Que sera,sera ~しゃべって・笑って・10番の一日~

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寝不足…

2005-06-21 01:02:34 | おしゃべり日記
って人が結構いるかもしれませんね。深夜にもかかわらず、さらに次の日が仕事で朝が早いのにもかかわらず、やっぱり見てしまったサッカー・コンフェデレーションズカップ。日本が欧州王者のギリシャを1ー0で振り切りました。

ウトウト気味で見ていた私。実はうる覚えです。
でも、大黒が決めたのと、勝った事は確実な記憶にある。
一試合一点という簡単そうで実に難しいFWとしての目標を、大黒はいつも普通にさらりと口にして、
大事な舞台であろうが何だろうが、本当に目的達成してしまう。しかも冷静に。
決める!という強い気持ち。
自分が何とかする!という気持ち。
これらがないと、ここまでの成績は残せていない。

今や日本の秘密兵器になりつつある彼のこんな気持ちが、
今のコンサドーレ札幌にとっても必要な気持ちなんだが、
実は4年前にはそんなな札幌でプレーしていた事は、みなさんご存じだろうか?
今回はその秘密兵器の話。以前も一度したのですが…。

2001年。前年に昇格を決めたコンサドーレ札幌のJ1初年度。岡田政権三年目。
当時21歳の彼は、ガンバ大阪からレンタル移籍でやってきた。
彼はガンバユースからの生え抜きの選手。
そんな生え抜きが、他チームレンタルされるケースはあまりない。
でも「試合に出たい」という彼の強い希望でレンタルに出し、触手を伸ばしたのは我々コンサ。
隠れた逸材だってのは当時からわかっていたし、
もしかして将来札幌を支える事になるかもしれないと思った。
しかし、しかしだ。出場はたった4試合。

逸材ではあったが、例え札幌とはいえども彼の思い通りにならなかった。
FWにはウィルと播戸がいたため、主にトップ下やシャドーFWの起用で起用法が合わなかった事もあるが、
本当の理由は「気持ち」の問題だったらしい。

シュート練習でも球がゴール枠に飛ばない。そんな選手が試合でゴールできるわけがない。
それでも試合に出たいとごねて下位チームに来た。下位をバカにするな。
これで出られると思ったら大間違いだ。

と当時の岡田監督にかなり叱られたようだ。こうして一年間札幌で鍛えられた。
結局一年で大阪に戻って行ったわけだが、ここから彼の「気持ち」は変化した。

かつての甘い考えはなくなり、やがてすぐ彼はガンバのスタメンを実力で勝ち取る事になる。
逸材である事は間違いじゃなかった。
ただ気持ちの持ち方だけが間違いだっただけだ。。

そんな彼が、今は日本を支える選手になった。
うれしい事です。
あまり大きなニュースには取り上げられない事ですが、
彼の過去の頑張りがあってこその報われだと思います。
もしこの札幌での生活が、彼のサッカー人生においての転機であり、
それが今の彼につながっているならばこんなに嬉しい事はありません。

これからも、今までにはないタイプの選手としてガンバってほしいと切に願っています。


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