Life Goes On

by Madonnalily

超サピエンスの時代

2021-01-11 08:06:07 | 日記

人間は、あれやこれやの感情を経験した時ではなく、自分の感情はすべて束の間のものであることを理解し、そうした感情を渇愛することをやめた時に初めて、苦しみから解放される。

うーん🤔


それが仏教で瞑想の修行を積む目的だ。

感情というより雑念だな🐧
どうでもいいことをあーだこーだ心配するから苦しみに囚われる。
自分の想念に囚われる。
自分で自分の首を絞めているようなものだ🐦
=意味なし空っぽ。

般若心経の「空」ですね🐹



瞑想する時には、自分の心身を念入りに観察し、自分の感情がすべて絶え間なく沸き起こっては消えていくのを目の当たりにし、そうした感情を追い求めるのがいかに無意味かを悟るものとされている。

ああ、それな🐰

つまり感情を追い求めるのをやめると"悟った"ことになってしまう🐓
僕ちゃんなんか完全に悟ったつもりやで🦃


感情の追求をやめると、心は緊張が解け、澄み渡り、満足する。

満足しているのはエゴだけどね🦩



特定の感情を渇愛するのをやめさえすれば、どんな感情もあるがままに受け入れられるようになる。
ああだったかもしれない、こうだったかもしれないなどという空想をやめて、今この瞬間を生きることができるようになるのだ。

正しくもあり、正しくもなし。
解釈次第でどうにでもなる。
心のあり方次第で善にも悪にもなる🦜


そうして得られた安らぎはとてつもなく深く、喜びの感情を必死で追い求めることに人生を費やしている人々には皆目見当もつかない。

Exactly🦢



このような考え方は、現代の自由主義の文化とはかけ離れているため、仏教の洞察に初めて接した西洋のニューエイジ運動は、それを自由主義の文脈に置き換え、その内容を一変させてしまった。

そうでもないケロ🐸
そもそも仏教の悟りは現代の自由主義と完全に一致しまっせ🦖
セッションやってる僕みたいな連中が内容を一変させているだけなんだ。


ニューエイジの諸カルトは、しばしばこう主張する。
幸せかどうかは外部の条件によって決まるのではない。
心の中で何を感じるかによって決まるのだ。
富や地位のような外部の成果を追い求めるのをやめ、内なる感情に耳を傾けるべきなのだ。

まさに僕ちゃんが繰り返し述べていることや🦕



ブッダの洞察のうち、より重要性が高く、はるかに深淵なのは、真の幸福とは私たちの内なる感情とも無関係であるというものだ。

Exactly🧚🏻‍♀️

感情じゃなくて内なる雑念だけどな🧞‍♂️



ブッダが教え諭したのは、外部の成果の追求のみならず、内なる感情の追求をもやめることだった。


それが仏教の限界だった🐝
それがサピエンスの限界だった。
解放に見せかけた束縛だった。

ゴータマの時代から2500年経った今、新しい宗教が始まりつつある🌹


超サピエンスの時代へ🦋


今のところ、これを阻止しようとするグループが多数派ですけどね(^_−)−☆
セッションやってる僕ちゃんなんかは革新に見せかけた保守派。

ユヴァルもなんだかんだ革新的なことを言っているが、実は保守派。
または保守派のパワーに負けている🌊

サピエンスの引き寄せ力、ハンパないからにゃー😹


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2 コメント

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質問です。 (テレビとうさん)
2021-01-11 10:56:21
「特定の感情を渇愛するのをやめさえすれば、どんな感情もあるがままに受け入れられるようになる。」のなら、人を殴りたい感情が「自然」に湧いてきて「あるがままに受け入れたら」喧嘩が始まると思うのですが?

「幸せかどうかは外部の条件によって決まるのではない。」のなら、他人が幸せを感じた時を「自分の幸せ」とする人は、他人が幸せでも「自分は不幸」になるのでしょうか?
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Unknown (dearmadonna)
2021-01-11 11:17:09
そもそも宗教は矛盾に満ちているのでいろんな解釈が可能。
悪魔的解釈も可能。
要するに学ぶ人自身の心の反映やねん(^_−)−☆
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