ふと懐かしいことを思い出しました。
「力餅」という食堂。
いまから24年前の1988年、私が京都駅前の某予備校に通ってた頃の話です。
予備校の隣に東本願寺があってその近辺に「力餅」という大衆食堂があったのです。
私はうどんや丼物が大好きでよく通ってたお店です。
すごく印象に残ってることはそこの店員さんで当時30代くらいの女性。
どんなに忙しい時間でもお客の注文を一切メモらない記憶力抜群な方でした。
予備校時代は毎週のようにうどんを食べに行きました。
そして、大学に受かって京都から大阪に引越したら地理的に行けなくなり、社会人になってから久々に行ってみると店がなくなってました。
昨日何を思ったか突然気になってネットで調べたら当時の場所から100メートルほど離れたところに移転してたということが判明。
1週間後大阪へコンサート観にいくんですが、ホテルは京都駅前なんで20数年ぶりに行ってみようかと思ってます。
ちなみにこの食堂は関西ではかなり有名な老舗らしく関西、中国地方に100店舗ほどあるというのも知り大変びっくりしました!
以下、ウィキペディアより抜粋
典型的な昔ながらの大衆食堂で、杵を交差させた商標ロゴマーク(1928年頃に創業者の弟が考案[1])と、おはぎや赤飯の店頭販売が特徴である[2]。独自ののれん分け制度によって京阪神一円に広く展開するが、全店舗で統一されているのは屋号と商標ロゴマークぐらいで、「力餅連合会」という店主同士の組合組織を通じた連帯はあるが、メニューや味付け、値段設定などは各店舗の自由裁量に任されている[2]。関西の下町には欠かせない存在であり、組合の100周年記念誌『100年のあゆみ』(1988年発行)に大阪・京都・兵庫の知事が長文の祝辞を寄せたほどである[3]。
「力餅」という食堂。
いまから24年前の1988年、私が京都駅前の某予備校に通ってた頃の話です。
予備校の隣に東本願寺があってその近辺に「力餅」という大衆食堂があったのです。
私はうどんや丼物が大好きでよく通ってたお店です。
すごく印象に残ってることはそこの店員さんで当時30代くらいの女性。
どんなに忙しい時間でもお客の注文を一切メモらない記憶力抜群な方でした。
予備校時代は毎週のようにうどんを食べに行きました。
そして、大学に受かって京都から大阪に引越したら地理的に行けなくなり、社会人になってから久々に行ってみると店がなくなってました。
昨日何を思ったか突然気になってネットで調べたら当時の場所から100メートルほど離れたところに移転してたということが判明。
1週間後大阪へコンサート観にいくんですが、ホテルは京都駅前なんで20数年ぶりに行ってみようかと思ってます。
ちなみにこの食堂は関西ではかなり有名な老舗らしく関西、中国地方に100店舗ほどあるというのも知り大変びっくりしました!
以下、ウィキペディアより抜粋
典型的な昔ながらの大衆食堂で、杵を交差させた商標ロゴマーク(1928年頃に創業者の弟が考案[1])と、おはぎや赤飯の店頭販売が特徴である[2]。独自ののれん分け制度によって京阪神一円に広く展開するが、全店舗で統一されているのは屋号と商標ロゴマークぐらいで、「力餅連合会」という店主同士の組合組織を通じた連帯はあるが、メニューや味付け、値段設定などは各店舗の自由裁量に任されている[2]。関西の下町には欠かせない存在であり、組合の100周年記念誌『100年のあゆみ』(1988年発行)に大阪・京都・兵庫の知事が長文の祝辞を寄せたほどである[3]。