Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/京都 第2回

2022-12-18 18:01:03 | 旅行

2022年の記録

出張後に行こうと思っていた京都、滋賀だが、あいにく出張の翌日は悪天候の予報で断念。

それでも、“散策欲”に火がつき、週末にあらためて訪問した時の記録、京都後編。

 

 

同志社大学には、複数の赤レンガ建築があり、教育施設、宗教施設として現役である。美しいキャンパスが羨ましい。

 

 

前編最終の訪問地の京都ハリストス正教会から再び鳥丸通りに出て北上、今出川通りを東に走り、京都大学東アジア人文情報学研究センターへ。その後は、一気に京都府庁舎、本願寺伝道院と南下した。

 

 

再び烏丸通りを北に進み、京都御所と鳥丸通りを挟む西側に日本聖公会聖アグネス教会がある。1898年(明治31年)にアメリカ人建築家ジェームズ・ガーディナー(立教学校の初代校長)の設計で、ゴシック様式・レンガ造りの聖三一大聖堂として建築された。

 

 

鳥丸通りをさらに北進したところにある同志社大学今出川キャンパスに向かった。同志社大学は、ビクトリー主義プロテスタント会衆派の清教徒だった新島襄が創設した同志社英学校を前身とする大学である。赤レンガ建築が集積する“赤レンガフェチ”のワンダーランドである。関東の宗教系歴史的建造物を有する明治学院大学、立教大学が、コロナ感染防止のため一般見学者の開放中止していることを考えると、感謝、感謝である。

 

 

同志社大学彰栄館は、西門を入ってすぐのところにある。同志社大学のレンガ建築物の中で、僕の一番好きな建築物である。

彰栄館は、宣教師で教師でもあったアメリカ人D.C.グリ-ンの設計により1884年(明治17年)に建築されたレンガ造2階建て、桟瓦葺、鉄板葺、ゴシック様式の京都市内に残るレンガ造建築最古の建築物である。現在は、同志社中学校の校舎として利用されている。1979年(昭和54年)に国の重要文化財に指定。

 

 

同志社大学礼拝堂は、彰栄館と同様アメリカ人D.C.グリ-ンの設計により1886年(明治19年)に建築されたレンガ造1階建て一部中2階及び地下室付、鉄板葺のアメリカンゴシック様式である。簡素なデザインに特徴があり、1963年(昭和38年)に国の重要文化財に指定。

 

 

同志社大学ハリス理化学館は、寄付者であるアメリカの実業家・J.N.ハリスの名前を冠したもので、イギリス人A.H.ハンセルの設計により1890年(明治23年)に建築された。レンガ造2階建て、東北隅実験室付、桟瓦葺のイギリス風の外観を持つ。1979年(昭和54年)に国の重要文化財に指定。

 

 

同志社大学クラ-ク記念館は、アメリカ人クラ-ク夫人の寄付により、ドイツ人R.ゼ-ルが設計し、施工は京都の棟梁・小嶋佐兵衛が行い、1893年(明治26年)に神学館として建築された。レンガ造2階建て、桟瓦葺、西南隅塔屋付、銅板葺の。ドイツ風のネオ・ゴシック様式で、八角の塔屋が設けられている。2階の北側が礼拝堂として使用された。1979年(昭和54年)に国の重要文化財に指定。

 

 

同志社大学有終館は、彰栄館、礼拝堂と同じアメリカ海外伝道協会派遣宣教師 D.C.グリ-ンの設計により1887年(明治20年)に建築された。レンガ造二階建て、地下一階、桟瓦葺の書籍館(日本最大の学校図書館)として竣工した。宣教師による設計らしく、建物を上から見ると十字の形になっている。1922年(大正11年)、図書館としての役割を終えたこの建物を、時の総長であった海老名弾正が「有終館」と名付けた。1979年(昭和54年)に国の重要文化財に指定。

 

 

同志社大学啓明館は、1920年(大正9年) 2代目図書館としてW.Mヴォーリーズが設計。

レンガ及び鉄筋コンクリート造5階建て、スレート葺。現在は、人文科学研究所、同志社社史資料センター、施設部が利用している。2007年に登録有形文化財指定。

 

 

同志社大学今出川キャンパスから今出川通りを東に進み、鴨川を渡ると、市街中心部(盆地)から外れたためか緩やかな登り坂になった。大通りから外れた北白川の高級住宅地の中に京都大学東アジア人文情報学研究センターがある。

1930年(昭和5年)竣工、スパニッシュ・ロマネスク様式の鉄筋コンクリート造、2000年(平成12年)登録有形文化財登録。

スペイン僧院を模したロマネスク風のデザインになったのは、濱田耕作文学部教授(後の京大総長)の発案による。「中国を研究するのに、何も龍の反りかえった屋根にする必要はあるまい」と語り、北イタリア風の僧院をスケッチして示した。義和団事件の賠償金をもとに設立された東方文化研究所の設立趣旨は「中国の文化的復興」にあったが、東洋趣味を強調せず、学問的瞑想の場にふさわしい風貌にすることで、旧態依然とした漢文学から脱却し、近代的な学問として中国学を再生しようとするコンセプトが込められていた。

 

 

北白川の高級住宅地から来た道を戻り、京都御所を抜けて、一気に京都府庁舎旧本館へ向かう。

京都府庁旧本館は、1904年(明治37年)にレンガ造一部石造、2階建て、スレート葺のネオ・ルネサンス様式の建築物として竣工。建物内部には和風の優れた技術が巧みに取り入れられており、内部意匠は建築よりも、むしろ工芸品といった趣さえ感じられる。現在も執務室として使用されており、創建時の姿をとどめる現役の官公庁建物としては日本最古のものである。2004年(平成16年)に重要文化財指定。

 

 

京都府庁舎と背中合わせにある旧議場の正面玄関。

 

 

京都府庁旧本館を出発し、南下をするころから時折雨粒が落ちてくるようになる。ヤレヤレ、もう少し待ってくれ、といった気持ちである。

仏具店が並ぶ門前町エリアにそびえ立つ、赤レンガが特徴的な本願寺伝道院は、不思議な建築物である。

1912年(明治45)年、親鸞聖人650回大遠忌を記念して本願寺第22代門主 大谷光瑞の依頼により、東京帝国大学教授 伊東忠太が設計し、「真宗信徒生命保険株式会社」社屋として竣工している。

明治時代から大正時代にかけてのルネッサンス様式やゴシック様式といった欧米の技術の模倣が主流であった時代に東洋、そしてグローバルを感じさせる先駆的な設計である。イギリスの建物をイメージした総レンガ造り風のタイル張りの外観、インド・サラセン風のドーム、千鳥破風を石造りした日本建築の意匠など、さまざまな建築様式を取り入れている。

また、屋根は銅板葺き、屋根骨組みは木造、屋根の装飾には一見石に見えるテラコッタ (装飾用の陶器)を用いている。羽をもった象などユーモラスな架空の珍獣が回りの石柵に配されているのも特徴的。内部は、和風意匠の天井にアール・ヌーボーを意識した照明器具が取り付けられている。

銀行や診療所などを経て、現在は僧侶の教育施設の場になっている。2014年(平成26年)重要文化財指定。

 

 

雨雲の動きでポツポツと雨粒が落ちてくる。丁度昼時、焼肉屋のハンバーグランチを頂く、待ち時間なしで着席、絶妙のタイミング。昼食のあと、レンタル自転車を返却し、次の目的地・マキノへJRで向かう。

 

 

【メモ】

旧統一教会問題や防衛費増税議論の陰で、日本の原発稼働規制が緩和されている。再稼働どころか、稼働期間延長、果ては新増設。正直なところ、僕は原発廃止急進派ではないが、充分な議論もなく、規制が緩和されることを快く思えない。

 

脱炭素、脱原発が、微妙に変質している。化石燃料を目の敵にしていた欧州が、LNG発電は、石炭火力発電より二酸化炭素排出量が少ないので、許容していた。そのLNGをロシアから買えなくなると、「二酸化炭素を排出しない原子力発電は、クリーンエネルギーだ。」と言いだす。どうも欧州発の環境運動に素直に賛同する気になれない。

 

欧州では、中国製電動バイクが普及している。そのバイクを製造するための電気の多くは、石炭火力によって発電され、バッテリーを作るためのレアメタル採掘では、放射性物質や有害元素を含む瓦礫がばら撒かれていることに、欧州の人は、あまり興味がないようだ。自分の運転する電動バイクが、二酸化炭素を排出しないことで、満足している。

 

エネルギー価格の高騰で、日本国内の湯たんぽメーカは、フル生産だと報道していた。今でも、湯たんぽの生産工場が、日本国内に存在していることにも驚いたが、慎ましくエネルギー価格の高騰に抵抗する日本人を誇らしく思った。

 

 

旅は続く