ひな菊の丘から

哀悼

大好きな、かっこいいマンドリン弾きが逝ってしまいました。

北海道のてりーさんの言葉をこんなにすぐに実感することになるなんて。「生きてるうちに、会いたい人、聴きたい音は逃さないようにしないと、相手が先か、自分が先か、ですからね。」と。




知り合ったのはずっとずっと前、まだお互い二十歳頃でした。お洒落なマンドリンを弾き歌う、男前のお兄さんでした。同い年だと知ったのはしばらくしてから。会うと軽口をたたき合う程度のお付き合いでしたが、結婚して長男が生まれる頃、彼にも息子さんができ、共通の話題が一つ増えました。阪堺電車(通称チン電)を借り切ってジャムしながら往復する、というイベントの時には名前が似ていることもあって「仲良くしたってな」と彼の息子さんの好物の味付け海苔を分けてもらって、息子が一緒に食べていました。

その後、ほんまに彼には色んなことがあったようです。C-こが言ってたけど壮絶な人生だったと思います。でも最近数年間は、病気と折り合いを付けながら、ライブをやったりイベントに顔を出したり、音楽とずっと向き合ってはったなあ。ライブ、どうもうまくタイミングが合わずになかなか行けなかった。今となってはそれがとても心残りです。

退院して復活後、最初のステージだったと記憶しています。宝塚秋フェスかな?まだ椅子に座っての演奏でしたが、依存症を完全に克服して、いつも水のペットボトルを携行していたのを思い出します。



オッピドムのライブで。



この後数枚は大阪ブルーグラスナイトの写真です。











声を失ってから、彼との会話は返事が筆談だったけど、あるライブの時でした。演奏終わった私を呼び止めてこのメモをくれました。すごく嬉しかった。



ご冥福をお祈りします。けどよっさん、ほんまは楽しいところにはどこへでも顔をだしてくれるんでしょ?これからも。
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