天照の独り言

つれづれに思った事を書き綴るブログへと変更(2019年1月1日より)
以前は「某宗教団体の欺瞞を世に知らしめるブログ」

さようなら野田さん

2012-03-30 01:17:53 | Weblog

国民新、分裂状態に=亀井代表、首相に「連立離脱」伝達―自見、下地氏ら6人拒否

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120330-00000003-jij-pol

いいですね。亀井さんさすがです。
やっぱり筋を通す姿勢はあっぱれです。

ただ、重要なポストについている人は微妙な感じですが、致し方ないでしょう。
党の主催者が「連立を辞める」といっていますからね。
そして離党して「無所属で」やればやれるでしょうから。

だが、これで雲行きが怪しくなってきたのは民主党ですね。
尚且つ自民党にラブコールをしていたが、これで完全にそっぽを向かれたら
もう解散しかなくなります。

唯一の連立仲間が「お前とは組めない」とやられたのですから、これはきつい。
如何に民主党が官僚や裏の勢力に操られ従うようになっていたか。
つまり骨の無い人間になってふにゃふにゃ政治を行うようになったのと嘘つきで
国民を裏切ったから何も出来なくなってしまったわけです。

自民党を倒すために躍起だったが、その後からは「お門違い」で先行きが見えない。
右往左往の状態が今でも続いている。
何も出来ない総理を従えても結局は無駄でしたの露呈。

正念場はまた迎える、ということでしょうか。

今から言っておきましょう。野田さん、さようなら。

不穏な毎日(地震)

2012-03-28 10:20:55 | Weblog
昨日は大きめな地震でしたね。
また昨日だけに留まらず、あちこちで地震が多く観測されています。

単なる災害の起きない余震であるならばいいのですが、また昨年に
続き大災害が起きると成るとやぶさかではない。
本当に勘弁願いたいものです。

災害は忘れた頃にやってくる、という標語でしたか言葉がありますが、
忘れた頃にふと、というのは確かにあります。
そんな毎度毎度災害だらけの連続だと生きてられない。
日本は地震大国だけに尚更です。

そして日本だけでなく世界の各地でも地震はあります。

本当に地球に住んでいるための宿命というべきもの「災害」
回避は難しいというものの、何とか知恵や工夫で被害を少なくしたいものです。

そういえば大分前に成るのでしょうか、MSNのニュースで
大学教授さんでしたか、ある方が
「地震予知は無理」というようなことを言ってましたね。

それだとじゃあ、地震の予知研究をしている人は何をしてたのか、です。
無駄な研究をして生きてきたのしょうか。

私の知り合いに聞くところによるとあの話題になった「オウム真理教」の
信者さんにどなたかが「地震予知」を成しえたそうです。
(阪神大震災を見事当てた、というやつです)

そうなると大学教授さんや研究者は「カルト教団信者以下」という
ことになります。
一体何を研究していたのか。またできないものを「研究」と称して
給料を貰いながら「遊んでいた」のか?

まさか「遊んでいた」とは思わないが、予知無理発言をした潔ぎよさはいいが、
責任が無い感じがする。

予知が出来ないのならもう予知などやめてしまって、事後研究で良いから
地震に対する対策に切り替える。
それこそ地震で被害を少なくするための方策や示唆、そして免震や減震の
システムを開発・提供してくれた方が良いのでは無いか、と思う。

出来もしない予知研究といって何年も無駄金と時間浪費してどうなるか。
つくづくそう思います。

また我々も「地震予知」が将来できるかもしれないから、そう言う研究の
方々の研究の結果を信じていたというか期待していた部分も有ります。

それが成し得れないのなら要らない。
もう金輪際予知など誰からも援助を受けないで個人研究でやって欲しいし、
オウムの信者に「どうやって当てたか」伺って欲しいくらいだ。

天災はある意味「仕方ない」面があるが、人間の知恵も馬鹿に出来ない。
自然の脅威や甚大さにどうやって受ける影響を少なく出来るか。
そのための研究や知恵の駆使があってこそ、科学の力、知恵の力でしょう。

絶対に災害ゼロは無理でしょうが、被害を下げることは出来ましょう。
ぜひ、研究者さんたちの知恵と努力を活かしてもらいたい。
そう思います。

批判という姿勢と掲示板について

2012-03-27 08:32:07 | Weblog
この度掲示板にて「批判に対する姿勢のあり方」を提議された方が居りまして
私個人としては共感する部分がありました。とても自分を戒めるとともに、
気をつけなければいけないと感じました。

そして今までも批判側に対する姿勢のあり方を言われてきた方は居ました。
ただ、今回はある匿名さんが熱く語ってくれましたので深く論じたり考える
ことにつながりました。

批判はともすると罵倒などに発展する可能性があります。
そうならずに淡々と語るのは簡単のようで大変です。

まして日本人は批判するということに馴染みが少ないせいで慣れていない人が多い。
かくいう私もその一人です。

実際的なことを言うとやはり意見を述べるという行為は何でもないようで意外と
気も使うし自分の意図を伝えるのにはかなり難しいというのがわかってきます。
自分もまだまだ至らない。未熟者です。

A宗でこういうことを教祖が言っていました。
「自分は未完成だから人に物を教えない(布教しない)というのは実は正論のようで
正しくは無い。未熟・未完成であっても一生懸命に伝えるという姿勢が大事では無いか」
間違ったことや嘘を教えるので有名な教祖様ですが、たまには良いことを言います。

自分が完成してから物を言う。完成してから人に教えを説く、というならいつになったら
物が言えるようになるのか。
下手をすれば一生かかっても物を言えないということに成るではないか。
90や100歳になっても未完成だから、といえばいえる。
だが、一生のうちに自己の完成を追っていたら、人生を全うするだけで終わってしまう。

未完成なままでも良いから完成形を目指しながら自己を確立・成長させてゆく。
それで良いではないかと思うのです。

批判も同じで最初から批判が上手で完璧な人というのは中々居ない。
まして感情が入って眼が曇れば批判から逸脱する可能性は誰にでも有ります。
それゆえに単なる一口に「批判」といえても実際は難しいものだといえるのです。

あと正論を吐いても相手に理解をしてもらうためには、言い方や表現の面でも工夫が
必要です。いわゆるどんなに弁が立って素晴らしくても角がある良い方では納得が
出来かねるというやつです。

たしかにそれはあります。
私もそこに留意していて発言をしたか、と感じましたので非常に諌めになった。

またこれも今回気が付きました。
意見は批判の他に擁護というものが有ります。
我々はA宗批判をしていますが、A宗を信奉する側とすれば擁護意見になります。
擁護の方が批判に対する意見を述べると、批判に対する批判、となります。

そうなると擁護する側が例えば批判側に対して「気に食わない」とか「遺恨」が
あったとして感情を上乗せして罵倒したとします。
そうなるとやられた側も人間ですから、キツイ言葉の1つでも出てくる。

そうなると擁護側も頭にきてエスカレートする。
この繰り返しなども実際的にはあったかと思うのです。

批判側からしかけるということは有りませんが、やはり「受けて立つ」というのはある。
目には目をでは無いですが、やはり文句やイヤミの1つや2つはあるわけです。

有意義な批判や論をするという意味ではこれは芳しくありません。
私たちは決してA宗を罵倒するのが目的ではないからです。
A宗の欺瞞を世に出し知らしめる。詐欺宗教ですよとお知らせして信者さんに気が付いて
もらうために啓発活動をしているのです。

ですから、進行している内に逸れ気味に成るのはありえることですが、そういうものを
なくし、目的を達することを主眼としたいと改めて思いました。

日々どうしても活動していて鈍化すると言うか麻痺というか、いささか忘れることも
有ったかもしれない。
批判は批判としてやはり理解されやすくなるための示唆もしなければいけないのではないか。
そう思いました。

もちろんそれは批判側だけでなく参加者にも気をつけてもらう。
邪魔や妨害行為、趣旨逸脱をわざと行う人も居ますからね。
掲示板は意見交換の場でもあるということをわきまえ、社会人としてまた常識ある行為で
意見をしあうということに徹してゆきたい。そう思います。

再開 私の閉鎖ブログ

2012-03-24 06:40:36 | Weblog
天照のブログ(yahooブログ)

http://blogs.yahoo.co.jp/datobansowaka/MYBLOG/yblog.html


これを先般開始しました。というか正式には前に少し運営していたことがありましたが、
あまりこのyahooブログを使わなかったため、一旦お蔵入りというか消していたんですね。

ですが、ここのブログに書いてあるとおりある信者さんの投稿がきっかけで再度復活。
そして投稿を始めた、ということです。

ここはまたダラダラ書いても同じ顛末に成るので的を絞りました。
yahoo知恵袋などで返信が出来ないときや、A宗欺瞞を語る際に使おうと思います。

このgooブログは以前と変わらずA宗に対してのことや社会に対してのことや自分の
思ったことを混ぜて語る場所として継続します。
向こうはこちらと違い社会のことや私の個人的な身の回りニュースなどは書きません。
A宗の欺瞞や内容について特化してゆくからです。

さて、その今回のメインと成っていることですが、少し触れてみましょう。

A宗信者の方々の大半は良い人が多いと思っています。
人が良いのは良いことですが、如何せん良くないのは「教祖の言うことを鵜呑みにしている」
または頑なに信じすぎる点が強いことです。

人を信じることは良いことです。ですが、相手が詐欺を働いていることであったならそれは
果たして信じる方にとって良いことでしょうか。

あと指摘があった事項に際し、相手が何を言っているか良く考えることが苦手というか
出来て無い人が多いですね。

私は実際A宗に居ましたし欺瞞を知って退会した。なのである程度内容も知っているし
経験もあります。24年も居て何も知らないのでは逆に「A宗の何を信仰していたのか」
といわれかねない。私はそれ相当真剣に挑んだときも有ったし行っても居た。
遊び・道楽で信仰をしたことは一度もありませんでした。

そして2chで有名な批判掲示板で欺瞞を教えていただき退会した。
A宗のあまりの酷さに「やっても無駄な信仰」とわかったからです。

そしてその中身の無さを提示したら「違う。中身を知らないのはお前の方だ」という
わけです。かつて私もそう思っていたそのままの姿です。
相手も私のことを深く知らないですからきっと何か「言いがかり」をつけていると
思ったかもしれません。ですが、そうではない。
A宗の中身を精査し調べれば私の言うことなど早期に判ります。

結局は盲信に近い姿勢なので相手の言うことが理解できないのです。
また事実確認をしていないからと言うのもあります。
錯誤もあるでしょう。教祖の教えた事や言ったことを雰囲気や感じだけで受け取り、
実際にどうであるか。客観的にまた深い考察を入れて調べるというのをせずに、ただ
教祖の言うことは正しいと信じ込み、確認することが無いのです。

何の宗教でも信仰をすることは個人の自由です。
ですが、批判するのも自由です。
尚且つ私たちは自分らがA宗の信仰をした挙句、何かで嫌になって辞めてその腹いせで
批判しているとか勝手に愚連していると思われているようです。

そんな馬鹿なことはありません。あまりにもA宗の中身と行動がデタラメなのと偽仏教
なのでそこを追求し世に訴えているのと現信者さんに「あそこはまずいよ」と知らせて
いるのです。

尚且つ信者さんは教祖の間違った教えで頭が一杯ですから、正しい情報を提示しても
中々受け入れる人は少ない。逆に「無知なのは辞めたあなた方のほうだ」と言う。
よく言う「A宗の仏教知らず」という言葉があるのですが、まさにそうです。
教祖が嘘をついていることを本気で知らないのです。

A宗は「アーガマ」という漢字で書けば「阿含」というお経を依経としています。
もちろん教団の名前もそこから取ったほどです。
その阿含経に書かれて無いことや仏教開祖”釈尊”が言っても居ない・やってない
事を平気で行っていますし、禁止した行動さえも同じく行っている。

例えば護摩や占いの禁止を堂々とA宗は行っていますし、また阿含経ではないお経を
取り入れその示唆をしている。

盂蘭盆経というのがあります。お盆の発生の所以になったというほどの有名なものですが
実はこれは阿含経ではなくどこの誰が作ったかわからないお経です。
つまり創作経典の一種なわけです。

そうなると釈尊はこの盂蘭盆については説いて無い事項というのが判ります。
そうなるとその盂蘭盆に対し色々講釈や示唆をしている教祖は「おかしい」というのが判ります。
それを「巷では行われている事項だし、どの仏教教団でも行っているではないか」という。

ではどこの教団でも行っているから釈尊が説かない行為はセーフなのか?です。
それこそ民間信仰よろしく先祖にお供え物を上げて供養のための気持ちや念を抱くのは悪くない。
A宗はその盂蘭盆を使い、万燈供養などでお金をとっているではないか。
これは明らかに偽の教えに即した便乗商法であり商売です。
また「お釈迦様はこのように言った」とあからさまに述べている。
仏教に無知な人が多いのを良いことに人々を騙して商売をしているのと同じです。

これで本当の仏教教団というのに対し、批判する方が間違っていますか?

間違っているのはA宗の方であり、それを信じている信者さんに「どうか気づいて」と呼びかける。
これは私は良い行為だと思っています。

そして気づいた者が教えてあげようと思わないとこういう行為はできません。
自分だけが気づいてA宗の信仰を去るのは簡単です。また普通はそこからは何もアクションは
興さず寡黙で終わりという人が世の中には多い。

それに対し「世にA宗の欺瞞を知らしめる」という人間が居ても変ではない。
そして今も尚信者さんは欺瞞を知らずにA宗にお金や労力を費やしているのです。

私どもが言っても「聞かない」人はそれでもいいでしょう。好きにすれば良い。
だが、信者さんの中には聞く耳が有る人が居ます。
私どもがかつて欺瞞を信じられなかったが調べて認識できたように、欺瞞情報を知ってA宗から
離れて幸せな人生を送る。本当にそうなって欲しいのです。

私も早くから欺瞞情報がわかれば、早くに辞めていた。
早く辞めればそれだけ無駄な時間と金が損なわずに済んだのです。
詐欺宗教に騙されて自分の人生を損ずるのを回避することを示唆していることでもあるのです。

ぜひ一人でも多くのA宗信者さんが欺瞞に気づかれることを祈る次第です。

懲りない東電体質

2012-03-22 15:49:30 | Weblog
TVで散々報道があるのでご存知の方は多いでしょうが、
東電の値上げについてかなり論議を醸しているようですね。

値上げもある意味では仕方ない事項なのですが、まず何も努力をしないで
「燃料費が」「経費が」といって値上げを要求する姿勢が問題です。

一番の原因は原発が使えなくなったからで、火力発言所に稼動を戻したから
困ったわけで、反原発者が今まで言ってきた事が現実にならない限り永遠に
「安全である」といい続け継続する予定だったでしょう。

ところが自然の猛威で原発が壊れた。
確かにある種東電も被害者です。

でも、原発が最初から火力や水力、海の波を使った発電にしていれば
放射能の被害や迷惑はかけないで済んだわけです。
ですからどうあっても責任逃れや転嫁は出来ないわけです。

茨の道を歩むべきか?といわれたら当然です。
現に今も復旧作業を行っているのは下部の従業員です。
上層部やお偉方が進んで処理に奔走しているわけではない。
責任を取らされているのは皆下っ端の人間です。

下っ端の作業の方々は被爆していますから寿命が縮みます。
いわゆる「命を削って作業をされている」訳です。

しかし、上層部や幹部たちは何の苦労もせずに要求を突きつけ通そうとした。
何の反省もして無い証拠です。

困り果ててる東電をいじめるつもりはないですが、今まで大きな顔をして
きたツケが回ってきた。
また東電だけではない。他の電気会社もいつ「東電パート2」になるかも
しれないのです。

原発が完全停止に成るまでかなり時間が掛かるというのを知りました。
確かに今は日本の全部の原発は停止になりましたが、電気製品のように
電源を切ればすぐ停止=安全という代物ではない。
稼動してなくても炉の中に核燃料や冷却期間が終えてなければすぐにでも
温度が上昇し福島の二の舞になるというのを忘れてはいけない。
つまりいつでもどこでも原発のある場所で原発が大きく壊れたら
「いつでもどこでもヤバイ」ということなのです。

これだけの代物を扱う代償は大きすぎる。
東電が困り果てるのも判りますよ。
でも、こういう風に成るのをリスクなわけです。
いざとなったら責任を問われる施設を作ってきたのですからね。

前の日記でも書きましたが、誰がどう見ても「限界まで頑張ったな」
と理解できるだけのものを出してから値上げなどを言いなさい。
そう思います。

東電 懲りない体制

2012-03-16 07:07:35 | Weblog
すでにご存知の方も居られると思いますが書いてみます。
それは「東電の悪質な姿勢」です。

東電は東日本大震災の地震により原子力発電所が壊れ甚大な被害を出しました。
このことについて知らない人はいないほどです。

しかし、東電が様々な方に賠償をする関係で膨大なお金を必要とするので
値上げを行おうとしています。
これをどうして国が「待った」をかけれないのか、と不思議に思っていましたが、
実は東電は「国の持ち物」では無いからです。

例えですが、生命保険会社や銀行が何か不祥事を起こしたとします。
ところがそれらは「金融庁」の管轄下にありますので、それらの企業が不祥事の際に
金融庁、つまり国からかなりやられます。
ところが東電はそう言うしがらみが無いので値上げについては「待った」をかける
権利が無いのです。

ただ、権利は無いものの世界にまで及ぶ迷惑と被害を与えたのは甚大です。
ですからちゃんと責任を果たすことや東電は何も物を言うな、というのではなく
やることをやってから意見を言いなさいといいたい。

うやむやにしていれば通ると思って隙を見て東電の有利に事が運ぶようにと様子を
伺いながら案を出している姿勢が見え見えです。

散々言われた「隠し資産や余剰資産」を処分せず、値上げを以って何とか窮地を
しのごうとしている。また会社の体たらくな姿勢も改善されておらず、尚且つ国も
最初は躍起だったが、今ではダラけている。

それこそJALのように健全化してちゃんと運営を行わせる姿勢があったらいいが、
そう言うのは東電には感じないし、国にも感じない。
感じるのは「時間の経過を待ってちょろまかそうとしている」そう言う感じが強い。

それこそ消費税の問題ではないが、非常に似ている。
国はちゃんと努力もせずに「増税」ばかりしたがる。その構図と同じです。

東電がちゃんと洗いざらい清算や懺悔をして示した後で「もう限界です」と表明し
そのチェックを受けた上で「値上げ」なら文句は出ないのです。
国も同じで資産を隠して、尚且つマニフェストを守って各事項を行ったうえで
「国民の皆さん、増税いいですか」といえば大概は「仕方ないよね」と応じるものです。

何の努力もせずに自分らの保身ばかり考えて反省も何も無い。
こういう人たちに応じてはいけません。応じた結果があの震災での被害です。
原発さえなかったら放射能の被害は発生しなかった。

安全だな安全だと騙してきたツケが回ってきたのです。
ちっとも安全ではなかったではないか。どうやって責任を取りますか?
中々簡単に取れるものでは無いでしょう。
実際震災で直接被害が無かった農家や酪農の方々で放射能のせいで廃業し自殺した方も
いたのです。誰が殺した?東電です。原発さえなかったらその方々は死なずに済んだ。

その重みも広範囲で膨大な影響も忘れて「値上げ」ですか。
人をどこまで小ばかにしたら気が済むのか。

私のいる地方は東電では無いから関係など無いが、憤りは十分ある。
人をなめた姿勢と利益優先・企業安泰ばかり考えるからそうなるのだ。
本当に東電を継続し反省をして健全な会社に生まれ変わる姿勢を出さないで何が希望だ。

ぜひ、東電のエリアの皆さん、東電は何も改善をしてません。
強く意見を出して東電の思い通りにならないように対策をしてください。

東電はちゃんと反省とそのための実行をしてから、物を言いなさい。
今のままでは不十分です。

本当に憤りを感じる自分でした。

ふと思ったこと

2012-03-13 06:18:16 | Weblog
3・11でTVなどやその他報道番組で色々放送が有りましたが、それが
まもなく終わってふと思い出したことがあるので書いて見ます。

当時起きた行動として「寄付」がたくさん集まりましたが、あの時に
「皆さんの善意」が必ずしも完全に機能しないであろうというのがあったのを
覚えている方は居られるでしょうか。

私もうろ覚えですが、皆さんから集まった善意のお金を100%被災地に渡らない。
または違ったものに使われる恐れもある。使途不明瞭に成るものもあるというやつです。

それを私は思い出しました。

当時その情報を聞いて「うかつに募金も出来ない」と感じたものでした。
だって大した額の寄付をするわけではないけど、皆さんが少額でも「使ってください」と
出された金額です。そしてそれが集まれば大きな額になります。

その善意で集められたお金を有効に使われない恐れがあるとなれば、安心して募金が
できるでしょうか?

当時は「募金詐欺」も発生しました.
せっかく行った善意のお金が一部の悪い人間に使われるのは本当に許せないですね。

またその当時にも感じたことですが、この悪い使われ方を防ぐには至難の業だということ。
大きな募金団体でも安心できないのですから、募金先にも気や知恵を使わねばヤバイという
ことですね。

マスコミは最近はあまりこのことに触れてません。
ぜひとも過去に皆さんの善意が集められた流れや経緯、そして実際的にどうなのかを報道して
それを挙げてもらいたいです。

結局チェックする人がいないと「うやむや」にされて終わるのが世の常です。
未だに不正がやまないのを見ればわかると思います。
(つい先日も不正で逮捕された方がいましたよね。※募金の不正ではなく職場などの不正です。)

どこの職場や世界にも「不正」はつきものでしょう。ですが、特にこの震災募金の寄付に対して
不正はあってほしく無いですね。

ニュースとして人のゴシップなどを挙げるのもマスコミの仕事でしょうが、ぜひ震災募金の不正が
無いかを調べてチェック機能を働かせて欲しい。そう願う自分でした。

震災から一年

2012-03-11 05:30:15 | Weblog
昨年の未曾有な震災から一年が経ちました。
私も追悼の祈りを捧げさせていただきます。


この震災は「原発」が地震・津波で被害を受けその影響で大変なことが起きた。
それで日本だけに留まらず世界に非常に良くない影響を与えることとなってしまいました。

個人的には長いような、短いようななんともいえない一年であった気がします。

地震の強さ、津波の被害というのは言うまでも無いほど凄かったわけですが、それに加えて
「原発」の破損がなかったらどんなに良かったか。強く思う次第です。

日本は原発のことに関してもかなりの技術や知識があって対応できると信じられてきた。
また国家も原発の重要性を推してきました。

しかし、このたびの震災でやはり「自然の力には勝てない」また「不測の事態に対応できない」
やはりどこかに「傲慢や侮り」があったようだといわざるを得ない結果になりました。

本当の意味で智慧があったら、自然エネルギーを活用し原発に頼らなくて済むものを使っていれば
震災には原発の被害を被るような事態にはならなかったと思います。

「原発は安全だ」「原発は大丈夫なんだ」いくら安全という看板を掲げても不慮の事故に遭えば
その今まで言っていたものが全然役に立たない。

これがもし原発でなく「火力発電」であったなら放射能は出なかったわけです。
全然違う結果になっていて東電も原発での責任問題を負うことにはならなかったのです。
全然違う結果になってたのです。

今までは政府やいろんな「力」を以って原発を設置する地域へ建設・稼動を促してきた。
これからはもうそれは通用しません。

今原発は全部停止に向かいますが、完全停止は炉が放射能を出さない状態になるまでは
ずっと冷却をしないといけないそうで、何年も掛かるそうですね。
もしもまたどこかで地震が起きて炉が破損したら、東北の二の舞が発生します。
それだけ危険なものを「抱えている」わけです。

ですからもう原発は廃炉して新たな自然エネルギー政策に向かうべきです。

幸い昨日TVで「アイスランド」や「ブラジル」を例にとって原発に頼らないものを
出していました。日本国がそのような方向にシフトしないといけない。強く思います。

それでなくても今は石油に依存している状態です。イラン問題でやばい状況です。
また石油価格も高く車も安心して乗れない環境です。暖房もしかり、です。

電気自動車などこれからは普及するでしょう。もう「脱石油」になってきている。
そして火力発電所も「脱石油」になってゆかねばならない。
そうなると原発以外のエネルギーで補うを本気で考え対応しないと行き詰まっていづれ
電気が作れない~国中停電状態~になってしまいます。

本気で物事を考える。原発サイコーと考えていた時代は終わりです。

電力会社さんや国家に強く訴えたい事項です。

真実だろうが許せない事項

2012-03-09 07:42:27 | Weblog
予知困難 等身大の説明大切

http://sankei.jp.msn.com/science/news/120308/scn12030822590004-n1.ht

記事を読ませてもらったが、言っていることはわかる。
わかるが、ではあなた方の行動や予知を研究している方々の研究は「後手研究」なのか?

先手を取れば良いというわけではない。実際に予知に成功している方もいると聞く。
そう言う方はなかなか陽の目をあまり見ないが、どうなっているのか。
またどうして当たらない研究をいつまでしているのか。

医学も難解だと思われた事項に挑んで進歩進化発展してきた。
全てがパーフェクトではないが、やはり医学の発展してなかった過去に比べて格段の
違いでその恩恵を受けているのがかなりある。

地震予知が役に立たない、出来ないのであればやるな。
それこそ考古学のように「おきた事項」を元にどうして行くべきかを追う研究だけにしろ。

何のために地震研究をして時間を費やしているのだ。
まさか、あなた方はなまずを飼ってそれを毎日眺めることが仕事ではあるまい。

そして、ニュースで聞いたりしたが断層がどうのこうのと発表して最後には「当てれない」
メカニズムの解明や状況だけの判断なら気象庁だけで事足りる。
出来ない・果たせない予知研究などすぐにやめろ。人を馬鹿にしているのか。

確かに等身大を超えてさも「私は神である」が如く慢心タラタラの行動も良くない。
当てれないのに当てれると豪語し、外す方がよっぽどの罪だ。
それから見たら等身大というのはなるほどな言葉だ。
だが、その等身大というのはどのくらいでどの程度なのか?

いろんな予知方法があるようだが、それを外れて「当てにならない」のならやるな。
それこそオウム元信者が過去に「阪神大地震を当てた」というのがあるが、貴方たちは
オウムの信者にも負けるというのか。

情けなくは無いか?
貴方たちは何のどういう研究で飯を食っているのか。自覚が低く無いか?
全く馬鹿馬鹿しくて話にならん。
正直に物を言ったのは偉いが、貴方たちの研究が後手研究でただの考察や予知以外の研究なら
もう今日からすぐに予知研究など辞めてしまえ。

果たせないかもしれない。でもその道の可能性に賭けるという風に頑張るのならまだ判るが、
無駄なことで研究という名のもとで「相当な給料」を貰って安穏に暮らしているやつがいるなら
それも解雇せよ。予知などやるな。

全く以って情けない記事であったと感じた自分でした。

不気味な多発地震

2012-03-01 05:40:26 | Weblog
昨日も千葉などで地震がありましたね。日本のあちこちで随分地震が起きています。

今日で3月1日ですから、まもなく東日本大震災から一年が来ます。
ニュージーランドの地震のことを思い出してください。
あの地震で日本人が数名亡くなりました。そしてその地震も一年が経って来たものでした。

まさか、また来るとは・・・本当に予想だにしてなかったときでした。
また次の地震が来たときのために「あれもやろう。これもやろう」と計画中でまだ手を
つけてないときでもありました。

このニュージーランド地震のときの教訓を活かし、警戒の心と対策を考えておく方が私は
良いと思います。例え地震が来なくても心に準備というか心構えを抱いている方がまだ
対応が出来るかもしれないと思います。
何も考えないでいきなり来たらダメージは大きい。せっかく一年が来てようやく、という
感じなのではありますが、もしものために何か工夫や対策、そして心構えをしておくほうが
有益ではないかと思います。

もしもまた地震で何かダメージを受けたら、どうなるか。
それでなくても心が折れそうなくらいきつかったのに、またこれ以上の被害は沢山です。

もちろん東北地方の警戒ばかりではなく、どこで起きるかわからない。
自分も含めてもしものために対応をしておく。
油断していたときのダメージは本当に酷い。何も無ければ幸いなので一応何か起きてから
「言えばよかった」というのなんて言いたくないため、書いてみた次第です。

本当に世界が平和でありますように、を強く思う次第です。