ひな菊の丘から

地震のこと(備忘録)

6月18日、月曜日。前日、朝霧フェスを日曜日のステージ最終近くまで堪能して、多分今日はあくび三昧の一日やろうな、と思いながら、いつものように弁当を作って、朝ドラ『半分、青い』をBSで見て、戸締りも確認して家を出ました。

駅に向かう道を歩いているとき、突然ズズーン、またはドドーン、というような大きな音がして、もしかして飛行機が落ちたのかな、と思ったとたんドンッと突き上げがきて、グラグラと大きく地面が揺れました。とりあえず何かにつかまっておこう、と歩道と車道の間にある金属のアームみたいなのをつかみました。後で考えたら、電柱が折れてたら即死やな、という場所でしたが。ちなみに、緊急地震速報は揺れてる最中に鳴りました。そこらじゅうで鳴ってました。

23年前はもっと朝早くて、冬だったので外は真っ暗で、子どもたちは7才と4才、一番下はお腹の中でしたから、家族全員が近くにいてすぐ安否確認ができました。でも、今回は全員バラバラで家には誰もいません。ただでさえスマホ操作がトロくさい私、えーと、どないしたらええんかな、まずラインかな、と思っていると8:04に千葉にいる長女からラインが入りました。地震大丈夫?って。その前に相方からもあったのですが、家族ラインと間違えて私宛に送ってきてる。彼も慌ててたんでしょう。長男からは「エレベーターに閉じ込められてる」という返信。あらまー。8時出勤で早く家を出ていた次女は、恐らくもう職場ですぐには連絡取れないだろう、と思っていました。


ちょうど登校時間とも重なっていたので、家を出た小学生に、お母さんが「戻ってきなさ~い!」と叫んでいる姿もいくつも見ました。後で校区の校長の話を聞く機会があったのですが、登校時間だったことでかなりの混乱があり、最終的には休校になったものの、なかなか連絡がつかない保護者があったりとたいへんだったようです。もし私が保護者で、既に電車に乗っていたら、迎えに帰ることもできませんでしたからね、あの日は。

町に大きな混乱はなく、とりあえず駅に向かって動いてないことを確認しよう、と歩いていると妹から母と連絡がつかない、というメールが入りました。電車は私が乗るはずだった8:04発が電光掲示板に表示されたまま動いていません。駅員さんも混乱していて、聞ける状況じゃなかったけど、とりあえず動かないのは確実のようです。そのまま線路を渡って実家に向かいます。

もちろんエレベーターは止まっているので階段で4階まで。4階で良かった。ここは、23年前、身重の私が上二人の子どもを預けて、徒歩で庄内の職場に向かうために寄った時と同じくらいの被害がありました。引き戸の食器棚にも関わらず、ガラスごと中の食器が落ちてきてすごい状態でした。開き戸のカウンター下の食器入れからもかなりの数のお皿、小鉢が飛び出していて、靴を履いて入りました。リビングはじゅうたんを敷いてたので、それも余計手間がかかりました。お茶とかコーヒーも散乱してたな。ひとまずリビングをざっと片付けたら、和室の父の仏壇から、位牌が落っこちて、灰まみれになってました。

母の大事なリヤドロのコレクションたちも、下に落っこちて傷だらけになってました。特に小さなお花とか子供の手、とかが散乱していて、母は「後でくっつけてみるから大事に拾って。」と言ってましたっけ。幸い、いくつか無傷で落ちてないものもありました。

下の階の方が来られて、給湯器(お風呂用の大きいの)のところに水漏れがあるのだが、こちらの給湯器が壊れてはいないか、と尋ねられましたが、壊れてる様子がないので首をかしげてたら、とりあえず水を全部抜いてください、とのことで、その処理をしたそうです。(後で調べてもらったら、ここの異常じゃなかったので、また水をためるのにすごい時間がかかった、とぼやいてました。)

お隣はその給湯器が壊れて、廊下まで水浸しになっていました。これは修復たいへんやろなあ。大きなものの被害はなさそうだったので、自宅待機になった、という相方が「寄ろうか?」と聞いてくれたのを断って、ふたりでざっと片付けて、実家を後にしました。後日聞いたところ、作り付けに近い状態にしていた母の仕事用の戸棚が上の段と下の段、10センチもずれていたそうです。その時には気が付かなかったです。

帰宅前、先に帰った相方から各部屋の状況をラインで送ってもらったら、我が家は大した被害はなさそう。楽器もケースに入れずスタンドに立てていたのに何ともなかったです。もともと泥棒が入ったみたいな状態の納戸と次女の部屋は、どこが被害なのかわかりませんでした。

自動的に止まるようになっているガスは、復旧処理したらすぐ戻りました。エレベーターは二日ほど動きませんでしたが、水道も電気も被害なし。ありがたいことでしたが、すぐ近所の大好きな中華料理屋さんはお店がぐちゃぐちゃで、住居の方はもっとたいへん、とのことでしたし、友人の家も食器の被害は相当なものだったようです。

エレベーター閉じ込めを体験した息子は1時間後ぐらいに無事救出されたそうです。被害の状況を逐一報告してくれた長女は、たまたま年休で家にいて、TVにかじりついていたよう。私は午後2時ごろようやく職場と連絡が付き、今更ですが、休みます、と言いました。さあ、問題は阪神御影で働いてる次女です。電車動いてません。今日帰って来れるのだろうか?

阪急神戸線が動き出したので、とりあえず神崎川まで帰ってきて、そこから徒歩、というアイディアを兄が出したので、相方が車で迎えに行くことになりました。車を動かしていると宝塚線も動き出した模様。でもまあ、渋滞もないだろうし、と神崎川でピックアップしてようやく安心です。

23年前のことを記憶してるはずなのに、いざとなると何もできないものですね。そして何の備えもしていない。ライフラインが確保されているはずの我が家の近所のスーパーも、すぐに水とかおにぎりとかが品切れになってしまいました。電気が止まっていないので、家にあるもので数日はクリアできるはずなのになあ、まあ、余震の心配もあるからでしょうが、ちょっと複雑な気持ちになりました。風呂に水はためておこう。

以上、備忘録でした。
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