【 質問⑤ 】
天照さんや批判側の方たちは日夜阿含宗の欺瞞を伝える活動を行っていますが、その効果があまり無いような気がします。
効果の無さ及び阿含宗の信者さんへの別な伝達の方法を考えてみてはいかがでしょうか。
_________________________
うーん、そういう風に見受けましたか。
確かに行動の結果、効果が絶大で目に見えていればこのような質問は出ないでしょうね。
そしておっしゃるとおり、自分らがやっている行動は外部から見れば「あまり効いてない」となる。
私も最初判りませんでしたが、深山さんやユビさん、また自分が掲示板に参入した当時のラシンさん、青柿さんなどの方が数名の方が居りましたが、その方々の投稿や行動が「どれだけ効いているか」はわかりませんでした。
つまり今回の質問者の方と同じような印象を自分も抱いたものでした。
確かに全国の阿含宗道場にいて事細やかに「批判の効果が出ている」と分かれば、そういう考えも払拭できるでしょう。
でも、仮に自分が阿含宗の関係者であって情報を得れても、本当に批判の効果だと明らかに判別できるのは難しいと思います。
むしろ、自分も行動して判りましたが、絶大な効果狙いや批判楽し、で行動をするのではなく、一番大事なのは何か、ということです。
それは自分としては2つあります。
1つは「いつでも情報を得れるようにすること」 もう1つは「できるだけ継続して情報を伝えること」です。
どっちもほとんど同じなので一緒にしても構いませんね。いつでも誰でも阿含宗の欺瞞を伝えてその情報を得れるようにすること。
こういう風に表現すれば理由は1つになるでしょう。
私が欺瞞を知って「そうなのか」と理解した時に思ったのは色々な想いでしたが、その中にこういうのがありました。
「どうしてこういう大事な情報を早く得れなかったか」です。
またこれは自分がいつも言う事ですが、これも非常に不遜に思う事項です。
人は、特に日本人は何かあったとしてもその事項を口にすることが少なく、黙って終わりが多い場合があります。
例えば会社で悪いことをしている人がいたとします。犯罪までは行かないまでも行動としてはよろしくない。
普通、そういう行動をしている人がいれば上司などが気づいて警告したり指導などをすると良いのですが、それに気づかない会社というのもあります。
すると結果悪い行動をしている人は悪いことをいつも「当たり前」に行って止めようとしません。
そういう場合は上司などに頼らず、直に本人に言って止めさせるとか行動を改善させるようにしたりするものですが、これも会社に依りますが誰もそれをしないところも有ります。
つまり「悪事を知っていながら何も言わずにいる」というのがあったりするんですね。
そこに新しい人が入って悪事を見たり受けたりしてその人に言おうとすると先輩たちが「やめとけ。かまうな」と制止します。
私はこういうのが許せないんですね。
これが「いち会社」として小さな世界ならその会社内だけのことですから、辞めるか我慢すればいいだけで社会的にはそんな影響はありませんが、これが「社会で行われたら」どうなるか?
そう。例えば犯罪者やよろしくない性格の者が何の制御も無かったら、とんでもないことになります。
こと桐山靖雄のような詐欺師がいるのに、何も言わない。
それこそ「ああいう馬鹿にかまうな」と誰も無視して過ごせ、でいたら詐欺の被害に遭う人は今後も出るし、止まないわけです。
そして実際的に世間で「阿含宗はこういうところですよ。桐山靖雄は詐欺師なんですよ」と誰もやらなかったら、自分はどうなっていたか、です。
確かに世の中には「馬鹿は構うな」があり、それを行う場合も多い。
人を批判したり攻撃するのではなく、自分がしっかりしていてそういうやつと関わらなければいいだけだ。そういう風に諭す人も居ます。
でも、犯罪者というか悪事を止めない人は周りが無視したり何も言わなければ「ああ、誰も言わないから良いんだ」と逆に悪い行動を継続したりするものです。
私はそれに対し、それでいいのか、と思うわけです。
確かに自分は警察でもないし裁判所(裁判官)でもありません。だから何か裁いたり懲罰を与えたりできるわけではない。
ただ、悪いことをしている人を知らせたり、悪行動の足かせはできると思う。
世に悪事を行っている人のことを知らせる、ということはそういうことですね。阿含宗の中身と桐山靖雄という人物のよくない所をお知らせする。
繰り返し、継続してお知らせする。
人はその人のタイミングや縁で情報に触れる・掴むときがまちまちですから、いつでも情報を得れるようでないといけないわけです。
ただ単に一時期だけ知らせて終わり、では駄目なのです。
長年そういう行動をやってもどれだけの人が気づくか、はわかりません。ただし、全く結果がゼロということも無いわけです。
ましてや今の時代はネットが当たり前の世界です。そして今後もそれは続いてゆく。
だからやってて無駄だということもないし、将来どのように効果が出るかも分からないわけです。
いつもある方が言われた内容に近いことですが、自分も賛同です。
自分たちがやっていることで一人でも気が付いてくれる。そこから考えて退会するもよし。何か考えて行動をする。
それでよし、としてないと活動なんてやってられるものでは無い。
ましてや自分が2chに参入したのは2008年の秋です。それまで阿含宗の欺瞞を伝えてきた人たちは当時は開始から7年とか8年とか続けられていたんですね。
もしもその行動が2・3年で終了していたら、私が欺瞞に気づけたかも分からないわけです。
つまり行動を続けていてくれた方々のおかげで、自分が後年に目を覚ます事ができたわけです。
なので自分の経験からも分かるのと同時に、目に見えて絶大な効果なんてのを欲して行動するのではなく、着実にコンスタントに行動する。
これこそが一番のベストな行動であると自負していますし、自分のできることの範疇だと思っています。
だから目に見えての絶大な効果は期待しないでくださいね(笑)
___________________
追記
あと「阿含宗の信者さんへの別な伝達の方法」ですが、自分も以前に考えてみたことがあります。
ですが、色々考えた結果「今のネットでの公示の方がベストだ」としていて、それ以外の行動は今のところしていません。
それこそ阿含宗の道場などの施設の前に行ってビラを撒くとか、リアルの世界で大々的に「欺瞞を知らせた」方が目立つし人も気づく上ではわかりやすいかもしれません。
しかし、目的は「如何に欺瞞に気づいてもらうか」なのですから、先に言ったようなリアルでの行動がいいか?というと甚だ疑問ですね。
実際そう言う行動をしたら阿含宗にも顧問弁護士もいますから、裁判沙汰になるでしょう。警察も来て私も拘束や逮捕もされるかもしれません。
そういう行動をして世に知らせることも有れば、ネットでも地道に知らせるのも方法ではないかと思うのです。
また、こういうのもあります。信者さんがリアル行動で本当にどこまで気づくか、です。
2chでも見受けますが、本当に人によって洗脳の度合いが違いますね。
特に狂信者という輩が強く阿含宗を擁護していますが、あの様相を見て仮に如何にリアルで私が何か行動しても「ああ、元信者の落ちこぼれが馬鹿をやってれら」で終わりです。
効果のほどなんて期待できないし、また狂信者でなくても道場ではリアル行動をした人を良く言うわけがありません。
阿含宗の中では教祖や教団が至上なのであって、それに反対する奴らは「皆悪」なのですからね。
だからリアルで身体を張って訴えても、さてどうか、というのはあります。
また拘束されたら、行動だってできやしない。犯罪歴を増やし危険人物になって終わりです。
自分に掛かるリスクを背負って、尚且つ効果のほどがわからないものに命を掛けてどうするか、と思ったんですよね。
だから地道なネットの方がボクシングで言う「1・2パンチ」のジャブか、じわじわ後から来る「ボディブロー」の方が地味だけど効くなと。そう考えたわけです。
信者さんは真面目な人が多いですよ。その分洗脳の餌食にもなりやすい。その経験を自分もしてきています。
そういう人たちの目を覚ますのは意外と大変なことです。ただ叫んだり強く訴えただけでは効果などあまりない。
また阿含宗では「自分で考えることをさせない傾向がある」んですね。いわゆる北朝鮮のようにTOPの言う事を強制的に聞かせて従わせるシステムに似ています。
もちろん阿含宗は宗教ですから北朝鮮のように逆らえば殺される、みたいなことは無いです。
ただ、やわらかな洗脳が敷かれている。それこそ子供の頃から「将軍様や国のために尽くす」というのを埋め込まれるように、信者が間違った教えを阿含宗では植え付けるんですね。
そしてその結果、正しい判断ができないで欺瞞に気づかないでいるのがあるわけです。
外の情報をあまり聞かず・信じず、阿含宗で教わることだけを信じて覚える。そういう傾向が強いと中々欺瞞に気づかないんですね。
だから私が20数年も阿含宗に居た、というのはそこが大きな原因なんですね。
そういうと「北朝鮮のように本当に管理されている環境に居るのならまだしも、いつでもネットを見たり本を読んだりとできるのに、そういうことをしないのか」と言われそうですね。
そうなんです。しないんですね。管長の言うことは絶対だと言って他の書物等を見ない。ネットも見たとしても阿含宗に関するものは見ないわけです。
だから私がいつも言う「阿含宗の信者は信じることは人一倍強い」と言っていますが、ここなんです。これが自分たちで騙されていることを自覚するきっかけを失っているんですね。
なので何か余程の事が無い限り気が付かないで、詐欺の手中に有るわけなんです。
だから「何かおかしい」と思う事さえない人も信者には居ます。こういう人は非常に厄介です。
私のように日々信仰をしていて「変だなあ」と思っても真実にたどり着くには時間が掛かったわけです。
だから「何かおかしい」とか信仰をしていて「不満を抱く」という物がなければ、おそらく一生騙されてゆくことでしょうね。
自分の経験ですけど欺瞞を知って得たものでこういうのがあります。
それは「自分の頭で考えること」の大切さです。
そういうと「私の頭なんて大したものじゃない。自分で考えて逆に悪い結果に遭ったことがある」なんて人も居ることでしょう。
ですが、そういうことも踏まえて私はやはり「考えること」を発端として「調べること」に発展してほしいと思うのです。
なぜなら分からないことが有ったら私は最近はよくネットを活用します。
昔あった事項やクイズ問題などよくTVなどで見たりしますが、中々思い出せないものが多くあります。
するとすぐにタブレットなどを起動させて調べることがあります。これって単純ですが大事なことです。
なぜならどうでもいいことならまだしも、大事なことを放置していたら後から後悔することも有るからです。
なので、調べることの大切さを学んだ私は、なるべく後からでも調べることにしています。
あとお釈迦さまも「自分で考えることの大切さ」を言っていたというのを知って大変驚きました。
普通偉い人というのは下位の者に対して良く言うのは
「お前らごとき脳みそが少ないやつらが考えても、大したことなどできない。だから考えるな」と言ったりします。
ところがお釈迦様は
「物を見たり人から何かを聞いたりあるが、その際にも自分の頭で考えることが大切だ」という風に言われたそうです。
実はこれ当たり前のようであたり前ではなく、大切なことだと自分は後年知らされたんですね。
確かに智慧の低いとか物事を浅くしか考えれない人もいて、そういう言う人は思慮が足りないので良い結果を出せなかったり失敗することもあります。
また深く考えても答えが出なくて時間だけを失う、なんてのも有るかもしれません。
ですが、何もかも人の言う事を聞きそれに従うならば「自分」というものは要らないことになります。
何も考えずに従うだけの人生の人も居ますが、それはある意味ロボットな人生ではないでしょうか。
それよりも自分で考えて行う癖や判断力を磨くということは人生で大事なことでもあり、そういう時に遭遇した際にいつも人の言う事に従ってばかりですといざな時に判断ができなくなります。
そして人には人を騙すことや操作することを望む人間もいます。そういう人の僕になるために自分たちは生きているわけではありませんから、やはり自分で考える力・姿勢というのは必要だと思います。
結果阿含宗のような「人を騙す事」の巣窟に居るとその被害を受けます。
嘘の教えを教えられ、その結果間違った道を歩まされる。自分たちが損をしていることさえ気づかない。
そう言う事のどこがいいのでしょうか。
だからお釈迦様は「必ず私の教えだからといってむやみに信じるのではなく、自分の中で考えてご覧なさい」と言っています。
嘘が無いか。間違いはないか。無条件で「誰々の事だから必ず正しい」と決めつけるのではなく、聞いたうえで自分でも考える。それを勧めているわけです。
自分も阿含宗に居てそういう姿勢になったわけです。管長の言う事だけを信じて他の言う事は聞くな。
尚且つ自分の頭で考えるのではなく、素直に聞いてそれを理解しなさい、とされる。そしてそのようにした結果、長年騙された。
もしも自分がちゃんと考えて尚且つ調べる、という行為をしてたら阿含宗の欺瞞に早く気づけたかと思います。
だから私もお釈迦様の言ったことに倣って
「天照の言う事は正しいかどうか。皆さん考えてみたり調べてみてください。
私は私の経験の元で色々話をしています。それを信じてくれることはありがたいことです。
ただ、そういう中「天照の言う事は本当かどうか信じられない」という人も居ることでしょう。
でしたら、ぜひ私の言う内容などを調べたり考察してみてください。または質問ください。」
そのように言っています。
ですから信じるも何もの前にやはり「自分の頭で考えたり調べたりすること」はとても重要だということです。
天照さんや批判側の方たちは日夜阿含宗の欺瞞を伝える活動を行っていますが、その効果があまり無いような気がします。
効果の無さ及び阿含宗の信者さんへの別な伝達の方法を考えてみてはいかがでしょうか。
_________________________
うーん、そういう風に見受けましたか。
確かに行動の結果、効果が絶大で目に見えていればこのような質問は出ないでしょうね。
そしておっしゃるとおり、自分らがやっている行動は外部から見れば「あまり効いてない」となる。
私も最初判りませんでしたが、深山さんやユビさん、また自分が掲示板に参入した当時のラシンさん、青柿さんなどの方が数名の方が居りましたが、その方々の投稿や行動が「どれだけ効いているか」はわかりませんでした。
つまり今回の質問者の方と同じような印象を自分も抱いたものでした。
確かに全国の阿含宗道場にいて事細やかに「批判の効果が出ている」と分かれば、そういう考えも払拭できるでしょう。
でも、仮に自分が阿含宗の関係者であって情報を得れても、本当に批判の効果だと明らかに判別できるのは難しいと思います。
むしろ、自分も行動して判りましたが、絶大な効果狙いや批判楽し、で行動をするのではなく、一番大事なのは何か、ということです。
それは自分としては2つあります。
1つは「いつでも情報を得れるようにすること」 もう1つは「できるだけ継続して情報を伝えること」です。
どっちもほとんど同じなので一緒にしても構いませんね。いつでも誰でも阿含宗の欺瞞を伝えてその情報を得れるようにすること。
こういう風に表現すれば理由は1つになるでしょう。
私が欺瞞を知って「そうなのか」と理解した時に思ったのは色々な想いでしたが、その中にこういうのがありました。
「どうしてこういう大事な情報を早く得れなかったか」です。
またこれは自分がいつも言う事ですが、これも非常に不遜に思う事項です。
人は、特に日本人は何かあったとしてもその事項を口にすることが少なく、黙って終わりが多い場合があります。
例えば会社で悪いことをしている人がいたとします。犯罪までは行かないまでも行動としてはよろしくない。
普通、そういう行動をしている人がいれば上司などが気づいて警告したり指導などをすると良いのですが、それに気づかない会社というのもあります。
すると結果悪い行動をしている人は悪いことをいつも「当たり前」に行って止めようとしません。
そういう場合は上司などに頼らず、直に本人に言って止めさせるとか行動を改善させるようにしたりするものですが、これも会社に依りますが誰もそれをしないところも有ります。
つまり「悪事を知っていながら何も言わずにいる」というのがあったりするんですね。
そこに新しい人が入って悪事を見たり受けたりしてその人に言おうとすると先輩たちが「やめとけ。かまうな」と制止します。
私はこういうのが許せないんですね。
これが「いち会社」として小さな世界ならその会社内だけのことですから、辞めるか我慢すればいいだけで社会的にはそんな影響はありませんが、これが「社会で行われたら」どうなるか?
そう。例えば犯罪者やよろしくない性格の者が何の制御も無かったら、とんでもないことになります。
こと桐山靖雄のような詐欺師がいるのに、何も言わない。
それこそ「ああいう馬鹿にかまうな」と誰も無視して過ごせ、でいたら詐欺の被害に遭う人は今後も出るし、止まないわけです。
そして実際的に世間で「阿含宗はこういうところですよ。桐山靖雄は詐欺師なんですよ」と誰もやらなかったら、自分はどうなっていたか、です。
確かに世の中には「馬鹿は構うな」があり、それを行う場合も多い。
人を批判したり攻撃するのではなく、自分がしっかりしていてそういうやつと関わらなければいいだけだ。そういう風に諭す人も居ます。
でも、犯罪者というか悪事を止めない人は周りが無視したり何も言わなければ「ああ、誰も言わないから良いんだ」と逆に悪い行動を継続したりするものです。
私はそれに対し、それでいいのか、と思うわけです。
確かに自分は警察でもないし裁判所(裁判官)でもありません。だから何か裁いたり懲罰を与えたりできるわけではない。
ただ、悪いことをしている人を知らせたり、悪行動の足かせはできると思う。
世に悪事を行っている人のことを知らせる、ということはそういうことですね。阿含宗の中身と桐山靖雄という人物のよくない所をお知らせする。
繰り返し、継続してお知らせする。
人はその人のタイミングや縁で情報に触れる・掴むときがまちまちですから、いつでも情報を得れるようでないといけないわけです。
ただ単に一時期だけ知らせて終わり、では駄目なのです。
長年そういう行動をやってもどれだけの人が気づくか、はわかりません。ただし、全く結果がゼロということも無いわけです。
ましてや今の時代はネットが当たり前の世界です。そして今後もそれは続いてゆく。
だからやってて無駄だということもないし、将来どのように効果が出るかも分からないわけです。
いつもある方が言われた内容に近いことですが、自分も賛同です。
自分たちがやっていることで一人でも気が付いてくれる。そこから考えて退会するもよし。何か考えて行動をする。
それでよし、としてないと活動なんてやってられるものでは無い。
ましてや自分が2chに参入したのは2008年の秋です。それまで阿含宗の欺瞞を伝えてきた人たちは当時は開始から7年とか8年とか続けられていたんですね。
もしもその行動が2・3年で終了していたら、私が欺瞞に気づけたかも分からないわけです。
つまり行動を続けていてくれた方々のおかげで、自分が後年に目を覚ます事ができたわけです。
なので自分の経験からも分かるのと同時に、目に見えて絶大な効果なんてのを欲して行動するのではなく、着実にコンスタントに行動する。
これこそが一番のベストな行動であると自負していますし、自分のできることの範疇だと思っています。
だから目に見えての絶大な効果は期待しないでくださいね(笑)
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追記
あと「阿含宗の信者さんへの別な伝達の方法」ですが、自分も以前に考えてみたことがあります。
ですが、色々考えた結果「今のネットでの公示の方がベストだ」としていて、それ以外の行動は今のところしていません。
それこそ阿含宗の道場などの施設の前に行ってビラを撒くとか、リアルの世界で大々的に「欺瞞を知らせた」方が目立つし人も気づく上ではわかりやすいかもしれません。
しかし、目的は「如何に欺瞞に気づいてもらうか」なのですから、先に言ったようなリアルでの行動がいいか?というと甚だ疑問ですね。
実際そう言う行動をしたら阿含宗にも顧問弁護士もいますから、裁判沙汰になるでしょう。警察も来て私も拘束や逮捕もされるかもしれません。
そういう行動をして世に知らせることも有れば、ネットでも地道に知らせるのも方法ではないかと思うのです。
また、こういうのもあります。信者さんがリアル行動で本当にどこまで気づくか、です。
2chでも見受けますが、本当に人によって洗脳の度合いが違いますね。
特に狂信者という輩が強く阿含宗を擁護していますが、あの様相を見て仮に如何にリアルで私が何か行動しても「ああ、元信者の落ちこぼれが馬鹿をやってれら」で終わりです。
効果のほどなんて期待できないし、また狂信者でなくても道場ではリアル行動をした人を良く言うわけがありません。
阿含宗の中では教祖や教団が至上なのであって、それに反対する奴らは「皆悪」なのですからね。
だからリアルで身体を張って訴えても、さてどうか、というのはあります。
また拘束されたら、行動だってできやしない。犯罪歴を増やし危険人物になって終わりです。
自分に掛かるリスクを背負って、尚且つ効果のほどがわからないものに命を掛けてどうするか、と思ったんですよね。
だから地道なネットの方がボクシングで言う「1・2パンチ」のジャブか、じわじわ後から来る「ボディブロー」の方が地味だけど効くなと。そう考えたわけです。
信者さんは真面目な人が多いですよ。その分洗脳の餌食にもなりやすい。その経験を自分もしてきています。
そういう人たちの目を覚ますのは意外と大変なことです。ただ叫んだり強く訴えただけでは効果などあまりない。
また阿含宗では「自分で考えることをさせない傾向がある」んですね。いわゆる北朝鮮のようにTOPの言う事を強制的に聞かせて従わせるシステムに似ています。
もちろん阿含宗は宗教ですから北朝鮮のように逆らえば殺される、みたいなことは無いです。
ただ、やわらかな洗脳が敷かれている。それこそ子供の頃から「将軍様や国のために尽くす」というのを埋め込まれるように、信者が間違った教えを阿含宗では植え付けるんですね。
そしてその結果、正しい判断ができないで欺瞞に気づかないでいるのがあるわけです。
外の情報をあまり聞かず・信じず、阿含宗で教わることだけを信じて覚える。そういう傾向が強いと中々欺瞞に気づかないんですね。
だから私が20数年も阿含宗に居た、というのはそこが大きな原因なんですね。
そういうと「北朝鮮のように本当に管理されている環境に居るのならまだしも、いつでもネットを見たり本を読んだりとできるのに、そういうことをしないのか」と言われそうですね。
そうなんです。しないんですね。管長の言うことは絶対だと言って他の書物等を見ない。ネットも見たとしても阿含宗に関するものは見ないわけです。
だから私がいつも言う「阿含宗の信者は信じることは人一倍強い」と言っていますが、ここなんです。これが自分たちで騙されていることを自覚するきっかけを失っているんですね。
なので何か余程の事が無い限り気が付かないで、詐欺の手中に有るわけなんです。
だから「何かおかしい」と思う事さえない人も信者には居ます。こういう人は非常に厄介です。
私のように日々信仰をしていて「変だなあ」と思っても真実にたどり着くには時間が掛かったわけです。
だから「何かおかしい」とか信仰をしていて「不満を抱く」という物がなければ、おそらく一生騙されてゆくことでしょうね。
自分の経験ですけど欺瞞を知って得たものでこういうのがあります。
それは「自分の頭で考えること」の大切さです。
そういうと「私の頭なんて大したものじゃない。自分で考えて逆に悪い結果に遭ったことがある」なんて人も居ることでしょう。
ですが、そういうことも踏まえて私はやはり「考えること」を発端として「調べること」に発展してほしいと思うのです。
なぜなら分からないことが有ったら私は最近はよくネットを活用します。
昔あった事項やクイズ問題などよくTVなどで見たりしますが、中々思い出せないものが多くあります。
するとすぐにタブレットなどを起動させて調べることがあります。これって単純ですが大事なことです。
なぜならどうでもいいことならまだしも、大事なことを放置していたら後から後悔することも有るからです。
なので、調べることの大切さを学んだ私は、なるべく後からでも調べることにしています。
あとお釈迦さまも「自分で考えることの大切さ」を言っていたというのを知って大変驚きました。
普通偉い人というのは下位の者に対して良く言うのは
「お前らごとき脳みそが少ないやつらが考えても、大したことなどできない。だから考えるな」と言ったりします。
ところがお釈迦様は
「物を見たり人から何かを聞いたりあるが、その際にも自分の頭で考えることが大切だ」という風に言われたそうです。
実はこれ当たり前のようであたり前ではなく、大切なことだと自分は後年知らされたんですね。
確かに智慧の低いとか物事を浅くしか考えれない人もいて、そういう言う人は思慮が足りないので良い結果を出せなかったり失敗することもあります。
また深く考えても答えが出なくて時間だけを失う、なんてのも有るかもしれません。
ですが、何もかも人の言う事を聞きそれに従うならば「自分」というものは要らないことになります。
何も考えずに従うだけの人生の人も居ますが、それはある意味ロボットな人生ではないでしょうか。
それよりも自分で考えて行う癖や判断力を磨くということは人生で大事なことでもあり、そういう時に遭遇した際にいつも人の言う事に従ってばかりですといざな時に判断ができなくなります。
そして人には人を騙すことや操作することを望む人間もいます。そういう人の僕になるために自分たちは生きているわけではありませんから、やはり自分で考える力・姿勢というのは必要だと思います。
結果阿含宗のような「人を騙す事」の巣窟に居るとその被害を受けます。
嘘の教えを教えられ、その結果間違った道を歩まされる。自分たちが損をしていることさえ気づかない。
そう言う事のどこがいいのでしょうか。
だからお釈迦様は「必ず私の教えだからといってむやみに信じるのではなく、自分の中で考えてご覧なさい」と言っています。
嘘が無いか。間違いはないか。無条件で「誰々の事だから必ず正しい」と決めつけるのではなく、聞いたうえで自分でも考える。それを勧めているわけです。
自分も阿含宗に居てそういう姿勢になったわけです。管長の言う事だけを信じて他の言う事は聞くな。
尚且つ自分の頭で考えるのではなく、素直に聞いてそれを理解しなさい、とされる。そしてそのようにした結果、長年騙された。
もしも自分がちゃんと考えて尚且つ調べる、という行為をしてたら阿含宗の欺瞞に早く気づけたかと思います。
だから私もお釈迦様の言ったことに倣って
「天照の言う事は正しいかどうか。皆さん考えてみたり調べてみてください。
私は私の経験の元で色々話をしています。それを信じてくれることはありがたいことです。
ただ、そういう中「天照の言う事は本当かどうか信じられない」という人も居ることでしょう。
でしたら、ぜひ私の言う内容などを調べたり考察してみてください。または質問ください。」
そのように言っています。
ですから信じるも何もの前にやはり「自分の頭で考えたり調べたりすること」はとても重要だということです。