昨日TVタックルを拝見したが、あの番組はいいものが多いが、どうも時間の都合や構成のことで
完全にやりきれない不完全燃焼のまま終わりますね。仕方ないのですがもうちょっといい構成や議論
展開して欲しいですね。
下手な再放送やらつまらない番組をやるよりずっといいと思うが、どうも完全に真面目な論議に
いけないでいる感じはちょっともったいない気がしますね。
そこら辺は割り切るしか無いのでしょうが、いつもそこを惜しく思います。
さて、昨日は「教育問題」に特化してやっていましたね。橋下さんの改革の事項です。
いろんな意見が出てそれはまあまあでしたが、ただ批判もあって批判自体は良いのですが、では
改善策や実際どうするのかが無い。あの番組の悪いところです。
とくに昨日は事あるごとに「それは国でも考えています」とか「その案はすでにやろうと思っています」
など遺憾に思うことが多かったですね。
思う? 考えている? それだけで出来るのか?です。
また国でそのようなことに踏み切るのは結構なことですが、では実際どうなっているか。
今ずっと一時停止状態になっているというではないですか。
そんなんでそのいい案が実行できると思っているのか。やってから物を言えといいたい。
よく人から物を言われれば「そんなのは知っている」とか「わかっている」というのと同じだ。
じゃあ、わかっているならやれよ、といわれたら素直に頭を下げるのか?
そういうのをただの反抗というのです。
とかくこの国はそういうのが多い。実際橋下さんはやろうとして動いている。
確かに国会で物事を通そうとして中々行かないのは判るが、元々国会というのはそういう場所で
有るゆえ中々動かないのはあることでしょう?
橋下さんは有言実行で実際的に、しかも大阪府と大阪市で地方だから国家よりは実行しやすく、また
教育改革の必要性のためもあって行おうとしている。
橋下さんのメリットは「国でない」からです。国で如何にいい法案でも通るには邪魔が入る。
入れば入っただけ遅れるし、ダメになる可能性もある。
また実際的に大阪で実行しメリットが出ればサンプルというかモデル的な示しもできる。
またダメな点も出たら改善を加えればいい。そうしてよくなったものや実際の動きを見て判断し、
「では国も行おう」と成るではないか。
それをはなから「知っている」だの「国でもやろうとしているんですよ」アホか、と思う。
そういう自慢か反骨か知らんが、そんなものはいらない。いるのは有意義な意見だ。
番組を見ていた人は判ると思いますが、どこが悪くてどう直すべきか。
またどこがよくてそれを進めるべきかが強く論じられていない。さらっとだけである。
つまり論じ方が薄いのである。
あそこには有識者が出ているからといつも期待するが、どうも混沌としている。
もうちょっと判りやすく示し、深く論じるだけの構成にしてもらいたい。
また批判や反対意見も述べてもいいが、それも同じく深く論じるようにして欲しい。
一時間で足りないなら別な日に移動して面白くも無い番組を潰して二時間でやればいい。
変なおちゃらけた番組などいらないから、そういうのをやるべきだ。
TVの視聴率が悪いとか製作側は騒ぐが、いいものを作りきれないからそうなるのではないか。
タックルは賛否両論の番組だが、私は総じては「いい番組」だと思う。
ただ、いい番組の比率が上がれないのは、構成の不完全さや放送される内容だと思う。
もっとわかりやすく切り込んで、尚且つ良いところでカットする愚行はやめて欲しい。
おそらく報道してはまずい事項があるからそのようにしたのだとは思うが、それも意図的でしょう?
やはりこの国はマスコミもそのようなしがらみがあるだろうというのはなんとなくわかる。
だが、それをしていたらいつまで経ってもマトモな論議など出来ないでしょう。
それこそタックルで見られる「ちょっとユニークなものを混ぜる」でやるしかない。
またはわあわあとする話あいの中で「あ、時間です」とか「次の話題です」にするとか。
そういうので誤魔化すしかないのです。
ですからそう言う誤魔化しはいらないからとことんやれと言いたい。
それがこれからのTVの視聴率も稼げることに成るだろうし、必要な姿勢かと思う。
そう言うのを避けて「視聴率上がらないか」は阿呆のすることです。
番組批判が混じってしまったが、それも含めてこの国の論じ方、有識者の論じ方も上手ではない。
もうちょっと有識者なりの論じをして欲しいしその有識者さんは何を言いたいのかを明確にする。
いいものはこう。わるいものはこう。そしてそれらに対しプランの提示をする。
ただ、いいとか悪いとかなら一般人の人でもいえる。
日本も「右倣え」の姿勢から大分変わってきていろんな意見や案が生かされるようになって来ました。
そう言う姿勢はいいことです。
ただ、馴染んで無い姿勢だけに余りそれも機能してない面があります。
トコトン話あう場所や、それらを公にする物が出てきていいと思います。
また人間は改革を嫌う場合もある。変化を補うことを嫌うのがあるわけです。
(変化や改革が好きな人は別です)
特に変化のために利益を損ずる人はそうです。
今までそういう利益の得るところにいて甘んじていた人がいて、それ以外は苦渋をなめてきた。
また適当にあしらわれて、よい政治や教育などが行われないできた。
そう言うものを解体してよきものへ作り直す。これは必要なことなのです。
これを橋下さんはまず、大阪からやるぞ、おやりになられている。
やらせてみればいいんですよ。で、ダメだったら改善させるか責任を取らせればいい。
それをやりもしないうちから目を吊り上げ反対する。おかしげな国です、日本は。
そういうわけでなんでも橋下さんの案を容認すればいいというわけではないが、むやみに反対する
人の意見は「どうなのか」という事を言いたい。
本気でよく無い機構を変える。それをどこまで考えているか。また行うかです。
橋下さんの改革にこれからも注目な自分です。
完全にやりきれない不完全燃焼のまま終わりますね。仕方ないのですがもうちょっといい構成や議論
展開して欲しいですね。
下手な再放送やらつまらない番組をやるよりずっといいと思うが、どうも完全に真面目な論議に
いけないでいる感じはちょっともったいない気がしますね。
そこら辺は割り切るしか無いのでしょうが、いつもそこを惜しく思います。
さて、昨日は「教育問題」に特化してやっていましたね。橋下さんの改革の事項です。
いろんな意見が出てそれはまあまあでしたが、ただ批判もあって批判自体は良いのですが、では
改善策や実際どうするのかが無い。あの番組の悪いところです。
とくに昨日は事あるごとに「それは国でも考えています」とか「その案はすでにやろうと思っています」
など遺憾に思うことが多かったですね。
思う? 考えている? それだけで出来るのか?です。
また国でそのようなことに踏み切るのは結構なことですが、では実際どうなっているか。
今ずっと一時停止状態になっているというではないですか。
そんなんでそのいい案が実行できると思っているのか。やってから物を言えといいたい。
よく人から物を言われれば「そんなのは知っている」とか「わかっている」というのと同じだ。
じゃあ、わかっているならやれよ、といわれたら素直に頭を下げるのか?
そういうのをただの反抗というのです。
とかくこの国はそういうのが多い。実際橋下さんはやろうとして動いている。
確かに国会で物事を通そうとして中々行かないのは判るが、元々国会というのはそういう場所で
有るゆえ中々動かないのはあることでしょう?
橋下さんは有言実行で実際的に、しかも大阪府と大阪市で地方だから国家よりは実行しやすく、また
教育改革の必要性のためもあって行おうとしている。
橋下さんのメリットは「国でない」からです。国で如何にいい法案でも通るには邪魔が入る。
入れば入っただけ遅れるし、ダメになる可能性もある。
また実際的に大阪で実行しメリットが出ればサンプルというかモデル的な示しもできる。
またダメな点も出たら改善を加えればいい。そうしてよくなったものや実際の動きを見て判断し、
「では国も行おう」と成るではないか。
それをはなから「知っている」だの「国でもやろうとしているんですよ」アホか、と思う。
そういう自慢か反骨か知らんが、そんなものはいらない。いるのは有意義な意見だ。
番組を見ていた人は判ると思いますが、どこが悪くてどう直すべきか。
またどこがよくてそれを進めるべきかが強く論じられていない。さらっとだけである。
つまり論じ方が薄いのである。
あそこには有識者が出ているからといつも期待するが、どうも混沌としている。
もうちょっと判りやすく示し、深く論じるだけの構成にしてもらいたい。
また批判や反対意見も述べてもいいが、それも同じく深く論じるようにして欲しい。
一時間で足りないなら別な日に移動して面白くも無い番組を潰して二時間でやればいい。
変なおちゃらけた番組などいらないから、そういうのをやるべきだ。
TVの視聴率が悪いとか製作側は騒ぐが、いいものを作りきれないからそうなるのではないか。
タックルは賛否両論の番組だが、私は総じては「いい番組」だと思う。
ただ、いい番組の比率が上がれないのは、構成の不完全さや放送される内容だと思う。
もっとわかりやすく切り込んで、尚且つ良いところでカットする愚行はやめて欲しい。
おそらく報道してはまずい事項があるからそのようにしたのだとは思うが、それも意図的でしょう?
やはりこの国はマスコミもそのようなしがらみがあるだろうというのはなんとなくわかる。
だが、それをしていたらいつまで経ってもマトモな論議など出来ないでしょう。
それこそタックルで見られる「ちょっとユニークなものを混ぜる」でやるしかない。
またはわあわあとする話あいの中で「あ、時間です」とか「次の話題です」にするとか。
そういうので誤魔化すしかないのです。
ですからそう言う誤魔化しはいらないからとことんやれと言いたい。
それがこれからのTVの視聴率も稼げることに成るだろうし、必要な姿勢かと思う。
そう言うのを避けて「視聴率上がらないか」は阿呆のすることです。
番組批判が混じってしまったが、それも含めてこの国の論じ方、有識者の論じ方も上手ではない。
もうちょっと有識者なりの論じをして欲しいしその有識者さんは何を言いたいのかを明確にする。
いいものはこう。わるいものはこう。そしてそれらに対しプランの提示をする。
ただ、いいとか悪いとかなら一般人の人でもいえる。
日本も「右倣え」の姿勢から大分変わってきていろんな意見や案が生かされるようになって来ました。
そう言う姿勢はいいことです。
ただ、馴染んで無い姿勢だけに余りそれも機能してない面があります。
トコトン話あう場所や、それらを公にする物が出てきていいと思います。
また人間は改革を嫌う場合もある。変化を補うことを嫌うのがあるわけです。
(変化や改革が好きな人は別です)
特に変化のために利益を損ずる人はそうです。
今までそういう利益の得るところにいて甘んじていた人がいて、それ以外は苦渋をなめてきた。
また適当にあしらわれて、よい政治や教育などが行われないできた。
そう言うものを解体してよきものへ作り直す。これは必要なことなのです。
これを橋下さんはまず、大阪からやるぞ、おやりになられている。
やらせてみればいいんですよ。で、ダメだったら改善させるか責任を取らせればいい。
それをやりもしないうちから目を吊り上げ反対する。おかしげな国です、日本は。
そういうわけでなんでも橋下さんの案を容認すればいいというわけではないが、むやみに反対する
人の意見は「どうなのか」という事を言いたい。
本気でよく無い機構を変える。それをどこまで考えているか。また行うかです。
橋下さんの改革にこれからも注目な自分です。