2005年の記録
11月になると瀋陽は、厳しい冬を迎え、朝晩は氷点下の日が続く。
兵士、労働者、農民たちの上に毛沢東像がある。中国共産党を人民(兵士、労働者、農民)が支えていることを示している。
瀋陽より南に位置し、海に面する蓋州や大連が冬でも暖かいが、朝陽よりも海から離れているため瀋陽が、最も寒い。
旧市街の中心にある中山広場脇にある遼寧賓館(3ッ星)は、旧奉天ヤマトホテル、歴史的建造物である。僕も1泊したが、内装は歴史観のある立派なものだが、新しもの好きの中国人の人気はいまひとつ。サービスは評価通りの3ッ星クラスだった。
中国語の「旅社」は、日本語の旅行会社ではなく、宿泊施設を示す。宿泊施設を示す中国語は、酒店、飯店、賓館、旅社、招待所、客栈・・・とあるが、一般的に旅社、招待所、客栈は、安宿であることが多いが、明確な区分がある訳ではない。外国人は、「外賓」登録された宿泊施設にしか宿泊できない。「外賓」は、登録しているか、否かの問題で、高級か否かとは一致しない。4ッ星ホテルでも登録されていなければ宿泊できないし、相部屋の安宿でも登録されていれば宿泊できる。もちろん、上に政策があれば、下に対策がある国なので、超法規、非合法での宿泊経験もある。
上海など沿海部の大発展には遅れるものの東北地方No.1都市の瀋陽も再開発は確実に進んでいた。戦前の建築物やバラックといった老朽建築物が取り壊され、近代的な高層ビルが、ニョキニョキと建築されている最中でもあった。
中国は、日本以上に西洋人に対する憧れとコンプレックスが強い。当時の中国では、服飾、コスメを筆頭に広告のモデルの多くは、金髪の欧米人だった。上海人の女性に「ボーイフレンドが日本人だと両親に伝えたら、反対される?」と質問すると、「う~ん、反対はされないと思うけど・・・・・」と答えた。「じゃぁ、金髪の欧米人だったら?」と意地悪な質問をすると、「喜ぶと思うよ。金髪の孫ができるかもしれないって、近所に吹聴するかな。」といった日本人には、ちょっと残念な反応だった。
意外に思われるかもしれないが、中国でビリヤードは、結構ポピュラーな遊技である。
【回想録】
部材の製作がほぼ終わり、製造は佳境を迎えた。11月16日は、走行装置の8時間無負荷運転に立ち合い、軸受の温度変化を確認する。朝から始め夕方には完了する予定だった。前日に完了している走行装置の組立が完了したのは、16日の夕方である。中国側は、「3時間も運転すれば大丈夫」と主張するが、僕は、「決められたことを決められた通りにやる。徹夜してでも、8時間運転してくれ。提案ではない、指示だ。」と突っぱねた。言いだしたら引かない面倒な日本人であることは知られていたので、中国側は、不承不承承知したが、「極寒の深夜は危険なので、立ち会いはダメだ。」と言ってきたので、(立ち会わなければ、ちゃんと運転する訳がない) 「断続的に工場に来て、確認させてもらうよ。」と返した。
件のやり取りを傍らで聞いていた僕の部下が、「今日、16日はZhenさんの誕生会の日ですよ。店も借りきっているのですが、キャンセルしますか?」と慌てて聞いてきた。僕は、「キャンセルすることはないよ、適当に抜けて工場に来て、また戻るよ。」 中国人はもちろん日本人までもが、「Zhenは狂っている!」と異口同音に呟いた。
結局、僕は店を抜け出して工場に行き、途中確認して、また店に戻り、その後、再び工場に行き、軸受温度の最終確認をした。確かに深夜の工場は、極寒だったが、徹夜で試運転を続けた検査員と熱いお茶をすすった。忘れられない誕生日になった。
【Just Now】
連日、介護職員の入所者への暴行事件が報道されている。僕自身が、介護施設にお世話になるのは、まだまだ先の話とは言え、いずれは、高い確率でお世話になるだろうから他人事ではない。
介護職員の過重労働や低待遇が問題として挙げられているが、介護施設の介護に対する誤った理解が根底にあるのではないかと思う。つまり、「高齢者の介護は、ほんらい家族がやるもの、施設介護は、あくまで代わり」といった誤解である。「家族がやること→誰にでもできること、スキルはいらない」となって、その報酬は低いものになる。志だけでは、継続できず、人材が流出し、慢性的な人手不足に陥る。その結果、「とりあえず就職できる介護業界」という、失業者の受け皿になってしまい、志や誇りなど、何処へ。完全に負のスパイラルだ。
「人生、終わりよければ、すべて良し」とは思わないが、亡くなる前の期間が、その人にとって、とても大切な期間であることは間違いない。その期間の良し悪しを決定づける介護職もまた崇高な仕事であるべきだ。
そもそも、家族の介護とプロの介護は、別ものだ。家族だからできることがある反面、プロフェッショナルだからできることもある。その根底の認識を変えずに行政のバラマキをすれば、カネの亡者が、守銭奴のような職員を使って介護施設を経営するだけで、何の問題も解決しないだろう。
我々が、介護職をリスペクトすることからすべてが始まるのではないだろうか。
旅は続く
舗装されていない道路の片隅に台を置いて やっているのから
そこそこ立派なビリヤード場まで 結構有りましたし、安い価格で 遊べました。
深圳に比べると 大連で有ろうと何処であれ 極寒です。
10月過ぎたら 怖くて行けません(笑)
凄い苦労されてるんですね・・・
私もコッチで 夜明け前まで ってのは、経験ありますが
何と言っても 暖かい地方なんで 気持ちが荒みません。
そう今でも 半袖 冷房アリ です。
早々にコメありがとうございます。
Maruさんは、ビリヤードやられたのですね、僕は、日中とも未経験です。
まぁ、確かに華南は、亜熱帯ですからね。
ハルビンに氷まつりを見に行くと上海人に言ったら、真顔で死ぬからやめろってね。
中国は広大ですね。
確かに寒いのは、キツイですが、その分、人の心の暖かさを強く感じますよ。
半袖ですか、東京もコート着る人をチラホラ です。
では、また。
お邪魔します。
旧・奉天ヤマトホテル、
旧・満州が舞台の読み物には度々登場する場所。
建築物としても存在感としても「歴史的」ですね。
超法規、非合法での宿泊経験、興味がわきます。
機会があれば貴ブログで紹介してくださいませ。
前回投稿では宣材として「AYU」が取り上げられていましたが、
西洋人への偏愛を感じた当時でも、
歌姫は別格というところでしょうか。
「AYU」⇒田舎・庶民のアイコン。
「金髪碧眼」⇒都会・富裕のラブ&リスペクト。
そんな違いもあるのかなと想像します。
介護業界の現状とはズレた話になりますが、
僕は「安楽死」が認められるようになって欲しいと
思っています。
人は生誕を選ぶことはできません。
せめて幕引きを自分で決められたらいいな。
そう思います。
では、また。
超法規で泊ったのは、外賓が1件しかない田舎のホテルに住んでいたとき、そのホテルで、地区の共産党幹部会議があり、追い出されることになりました。僕の駐在している会社のボスは、共産党の幹部ですので、彼のひと言で、外賓許可のないホテルに宿泊OKでした。もっとも共産党の会議がなくても、彼のひと言で泊れますが。
非合法は、中国人の友人がチェックインしたあとにキーを友人から貰って泊まりました。
「AYU」と「金髪碧眼」は、ちょっと違うと思います。
浜崎あゆみ風は、美容室の看板。基本的に都会も田舎にも溢れていて、誰でも浜崎あゆみ風になれる。
一方、「金髪碧眼」へのリスペクトは、全国的ですが、ラブとなると、都市限定かもしれません。もっとも、旧満州やウイグル自治区には、コーカソイドを感じる人も多々いますが。
「安楽死」の選択肢が、あっても良いと思いますが、むずかしい問題ですね。アントニオ猪木氏のように最後まで闘い続けることも尊厳死だと僕は思います。
では、また。