最期の祭り!

 もう、未来無いんでヤケクソ。 最期の祭り的なノリで行きます!

  不気味な国ミャンマー

2011-12-24 08:57:25 |  過去執筆物・翻訳物  



ミャンマーは夢の様な国 人がいい 人の心が純粋すぎる・・・

などと聞いて行ったミャンマー それが3泊で逃げ帰ることに・・・

実際に行ってみると、おかしな事が立て続けに起きる・・・

アジアで初めて、訪れてすぐに嫌いになった。

私の知る限り、世界で最も腐敗した仏教 仏陀の博愛精神とはまるで違う仏教寺院

日本人が沢山訪れても、みんないい印象をもってかえる。

だが、そういう人は南国の景色や表面しか見えていない人だ。

カルカッタでホーりー、ミャンマーとタイで水掛け祭りで水をひっかけられながらカオサンからレポート





そういえば、ミャンマー行きの旅は最初から最後までおかしな事ばかりだった。

カルカッタのマリアのドミでは、ブッダガヤのミャンマー寺院はただで泊れると聞いたのに、実際は50ルピーする。

ブッダガヤで出会った日本人たちはミャンマーの仏教寺院はただで泊れる。 ミャンマーはやさしい人ばっかりと言っていた。

デリーでヴィザを取るとき、職業にライターと書いたら、「 何のライターだ?」とかしつこく聞かれた。 私は「 何でもない。 ただ仏教に興味がある個人ライターですよ。」と言った。

すると、他の所に送って審査が必要だと言われ、「 それなら学生にしておいて下さい。」と言った。

私はふと、何故ライターがそんなにまずいのだろうか? ミャンマーの軍事政権が実態を漏らされるのを恐れているのだろうか? と思った。

私はミャンマーの仏教寺院に行って何年も瞑想の修行をしたいと思っていた。

まず、メインバザールで飛行機のチケットを取るとき、最初 デリー ヤンゴン バンコク がとても安いと言われたのに、実際はデリーからミャンマーは片道16500ルピーもした。

まず、飛行機はデリーからカルカッタへと向かった。 カルカッタ空港の脇でゲストハウスに泊ると、ゴキブリが二匹。

それと、デリーでエアポートに行く途中も、途中で私が踏んでいた所から煙が出てきてしまったり、エアポートで違うターミナルに降ろされたりしたけど、これはインドで起こった事だし、よくある事なのでまあイイ。

私はゴキブリたちと夜を共にするのは勘弁なので、部屋を変えてもらった。

カルカッタ空港ではバックパックが壊れてしまった。 元々デリーで275ルピーで買った安物なので仕方が無い。

こういった事はまあ仕方が無い。


ヤンゴンの空港では、荷物が出てくるまで何と一時間半近くもかかった。 こんなにかかったのは初めてだ!

そして、日本円を両替しようとするとドルかユーロしか扱っていないという。 仕方なく、闇で何とかチャットを手に入れる。

ATM は どこにも無いという。 私はこういった事は後進国で仏教国なので仕方がないと思っていた。

だが、こういった事は後進国だとか仏教だとかいう事とは何の関係もないという事は後で明らかにしていこう。

お金を両替すると、一万円が8万から7万チャット。 お金が山のようになってしまう。

マハシという瞑想寺院に着く。 そこで一ヶ月分の滞在費として、新しい施設への寄付として55000チャットを払う。

そして外国人宿舎に案内される。 そこでタイ人二人とマレーシアの華僑と知り合って、色々しゃべった。 この人たちはとてもいい人で真面目に修行していて、最後まで友好的に接した。

そこで坊主頭にしてもらう。 私はシャツと短パンと帽子という格好だったが、お寺の人たちは僧服を渡してくれない。

私は、瞑想寺院を色々見学した。 私はこういう僧院は初めてだったが、以前からこういう所だと、矛盾や自己欺瞞や腐敗が起こるのではないだろうかという不安があったけど、そうした不安が2泊もしない内に全くの真実であるという事が判明する。

ある日、私が朝早く、朝飯を食べに行くと、僧の人が私の服装を見て、何かをいい列からはずしてしまったのだ。



その時の態度は、まるで仏教徒とは思えないような態度だった。 確かに私の服装は僧服ではないし、粗末な格好だったが、僧服を与えてくれないのは寺院の方であったのだ。 仮に私に非があったとしても、あの態度は仏陀の博愛精神とは正反対のものであった!

最初の頃は、いい国だとか異国情緒があるという風に感じていた。 タイやフィリピンの雰囲気があるし、中華風の所もある。 料理もそれまで食べたことのないような不思議な香りがする。

女性は中国系もいてのっぺりしていて美しい人もいるような気がした。 タナカを塗りとても異国風情があるなと。

だが、私は色々嫌な事があっても、それはどこで生活していても起こってくるし、宗教団体はどこも矛盾だらけでやっているから仕方がない。 自分が我慢するしかないと思っていた。

そして、終に私をぶちきれさせる事件が起こる。 寺の人と、そこに8年滞在している日本人僧侶が私の部屋に来た。

「 あのー 、瞑想をするのなら外国人宿舎の二階だけにして、他の所へは行かないようにして下さいね。 そして外に出るときは腰巻きをして出ていって下さい。 それから服はボタンをきちんと締めて下さいね。

それから、あまり外にでてフラフラしないで、なるたけ外に出ないようにして下さいね。」


その寺の人と日本人僧侶の目つきはとても仏教徒とは思えないほど冷血な目つきをしていた。

明らかに他人の事を見下したような目つきをしていた。 他人をお金で管理している人の目つきで、仏陀の精神などかけらも感じられなかった。

その事が起こってから、私はしばらくして、寺を逃げ出すことにした。 オフィスに行って、滞在費を二日分だけ払って返してもらおうと思ったけれど、これは御布施だから返せないと言われた。

私はすぐに逃げ出したくなり、御布施はそのままにしてタクシーで逃げた。

私に僧服が与えられなかったのは、ある意味良かった事なのだ。 何故かというと、この事件自体が、ミャンマー仏教の正体を見事な位に暴いているからである!

日本人僧侶のフラフラという言葉自体が、他人を酷く馬鹿にした見方を露出している。

そして、ダウンタウンのゲストハウスに着き、すぐにバンコク行きのチケットを買いに行く。

そこで、終にミャンマーの実態を暴く決定的な人物と出会えたのだ!

私はバンコク・エアウェイズのオフィスから下に歩いていくと、あるガイドみたいな人に声をかけられる。


その人に、今まで起こった事を少し話した。

ある、公園の外の柵に座っていると、警官が「 そこに座るな! 」と言ってくる。

私は彼に「 ミャンマーに来てから、悪い事ばっかりだよ。 いい事なんて一つもないよ。」 という。

彼は実はインド人で日本語もミャンマー語もぺらぺらで、私との会話は全て日本語である。

彼は私にこんな事を言った。 「 イイ勉強になったでしょ。 もう二度と来ない方がいいよ。 」

彼は、自分の事をひとしきり話した。 おじいさんの代からミャンマーに居て、彼は8年間暮らしている。

子どもの頃から、おじいさんからミャンマーの事を話して聞かされたので、ミャンマー人の考える事は何でもすぐに分かるという。

彼は3ヶ月前にミャンマー寺院に入って、日本人僧侶について修行しているという。

私が寺院の事を話して「 ミャンマーの瞑想寺院は仏陀の博愛精神とは全然違うよ! 」と言うと、「 ミャンマー人は心と実際にやっている事全然違うよ! 」という。


私が、ミャンマーの人が、他人の事をとても見下した目つきをしていた事を言うと「 ミャンマーの人は他人の事を、お金持っている持っていないとか乞食じゃないかとか、そういう見方をするんだ。」

「 あなたは可哀相だよ。 今度あなたをミャンマーで見かけたら、私怒るよ。 」

彼が私を可哀相に見ているのは、彼はミャンマー人の考える事や実態を知っていて、私を可哀相に見ているのである。 実際はもっと酷いという。

悪い目で見られているだろうし、誰にも歓迎されていない。

おじいさんからはミャンマー人と友人になってはいけない。ミャンマー人は金が無くなるとすぐに逃げていってしまう。 などと話してくれた。

彼は私みたいな人に会ったのは初めてだという。 その意味は、 日本人はミャンマーにいい印象を持って、私の様な事を言う人はいないからだ。

私は「 じゃあタイ人はどうですか? 」と聞いてみる。

「 タイ人はいいよ! タイ人はミャンマーと全然違う。 」

「 じゃあインド人とタイ人は?」

「 インド人はやさしいよ。 タイ人は悪い事をする。 インド人が何か悪い事をした事を聞いた事がありますか? 」

私は 「 確かに、インド人は信じられない位親切でフレンドリーです。 ヴァラナスィーでは、外国人殺人とかミッシングについて聞いた事がありますけどね。 」

彼は「 世界のどこに行っても、金を持っている風に振る舞っちゃいけないよ。 服も行く所も。 」 と言う。

「 ミャンマー人はお金が大好きよ。 お金さえあれば何でもできるよ。 」



そして、私が仏教寺院を出る際には、半ズボンをはいた人を見かけたし、尼僧がケータイで話している。 こういう矛盾は放っておかれるのだ!

私は、チケットを買う。 その後彼らと話を続ける。

私はためしに「 日本人や中国人はどうですか? 」とたずねてみる。

「 日本人は好きよ。 中国人はミャンマー人と一寸似ている所がある。」

後に判明するのだが、中国人とミャンマー人が似ているのは、他人に対して、無意味ないやがらせをするという所なのである。

彼はミャンマーの仏教について、驚くべき事実を話す。

それは何と、 ミャンマーの仏教僧は、ワインを飲んだり、女を買いに行くのだという!

ミャンマーでは、寺の中には神様が居るから戒律を守るけど、寺を一歩出たら、戒律など守らないというのだ!

その理由は寺の外は神様と関係がないのだという!



ヘェー ! そんな仏教僧など聞いた事がない! ミャンマーでは、仏教僧は寺の中では仏教僧の関係だが、寺を一歩外に出たら仏教とは何の関係もない人間関係になるのだという!

更には、寺にお客さんが来ても、お金を沢山払う人には、どうぞ! どうぞ! とお茶を持っていったり丁寧に接するが、お金をあまり払わないと、ちゃんと礼拝しているか! みたいな態度になるという。

彼はミャンマーの寺院で修行をしているので、そういう事については詳しいという。

彼は、ミャンマーの僧が女を買っている所を何度も見たし、日本人ビジネスマンはミャンマーから帰る前に、女と遊んでいくという。

おまけに、ミャンマーの寺院に居る日本人仏教僧も、ミャンマーの女を買っているという!


彼は私にミャンマーの仏教寺院の音楽が入ったテープは要りませんか? と聞いてくる。

私は「 要りませんよ。 そんなもの聞いたら罪が移っちゃう。」

私は彼に話した。「 普通の俗人が、外で女を買うと地獄へ落ちる。 だが、仏教僧みたいな人が外で女を買うともっと酷い地獄へ落ちる。 何故かというと、神の名を汚したからです。 普通の人が女を買っても、他の人は何も思わない。 でも、仏教僧みたいな人が女を買うと、社会の人は 仏教寺院を馬鹿にして信仰を失ってしまうでしょう。 社会的に悪影響が強くなります。 」

私は彼に「 じゃあ、そんな所で瞑想を何年も修行したって、何になるの? 」

彼 「 何にもならないね・・・ 」

私は、日本でミャンマーのヴィパッサナの瞑想を修行している人が多く、日本人がミャンマーで沢山、何年も修行していると聞いたので、わざわざミャンマーに来たのがこのありさまである!



 
 彼は「 この事を日本人に伝えておいてね! 」と言う。




私はその後、彼と別れゲストハウスに戻る。 ダウンタウンの町並みは、ミャンマーで最も繁栄している筈なのに、町並みは今一つ活気に欠ける。

メンを頼むと、メンに香辛料などを振り掛けて、おばさんが手で混ぜるのだが、その手つきは何とも汚らしい。

町並みを見れば見るほど薄気味悪い感じがする。

繁栄しているストリートへ行っても、中華のような活気も無いし、タイのような華やかさもない。

若者達の表情は今一つ精彩に欠け、夢や希望が欠けているように見える。

最初はノッペリしている風に見える人たちもヨクヨク見てみると、人相が良くない。

それでも、まだ仏教寺院に比べたらましである。 町中では庶民は親切に接してくれる。 瞑想寺院の中のあの、冷淡な異物排除の目つきはない。

ミャンマーでは最近ヒップホップが大流行なんだけど、89年19才位からヒップホップを知っている私にとっては、何を今更という感じだ・・・

又、私の泊まっている部屋はドア以外に窓がなく、部屋の中は暑苦しい。 ドアを開けて空気を入れるのだが、それでも蒸し暑い。

私は「 この国は呪われている!」 と思った。

何もかもが不合理なのである。

すぐにでもこの国から逃げ出したい気分がしてくる。



日本円をドルに両替したら4万円が結局は250ドルにしかならなかった。 一万五千円以上損した計算となる。 だが、ミャンマーは丁度水掛祭りの際なので、オフィスは閉まっているから仕方がない。

バンコク行きのチケットも80ドル位と言われていたのに、水掛祭りなのでオフィスが閉まっていて、結局152ドルもした。

何もかもがこの調子だった。 インド人は7時に又会おうと約束していたのに、結局は来なかった。

騙され続けである・・・ ゲストハウスからエアポート
に行く途中は、水掛祭りが始まった時で、道の脇にステージみたいなのを造って若者達が音楽をかけてダンスをしながら、車に水をかけている。

トラックの後ろに若い人達が集まっていて他のトラックに乗っている若い人たちと水を掛け合っている。

景色はまさに南国の楽園といった風情なのだが、実際の庶民の暮らしは全然違うのだ。

南国の美しい景色を眺めていると、私は更に不気味な感じがしてくるのであった・・・



結局、私が半ズボンをはいていた事を起こられたのも、公園の脇に座っていた事を起こられたのも、無意味な嫌がらせでしかなかったのである !

公園の脇に座っていたって、何も不便な事はないのである。 他の国では当たり前のように座っているし、 そうして起こる不都合はない。

寺院の中での服装にはうるさいが、寺院を出た後女を買ったりワインを飲んだりする事は許される。 寺院の中でケータイで話す事は許される。

空港で日本円が両替できないのも、荷物を受け取るのに一時間半かかったり、その他いろいろな不都合も、本当は後進国だからではない。

根本的に他人への親切心が欠如しているのである。

つまり軍事政権は自分たちがいいくらしをしているだけで十分であり、 一般庶民に対しては棒で殴ったりしていれば、自分たちのいい暮らしは確保できるのであって、他人への思いやりや親切心などどうでもいい事なのである。

帰りの空港で見た、ミャンマーの娯楽はわざとらしくて気持ちの悪くなるようなものであった。

まるで他の国の猿まねであるという事がすぐに見てとれるような代物なのである。

女性や子どもが頬に木の汁を塗り付けるのも、単にしきたりだからやっているだけなのである。

そうして起こる不合理などどうでもいいのである。

それはミャンマー仏教の形式主義を見ていれば明らかな事なのである。




外的な形式には拘るが、内面の実態は仏陀の精神から遥かにかけ離れてしまっている。

それにしても、私はブッダガヤの寺院や、ヒンドゥー教の寺院、あるいは世界中の仏教寺院へ行ったけど、あれほど腐敗していたり、あれほど異物排除の目つきをされた事は初めてである。

そしてそんな国を、日本人達が皆、いい印象を持って帰っているというのは、日本人達は目に節穴が開いているという事なのである。

結局、ミャンマーにたった3晩滞在するのに、10万円位かかってしまった。 大損である。

だが、この滞在で得た教訓は自分に取って計り知れない。

つまり、外面を坊主頭にしたり、僧服を着たり、僧院に何年もいたとしても、そんな形式的な事など何もならないという事なのである ! そんな事なら誰でもできるだろうし、何も凄くはないし。 何も尊敬するに値しない。

私は瞑想を修行している日本人には何人にもあった。

いろいろな人が居た。 さすがにやさしく思いやりのある人も居た。



しかし、ミャンマーで出会った日本人仏教僧の中には、閉鎖的で他人に対して無関心、又不自然な位冷淡な人が多いのである。

日本人瞑想修行者にはこういったタイプが多い。

これでは、一体何の為の瞑想修行なのだろう!

普通の社会人や庶民の方がよほど人格的に陶冶されている。

普通の社会人は、社会の中で礼儀などを身につける。 それができなければ、とても社会の中で暮らせない。

若い人達は、とても他人に対して親切である。

こんな馬鹿な事が現実として起こってくるのである!

又、寺院の中で瞑想修行ばかりしていると、認知科学が発展しない。

つまり、普通の生活をしているとテレビや新聞やらで、いろいろ見聞が増えるのに、仏教僧は寺院の中で瞑想ばかりしている。

そこで自分は普通の人より偉いんだとか、外部世界を見下したりする。

そうして結局は仏陀の博愛精神とは正反対になってしまうのである!



ミャンマーの首都ヤンゴンのダウンタウンのスーラ・パゴタの周りが、繁華街だっていうんだけど、タイの農村の繁華街と同じ位なんだ。

 とても一国の首都とは思えない。 ほとんど仕事とかやることがない。

 飯屋に入って、ご飯を頼むと、小さなお皿にご飯を申し訳程度にもる。

 そして自分でおかずを盛ろうとすると、盛らせてくれない。    ほんの少しご飯の上におかずをのせてくれる。

 後でおかずが足りなくなり、自分で盛ろうとするとやはり盛らせてくれない。   おかずをひとかけらだけ盛ってくれる。

 中国では、あまる位たっぷり盛ってくれる。
 タイでもできるだけ、お客さんをもてなそうという心が感じられる。

 タイの仏教寺院ではミャンマーのような異物排除の目つきはまったくない。

 半パン、外国人、庶民・・・ いろいろな人が礼拝をしに来ている。僧侶達はさまざまな人に対して寛容である。



 また、ミャンマーのヴィパッサナの教義は、殆どがタワゴトだと思っていい。

 ミャンマーの人はヴィパッサナが、最も優れた瞑想法だと言っているけど。

 日本人とかタイ人は、ミャンマー語を習ったり、ミャンマー上座仏教の教義をありがたがって勉強している。

 だが、ミャンマーの仏教の教義はインドの仏教の教義とはかけ離れているし、私の経験ではミャンマーに関する話は、殆どが嘘か騙しかタワゴトだった。



 俺も、最初はミャンマーの瞑想寺院に何年も滞在して、ミャンマー語やミャンマー上座仏教を研究しようかと思っていたけど、実態が分かりアホらしくなってやめた。


[20] RIN 2005/04/18 13:11

>>19
そうだよ、仏教のような薄汚いものを研究する必要はない。
肉食・妻帯している時点でもう終わってる!
信仰するならヒンズー教にしなさい。これ以外の宗教は邪道である。気をつけたまえ!


[21] RIN 2005/04/18 13:30

瞑想からでは悟りを開くことが困難だ、時間(寿命)の制約もあるし尚且つ理不尽な修行方法といえる・・
一番よい方法は、バクティヨーガ(献身奉仕)の道より至上主惑星に向かうことが大事である。
他のヨーガ方法では、明日何かの事故で死に至った場合にまた輪廻してその遣り残した修行に専念することになるからだ。
しかし、バクティヨーガで常日頃から献身奉仕している人は、いつ死んだとしても至上主のもとにいけるのである。
もうこの儚い現象世界へ二度と生まれてくることはないのだ=解脱である。


 俺、ミャンマーの瞑想ってのは、単に経済構築に失敗したビルマ式社会主義の軍事政権が、仕事のない人達を寺院に閉じ込めて瞑想させているだけという感じがするんだ。

 本当の信仰心を持っている人なんて殆ど居ないような感じがする。

 そんで上座仏教国だからといって日本人が沢山騙されているだけだ。

 ミャンマー側にとってみれば、ありがたい外貨収入となる。

 ヴィパッサナー瞑想法なんて、自分の国も満足に治められない、自分の寺院や心も支配できない人が日本に来て教えているだけ。

 又、何も知らない日本人が、上座仏教国だといってありがたがっている。

 そんな気がして仕方がない・・・



ミャンマーのアヘンを中国やアメリカに売って政治資金を稼いでいるんだ。

ミャンマーじゃ情報統制が中国より酷く、情報が遮断されていて、ミャンマー人は自分の見た事、考えを言ったら投獄される。

軍事政権をギャグにしたコメディアンは7年間投獄されたという。

今でも、奴隷労働者が沢山いる。




又、宗教を集団組織化するとどのような弊害が起こるかも分かった。

結局はファシズム・異物排除の世界なのである。

もちろんそれに利点もあるかもしれない。 沢山の若者を短期間で修行するには。

だが、そこで陥るのは集団形式主義であって、内面の精神の追究より、形式をとりつくろう事にエネルギーが費やされるようになるのである!

本来は、そういった形式主義が嫌で出家生活をする筈である。 ところが瞑想寺院に入ると、俗世間より遥かに、不合理な形式主義を強いられるという事になりかねない。

そして若い男のエネルギーは、寺院の中に収まりきれず、ワインを飲んだり、女を買ったりする事で爆発してしまうのである!

又、宗教をやっている人と話をしても、あまり面白いと思う事はほとんどない。 かれらは結局は宗教的な話しかしない。 こちらが科学や歴史や哲学や音楽の話をしたとしてもそれほど興味を示さない。

これらの短期間の滞在は私の認知科学・意識科学の発展にとてつもなく貢献した。

以前の私は、仏教寺院や仏教僧を見ると、とても尊敬の念にかられた。

だが、私は今は内部を覗いてしまった。 仏教僧を見ても何の尊敬も感じなくなっていた。

幻滅を感じて薄気味悪くなったものである。



もちろん仏教寺院や仏教僧は大事であるし、社会的に見ても無いよりはあった方が絶対にいい。

であるが、日本では仏教に得度された高僧が居るという話は聞いた事がない。 韓国では仏教のお坊さんが悪い事をするのだと言われているという。

私はもう、二度と仏教寺院で瞑想修行をしようとは思わないだろう・・・

私は結局はジョン・ブロフェルドのような放浪者なのである。

バリバリの出家行者や僧にもなり切れず、完全な世捨て人にもなり切れず、また普通の生活もできない。

普通の生活をしたら精神の空白状態に陥って、何の為に生きているのかわからなくなってしまう。

こういうすべて中途半端な寅さん状態に陥ってしまったのである。

でも今はそういった態度がむしろ一番いいのではないかと思うようになった。

21歳のころから私の人生は宗教と世俗の間をフラフラ行ったり来りさまよいながら、螺旋状に発展して行っている。






ここで、映画

ミャンマーの仏教瞑想寺院に、突然変な男がギターを持って現れる。

寺院では皆瞑想を真面目に修行しているが、陰ではワインを飲んだり、女を買いに行ったりしている。

そこに突然髪をツンツンにして破けたT-SHIRTを着た奴が現れる。

そこでギターをうるさい音で鳴らしはじめる。 飛び上がってポーズを決めたり、ギターをかかえて踊ったりする。

ミャンマー仏教の高僧は、怒って、追い出そうとする。

だが、パンクスはバンド編成でもっとうるさい音でがなり立てる。

最初は変な目で見ていたミャンマーの仏教僧達もその内にのりはじめ、 最後には寺中がレイヴのようになってしまう。

寺の中でミャンマーの仏教僧達が、狂ったように踊りまくる・・・







タイの水掛祭りは初めてだけど、こんなに凄いのは見た事がないね。

まるで町中レイヴパーティーだよ。 知らない人に水をぶっかけ、顔に粘土みたいなのを塗ったり、音楽をかけて踊ったり・・・

最初は、あきれていたけど、そのうちに俺もノリはじめていた。

こういった祭りがタイ人達に一体感を与えているんだろうね。

日本にもこんな祭りがあったらいいな。



 最近、インド旅行ってのは全く普通になってしまったね。

 ふた昔前だと、インドを旅している日本人っていうと一癖もふた癖もあるむさいパッカーとか髪の毛後ろで止めてるヒッピーみたいな感じだったけど。

 ヒップ・ホップやパンクスみたいな奴とか、渋谷のキャバクラからそのままインド来たような若い女性だとか、会社9日間休んでインド来たとか、全く普通の日本人なんだ・・・

 カオサンに日本人ギャルが一人でキョロキョロしているのを見て、あんなの速攻で狙われるな!  と思った。

 日本の常識がそのまま通用すると勘違いしている。

 カメラをそこら辺に置いとくと速攻で持ち去られる。

 そういった基本中の基本から教えないと・・・


 以前は全く見かけなかった 中国・香港・台湾 などの中華系も多くなって来た。

 今書いてる事は全て5年位前の話。 現在ではもっと変わっていると思う・・・





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