最期の祭り!

 もう、未来無いんでヤケクソ。 最期の祭り的なノリで行きます!

西方極楽 世界 遊記  1

2011-12-24 09:12:35 |  過去執筆物・翻訳物  








釈寛浄法師口述 劉世華居士整理

前人の未だに発見していない世界を発見。 古を震撼させ、現代を輝かせる自ら西方浄土を訪れた高僧の口述。


佛経を印刷し、佛像を造る事の十大利益

1、 かつて作った種種の罪過も、軽いものはたちまちにして消滅し、重いものは軽くなります。

2、 常に吉神の御加護を受け、一切の疫病、水火、盗賊、兵隊、牢獄などの災いを全て受けなくなります。

3、 過去に他人に与えた怨みを消し、佛法の益を全て受け、解脱が得られ、報復を受ける苦しみから逃れられます。

4、 夜叉悪鬼もあなたを侵す事ができず、毒蛇や飢えた虎も害する事ができません。

5、 心は慰安を得、危険な事も起こらず、夜には悪夢も見ません、顔の色は光沢を発し、気力は充実し旺盛となり、為す事は全て吉となり利益となります。

6、 真心を以って佛法を守るようになり、求めずとも自然に衣食は満ち足りる様になります。家庭は和睦し、福禄はいつまでも続きます。

7、 言う事、為す事、人も天も喜ばせるようになるでしょう。 どこへ行っても、人々は街をあげて歓迎し、恭しく敬い、礼拝してくれるようになるでしょう。

8、 愚かな者は知恵を持つようになり、病弱なものは健康になり、困ったものは順調になり、婦女は報謝の日にはすばやく男の身に変わります。

9、 悪道から永遠に離れ、善道に生を受けられる様になります。 容貌は端正になり、資質は人々を超越し、福禄は際立って勝る様になります。

10、 一切の人々の為に善業の種を植え付ける事ができます。人々の心を大きな福の田となし、無量の収穫を得る事ができるようになります。
生活する所は常に佛を見、佛法を聞く事ができるようになるでしょう。

ただちに三慧がひろく開き、六つの神通力を自分で実証できるようになり、速やかに佛になる事ができるでしょう。



寛浄大法師 略歴

1924年甲子7月7日10時 寛浄大法師は福建省蒲田県城関鎮東大道140号、佛教を信仰する在家信者であった、藩氏という名の家のもとに生まれました。
生まれたその晩は、西方の天空は金色に光り輝き、大地も黄金の様に輝いていました。

そこで、名前は藩金榮と名づけられました。 彼は小さい頃から学校には行っていませんでしたが、資質は聡明が抜きん出ており、7歳で福建省教忠寺に出家し15歳で広東省南華寺において具足戒を受け、又、江西省雲居山において虚雲老和尚の正眼法蔵にまみえ、洞雲宗48代伝燈の継承者を引き継ぐ事となりました。

福建省の坑底坪寺、水聯寺、仙佛寺、能仁寺、当家、開平寺、夢斜寺、三会寺の住職を歴任されました。

1980年、福建省仙遊県三会寺で住職をなされていた頃、12月23日から座禅を開始し、29日まで6日半もの間、禅定に浸られ、仙遊県全体に衝撃を与えました。

当時大法師に師事していた弟子達は三千人あまりでした。かつて1982年アメリカのニューヨークにおいて、行脚僧の為に佛法を宣教する為に北米教会に投宿し、名誉理事長に任命され、三藩(サンフランシスコか?)市アメリカ州佛教会NUONA寺、ロサンゼルス観音菩薩寺などで(得道なさった高僧)でした。


前書き

本書の主要な内容は中国の活佛であられる寛浄大法師の体験談です。寛浄大法師は1967年農歴10月25日、福建省徳化県上湧公社桂格大隊九仙山弥勒洞の中で座禅をしている時、突然、観音菩薩のお導きで「消息不明」になりました。

実際には(その時)法師は西方極楽世界へと導かれ、九品蓮花の各境界を参観し、時間的には一昼一夜程度にしか感じませんでしたが、人間界に戻って来た時には、1973年農歴4月8日でした。つまり6年5ヶ月あまりもの時間が経過していたのです。

この様な現象は、聞いて見たところでは常識の理解できる範囲を超えている様な気がします。
しかしいわゆる「 天上界の一日は、人間界の数年に相当する。」という説がある通り、宇宙空間の違いにより、時間概念も又異なるのです。
この事は佛学の知識が少しでもある人なら理解出来る事です。
その当時、人間界では法師は「消息不明」で、寺挙げて全山(雲居山)の大なり小なりの百いくつの洞穴を全て探し尽くしましたが、いずれも法師の消息は見当たりませんでした。 更には捜索隊まで出動させて、付近の各所にある水庫や、池に落ちたのではないかと捜索させ、熱心な信徒は県城に帰って、泉州市、XIAMEN市、福州市、南平市各地を探しました。

更には永泰、永春、徳化、福清等の隣町に人を送り、調査をさせましたが、数年に亘って音沙汰が全くなく、多くの人々は法師はこの世を去ったのだと思い、悲しみました。

実際には、法師は最初から最後まで、弥勒洞を一歩も外に出ていなかったのです。


佛様の御加護によって身体は洞の中にあるまま、6_7年もの間見つからなかったのか、それともどこか他の場所( 異次元空間 )に隠れてしまっていたのか、この点については、その地の鄭秀堅居士等が証拠を提出する事ができます。

法師が自ら西方極楽世界を歴訪した過程はただの夢とは違います。彼は得道なされた高僧であり、絶対に妄言などする必要などありません。
又、法師が垣間見た世界は、禅定において見られる光景でもありません。
もし、禅定の最中において見られる光景ならば、描写できないはずであります。
でなければ天龍八部と天魔がやって来て、やっかいになる事になりましょう。
法師は阿弥陀佛と観世音菩薩の旨を奉じ、あえて極楽世界の各境界で見聞きされた事を公開したのです。
佛を学んだ人なら誰でもご存知だと思われますが、妄言をした者は無間地獄に落ち、半永久的に出る事ができなくなります。
ですから、法師の口述した西方極楽世界の自らの体験談は「 全くの真実 」であり、三界の神祇と天龍八部をもって証拠とする事ができます。

我々の住む人間界の他に極楽世界と佛説阿弥陀経は実在するのです。
寛浄大法師が証人であります。筆者は法師の口述をもとに編集整理し、世に出します。
一つには佛法を広める為、もう一つには読者の皆様が篤く仏法を信ずる様に、一心に佛を念じ、一心に善を行い、共に極楽世界へと登る為であります。


1987年4月 シンガポール南海普陀山 講演

法師の皆様、大徳の皆様、居士の皆様! こんにちは!
今日は、佛縁あって皆様と共に集まる事ができました。 前世かあるいは過去生の因縁の結実した結果、今日この会に於いて皆様にお会いする事ができました。
私がこれから皆様にお話するのは私が自ら西方極楽世界を訪問した経験についてです。
極楽世界に於いて見た情景、聞いた事を皆様に報告するつもりです。
私がお伝えする点は次の5点についてです。

1、私がどのようにして極楽世界へと行ったかについて。どの様な因縁に基づいてそこに行ったのか?

実際の状況については私が西方極楽世界を歴訪したのは、自分の感じでは大体20時間程度でしたが、人間界に返って来た時は6年5ヶ月余り経っていました。

2、私が西方極楽世界を訪問する途中に訪れた所は、羅漢洞、(リッシン辺に刀)利天、兜率天、そして極楽世界に着いてからは、下品蓮花、中品蓮花、上品蓮花(各蓮花には、上中下の三つの級があるので、全部で九品の蓮花)を訪れました。

私は皆様にこの3つの地点の情景はどのようなものか?をお話します。

3、九品の人々は人間界では実際はどの様に暮らしていたのか?
簡単に言えば、九品の人々が娑婆の世界でどの様な修行をした功徳で九品蓮花のある蓮花に行ける事ができたのか?


4、極楽世界における人々の修行方法
簡単に言えば、そこに生活している人々はどの様な方法で修行をしているのか?
一つ一つ下から上へ、佛道を成就するまで。

5、人間界で知っていた人が、私が娑婆世界に戻った時、親しかった人々に挨拶をしてくれる様にとの頼み。

以下、法師が西方極楽世界へ行く途中の経過を話していきます。「 私 」とは法師自身の事を指します。


1、路上で奇縁に出くわす。( 観音様が聖境へと導いて下さる。 )
それは1967年10月5日の事でした。
その日、私は夢斜岩寺( 法師はこの寺の住職 )の中で座禅を組んでいました。
その時突然、私の事を呼ぶ人の声が聞こえてきました。 更には、前に歩くように私の事を押すのです。
その時、私は半ば恍惚状態にあり、誰が私の事を押しているのかも確認もせず、寺院を出て行きました。
私は内心自分が行く所は福建省の徳化県であるとわかっていました。( 夢斜岩寺から九仙山徳化までは、約200華里余りの距離 )
私は歩いていても、辛さを感じず、飢えも感じませんでした。 のどが渇いた時は、泉の水を何杯か手で掬ってのどを潤しました。

幾日歩いたかはわかりませんでしたが、休息も睡眠もとりませんでした。
唯、当時は全て晴天だった事を覚えています。


その頃はまさに文化大革命の時期でした。我が徳化県と上湧九仙山からそれ程遠くない所に、来た時突然気分が清明になってきました。
その時、道行く人が「今日は10月25日です。 文革の時期で地方で動乱があったので、人々は夜歩く様にしているのですよ。」と話していました。
私とて例外ではありませんでした。

その時は、早朝3時で道の上で老法師(後に観音菩薩の化身であられる事が判明)と出くわしました。
彼の身なりは私と同じ僧衣でした。私達はもともとは何の面識もありませんでしたが、道の上で同じ道を修行する者同士として自然にお互い合掌して礼を交しました。
我々は名前を告げ合い、その老法師は自己紹介を始めました。「私は、法号は円観と申す者です。本日、我々は縁あって知り合う事ができました。なんなら九仙山まで御一緒しましょうか。」
行く先が同じなので私は同意しました。 そして我々は歩きながらしゃべりました。道の上で彼は、私の過去について非常に細かい所まで沢山の事を透視しているかの様でした。
沢山の因果関係についての話をまるで神話のように、私の過去生について、或る時はどこで生まれ、どの地点、いつの時間などを話して下さいました。
奇妙な事に彼が話した事はしっかり憶えています。

( 7年後、法師のお言葉にしたがって各地を調査した結果、各世共に確かに実在した人々で、時間も地点も皆あっていました。全て和尚をしていた人です。

一世代の前、在家の居士でした。その人物は清朝康煕年間の人で地点は上湧方桂格村でした。名前は鄭遠思、6人の男の子と、二人の女の子を生み育てたそうです。
その中の一人は科挙の進士に合格しました。住所も時間も墓地も全て実在しました。
現在は子孫121家、450人余り。
道の上での会話をしていると、いつの間に九仙山(福建省で最も高い山)に着いていました。


その山の上に、大きな洞窟があり、名前は弥勒洞といいました。こここそ、我々が元々行こうとしていた目的地でした。

その洞窟の中には、一部屋程度の大きさしかなく、弥勒佛像が供養されていたので名を「 弥勒洞 」と呼ばれていました。
しかし、九仙山に到達して山の半分位に登った頃、突然目の前に奇妙な光景が現れてきました。

目の前の道路が突然変わりました。九仙山の本来の道ではなく、石を切って積み重ねた道で、ほのかに輝いています。本当に奇妙です。
尾根に着いて一目見てみると、もとの弥勒洞ではなく、別の天地がみえてきたのです!

目の前に現れてきたのは、かつて見た事の無い程の大寺院で、とても豪勢でした。

北京の故宮と比べてみても、更に雄大で壮観な眺めでした。大寺院の両脇には2台の宝塔も建っていました。
しばらく、歩くと、我々は山門にたどりつきました。
白い石を積み重ねて、築かれた山門は雄大で壮麗な威容でした。
大門の上には金で彫られた大きな額があり、金色に光り輝いていました。
表面にはいくつかの文字が金色で彫られていましたが、私には全く分かりません。
山門の前には4人の和尚が居て、赤い長衣を着ていました。


金色の帯を締めて、法相は荘厳な表情をしていました。
我々2人の到来した事に気付くと我々を出迎えて下さいました。我々もまた慌ただしく応じました。

この時、私の心中に「 ここの和尚達の服装は今まで見た事がない。だが、ラマ僧に少し似ているな・・・」という思いが起こって来ました。
彼らは皆、微笑みを含んだ表情で「 ようこそおいで下さいました。歓迎します。」と言い、我々は招かれました。

山門を入ると、いくつかの殿堂を通り抜けました。奇妙な事に、ここの建築は皆光を放っているのです。
各殿は壮麗な眺めです。我々が中に入ると、とても長い廊下が見えるだけで、廊下の両側には、各種の名前も分からない違った色の珍しい花や木が植えられていました。


窓から外を眺めてみると、宝塔や殿堂などの建築物を見る事ができます。しばらくすると我々一行は第一大殿に行き着きました。
大殿の上には四つの大きな金文字が輝いていました。 漢字でも英語でもなく私には読めませんでした。
円観老和尚に尋ねてみると「 中天羅漢 と書いてあります。 」とお答えになられました。
羅漢と名づけられているからには、きっと羅漢修行によって到達された世界なのだろうと考えていました。

そこに着くと、私は薄々とこの地はもはや私の住んでいた人間界ではないなと気付き始めました。
今私はその四つの文字の一つは「 十 の文字の上下左右に「 や 」がそれぞれ付けられた文字 」という形だった事だけ憶えています。
他の三つは思い出せません。

私と円観老法師が出会ったのは、早朝3時で朝焼けに近づく頃でした。
殿の内外で沢山の人々が出入りしているのが見えるだけでした。
黄・白・茶・黒など色々な人種が居りましたが、最も多かったのは黄色人種でした。


老若男女全て居りました。彼らの衣装は奇妙で、皆光を発していました。
三人五人と群れをなし、武術を練習している者や楽しそうに踊っている者や、一生懸命に将棋を指している者や瞑想をしている人などが居りました。
彼らは皆、とても楽しそうな雰囲気を発していました。
我々の到来に気付くと、皆、親切な雰囲気で頭を振り、微笑んで歓迎の意を表していましたが、我々に話し掛けてはきませんでした。

大殿の中に入ると、四つの大きな字が見えました。円観老法師は私に「 あれは大雄宝殿と書かれているのですよ。」と教えて下さいました。
二名の老和尚が、我々を出迎えて下さいました。
彼らの一人はひげが白くとても長い人で、もう一人の方はひげがありませんでした。
彼らは円観老和尚の到来に気付くとすぐさま、五体投地の大礼を行いました。

中天羅漢が円観老和尚をこれほど礼拝するという事は、円観老和尚はただの人ではないな・・・ と私は思いました。


彼らが我々を客亭に連れて行く間に、私は大殿の中の四方を見渡しました。お香の煙が漂い、鼻をつきました。
地面の上は淡く光る白い石が敷き詰められていますが、奇妙な事に殿内には仏像が一つもありませんが、供え物は沢山あります。
鮮やかな花がバスケットボール位の大きさで皆丸く出っ張っています。
あらゆる光る飾り物があり、色の種類は沢山でとりどりです。

客亭に入ると、老和尚は子供がくんで持ってきた二杯の水を持ちました。
その子供は頭に二つの結いを束ねていました。 体は緑の衣裳を着、金色の帯を腰に結び、道教の子供の服装はとても美しいものでした。


杯の中の水は白く、清涼で甘美でした。私は半分一寸飲みました。円観老法師も又飲まれました。
飲んだ後は精神は以前の倍も爽快になり、全身がゆったりし、少しも疲労を覚えませんでした。

円観老法師と老和尚はひそひそ話をすると、老和尚は子供に私を体を洗いに行かせるように命令されました。
白い銅盆が一つ見え、清らかな水が満杯に盛られていました。
私はその中に入り、顔を洗い、体をこすり、その後私の為にわざわざ準備された清浄な灰色の和尚服を着ました。
体を洗い終えると心身ともに以前の倍も心地よくなりました。

この時に私は、今日はきっと聖区に入れるんだと思いました。
心の中は喜悦にあふれ、言葉にも言い表わせない程でした。
客室に戻る時、私はすぐにその老和尚の前でひざまずき、三度礼拝しました。
そして教えを乞いました。 佛教の将来はどのようなものでしょうかと。
老和尚は一言も答えずに筆を持ち紙の上に八つの文字を書かれました。

佛自心作
教由魔主


老和尚はその紙を私に手渡しました。私は両手でありがたく受け取りました。
私がその八つの文字の意味を考えあぐねていると、もう一人の老和尚がこの様に解説して下さいました。
「 この八つの文字は横から縦、縦から横、左から右、右から左、上から下、下から上などに分割すると、36句に分割できます。
これで佛教の今後100年の状況を知る事ができます。

もし、この36句を演繹して840句にすれば、全世界の佛教の将来における発展の状況を佛教が滅ぶ時まで知る事ができます。 」
法師が明らかにした所によると、この840句は将来時が熟した頃に、公布されるそうです。
その内の18句は以下の様に公布されました。

佛自心作 教由魔作 教自由心 心魔作主 作主佛教 作自由魔
魔作佛教 佛由魔作 佛由魔教 心自作魔 教自由作 教作自主
主作佛教 作佛自主 作主佛教 主作佛心 教自由佛 心自由教



一しきり話しこんだ後、老和尚は私を部屋で休ませ、子供が私を部屋の中に連れていった時、ベッドはなく、いくつかの洒落た腰掛け椅子があるだけでした。
上面はとても柔らかいシルクで覆われていて、その中の大きな腰掛け椅子に静坐してみました。
座ってみると、体がとてつもなく心地よくなり、とても軽くなり、自分のお尻をどこに置いたかも分からない位でした。
しばらくして、円観老和尚が私を呼ぶ声を聞きました。私はすぐに地面に降りて、部屋を出ました。
円観老和尚は私に言いました。

「 今、私はあなたを兜率天に連れていって、弥勒菩薩とあなたの師父である虚雲老和尚を拝見させます。」
私は「 それは光栄です。 御面倒をおかけ致します。 どうもありがとうございます。」と答えました。
大殿を離れる時、私はその2人の老和尚に別れのあいさつをしました。
円観老法師はそれでもきっぱりと「 その必要はありません。時間は多くはありませんから。」とおっしゃいました。
その時、我々の行く目的地は「 兜率天 」でした。


二、 兜率天で虚雲老和尚と出会う

路上では、私は沢山の雄大で壮観な金殿や宝塔などが皆光を発して人の目を奪って目を放さないのを見かけました。
しかし、円観老法師は私に「 時間は多くありません。」と言って、急ぐ様に促しました。( 後に分かった事ですが、上界の時間は人間界と違って長く留まりすぎてはならないのです。さもないと人間界に戻って来た時には、数百年あるいは数千年建っている事もありえます。)

我々が歩いた道は全て白い石を切断して造られたもので淡く光を発しています。
山の上の奇妙な草花が清らかな香りを風に乗せて送ってきて鼻をつき、人の心を和ませ楽しくさせます。
いくつかのカーブを曲がると約一里程度の道があり、大きな橋が出現しました。
ですが、この橋は奇妙な事に、中間の部分のみが宙に浮いたままで、橋の先の部分と後の部分が無く、渡る事ができません。
下を覗いてみると底無しの深淵です!

「 この橋はどの様にしたら渡る事ができるのだろう?」私はブツブツ独り言をつぶやいていました。
私がまさに躊躇しているその時に円観老法師はこの様に尋ねてきました。

「 あなたが普段唱えているお経は何ですか? 」

私は「普段は妙法蓮華経、 ろ厳呪です。」 と答えると
老法師は「 そうですか。 それならそのお経を唱えてみて下さい。」
そこで私は口の中でブツブツとろ厳呪を唱えました。

ろ厳呪は全部で三千字余りもありますが、私が20_30字を読むと、目の前の景色が突然変化しました。



その大橋の先と後の部分が陸地に向って伸び連結し、黄金色を放ち、七宝構成となり、あたかも七色の鮮やかな虹の様になりました。
空中にかかっている様になり、比べるものが無い程壮麗になりました。
両辺の橋の欄干には明るいぼんぼりが様々な色を発していました。

橋の頭部には5つの大きな文字が書いてありました。大殿の上の字形と同じもので、私はあの文字の意味はきっと「 中天羅漢橋 」であろうと推測しました。
橋を渡ると、我々は橋の中程にある休憩亭で一休みしました。その時になって私は円観老法師に尋ねました。

「 何故、最初は見えなかった橋の先と後の部分が、呪文を唱えると見えるようになったのですか ? 」
老はお答えになられました。「 呪文を唱える前は、あなたの本性( 本来の自分の姿)は自分自身の業に周囲を固く囲まれていて視界が遮られていたので、聖境が見えなかったのです。呪文を唱えた後は、呪力による促しで、業の障害が消散し、あなたの本性は清浄となったので、本来あった全ての境界は迷いから醒め、全て見えるようになったのです。いわゆる、万里にわたって雲がなければ、万里に亘って天が見えるとはこの事なのですよ。」

休憩が済むと、我々は再び出発し、呪文を唱えながら歩きました。
すると突然、足の下から蓮の花が出てきました。一つの弁ごとが水晶の様に青い光を発していました。
葉も又各種の光を発していました。

蓮の花を踏むと、空へと舞い上がり、ひょうひょうと空を飛びました。
前に向ってまっすぐに飛んでいきました。耳の際では、風の音がヒューヒュー鳴っているのが、聞こえるだけでした。

が、体は大きな風が吹いているとは感じませんでした。速度は飛行機よりも速かったです。
周囲の様々な事物がどんどん前から後に通り過ぎて行き、我々の身辺をかすって通りすぎていくのみでした。


しばらくすると、私の体はだんだん熱くなってきました。その時目の前に現れてきたのは、北京の天安門に少し似ていました。
しかし、天安門より更に広く雄大壮麗でした。石柱の上の龍鳳は皆光を放っていました。
屋根は胡宮の様式でとても雄大でした。

我々はこの白銀城に着くと、城門の上に五種類の文字で書かれた看板がありました。
一種類目は漢字で「 南天門 」と書かれていました。 ( 南天門 は四大天王の居場所です。 )
「 南天門 」 の中は沢山の天界の人々が立っていました。 文官の様な人の服装は清朝時代の官服に少し似ていました。
服飾はとても華麗で、衣服は皆光を放っていました。武官の様な服装をした人は、舞台で演ぜられている古劇の武将の様で、鎧の装飾は光を放っていて、とても威光を放っていました。

彼らは全員隊列を組み、整列し城門口の両側に立って合掌し、我々に目礼をし、我々の入城を歓迎していました。
だすが、誰も我々と会話をしようとはしませんでした。
城門を十歩入ると大きな鏡が有りました。この鏡は自分の元神を照らし出し、正邪を見分ける事ができます。
城門を入ると、道の上では無数の珍妙な景色や事物を見かけました。


たとえば、虹、球、花、電光の様なものが、我々の身辺を通り過ぎていきました。
雲霧の層の中でかすかに無数の亭台や楼閣や尖塔が一定の距離にではなく見えてきました。
円観老法師は紹介していいました。「 これは四大天王のもう一つ上の層でDAO利天( 欲界天の中の第二天 )で、玉皇大帝の住処で、四方三十二天を管理なされております。」

我々は見学する時間がなく、幾層も上に真っ直ぐに登りました。
円観老法師は私に「 兜率天に着きましたよ。」とおっしゃいました。
( 兜率天 は欲界天の中の第六天です。 )あっという間に殿閣山門前に着きました。

20人余りの人が我々を出迎えに来て下さいました。
その内の一人は他でもない、私に授業を授けて下さった恩師であられます虚雲老和尚(近代中国三大高僧のお一人)でした。

他の二人は私も知っていた方々でした。 お一方は妙蓮和尚で、もう一方は福榮大師で、身には赤いシルクの袈裟を着て、とても華やかで美しかったです。


私は師父であられた虚雲老和尚を一目見ると、すぐに跪いて礼拝しました。その時、私は感動の余りもう少しで泣き出す所でした。
師父は私に問いました。「 心の調子状況はいかかがな? まだ喜びや悲しみはありますか? ところで今日あなたと一緒にここにいらしたあのお方が誰であるかご存知かな? 」
私は「 円観老法師という名前のお方です。」と答えました。
すると師父は私に驚くべき事を告げました。「 あのお方こそはあなた方が毎日祈っている慈悲深く苦難から救われる観世音菩薩でおられるのですよ。」
私はそれを聞くと、大変驚き、その観世音菩薩様に跪いて何度も礼拝しました。

これこそまさしく「 目がありながら、泰山がわからず。」という事ではありませんか! 私はしばらくの間、何をどの様に話せばよいのやら見当もつきませんでした。
「 兜率天 」の人々は身長は5~6尺程度ある我々娑婆世界とは違って、身長は約三丈余りしかありません。

しかし円観老法師( 観音様の化身)が私をここに連れてくると、私の体も自然に変化して、彼らと同じ位の三丈余りになりました。
師父はその時私に、娑婆世界でしっかり修行しておくようにとの事、業の障害は試練を経る事によって、徐々に除く事ができる事や、世代ごとに寺院を修築しておくようにという事などを注意なされました。
そこでは、私は沢山の人を見かけました。 老若男女皆居ました。 彼らの服装は明朝時代の衣裳に似ていました。


三、弥勒菩薩の御開示

その後、我々は一緒に「 兜率天 」の内院へと進み、弥勒菩薩を礼拝しに行きました。我々が弥勒大殿に進む時、大殿の中の雄大壮麗さは全くもって筆や墨では形容できない程でした。至る所金色の光が輝き、殿門の前には金色の光がまばゆい三つの大きな文字が、五種類の文字で書かれていました。
中国語で書かれている文字は「 兜率天 」でした。ここでは、私は自分の目で弥勒菩薩を拝見しました。

弥勒菩薩の様子は我々が娑婆世界で礼拝している腹が出っ張って笑っておられる「 大腹笑佛 」の様ではありません。
真の弥勒菩薩は、法相は荘厳で、八十種好三十二の相を有し、容貌はとても優れていました。
大殿の両脇には、立ったり座ったりの沢山の菩薩が並んでいて、各種の道衣を着ていましたが、光を放つ事のできる赤い袈裟を着ている者が多く、皆一台の蓮華座がありました。



私は弥勒菩薩を拝見しながら、開示を下される事を請い願いました。
弥勒菩薩は私に一しきりの法話を開示して下さいました。菩薩はおっしゃいました。
「 私は将来( 六十億万年後 )に下界に生まれます。娑婆世界に降臨しますが、その時には地球上には高い山は一つもなくなり、地上は手のひらの様に平らになります。
娑婆世界は、人間浄土に変り、あなた方の教派と教派との間は互いに友好的になり、お互いに精進する様に励ましあう様になります。
お互いに非難しあっては、なりません。

仏教内の各宗派も又、非難しあってはならず、お互いに邪を糾し、正しい道を歩む様にしなければなりません。」

( その後も一しきりの法話を開示して下さいましたが、私ははっきり記憶しておりません。)
私は感謝の意を表して礼拝しました。
その後、師父であられる虚雲老和尚は私を大楼閣へと連れて行きました。
楼閣の前には明朝の服装に似た衣裳を着た武将が居られましたが、イ駄天ではありませんでした。

そのお方は我々を楼閣の中へと導いて下さいました。
すると仙女が花を摘み、蜜で造ったケーキを下さって我々をもてなして下さいました。
私はその一塊をつまむと比べ様の無いほど、甘美な味で口が非常に爽やかになり、お腹いっぱいになり、同時に精神が倍増する様に感じました。


福榮大師は私におっしゃいました。「 天上界では、どこでも花蜜ジャムを食糧にしているのです。前の院の天人仙女の皆さんが送ってきて下さったもので、様々な花の蜜を加えて造られたものですので、味はとてもよいのです。
人間界の人がこの花蜜ジャムを食べると病は去り、寿命は延び、老いた者は子供に返る事ができます。少し多めに食べて下さい。健康にいいですよ。」
その後、私の体は確かに以前より若くなり、現在に至るまで薬を飲んだ事もありません。

続いて、榮福大師は再び私におっしゃられました。「 天界の人々は、安逸さばかり求め、修行を修めようとはしない。人間界の富貴な家の人と同じで、出家しようとせず、目先の享楽ばかりに関わりたがり、三界を未だに出ておらず、六道の輪廻を繰り返し、生死を抜け出してはいない事を知りません。
我々はここに於いて弥勒菩薩の説法を聴き、将来再び、人間界に降臨し、衆生を救います。そうしてからやっと真の菩薩道に進み入る事ができ、生死を脱する事ができるのです・・・」

この時、恩師虚雲老和尚も私に開示を下されました。

こうおっしゃいました。「 末法の時代にこそ、最も劣悪な環境の中で衆生を救い続けなければなりません。順調な時に享楽ばかりむさぼってはなりません。逆境の時に逃げてはいけません。悪人に悪を悟らせ、善に向わせなければなりません。
善人は善い生活を心がけ、清浄に修行しなければなりません。劣悪な環境の中で仏陀の恵命正法を守り続けられる事こそが、真の菩薩道を歩むという事なのです。

あなたは私にかわって、人間界に戻った後は同じ道を歩む人々、特にあなたの身近にいる修行僧達に、戒律を師とし、以前と同様に堅持し、変えてはなりません。


僧制を変えてはなりません。現在ある人々はろ厳呪はにせものであるとか、ある人は僧衣を改めたり、又ある者は因果を信じず、卵は菜食であるといい、修行もせず、人々を導きもせず、それどころか邪法によって人々を惑わし、仏経を歪めて上手い話をでっち上げ、供養を騙し取る。

これらは皆、悪魔が人間界に来て、如来の知恵の根を摘み取り、悪魔が頭をもたげ、自由に人々を害させる事です。
ですから、あなたは必ず極力私の志を受け継ぎなさい。
それでこそ我が弟子である。あなたは将来世界各国へ赴き、説法教化を行うようになるでしょう。
非常に劣悪な環境の中でも、あなたは必ず私が人間界に居た頃に創設した寺院を復興させるべきなのです。
それゆえあなたの名前を、最初に法伝した際に、復興と名づけたのです。この意味は今のあなたは分かりますか?」

しばらくして、師父である虚雲老和尚は突然一つ一つ高らかに字を読み始めました。

「 青( 深 )松霜雪愈堅禿、海天一色遍三千。」
我々は一しきり休むと、観音菩薩は我々を大殿の外へと連れ出し、前院へと行き、天景を参観しました。すると明るい光が煌煌と輝き、仙獣や珍鳥などが並んで歌を歌っていて、その優美さに思わず、心が打たれました。


清浄な天界の音楽の音楽が遠くから近くから響き合い、自然に優美な響きが奏でられています。
仙童と仙女達が様々な色の美しい衣裳を着て、一列一列に整列し、隊伍を組んでいます。

四方では仙花が咲き誇っていて艶やかで目を奪います。 遠くと近くの亭台と楼閣や各種の宝塔などは皆光を放ち、まさに天上界の絶景で、人間界などはこの一万分の一にもまるで値しません。
私はその光景を観ながら、ただただ賛嘆するばかりでした。観世音菩薩は崑崙山より更に高く、百種類の色の光を放つ宝塔を指し「 あの塔は太上老君( 老子 )の住処で、煉丹大塔と呼ばれています。」
そちらを眺めてみると、極めて壮観な「 煉丹大塔 」が雲に覆われたり、見えたりしながら、一体何層あるのか分からない高さで立っています。
まるで高い山の前に立つかのようでした。

我々は外から覗くだけで、塔の中には入りませんでした。
観世音菩薩は又おっしゃられました。 「 この塔は上仙の居住する所です。周りには沢山の多霊元樹( 道家修練の原形 )と四時花果
があります。」
話によれば、仙法を修練する者が、よく修行していると天界の霊元樹も美しく花咲き、よく修行していないと、花は生気なく枯れてしまう事もあるそうです。

この時、観世音菩薩は催促しておっしゃいました。「 時間がありません。これからあなたを西方極楽世界へと連れて行きます。ここより更に美しいですよ。娑婆世界とはまるで比較の仕様がありません。」


四、極楽世界を訪れる。 ー 阿弥陀佛と面会する。ー

「 兜率天 」を出ると、私は再びろ厳経を唱え、脚上に蓮華座が現れ空に飛び出発しました。
路上では、耳際でヒューヒュー音が鳴りましたが、風があるとは感じませんでした。
速度の速さは又、形容の仕様がありません。 目の前にある全ての優美な天仙の風景が我々の身辺をかすめ過ぎて行きました。
あっという間に後ろへと過ぎていくのでした。 15分もしない内に、蓮華座の下の地面は金の砂で覆われ、一列一列に並んだ大きな木は高さが数十丈、金でできた枝と玉でできた葉で葉は三角形のもの、五角形のもの、七角形のものなどがあり、皆光を放ち開花します。

各種の美しい鳥も身体は光を放ち、ある鳥は二つの頭あるいはいくつもの頭を持ち、二つの翼あるいはいくつもの翼を持っています。
彼らは自由自在に飛んで阿弥陀佛の聖号を歌っています。周囲は全て七色の鮮やかな欄干に囲まれています。
観世音菩薩は私に言われました。「 仏経に述べられている、七重羅網、七重行樹というのはまさにこの境地の事です。」

耳際では沢山の講話の声が聞こえてきますが、言葉は完全に聞き取れません。観世音菩薩が話す阿弥陀佛は聞き取れました。


路上では沢山の高い山が見えました。皆、七宝で構成され、淡い光を発していました。
この様にしてまっすぐ行き、しばらくして( 大金山 )の前面に来ました。
この大きな金色の山は、中国の峨( 山+眉 )山より、何倍の大きさかもわかりませんでした。

疑う余地もなく、この山こそが「 西方極楽世界 」の中心でした。
観世音菩薩は手をふりながら「 着きましたよ。阿弥陀佛はあなたの前にいらっしゃいます。見えましたか? 」私は不思議に思って質問しました。
「 どこですか? 私に見えるのは大きな石の壁が目の前に聳え立っているのが見えるだけですが。 」
観世音菩薩のお答えは意外でした。「 今あなたは阿弥陀佛の脚元の前に立っているのですよ。 」

私は「 阿弥陀佛の身体はこれほど大きいのに、何故私に見えるわけがありましょう? 」

実際、この様な光景はまるで、一匹の蟻がアメリカの何十階建ての摩天楼の下から見上げているようなもので、どの様に見上げたとしても、摩天楼の全貌が見渡せる訳がない事と同じでした。
観世音菩薩は私にすぐにひざまづいて阿弥陀佛の御加護と西方極楽世界へと導いてくださる様にお願いする様にとおっしゃいました。
私はすぐにひざまずき、阿弥陀佛の御加護を求めて祈りました。






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