定が、急遽26日になった。


26日(金)の朝11時に出かけ、前日夜中に入院した母のいる病院に向かい、退院した。

母はこの日も痛みが強く早く寝た。

27日(土)

今日は母の最後デイサービスの日。

来てくださったのは、
母と和やかにしゃべってくれる仲良しの方だった。
前にいたところでも一緒だったので特に親しくなれたようだ。
一度会いたいと思っていたので、最後に会えてうれしかった。





その後、
30日に2人で帰る準備を電話しまくって抜かりなく行った。

まず、持っていない車イスをどうしようかと色々調べた。
地元で借りて東京から送るというのはやはり難しそうでやめた。
それでは、と各鉄道会社に電話をして車イスについて教えてもらった。

地元の私鉄に問い合わせると貸してくださると。ただ、タクシーを降りてからエレベーターに乗るまでどうしようかと心配だった。

そのあとは天王寺駅からどうやって新大阪に行くか。

地下鉄は新幹線の乗り場までだいぶありそうで、そこまでは地下鉄で車イスを貸してもらえないだろうしななど、もやもやしながら電話してみた。地下鉄のどこかの駅(どこにかけたか忘れました)に電話をかけたら車イスがないような話で、調べた時はあるはずだったのになと、あきらめた。

それならJR。
ケチな私はいつも大阪駅行ってから乗り換えて新大阪駅に行っていたので、母をそんな面倒なことにするのは困ったなと。
一本で行けるとてもいい方法を知ったのはこのあとだ。


きのうずっと検索していた新幹線の多目的室。JR西日本、車イス(からだの不自由な方)に電話してとれた。
新幹線の個室。
そんなすごい施設があることも知らなかった。
別料金はかからずそこの椅子をベッドのようにまっすぐできて寝て行ける。
椅子に座って2時間半はどうやっても無理だと思っていたら、こんな部屋があるのを知った。
だが数がないので取れるかどうかわからない。ゴールデンウィーク中で混んでいて折り返しの電話がなく心配したが、なんとかとれた。

車イスのことや、天王寺から新大阪に行く方法など伺って、また色々電話して、チケットの予約もできた。

特急はるか16号に乗って天王寺から新大阪には座って行くことになった。


長くなったのでつづきます

※八重モッコウバラ
道楽さんからお借りしています

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苦手だった人が仲良しに その2

2025-05-25 11:16:00 | 私と周りの人のこと
その1からのつづき

以前から、初めて会った時はなんだかなって思う人が仲良しになるということがありました。

今回のマイカちゃんもそう。

そう思って思いを巡らすと、すごかった。

今仲のいい、Gさんと初めて会ったのは、大勢の飲み会の時でした。すでに盛り上がっていたところに参加したので、Gさんの風貌とノリについていけなくてなんだかな、でした。

次に、
今ではなんでも相談して頼りにしているOさん

彼と会ったのは区の起業セミナー。すでに起業は何度もしている人なのに、どんな講座をやっているのだと興味本位で参加されたようでした。みんなが彼に群がっているのをなんか胡散臭いと遠目で見ていたものです。

そして、今はあまり会わなくなったFさん。以前コミュニティカフェを手伝っていた時のお客様。
豪快で自己主張強くていけ好かない。そんな感じでした。
今もそんなところは変わっていないのだけど、いつのまにか色んなところに一緒に行くようになってました。

最近では、居場所に来ているカンナさん(仮名)が苦手でした。

ちょっと苦手な人が好きになる - 前向きな毎日を送る

ちょっと苦手な人が好きになる - 前向きな毎日を送る

11日木曜日は3ヶ月ぶりの居場所に行ってきた。5月6月はお休みをもらったので久しぶりにパステル画を描き、久しぶりにみんなで話した。今回初参加のモリウミ(仮名)さんと半年...

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それがなんと、先日2人で飲みに行くまでの仲に。

カンナさんばかりじゃなく、あとの3人も飲み友達です。

あっそういえば、夫も会った頃はなんか気に入らなかったのを覚えています。なるべくなら話したくなかった。それが付き合って一緒に暮らすようになるとは。


こんな現象はよくあることらしいけど、私は本当にそんな人ばかりが周りにいるのだとつくづくそう思う。

人を見る目がないのかあるのか??



※やぐるまぎく
道楽さんからお借りしています



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苦手だった人が仲良しに その1

2025-05-24 19:43:00 | 居場所のこと
今日はお手伝いしているほうの居場所に行ってきました。

今日は8月のメニューを決める日。相棒のKさんがお休みなので1人で担当。

その前の講座に来ていたカナイくん(仮名)が参加してくれるみたいでひと安心。

ひどい時は、Kさんと2人でやる時もあるので…

カナイ君は最近ここに来ることになった人。行くと会うので、よく来てますか?と聞くと、3回目くらいかな?と。なんか偶然来る日が合っていたみたいです。

2人で8月何にしようかと、スマホ片手にしゃべっていると、マイカちゃん(仮名)がやって来て「参加していいですか?」って。
もちろん大歓迎♪

全体的に周りに参加を声がけしていたけど誰も来なかったのでカナイ君と2人と諦めていたら、マイカちゃんが来てくれました。

実は私、マイカちゃんがちょっと苦手でした。

ものすごく自己主張が強くて、それはたぶん何かの障害とかあるとは思うのだけど、他のサポーターが話していたら遠目に見ていました。

こんなところがサポーターとしてどうなの?って思うけど、まあそれなりにやってます。


先日イースターのイベントがあった時に参加して、彼女とちょっと会話しました。

なので、今日会った時に、こないだ楽しかったね、なんて声がけして、ちょっと話してみました。

そして、メニュー決めの流れになりました。

彼女、メニューの提案をしてくれて、作り方のアイデアを出してくれたり、色々話しが広がりました。

それと共に私の苦手意識もすっかりなくなっていました。

というか何がいやだったんだろうってくらい、今日はひっかかかることがなかったのでした。


こんなことは前から何度もあって。

あっちょっと居場所の話から変わるのでまた書きますね。


その2へつづく


※クラスペディア(ゴールドスティック)
FC2にはやばやお引越しされた道楽さんからお借りしています


私もお引越しのこと考えなきゃと思いながらなにもやってません。そろそろやらないと。

あっ今卓球が盛り上がってます。母に連絡して見てもらってます。





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レトロ掃除機とのお別れ

2025-05-21 16:31:00 | お気に入りのもの
ついにあのレトロ掃除機とお別れしました。

4年前に新しいのを買っても捨てられず、そのままにしていました。使ったのは年に数回?

でも少し前に使った時に、なんか変な音がしたのでもう終わりにした方がいいなと思い実行したのでした。

その掃除機は、
82年製造のナショナルのキャニスター。初めての紙パック掃除機だったと思います。





15年前は、まだまだ使えていました。

ミラクルジェット2でレトロ掃除機がよみがえり - 前向きな毎日を送る

火、水と平日お休みで珍しくテレビを見ていたら通販にハマる。ウチの掃除機はものすごく古い。紙パックの原点というくらいの年代物。まだ使えるしデザインが気に入っている...

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それが4年前にはもうダメと思いながらもまだ置いていました。
長年ともにした愛着があり、レトロな感じを残したくてゴミにすることができなかった…

古い掃除機をまだ捨てられない - 前向きな毎日を送る

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さっき、たまたまお隣の方のお家に行く機会があった。前にも一度伺ったときに突然だったけどきれいに片付いていた。今日はお客さんがいらっしゃるからとはいえ、すべての扉...

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前にも書いた通り、不具合箇所は満載で…
まず、吸い込み口のつける部分が壊れている。

その2.電源コードが延ばして掃除しているとそのうち巻き戻ってしまう。

その3.これが決定的で、電源が入らない。だけどホースを本体に差し込む部分をキュキュっと上下に動かすと動いていた。すごいパワーで吸い込んでくれる。

それが、先日本当に久しぶりに使ったら、うぃーんと鳴るだけで繋がらない。

何度もうぃーんうぃーんとやるとつながるが、その時なんか高音というか金属音というか今まで聞いたことのない音が混じってきた。

「もう終わりにしてください」「もう休ませてください」

ウチの掃除機の断末魔の声と思った。

それに、そんなことを続けていて爆発したらどうしようと変な想像までしてしまった。

最後だからと写真を撮ったら、思っていた以上に古びていて諦めがつきました。






そんなわけで、ついに粗大ゴミに持ち込みました。


43年間、長い間お世話になりました。



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肋骨の痛み

2025-05-20 21:02:00 | 私と周りの人のこと
18日日曜日から体調不良。

前日飲み過ぎたから頭痛がするのか、でも全然二日酔いっぽくないなと思っていた。翌日のきのうは午後から、左の脇下の後ろより部分(肋骨)が痛くなって、温めたり湿布を貼ったりした。

今日も朝から頭痛、肋骨痛、腰痛。
倦怠感で何もできない。

夫は出かけて、その間ふせっていた。温めた方がいいかとお風呂に入ったりもしたが改善されない。

食欲もなかったが、夫が買って来てくれたタコとマグロのぶつ切りを食べてだんだん元気に(昔は夫が錦糸町に勤めててよく食べたのですが、何年ぶりかでいただきました)

ついさっき、世界卓球に気づいて、母に連絡し、一緒に見ていた。

ほんの10分くらい。

それから洗い物が山になっていたのを洗い始めた。猫たちの容器だけでもと…
そしたら、なんか痛みがなくなって来て、あれ?って。
あったの全部洗い切って今こんなこともできてます。

そういえば昨年も同じ時期に肋骨が痛んで臥せっていた。

今見たら6月10日から約1ヶ月。

この時期そんな風になるのかな?
きのうは痛むのでひょっとして帯状疱疹では?なんて深刻に考えていました。

いったいなんなんだろう、このまま良くなるのか?

母と話してなんか気分が良くなったのかな?

そうそう、一年前の書いてなかったことを書き始めていて、なかなか完成しません。

完璧に良くなったらまた書きますね!




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