2001年の記録
上海の周辺には、水路沿いに発達した古鎮が多数あり、原形を残しているところは観光地化されている。(ここ西塘鎮も、今は観光名所になっている) 水路に石橋があり、両岸には白壁の木造家屋がならぶ。
漕宝路のホテルから地下鉄で1駅のところにある上海南站(上海南鉄道駅)から列車に乗り、上海市に隣接する浙江省嘉善県の嘉善站まで行き、クルマで西塘鎮に行った。
上海南站は、今でこそドーム型の近代的な駅に生まれ変わったが、当時は、場末の終着(始発)駅だった。その分、比較的落ち着いていて、次回紹介予定の上海站周辺のようなカオス感はなかった。
往路は軟座(1等座席車)に乗れたので、日本の列車内と大差ない雰囲気。同じボックス席に乗り合わせた乗客とは、英語で簡単な会話もできた。それなりのステータスの乗客が利用しているのだと思う。
西塘古鎮は、2001年当時でも、すでに景勝地であった。しかし、今のように観光を楽しむ経済的な余裕のある大衆は少なかったので、混雑することはなかった。写真のカップルは、新婚旅行客ではないだろうか? つまり、観光は、人生の特別な時限定のイベントだった
中国の観光地は、基本的に有料だが、さすがに当時の西塘古鎮への入場は無料だった。(今では、ゲートがあり、監視員がいて、1500円程度は徴収すると思う。)
すっかり観光地となった今の西塘古鎮は、観光船が目立つが、当時は、行き交う荷役船や水上生活者の住居船が多くあった。
また、運河そのものが、生活の場で、食器や衣類を洗う者もいた。
中国に限らず水運の中継地には、商業が発達する。西塘古鎮もそのような街の1つ。食料品や生活雑貨を売る商店がならぶ。
人民服を着た品の良いおじいちゃんと優しそうなおばあちゃん、そして可愛い双子の孫。快く撮影に応じてくれた。客観的には、単なる記念写真かもしれないが、僕にとっては、人との交流が始まる貴重な1枚だ。
ドライバーとの待ち合わせの時間が迫り、慌ただしく撮影を切りあげた最後の1枚。あれから20年、西塘鎮のガキンチョは、どんな大人になったのだろうか。
取引先のドライバーに駅まで送ってもらい鈍行硬座(2等座席車)で帰路へ。そこからが、楽しい経験だ。
満員の列車に乗り込み、自分の席にたどり着くと、案の定知らない男が座っている。ちょっと声を掛けても寝たふりをしている。肩を揺すり、衣服を引っ張ると、渋々席を空けた。(それでもダメな時は、胸ぐらを掴み引きずりださないとダメらしい) この話を聞いただけで、まともな日本人は、中国の旅行が嫌になるだろうな。
僕は取引先のドライバーがキップを買ってくれたので、席を確保できたが、車内は無座(立席)の客でごった返していた。(ダフ屋を使ったか、取引先の董事長=会長の口利きか)
車内には、生きた鶏を持ち込む客もいたし、ダブルブッキングなのか、台湾人グループ旅行者と1時間近く口論する男もいた。周囲の無関係な乗客まで口論に加わるので、なかなか見応えがある大論争だ。車掌が来て、男の持っていた乗車券が昨日のものだったことが判明したが、男は頑として引かない、「俺は切符売り場で、今日と言った」と主張する。男と車掌の争いとなったが、最後には公安が男を引っ張っていき、あっけなく幕引きとなった。
中国で生きていくには、鈍感なぐらいの太い神経がないとダメなのが良くわかった経験だ。
旅は続く