前回は「因縁解脱」という語について軽く説明し触れました。今回はそれをもっと見てみることにします。
先の記事で説明しましたように、仏教用語を2つ並べてくっつけただけの語がどうして今では当たり前に使われているようになったのか、というのが出てきます。
実はここにポイントがあります。つまり語を見て意味を調べれば「全くの無知者が作った造語」とわかりますが、それが広まるには理由があるはずです。
その理由とは?
広まった理由には教義面での解釈が強かったものと思われます。
用語だけでは全く意味を成さないこの「因縁解脱」ところがこのように言うと、あらまあ不思議。ちゃんと説明のように聞こえるから恐ろしいものです。
つまり因縁解脱というのは「悪因縁を解脱する」という意味なのです。
ではその悪因縁を解脱するというのは何か?
ここに騙される人が多いのですが、よく把握して置いてください。
まず巷では人生上様々な事項が起きます。例えばいいことや悪いことがランダムに起きる。人生上ではよくあることです。
そしてその様をいいことは「徳があるのでいいことが起きる」とし、悪いことが起きるときは「不徳ゆえに遭う」としているのです。
この徳というのはウィキペディアを見てもらうとおおよそのことがわかりますが、儒教の考えで日本にも取り入れられた考えです。
つまり元々仏教のものではありません。
しかし長い年月を経て日本は巷的なものも儒教や様々なもの、そして宗教の考えなども入り混じった状態ですからこの「徳」という考えも取り入れられたようです。
そして人は不幸ごとが起きれば「祟りや悪事を行ったツケの報い」として怖れ、良い事は「先祖の余慶及びその人の徳分による」としてみます。
そしてその観念を仏教の「因縁果報」にその要素を絡めてしまったものが某新興宗教の教祖の概念なわけです。
つまり人が現世で遭う良い事や不幸ごとは過去世で自分が作った業である。その報いを受けている。
だからその悪い業から解脱することが「因縁解脱である」としたわけです。これがどうしたわけかウケて普及してしまったわけです。
また占いを以って「貴方には何々の不幸の星がある」とし恐怖感を植えつけます。これも効いた訳です。
全く以ってデタラメなのですが、人はそういうハッタリやら言いがかりでも何か思うところに合致したり、またそのように言われた矢先に事項に合致することがあると「この教団(教祖)らは力があるに違いない」と錯誤します。
ここも手伝って信用してしまうのが拍車をかけた言える節があります。
そういうわけでおおよそですが、こういうものらの影響もあり尚且つ一般の方は仏教に疎い。故に騙されてしまう人が増えていったというわけです。
ですから因縁解脱の矛盾点を言って反論してくるのはこの辺りですので、もしも言ってきたらこのように反論しましょう。
・因縁も解脱も仏教用語でありそれぞれの意味や内容がある。それが2つくっつけただけで教団(教祖)が言うような意味や内容ではない
・明らかに造語であり、全く意味を成さない
・仏教とは違う意味や内容なので別物である。また釈尊が説かない内容をさも仏教のように言う所業はいかがなものか
・釈尊は占いや悪因縁を解脱するなどという教えは説いていない。勝手な解釈で人を惑わすな
ということですね。
例えば因縁解脱といわず「悪業除去法」とか滅す、消去とかいうのならいいでしょう。
仏教の教えではなく、人には様々な業がある。まあ業というのも仏教用語ですが、別段成仏とも言っているわけではないし解脱とも言ってない。
その人のもつ悪い運命の星を無くす(消す)のだ、という主張を因縁解脱という語など使わないで言うならよかったのです。
ところがやはり人を騙す上で日本は仏教を信奉する人が多い。また非常に馴染んでも居るわけです。
だからそこを用いて仏教でさも説かれているような風合いを用いる方が騙せるわけです。だから嘘でもインチキでもデタラメでも構わない。
それらしく思えて勘違いする代物なら何でもよかったわけです。それが「因縁解脱」という語であり造語なわけです。
しかもこの因縁解脱という語は単なる新興宗教だけに及ばず、霊能者?といわれる人たちやあるブログなどで物を言っているお坊さんまで使っているという有様です。
普通仏教大学を出てちゃんと勉強をした人ならこういうオカルトな用語は使いません。むしろ批判するものです。間違っていますよと。
ところがそうでなく逆にそういう人たちが積極的に使っている有様です。
どうして使うか?というと2つの理由があります。
1つは「その語を使っている人自体が無知」というのともう1つが「因縁解脱という語が有名なので使えば同意を得られるとわかって使っている」ということ。
つまりは騙せるから使うわけです。
もしも本気で「因縁解脱はお釈迦さまが説いたことである」と真剣に説き、心から思い説くのならその人は間違いなく仏教を知りません。エセ僧侶かエセ能力者です。
尚且つ在来の伝統仏教教団に属している僧侶がそのようなことを言ったら完全にアウトです。不勉強も甚だしい。
ですが残念なことにそういう僧侶がある程度居られるのも事実です。
まさか私たちも仏教のプロであるお坊さんが嘘をついているなん思いません。だから余計始末が悪いのです。
これだけ日本の仏教は「地に落ちている」のです。
だからこのブログを読んだ皆さんは「因縁解脱」を説く僧侶も輩も教団も教祖もそれらは「皆間違い」であり「嘘をついている」と見てください。
ちなみに私の家の元々の宗派である「浄土真宗」のお坊さんは一切そういうことを言いませんし、因縁解脱は造語であると知っています。
逆を言えば本当に学んできているから「因縁解脱」などと説きません。
まあ浄土系には因縁解脱という思考すらない、という風に言う人も居ますが、では浄土以外は言ってもいいのか?となりますよね?
これもおかしな話です。
特にこの因縁解脱を唱えるのは浄土以外が非常に多い。だから要注意です。
つまりは浄土だの浄土でない云々ではないのです。次元が低い。
元々釈尊が説いてないのだからあるはずが無いのです。それを勝手に説いた某新興宗教の教祖にほだされて乗じている皆がおかしいわけです。
全くの嘘を信じさせられそれが仏教の根幹であるかのように錯覚させられている。
その間違いを正すこともしないで人を騙して儲ける事しか考えてない人たちが「悪党」なのです。宗教人ですらない悪党です。
今日はここまで。
先の記事で説明しましたように、仏教用語を2つ並べてくっつけただけの語がどうして今では当たり前に使われているようになったのか、というのが出てきます。
実はここにポイントがあります。つまり語を見て意味を調べれば「全くの無知者が作った造語」とわかりますが、それが広まるには理由があるはずです。
その理由とは?
広まった理由には教義面での解釈が強かったものと思われます。
用語だけでは全く意味を成さないこの「因縁解脱」ところがこのように言うと、あらまあ不思議。ちゃんと説明のように聞こえるから恐ろしいものです。
つまり因縁解脱というのは「悪因縁を解脱する」という意味なのです。
ではその悪因縁を解脱するというのは何か?
ここに騙される人が多いのですが、よく把握して置いてください。
まず巷では人生上様々な事項が起きます。例えばいいことや悪いことがランダムに起きる。人生上ではよくあることです。
そしてその様をいいことは「徳があるのでいいことが起きる」とし、悪いことが起きるときは「不徳ゆえに遭う」としているのです。
この徳というのはウィキペディアを見てもらうとおおよそのことがわかりますが、儒教の考えで日本にも取り入れられた考えです。
つまり元々仏教のものではありません。
しかし長い年月を経て日本は巷的なものも儒教や様々なもの、そして宗教の考えなども入り混じった状態ですからこの「徳」という考えも取り入れられたようです。
そして人は不幸ごとが起きれば「祟りや悪事を行ったツケの報い」として怖れ、良い事は「先祖の余慶及びその人の徳分による」としてみます。
そしてその観念を仏教の「因縁果報」にその要素を絡めてしまったものが某新興宗教の教祖の概念なわけです。
つまり人が現世で遭う良い事や不幸ごとは過去世で自分が作った業である。その報いを受けている。
だからその悪い業から解脱することが「因縁解脱である」としたわけです。これがどうしたわけかウケて普及してしまったわけです。
また占いを以って「貴方には何々の不幸の星がある」とし恐怖感を植えつけます。これも効いた訳です。
全く以ってデタラメなのですが、人はそういうハッタリやら言いがかりでも何か思うところに合致したり、またそのように言われた矢先に事項に合致することがあると「この教団(教祖)らは力があるに違いない」と錯誤します。
ここも手伝って信用してしまうのが拍車をかけた言える節があります。
そういうわけでおおよそですが、こういうものらの影響もあり尚且つ一般の方は仏教に疎い。故に騙されてしまう人が増えていったというわけです。
ですから因縁解脱の矛盾点を言って反論してくるのはこの辺りですので、もしも言ってきたらこのように反論しましょう。
・因縁も解脱も仏教用語でありそれぞれの意味や内容がある。それが2つくっつけただけで教団(教祖)が言うような意味や内容ではない
・明らかに造語であり、全く意味を成さない
・仏教とは違う意味や内容なので別物である。また釈尊が説かない内容をさも仏教のように言う所業はいかがなものか
・釈尊は占いや悪因縁を解脱するなどという教えは説いていない。勝手な解釈で人を惑わすな
ということですね。
例えば因縁解脱といわず「悪業除去法」とか滅す、消去とかいうのならいいでしょう。
仏教の教えではなく、人には様々な業がある。まあ業というのも仏教用語ですが、別段成仏とも言っているわけではないし解脱とも言ってない。
その人のもつ悪い運命の星を無くす(消す)のだ、という主張を因縁解脱という語など使わないで言うならよかったのです。
ところがやはり人を騙す上で日本は仏教を信奉する人が多い。また非常に馴染んでも居るわけです。
だからそこを用いて仏教でさも説かれているような風合いを用いる方が騙せるわけです。だから嘘でもインチキでもデタラメでも構わない。
それらしく思えて勘違いする代物なら何でもよかったわけです。それが「因縁解脱」という語であり造語なわけです。
しかもこの因縁解脱という語は単なる新興宗教だけに及ばず、霊能者?といわれる人たちやあるブログなどで物を言っているお坊さんまで使っているという有様です。
普通仏教大学を出てちゃんと勉強をした人ならこういうオカルトな用語は使いません。むしろ批判するものです。間違っていますよと。
ところがそうでなく逆にそういう人たちが積極的に使っている有様です。
どうして使うか?というと2つの理由があります。
1つは「その語を使っている人自体が無知」というのともう1つが「因縁解脱という語が有名なので使えば同意を得られるとわかって使っている」ということ。
つまりは騙せるから使うわけです。
もしも本気で「因縁解脱はお釈迦さまが説いたことである」と真剣に説き、心から思い説くのならその人は間違いなく仏教を知りません。エセ僧侶かエセ能力者です。
尚且つ在来の伝統仏教教団に属している僧侶がそのようなことを言ったら完全にアウトです。不勉強も甚だしい。
ですが残念なことにそういう僧侶がある程度居られるのも事実です。
まさか私たちも仏教のプロであるお坊さんが嘘をついているなん思いません。だから余計始末が悪いのです。
これだけ日本の仏教は「地に落ちている」のです。
だからこのブログを読んだ皆さんは「因縁解脱」を説く僧侶も輩も教団も教祖もそれらは「皆間違い」であり「嘘をついている」と見てください。
ちなみに私の家の元々の宗派である「浄土真宗」のお坊さんは一切そういうことを言いませんし、因縁解脱は造語であると知っています。
逆を言えば本当に学んできているから「因縁解脱」などと説きません。
まあ浄土系には因縁解脱という思考すらない、という風に言う人も居ますが、では浄土以外は言ってもいいのか?となりますよね?
これもおかしな話です。
特にこの因縁解脱を唱えるのは浄土以外が非常に多い。だから要注意です。
つまりは浄土だの浄土でない云々ではないのです。次元が低い。
元々釈尊が説いてないのだからあるはずが無いのです。それを勝手に説いた某新興宗教の教祖にほだされて乗じている皆がおかしいわけです。
全くの嘘を信じさせられそれが仏教の根幹であるかのように錯覚させられている。
その間違いを正すこともしないで人を騙して儲ける事しか考えてない人たちが「悪党」なのです。宗教人ですらない悪党です。
今日はここまで。