標題の通り、「ようやく」ジーコ監督とお別れです。
日本代表の失われた4年間を取り戻すためには、オシム監督しかいないですね。
2年前に一回断られているので、今回は失敗しないことを望みます。
友人に「Blogをアップしないのは気持ちの整理がついていないからですか?」とたずねられましたが、全然そんなことは無く、ただ仕事やら何やらでバタバタしてただけです。
今回ほど、代表が負けてさっぱりした気分でいたことはありません。
ジーコのサッカーとさようならできるから。
ここから日本サッカーは失われた4年間を取り戻すのです。
テクニカルな選手を生み出す土壌はできました。
後はフィジカルとインテリジェンスが同居する選手も育てなくてはいけないでしょう。
下手でも精神的に強くてがんばれる選手。
そういう選手を一般のファン・サポーターがきちんと評価できる土壌を作りたいですね。
阿部、佐藤勇斗、鈴木啓太、今野、戸田とか。
リーグ戦も充実させなくてはいけません。
日本を強くするのは監督だけじゃない。
市井のおいら達だって意識していかなくては。
以下は思いついたことをツラツラ並べてみました。
まとまらないうちに、もうすぐイタリア対オーストラリアが始まるので、途中でアップしちゃいます。
ジーコが日本のサッカーに貢献したことは疑いようの無い事実です。
鹿島アントラーズを名門チームにして、選手たちにプロ意識を植え付けた。
数々のブラジル人スター選手が、ジーコの名の下に鹿島アントラーズで、日本のチームで活躍した。
ジーコがいたからだからこそですね。
ただし、ただし、監督としては素人でした。
コーチ・スーパーヴァイザーとして、人間としてはすばらしい人なのかもしれませんが、監督としての経験はゼロでしたね。
そんな彼に監督を任すというリスクを冒す必要がどこにあったのか。
試合前のスタメン発表に始まり、時差のある地域への遠征に疲労蓄積を無視した3日前到着になぜかこだわったり、選手に固執したり、とツッコミどころ満載でしたね。
この方なんて、紙媒体やHPではあえて批評してませんでしたが、
記録の残らない講演会やトークショーでは就任当初からこき下ろしてました。
ジーコの功罪と、彼を登用した日本サッカー協会を冷静に批評しなくてはいけないですね。
協会がジーコを監督に登用した要因として、日本サッカーへの理解が深いこととその人間性をあげてたと記憶しています。
監督に必要な能力はは突き詰めればパーソナリティーだと、上記の
この方も著書の中で触れています。
パーソナリティ・人間性って経験がものいいますよね。
オイラはジーコの人間性もあんまり評価していません。
審判のレベルがいくら低いとはいえ、PKのボールにつばをはきかけたり、汚いファウルもじさないプレーなど、プロフェッショナルではあったけど、スポーツマンシップを感じることができませんでした。
また、その当時ドイツのクリンズマン、オランダのファン・バステンなど、経験の無い元スター選手が監督に登用されました。
それを習ったのでしょうか?
ドイツやオランダとは歴史が違う、サッカーの濃さが違いますね。
両国と置かれた状況も違いました。
両国は伝統のある国で強国でしたが、ベテランから若手への切替・融合がうまくいってませんでした。
そこで、彼らの求心力と、国民全体からの高い支持率を元に大胆な選手起用を行いました。
また、両監督にはともに優れたコーチに支えられました。
ジーコの連れてきたスタッフは鹿島アントラーズをつまらないカウンターサッカーに貶めたジーコの実兄エドゥーですしね。
そして、極め付けですが、クリンズマンは才能豊かな選手ではありませんでしたね。
それでも、彼は点を取り続けました。
さまざまな国のリーグでコンスタントに点を取り続けました。
サッカーに対する深い理解と、どんな国も対応できる順応性が高かったのでしょう。
ファン・バステンは若い頃こそ活躍しましたが、怪我に苦しみ、試合に出れない選手の苦しみが分かっていました。
ジーコは天才的なテクニックと攻撃センスで常にスタートして君臨しました。
フラメンゴではもちろんスーパースター。
でも、イタリアに渡った際は活躍できませんでしたね。
自国の恵まれた環境の中では活躍できた選手。
ほかの選手を支えるというよりは、ほかの選手に支えられる選手でした。
そういう選手に汗かき選手の気持ちが分かるとは思えない・・・。
まあ、全部結果論ですけど。
いいじゃないですか、日本のサッカーはこらから100年構想に基づいて発展していくんでしょう?
一度や二度の失敗くらいありますよ。
要はそれを的確に評価すること。
これを怠れなければ、われら勤勉な日本人は、日本のサッカーはまだまだ発展できる。
それを信じてがんばるしかないっす。
評論家じゃなくて、実行者にならなくてはいけないのです!