Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

人民中国の残像/瀋陽 第4回

2022-10-16 10:14:59 | 旅行

2005年の記録

瀋陽を離れる日が決まり、お気に入りの問屋街散策したときの記録。

 

 

キノコや豆類を乾燥したものが、ズタブクロに入れて売られていた。

 

 

地図をあらためて眺めると中国の広さを感じる。瀋陽から上海、福岡よりも遠いい。

 

 

瀋陽火車站近くの問屋街の赤レンガ建築が、いつの時代に建設されたものなのか僕は知らない。東京駅丸の内口をコピーした赤レンガの瀋陽火車站と同時期の満州国時代かもしれないし、中華人民共和国になってからかもしれない。

 

 

問屋街から少し離れると、古い住宅があり、その住民が買い物をする小売部(小規模のヨロズ屋)がある。 

 

 

耳カバー付きの帽子をかぶり、厚いコートを着込み、白い息を吐く人々と煤ぼけた赤レンガ建築物。僕にとっては、ロシアの香りの残る満州国時代にタイムスリップしたような気分は心地よいものだった。

 

 

【回想録】

2005年12月某日、大連港へ向けての最後のトレーラーが瀋陽の工場を出発した。プロジェクトは、日本で架設、試運転、引き渡しまでと、まだまだ続くが、一区切りである。トレーラーを僕とまっさん(仮名・製作管理担当駐在日本人)、ショー君(仮名・通訳担当中国人ローカルスタッフ)の3人で見送った。健さん(仮名・駐在日本人指導員)は、すでに据付工事準備のため一足先に帰国していた。まっさんとショー君は、大連港での引き渡し確認のため大連へと出発する。(大連港までの陸送も日本と違って、荒い積み下ろしで製品破損の可能性があるので、引き渡し直前の確認は必須であった) 僕は、上海での仕事が溜まっていたので、上海でひと仕事してから帰国する。

 

ここまで、やってこられたのは、プロジェクトに関与した日中両国の関係者の協力の賜物ではあるが、工芸楼(生産技術部門)のチンさん(仮名)の存在なしにはあり得ない。

中国で、何か困ったことが発生すると、人だかりができて、みながワァワァ言うが、結局のところは、口だけの評論家集団だ。しかし、どこからか救世主がひとり登場する、それが中国社会の素晴らしいことだ、といった話を聞いていた。実際に僕の経験でも、それは間違っていない。そして、瀋陽の日中合作プロジェクトにも救世主が出現した。まさにその救世主こそチンさんだった。

 

「チンさんが、実力を兼ね備えた人格者なのか?」 というと、実力者であるが、人格者ではないのだ。チンさんは、叩き上げの旋盤工だったが、その卓越した技能を買われ、異例の現場作業員から生産技術部門に昇進した人物で、製造現場でのリスペクトは、半端ない。2005年当時でも、瀋陽の会社の製造現場は、禁煙だった。ところが、チンさんだけは、喫煙が許されていた。チンさんが人格者であれば、製造現場で喫煙しないだろうが、特権を行使して、よくタバコを吸っていた。また、朝陽の仕事の最終日の朝、現場にチンさんがいないので、「チンさんは?」と中国側のマネージャーに聞くと、ポンポンと頭を叩いたものだから、てっきり昨晩の打ち上げの二日酔いかと思っていたら昼前に涼しい顔で登場した。何のことはない、散髪に行っていたのだ。といったような中国のどこにでもいるおっさんだ。

 

そのチンさんが、「俺、処分されるかもしれない」と呟いたことがあった。数トンもある非対称の重量物を反転させて機械加工するときは、自重の歪みを考慮しないと精度が出せないのだが、その加工は、まさに作業者の勘頼り。そんな訳で、「××の加工は、〇さんにやらせろ」 とチンさんが現場に指示した。しかし、配番を決める権限はチンさんにはない。巨大中国国有企業は、製造部のマネージャーと打合せのアポ取りでさえ、僕の所管の貿易部の部長から製造部の部長に打診しないとならないガチガチの縦割り組織なのである。

 

瀋陽の集団公司(グループ企業)の常務と僕は、写友(写真友達)になっていので、常務が在室している昼休みには、常務室にお茶を飲みに出入りしていた。最初の訪問時に、「お互いが、仕事のお願いをすることがないように双方の仕事に頑張りましょう」と話していた。実際に仕事に関するお願いをすることはなかったが、「工芸楼のチンさんの多大なる協力に感謝している」とだけ話したことがある。それが、効いたのか、否かは、わからないが、チンさんが処分されることはなかった。(処分があれば、「減給」「降格」・・・が、掲示板に書かれる。) 

 

常務に、それ以外の仕事の話は、一切しなかったが、中国側のスタッフは、僕が常務に告げ口するのではないかと、いつも気にしていたので、かなりの抑止効果になっていたのは間違いない。

 

チンさんには、日本の架設現場に来てもらいたかったが、中国国有企業の海外出張日当は、目がとび出るほど高く(当時の我々の日当よりも高額)、断念した。架設写真をチンさんに送ったときの話は、また別の回に記したい。

 

 

【Just Now】

10月8日、クリミア大橋が爆破された。爆破がウクライナ政府によるものか、否かは、解明されていない。クリミア大橋の爆破を歓喜するウクライナ国民の映像を見たとき、僕は絶望的に悲しくなった。僕は、それが憎悪連鎖の始まりだと感じたからだ。

 

一方、ロシア国内では、予備役の動員が発表された。官僚機構の脆弱な地方政府が、人数合わせのために誰かれ構わず召集令状を発行したものだからロシア国民にとってウクライナ侵攻は、自分事になった。それまでは、ウクライナと親交のある人を除けば、プーチン大統領と職業軍人、命知らずの傭兵が、やっている他人事だった。侵攻の大義にも興味は薄く、西側の経済制裁の影響を迷惑に感じていた。自分事になったことで、侵攻の大義を考えた、いや、考えるより前に、徴兵回避が優先かもしれない。国を守るための戦争ではない、侵略のための戦争に誰が命を捧げるのか?

 

人間のイヤらしい一面を目のあたりにしたロシアのウクライナ侵攻。唯一の真実は、聖戦(正義のための戦争)など存在しないことだ。

 

 

旅は続く



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3 コメント

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Unknown (marurobo36)
2022-10-17 09:49:47
中国回想録 面白く興味深く拝見しています。(いまさらですが)
なんだかんだ言っても 中国にいると中国人の力を借りなければ
仕事にならないですよね。正直 正しいやり方がどうかは、微妙な時
多々有りますが、全て日本のやり方で進めていると 必ずどこかで 問題が発生してしまいます。

庶民レベルでは、仲良くやって行けるのに・・・
って事ですよね。。。
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Unknown (Zhen)
2022-10-17 22:07:17
毎度、コメントありがとうございます。

そりゃぁ、中国でモノを製造するのは、中国の人の力を借りることが目的ですから中国の流儀に従わないで、上手くゆく訳ないですよね。

僕はコンプラの許容範囲って、その時代、社会によって決まると思っています。だから、今の基準だと、アウト!ってこともやりました。(時効ですよね・・・笑)

日本人は、僕を見るとき、「日本人→Zhen」の順番で見るが、中国の人は、「Zhen→日本人」の順番で見る人が多い。つまり、日本人が、人を見る順番を変えれば、個人間では、仲良くやれるはずですね。

では、また。
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Unknown (dankainogenki)
2022-10-22 10:06:58
日本は、中国から撤退しました。
ポンペオさんも、中国人の手で国を治めよ。と。
日米に頼るな。😠
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