格言
その商業領域の国民性・民族性・商品の性質・需要を知らないのなら、その領域には踏み込んではならない。
このいい例が、アメリカに行って世界進出を果たそうとした坂本龍一氏や 香港に進出していった 小室哲也氏や ギャグ漫画家なのに 雑誌 わしズム を刊行した 小林よしのり氏 だろう・・・
結果は全て成功していない。
日本で成功した。 ギャグ漫画家で有名になった。
でも 世界の人々の趣味・嗜好・市場 とは全く噛み合わないのだ。
ギャグ漫画家で成功したからといっても、雑誌では全く違う。
読んでいる人は、小林よしのり氏の ギャグ漫画 が好きなのであって、小林氏が雑誌を創刊したからといって 雑誌は買うかどうかは全く別なのである。
こういった例はあらゆる分野に見られる。
日本人の中にはどんな事でも、一言でもコメントをしなければ気が済まない様な人がいる。
自分の専門分野でも無いし、よく知りもしないのに・・・
言多必失 という 中国の熟語があるが、「 言葉が多ければ、過ちも多い。」「 言葉が少ない人は過ちも少ないし、災いも少ない。 」という意味だ。
「 言葉が多ければ、後世を過ちに導く。 」という言葉もある。
少しはこの言葉の意味を噛み締めたほうがいい。
俺は社会を乱したり後世を誤らせるような言動は一切しない主義だ。
10年経つと全て変わる。
俺が専門学校3年で国家試験の準備をしていた頃。
1995年。 24歳頃だった。
俺は学校の 受験向けの形式的授業に全く面白みを感じられなかった。
学校が渋谷にあったので、授業をさぼったり、帰りに Wave, HMV, 大型書店、新宿の青山ブック・センターに行って、アーティストや作家などの活躍を見て、うらやましかった。
俺はいわゆる勤め人にはなりたくなくて、自分の才能を伸ばして活躍して成功したいと思っていた。
Wave,HMV とかで欧米のミュージシャン のポスターを見たり、青山ブック・センター で 横尾忠則 などの本を見て、 ああ、次にここに出てくるのは俺かな なんて思っていた。
だが、15年経った今思い直してみると なんとも つまらない事物に思えてくる。
90年代バリバリだったジャミロクアイ も今じゃスッカリだ。
本当に世の中10年経つと全て変わってしまう。
今いいと思われている事も、10年後には全てつまらない事物となってしまうのだ。
ミュージシャンてのは昔は若者の憧れだったけど、今じゃ You Tube とかのせいで、ミュージシャン = 乞食 という感じになってきてるしな・・・