最期の祭り!

 もう、未来無いんでヤケクソ。 最期の祭り的なノリで行きます!

 天堂遊記

2012-05-13 09:47:44 |  過去執筆物・翻訳物  
   


           





  http://www.scribd.com/doc/2336434/  
 天堂遊記   その他、台湾系経典の中国語版

http://ks.cn.yahoo.com/question/1306111714747.html
   济公 一生 介绍


天堂遊記 ( 抄訳 )

 済公活佛の伝記

 済公活佛は宋朝天台の人で、俗姓は李、名は修縁といいました。杭州西湖の雲隠寺に於いて、剃度し、法名は道済と名付けられ、世を救う為にわざと狂った様に振る舞い、世の中の人は済顛と呼びました。
 活佛は身は「降龍尊者」であられ、金身羅漢の化身でもあられ、三昧に深く通じ、仏法を透徹して理解し、「万法は唯心から現れる」との旨を契り、仏法を直に修め、道具を飾らず故に「心を修め、口を修めず、自在佛になる。」とおっしゃられました。
 当時の口は戒めても、心を修めない僧尼に喝を与えました。
 活佛は神通力は広大で、人と世を救い、義侠心強く、危難に陥った者を助け、偽善の悪い輩を一からげに玩び、悪を悟らせる事を促し、悪に染まって反省もしない輩をやっつけ、人々の喝采を博しました。
 それゆえ人々は活佛を聖僧と称し、活佛として尊敬したのも偶然ではありませんでした。
 活佛はかつて浄慈寺に住み、寺は火災に遭い、木材で再建する際、厳陵まで赴き、袈裟で諸山をおおい、山木を抜きつくし、杭州まで河に浮かべて持ってきました。寺の衆に「木は香積井の中にあるよ。」と報告するとその通りに木がありました。世にはこのような風変わりな功績が沢山伝えられております。
 

 嘉定年間にこの世を去り、虎ホウ塔に埋葬され、臨終の際には、次の様な詩を作りました。
 「 六十年間に亘り、狼藉を働き、東壁が西壁を打倒し、今ようやく拾い集めて帰らむ。(中略)水が連なり、天が青き事は昔と変わらず。」
 活佛は一生に亘って、世の人々を救い続け、人々の間に遊ばれ、気に病んだりクヨクヨしたりした事は一度もありませんでした。

 「 頭陀行 」を修め、「菩薩道」を行い、一着の破けた袈裟をはおり、軽妙自在に落ち着いていました。二足の破けた草鞋を履き、泥水を引きずろうが一向に気にも留めませんでした。 手には蒲扇をとり、身分の上下など怖れず、頭はつるつるで風にも雨にも妨げられず、竹笠など必要としましょうか?
 足は丸出しで寒さも侵す事ができず、暑さも侵す事もできず、包みなど必要としましょうか?  ( 中略 )

 ユーモアは笑いを誘い、善き縁を広く結び、塵世を避ける事なく、苦しみを見ればこれを救い、衆生は争うように敬い、万戸の家に佛の種を蒔きました。 奇跡と聖なる行いは、山の中に隠遁してしまう山僧にはとても及ばないものでした。
 後世の佛門達はお高く留まり、活佛について触れる事を避けた為、高僧の聖なる徳は埋もれてしまいましたが、幸いにして佛の慈悲深さゆえ、この事は責めないでおきましょう。

 活佛の行跡は妙趣が突然現れ、言行による教えが至る所に現れるので、佛法は喜悦に満ちていた故、広く「 禅師 」の名を得ました。活佛は世に出るという偉大な精神をもって、勤勉に積極的に世に入る功徳を立て、本当に現代における仏道を学び修める者の模範であられます。 故に彼は世間において「活佛」の聖名を獲得なされたのも故ある事なのです。

 現代は末法の世であり、衆生は欲望が旺盛で、苦海に沢山の人が堕ち、活佛は世を救う気持ちにさいなまれた故、かつての神通妙化の英風を再び顕現させ、身を以って現れてきました。
 聖賢堂に降臨なされ、楊生の霊と協力し、冥府を旅し、広く事例を収集し世に警笛を鳴らし、陰曹地獄の奥の秘密を公開なされました。
 衆生を救う為、慈悲の航海を導き、衆生は幸運にも法の沐浴を得る事ができ、永遠に悪道を離れる事ができるのです。 有難い事です。
 この著作が完成したあかつきには、万世にわたって永久に模範となり、特別に深く厚い徳を記録なされたのです。

 
 麻姑元君 降臨

 聖示・・・ 今夜は吾は神御自ら奉り、無極老母の命を帯び、ヨク旨を宣読したてまつります。 神々と人々はひれ伏しなさい。
 無極老母はおっしゃられました。鴻(さんずい+蒙)の太初にさかのぼり、元始の一つのqi(原初の創造力)が三精へと変化し、三精が東方木公、西方金母、中央黄老、南方火精、北方水精へと変化し、五老が既に成り、天道は運行し、木公、金母の二つのqiがもくもくと変化し、九六原霊と育ち世界に分散していきました。

 今日に至り、世の道は純朴でなくなり、人倫道徳は崩れ、跡形も無くなり、母を哀嘆させます! 台中にある聖賢堂は、命を奉り、開堂し教えを説き、迷っている人々を教え導き、諸々の人々は心力を捧げ、至誠にすき間なく、道qiは闘牛をも貫く程のものがあります。
 「地獄遊記」が出版され世に配布され、四海の兄弟を教化し、広く流行し一世を風靡し、人々は争ってこれを閲読し回心して道へと向かっていった者は数え切れません。 原霊を普く救った功は少なくありません!

 母が赤子が俗世に落ち、風霜の苦しみをなめ、悪い事をするのを思うと、心はとても忍ぶ事ができません。 故に天運己末年五月初一日、無極宮前において、三曹連席聖会を開き、地獄の真相を世に洩らし教化した勲功は卓越し非凡でありました。
 人々は地獄への道を断つ事ができ、天国へ登る梯とする事ができます。
 故に今再び天国の情景を世に洩らし原霊を天国に返し混元一qiがまとまり、天倫の楽しみを享受させる必要があります。

 母は今特別にヨク旨を配布し、聖典の著作の職を任命した。旨が到着する日は、自動書記(フーチ)の日毎に済公活佛が聖筆楊生を連れて天国を霊遊し、万古流伝の宝典、書名曰く「 天堂遊記 」を著す。 及び、三界の各関所に、もし遊生が来たら開門してこれを迎える様、命に違う事なき様命じておきます。
 もし、天意に背く者あらば一律に厳しく罰せられます。聖賢の皆さんが志と忠誠を誓い、初めから終わりまで勤勉に任務に励めば、書が完成した日には、功をかんがみて、昇格させましょう。つつしんで軽んじてはなりません。頭を下げて御恩に感謝すべし。

             天運己末年五月初五日

 玉旨
     金que内相   降臨

 聖示・・・ 今夜吾は命を承り、旨を帯び、宣読します。 神々と人々はひれ伏しなさい。  つつしんで奉ります。

 玉皇大天尊   玄霊高上帝いわく

 朕は霊界に居て、心は世の道について想っています。見渡してみれば、世の道は跡形もなく崩れ去り、倫理常識は墜落し、地獄は増建しても尚収容する事ができず、天国は新しく建てても客は来ない。

 現在はまさしく三曹が普く救われる時期に来ています。天の道が世に下され、人倫を振興させる事は南天直轄の台中聖賢堂が自動書記によって世に警笛を鳴らし、経典を発行させ、善書が迷える人々を広く救う功にかかっています。
 「 地獄遊記 」発刊以来、これに学ぶ者は天下に広く満ち、慈悲の航海は広く衆生を救い、教化を受け、悪を棄て善に従う求道修真者は数えるのも難しい程です。
 朕はこれに大いに喜び、地獄の情形を世に洩らしました。天堂の聖境は何故人々で満ちないのでしょうか?

 五月初一日、三曹は連席聖会を開いた時、群仙菩薩が参加し、衆生を普く救う為、三曹の主轄に、すぐにも天国の情景を俗世へと顕現し、大同(皆が同程度の生活をする)の世をすみやかに打ち立てる事を提案しました。


 そこで、その霊通の任務の遂行に耐え、支障の無い人物を探してみると、聖筆以外には見当たりませんでした。故に「 天堂遊記 」の著作の任務を聖賢堂に命じました。
 旨が到達したその日、済公活佛のお導きで、聖筆楊生に天界を霊遊させ、景色をたっぷり拝見させ、道を訪れ世に警告を発し、聖典を早く完成させ、天下の衆生に「地獄の苦しみ、天国の楽しみ」を知悉させ、人々が善道に歩み入り、天梯を登り、青雲の聖域まで直接に向かわせ、共に逍遥の楽しみを享受できる様になる様に命じます!
 「 天堂遊記 」は、自動書記の日毎に著作し、完成するまでとします。同時に三界の各関所には、遊生が来たら、開門してこれを迎え、著作に協力する様に命じておきます。もし命に違う者あらば一律に厳しく罰せられ、赦される事はありません。

 諸生が一途に忠実で誠実で共に大道に於いて助け合えば、億万の勲功を打ち立てる事も、ここから得る事ができるのです。

 書物が完成した日には、功をかんがみて表彰しましょう。神も人も命に従い違う事なき様、朕は命じます。



 太上無極混元教主    元始天尊  降臨

 序

 書にいわく・・・ 「 物には本来があり、事には初めと終わりがある。 先と後の順序を知れば、これすなわち近道なり! 」
 人生は一体どこから来て、死んだ後はどこへ向かっていくのか?
 古今の聖哲徳のある者は天地を配し、道は古今を貫き、天地の鬼神の事を測り知り、故に天に代わり道を伝え、疑問を解き、人類生死の謎を解明しました。

 宗教とはまさに人が生まれて来て死んでいく道をくぐり抜ける門であります。 故に物欲が洪水の様に氾濫している世においては、宗教教育以外には人類の心霊を浄化し、真に立ち返り素朴に返し、善を明らかにして原初の境界にかえさせるものはありません。

 又、宗教理論も教主の死去から日が経ち、かつてあった経典理論と詮釈も、現代の実証を重んじる人々にとっては、空虚でとらえどころがない風に感じられます。 故に物質が満ち溢れ、精神は空虚な世にあっては、人類の精神はよりかかる所がなく、贅沢故の犯罪行為も自ずと急激に増加しています。

 ヨウ池老母と玉帝はこの事を鑑みて、特別にヨク旨を下し、玉旨は済公活佛が聖賢堂の聖筆である楊生にまず各地獄を見学させ、悪人が報いを受けている悲惨な様子を洩らし「 地獄遊記 」を著し、悪の流れをくい止める柱としました。


 善行を勧める為、天に登る梯子を下し善徳なる者を天へと登らせ、世俗の外で自由自在に遊ばせ、今再び天国を遊歴させ「天堂遊記」の著作を完成させ、善人が天に昇り自由自在である様を伝えさせます。

 太上(感応篇)に曰く、「 禍と福には門は無く、唯自ら招くものである。善と悪の報いは影の如く形につきまとう。 」
 二冊の遊記の中で最も優れた描写であります!
 人は天から生まれ、死ぬと天へと返る。 これこそ平坦な正道であります。

 霊魂が善き終わりを迎え、宿に戻り安息を迎え永久の生を受ける事を欲するのならば、平坦な善なる道を一途に邁進するしかありません。
 書の中には天国の美しい光景を伝える事以外にも、諸々の天人、仙人などの機に応じた説法などが、天花爛漫、金蓮が地から湧き出るが如く、大道玄機が残す所なく盛り込まれております。

 衆生は幸運にも、この書物に巡り合えました。静かな心をもって研読し、霊性の沐浴を浴び、帰依する所を知る事を望みます。
 天国へ行くには道があり、進むべき道は真にこの道なのです。

 衆生が原来をはっきりと悟り、無極を共に登る事こそ願いであります。

 元如天尊  降臨   謹序

  天運庚申年十二月十六日


 無極ヨウ池金母   降臨

 序

 よいかな! 無極が生んだ諸々の原霊達よ。 洪水が荒れた際、現世に降臨し、人の世を開拓し、最初は天性は純真で本来を忘れませんでした。 世に生まれ死すと天に帰りました。が、その後塵に染まる様になり、日毎に深くなっていき、霊の明るさも徐々に失われてゆき、久しくして本来の天上故園を忘れていきました。

 愛欲の海に沈み迷い、塵土を楽園とみなし遂にはどんどん沈んで行き、罪行が積み重なり、罪悪の身を形成するのでこれを煉磨し浄化し、天性を回復する為に地獄を設けて待たねばならないのです。

 迷える人々を広く救う為に母はかつて観音及び諸聖の身となって現れ、困っている人々を探しては苦しみから救い出し、縁に従って現れました。

 今は、科学技術が盛んな世で、天を奪う程の術があります。

 惜しまれる事に、道徳は再び昔に整復する方法は無く、霊性は日に日に物性に向かい、罪状の記録は万巻にも及び、地獄は満客の勢いで本当に嘆かわしい限りであります。

 母は万物は同じ源から発し、何千の被造物は一つであるのに、衆生が本性から迷い、正しい道から踏み外し、更に罪を重ねている事を忍ぶ事ができず、済公活佛に聖賢堂の楊生を導いてもらい、地獄を霊遊させ事例を収集し、地獄で罪深き魂達が苦しむ様を世に知らしめ、罪の源を阻み、人類の欲望を浄化する事を命じました。


 今、再び「 天堂遊記 」を著すヨク旨を下し、楊生を連れて天界を霊遊させ、天国の美しい光景を人間界にも顕現させ、人心が善へと向かう様、霊性を昇華させる様、人格が高尚になる様、人々に依拠する所を知らしめ、身体を失った後霊性が無極天堂へ生まれ変わって自由自在になり、再び輪廻する事なき様にする事を願っているのです。
 一年半余りが経ち、楊生は様々な困難に遭遇し、足跡は諸天を遍く巡り、今やっと書は成り、母の心はとても安心しました。
 ヨウ池の(虫+番)は正に熟し、諸子が遊記を閲読し、本来を悟り聖徳に励み、大いなる道を修めるなら、栄える世に憂いなく生き、死せば極楽天堂へと返り、そうしてこそ母イロの望む心に背かずにすむのです。
 これをもって序とします。

  無極ヨウ池金母降臨     謹序
                天運庚申年十二月十六日

 観音大士  降臨

 序

 如来は慈悲をもって教えを設け、無量の法門を広く開きました。
 フーチ(自動筆記)の門は仁愛を懐に抱き、天下の衆生を普く救い、同じ手法をもって違った曲を創り、皆その地方の実状を鑑みて、適切な方法を下し、衆生を救う為に適切な法を立てました。
 吾は衆生を救い尽くさねば、成仏しないという宏願を誓い、衆生を救い尽くす事を欲し、無量の法力を常に用い、単に昔の経典の成就した所のみならず、新しい知見、新法をもって、時代の諸問題に対応し、処方を施してからやっと、現代の衆生の病原を断つ事ができ、万病回復の成果を収める事ができたのです。

 古来より、天国と地獄の説は人々の心に深く刻みこまれてきましたが、残念な事に経典の記載も、民間の伝説も皆あいまいにして断片的で、全貌を見渡すには不足していて、世に警笛を鳴らし衆生を救う経典には到らず、世の人々が三途六道を絶え間なく輪廻し続け止まる所を知らしめるまでには到っておりません。

 諸天仙佛はここを鑑み、三曹聖会において天堂の有様を世に洩らし、世人の修道にあこがれる心を起こし、天道を守らせ、各自が望む憂いなき自由自在の浄土である天堂に昇らせる事を一致して決定しました。

 「物の効用を用い尽くしたければ、まず先にその器を鋭利にしなければならない。」といいますが、三界を霊遊するに相応しい俗人を選ぶのは容易な事ではありません。世を救いたいという宏願以外に善の根と知恵と清明な霊性を有していなければなりません。

 この神聖で重い任務に耐え得る者を探してみると、推薦で選んでみた結果、聖賢堂の聖筆である楊生が最も相応しいという結論になりました。

 それゆえ、已末年五月五日に済公活佛に楊生を導いて頂き、三界を霊遊させ、唐の僧が印度に赴き佛教経典を取りに行ったのにならい、道を訪ね、法を求め、後世を教化し、荒波をかいくぐり今日やっと書は完成し天下には又一つ衆生を普く救う宝典が増え、諸天は賞嘆せざる者なく、六道は争って吉報を報告し合って喜び、輪廻の路上に覚路を開き、茫々たる苦海に明燈を放ち、衆生は三阿僧祇劫を経て、今日縁が至り、この書を読む事ができ、三宝池、儒者が聖人となり道者が仙人となり、釈者が佛となる確証を得、天人は皆大いに歓喜し、たたえ続けて已む事はありません!

 遊記は完成を告げ、三曹は光華を大いに放ち、地には遍く金の蓮と霊芝が浮かび上がって現れてきました。
 吾の心は歓喜し南海には又一つ大いなる慈悲の航海が増え、衆生を救い出すという宏願は、日に日に成就して行っている事を見るのはまことに喜ばしい事であります。

 宝典はもうすぐ刻板に刻まれます。数語を述べるにとどまり、聖徳をうたいたたえます!

 南海観音大士降臨    謹序

 天運庚申年十二月十六日



 第三十三回  忠義殿、孝子殿を訪問する

            歳次庚申年十月初六日

 済公活佛 : ヨウ池ヨク旨 、 金ケツ玉旨は既に頒布され「 天堂遊記」の書物はもうすぐ著作が完成します。 天堂の路上には、黙々と耕す者が終わり善き帰宿を見出しております。路とは人が歩いて来た道で、世の人々は道を歩く時は、善悪二つの道があります。
 慎重に選んでください! 善の道を歩いて辿り着く光景が「 天国 」で、悪い道を歩いて辿り着く光景が「 地獄 」です。
 あなたが今歩いている道はどちらですか? 「 天堂、地獄 」の二冊の遊記を読み終えたら、衆生は皆審査員となり、将来天堂に行けるか地獄へ落ちるか、分かるでしょう! 仙佛も閻魔大王もただ、あなたの意思によってあなたを迎えるだけなのです。
 閻魔大王を冷酷無情であるなどと間違って非難してはなりません。

 無道の者に対しては、容貌をこわばらせて対面するしかないのです。この仮面も又、その者が閻魔大王に対して送りつけたものなのです。仙佛の慈悲と親切心に満ちた笑顔であなたに向けて手を振っている姿も、彼等の善意の容貌もその者が彼等に教えたものなのです。

 ですから、彼等の情愛に対して感謝する必要もないのです。 これら二つの違った容貌は衆生の真の姿を写したものなのです。あなたがどの様な模様に描くかは他の人が決めるものではなく、自分が興味を持った手法によるのです。
 老僧が話したこれらの話は、衆生にはしっかり聞いておいて欲しいものです。さもなくば、その時がやってきて再び私に話して欲しいと言われても、その時には老僧は既に「 涅槃 」に達しています。
 今日は楊賢徒を連れて天堂を再び訪問しましょう。準備してください!
 
 楊生: 私はしっかり座りました。恩師よ、出発させて下さい!
 済公活佛: 師徒は蓮台に乗り、三界を霊遊し説法は感動を呼び、衆生はそれを読み大喜びしています! ですが、その価値を理解しない者も又とても多く、彼等が好機を逸してしまうのを唯嘆くばかりです。 楊生さん、あなたはどう感じますか?
 楊生: 数年に亘って恩師のお供をさせていただき、沢山の善きお導きと益を受ける事ができ、又師について三界を巡る事もできて三生に一度あるかないかの幸運とも言うべきでしょう。

 蓮台に座り、軽く飄々として力を出す必要はなくとも、責任は重く道は遥かで一時も気を緩める暇も無いです。

 済公活佛: 開拓者とは本来、一種の自己犠牲なのです。小潅木のとげが満ち、傷痕から血が滴りますが、後ろを振り返ってみれば、新しくできた道路には既にこれだけ多くの通行人が来ています。それを見れば自ずと楽しさに「苦笑!」し、しばらくは安心し慰められるでしょう。

 楊生: 恩師のおっしゃられる事はごもっともです。自分を安心させ、衆生に道を与えてこそ人生の旅も価値のあるものとなるでしょう。
 済公活佛: 着きました。早く、蓮台を降りてください。
 楊生: 今日着いた所はどんな所なのでしょう?
 何故、前面の人々は皆たけだけしく威勢よく、普通の人々と様子が違うのでしょうか?
 済公活佛: ここは三官殿に属する「忠義殿」です。先程あなたが見かけた人々は皆、国の為に忠義を尽くし、犠牲となられた方々で、死後を天界に昇られ神となられた方々です。我々も前に行き礼拝しましょう!

 楊生: ・・・ 既に殿の内に到り、沢山の軍服や官服を身にまとった人々が殿の中に座っておられます。彼等がいかなる人々であるのか分かりません。

 済公活佛: 古来より、忠孝心あつく、節義のある者は、皆天界へと昇り神と成ります。中殿の中に座っておられる者は岳武mu王―岳飛であられます。その他の者は皆、古今の忠臣烈士であられ、彼らは国の為に命を犠牲にしたので、死後は霊は天界へと昇り、万古より伝えられております。もうお一方は世にあった頃より清廉な役人で、わいろなどを受け取らず、民の為に尽くした者で、死後は天界へと昇られ神となられたお方であられます。


 忠義殿の中で各庁処で自由自在になされ、各天に行かれ聖職を担当なされております! 「 正直で無私な者、これを神と言ふ。」と言います。 彼等は正直で無私であり「公道」を習い修め、道が成る日もあるでしょう。 天界もそういった人材を必要としています。それゆえ、世で神を拝む人は例えば、「かくかくしかじかの私の願いをかなえてくださるのなら犠牲の礼拝を以って感謝させて頂きます」などの交換条件を決して付けてはなりません。

 この様な願いは正しき神は収める事はできません。神は公に事を行います。ただ衆生の誠の心に応じて感応するのです。 楊生さん、岳武mu王に請示を請うてみますか?
 楊生: 岳武mu王及び諸々の聖賢義士の方々に敬礼します! 天界の生活の情景はどの様なものなのでしょうか?
 岳武mu王: 我はもともと霊の天界に居り、玉帝殿の前において政治を補佐しておる者なり。今日は特別に忠義殿の中で談話をしておった。天地は本来一つの気勢の維持連繋関係にある。現在の科学が発達した時代に世の人々の道徳は堕落し、邪悪がはびこり、天地の元気は日ごとに喪失していっておる。故に災いは積み重なっておる。
 

 我は世の人々が孔子の聖訓・・・ 「 正心、修身 」を以って処世の法則となす事を願っておる。公務に就くにはわいろや汚職の掟、公費の浪費などをしてはならず、各業者は自分の職務を厳正に守り、人々は祖国に忠愛を尽くし、国の領土を守る為には命を犠牲にする。
 これこそ道に殉じて死すという事で、関聖の「 丹心、日月を顕わにし、義気、乾坤を貫く」の如く英霊は必ず天界に昇り、今に至って各地で廟が頻繁に設立され、世の人々の崇拝はやむ事はなからん。
 故に衆生には「 家を愛し、故郷を愛し、更に国を愛す。」る事を願います! 秦檜の様に邪悪でこびへつらい善良なる者に危害を与える者は数十世を経て豚になり、今なお阿鼻地獄に監禁され、人間として生まれてくる事さえできないでおります。天上界は「 忠実かつ善良なる者」を好み、地獄においては「不義なる者」を監禁します。
 故に世の人々は国を害する事などしてはならぬ。 さもなくば現世においては人々にののしられ、死後は地獄に末永く落とされん。

 楊生: 「忠孝節義」は中国伝統の美徳であり、又聖筆の門が提唱する宗旨でもあります。 修道も又まさにこの「 忠義節義 」の大道を修めるという事であり、これを離れては修めるべき道もありません。おお!前面の壁の上には位牌で埋められています。それらは皆歴代の忠臣烈士の名前が書かれております。 こうこうと光を放っておりますが何故でしょうか?

 武mu王曰:これは忠臣義士の神位なり、忠義の士は皆上天界に全て名が連ねてある。 つまりは「 英雄録」なり。
 彼等は既に天に帰り極楽を享受されておる。



 済公活佛: 時間に限りある故、他の所を訪問しましょう。ここで失礼させて頂きます。
 楊生: 岳武mu王様、失礼します。
 済公活佛: 楊生さん、私について来なさい。前面には「 孝子殿 」があります。 孝行で成道なされた仙真の方々を参拝しましょう!

 楊生: かしこまりました。 師について殿門を歩き出て、外に向かい歩いて行きますと、雄大な建築物があり、上の看板には「 孝子殿 」の三つの字が嵌め込まれており、とても壮観な眺めです。

 済公活佛: 忠孝心は人倫の首であり、世の人々は必ず守らねばなりません。 さもなくば「 罪人逆子 」となってしまいます! 前面の孝子殿の中は皆、孝子、孝婦ばかりです。 前に行って参拝しましょう。

 楊生: かしこまりました! 殿の中に進み入ると、沢山の慈悲深い善良な男女が、ある者は古装及び現代風の衣服を着ています。今丁度中に座って将棋を指したり、お茶を飲んだり、琴を弾いたり、とても優雅な風情で、かれらはどういった方々なのでしょうか?

 済公活佛: これらの方々は古今の孝子でして、老若男女全て含まれております。二十四孝の故事は今にまで伝えられ今尚、人々の教訓を与え続けております。世の中の孝子は誰でも死んだ後は三官の調査を経て、孝子殿へと昇り自由自在にたわむれております。 特殊な功徳のある者は、更に各天へと昇り、道果を享受されております。
 壁には孝子の位牌で埋められており光を発しております。これが「 孝子碑 」であります。 世の子供達は両親には孝行をし従順でなければなりません。 先人が世を去られた後、更に丁寧に葬儀を済まし、遠くまで慰霊をしに行かねばならず、時に応じて参拝、墓参りなどでもって祖先が養い育てて下さった恩に報い答えなければなりません。

 楊生さん、孝子の方々に世に居られた頃の親孝行を尽くした情況を尋ねてみなさい。
 楊生: わかりました! そこの孝子の方にお尋ねしたいのですが、あなたの親孝行を世の人々に話して頂けないでしょうか?
 孝子: わざわざお話するのも恥ずかしい位です! 私はただ、子としての責任を果たしてきただけです。世に居た頃を思い返してみると、家境は貧困で、母親を早く亡くしております。
 父親は飲酒の悪習に染まり、高齢の祖母も居り、父は酒を飲んだ後、支離滅裂となり、いつも祖母に悪口を加え、私はそういったときは極力説得して止めに入りました。

 ところが、逆に父から殴られたのです。それでも痛みを忍び怨みもしなかったのです。 祖母は年老いて体も弱く、食事をしても味もよくわからない程でした。 私は仕事の収入で、こっそり食品を買い祖母を養いました。父は酒の飲み過ぎで50歳の時、ついに肝硬変にかかって亡くなりました。 この時に、私に祖母と助け合って暮らしていく事や、毎日人をやとって雑事を手伝ってもらう事、お金をかせいで祖母につかえ養う事、老祖母を養う人が居なくなる事を心配して他の家と親戚関係を結ぶ事などを言い残しましたが、私はそれらを聞き入れませんでした。
 祖母がこの世を去る時、私は既に38歳でまだ独身でした。雑役をしながら自活し、倹約に努め身はこの様な境遇にあったので貧乏人の苦しみが体に深く刻まれました。 そこで節約して貯めた金銭を貧苦な人々に分け与え、自分の手元には残しませんでした。

 60歳で世を去り、真霊は観音大士のお引渡しを受け、南海紫竹林にて修練し、今は既に果位を証得する事ができました。
 私は「 孝道 」を修行し成果を証明したのでいつも孝子殿に来て、縁ある人々と接引しています。
 今日は楊善生さんがここにいらっしゃったので、自分の小さな親孝行を世の人々に告げたのみです。世の人々が私の姿から学び、親や年長者を敬い孝行される事を願います。
 古に言います。「 家が貧しければ、孝子を出す。」と。世間に於いて刻苦して犠牲になるのは、ほんの一時です。天上界で享受できるのは、無数の歳月です。


 楊生: あなたの孝行心は人を感動させます。あなたにお辞儀します!
 孝子: 何も頭など下げる必要はありません! あなたの頭には霊光円陀が光を発しておりますから、きっと誠実で敬虔な修道者とお見受けいたします。あなたが、孝道を発揚し、衆生を広く解脱へと導かれる事を願います。
 楊生: お言葉を頂き感謝致します。 御開示に従って孝道を広く発揚し、中国固有の美徳を提唱せねばなりませんね。
 済公活佛: 時間はあまりありません。 堂に戻る準備をしましょう。
 楊生: 私は既にしっかり座りました。恩師よ。戻りましょう!
 済公活佛: 聖賢堂に着きました。 楊生さん、蓮台を降りて下さい。魂は身体に戻りました。




 扶ruan霊通の原理

 桃柳の一つの枝で、どの様にして神化を顕す事ができるのでしょう? 全く不可思議な現象です。 柳に縁のある者は六renの質であります。外側は陽で、内側は陰で月日に伴って生長し、柳の節の中には八卦の形が現れていて、諸々の木の中では最も神聖なるものであります。柳は三つの徳を具えております。

 (一)葉が地を向いている。―礼なり。
 (二)枝はまっすぐに伸び、天を向いている。―勇なり。
 (三)根の中の根が土の上に出ている。―仁なり。

 これらの性質は他の木にはないものであります。 柳は義を尊びます。柳は初めて生えた時、葉は東を向いています。どこに生えても皆そうなのです。これによって神農大帝を偲んでいるのです。これが義です。
 神農大帝が世に生きておられた頃、柳だけを吉祥の木とみなしておられ、桃は不吉の木と見なしておられました。故に桃柳は神性があると見なされているのはここに由来があるのです。
 既に神性があり、加えて正しき聖筆の手の助けをかり、経を念じ呪文を唱え、神が降りてこられるのを請い、願が遂に通じすらすらと自由自在に筆を振るう事ができ、又の名を「 聖筆 」といいます。

 世の人には扶ji(自動筆記)は天仙上界の聖佛が降臨して記述したものではなく、鬼霊邪神の類が仙佛の名を借りて詞を託し世を救っているのだと疑いをもっている人も居ます。

 断じてその様な事はありえません。 聖佛神が扶jiの際、本当に降霊し、その御言葉は全て典拠があり、勧世の句に適っていて、大道を修練する稀なる機会であり、妙なる事この上なく、神秘的奥深さは深遠であり、決して鬼霊邪神のなせる所ではありません。


 ruan教の国家社会への貢献

 科学技術が発達してきて以来、人類は物質の享受を追求し糜爛した生活を養成し、精神の空虚を醸成し、これにより社会の風紀は著しく腐敗しています。又、宗教が本来持っていた経典は難しすぎて分かり難く伝道者達も又、時代に対応して救う道を教えているとはいえず、それどころかお互いに非難しあって天の和を大きく傷つけている有様であります。
 歴代の諸々の聖賢はこれに鑑みて扶jiによる法の伝達によって布教する道を発明し、述べる所の真理は時機に対応し、人々は皆これをよく理解し、修める事ができます。又、神験は次々に現れ信服する者は日に日に増えて、聖筆の門の子弟は歴代聖賢の忠義の教戒を持し、皆国家民族意識に深く富む士であり、常日頃から己に克ち、修持に工夫し、かつ聖神仙佛が述べた経典善書をお互い競う様に印刷して贈り世に勧め、社会の風紀を改造し、中華文化を復興させる為に余力を残さぬ程努力しています。

 普段から社会公益、建設などに資金を寄付し、貧困者の為に福を為し、医薬を与えて人を救うなどの善挙に熱心で経典を奉じて神賽会は迎えず、鮮花や果物などをもって敬虔に礼拝し、国策にかない、民俗を改善し、善を勧め世を救う事に尽くし、一群の黙々と耕作する宗教的耕作者という事ができます。それらは無形の内に社会の治安を補助し、国家に貢献する力であり、本当に軽視できない限り無きものがあります。



 台湾における扶jiの概況

 扶jiの挙について考えてみるに、周の平王の時代に創立され、漢の明帝の頃に到って天運壬戌年、文昌帝が復興させ、今に到っております。既に二千七百四十九年の歴史(1968年当時)があります。
 台湾省の扶ji業務が基礎を築き、澎湖が最も初期のものであります。もとをたどれば福建泉州の公善社にたどり着きます。
 当時の地方の文人学士達は天に祈祷し災いや患いを取り除く為と人心を正す為に、同治三年(1958年)六月初三日、馬公においてまず「普勧社」を開き、南天を崇拝し、文衡聖帝は太医院に関わり、二名の恩主を慈悲深くも助け、沙盤と木筆を初めて設置し、時には扶jiをふるい、時には講義を開きこれを人に勧め、神も人も等しく楽しみ、広く善挙を行いました。(1925年)正月13日に「一新社」と号を賜り、これをうけて「楽善堂」を設立されました。

 1921年に「覚悟選新」一書を著し八巻に分かれ、全省で最も早く著された扶jiの書であります。
 「一新社」の自動筆記の聖堂を創設

 恩主の顕化を仰ぎ(1911年)五月、清水化丹を以って世を救い、阿片中毒の弊害を取り除き、苦しんでいる無数の人々を救いました。一時は国内外まで評判になり、澎湖の各郷社の大きな反響を呼び、続けて聖筆の堂が数十ヶ所余り設けられました。同時に本省北部の例えば、淡水鎮屯山古聖廟(仙公廟)、行忠堂、 yi蘭碧霞宮、頭城喚醒め堂などが相継いで聖筆の堂を開設し、教えを述べ、行忠堂の「忠孝集」碧霞宮の「治世金針」、喚醒堂の「度世慈航」などを著作し、今では(1968年)既に80余年が経ちました。

 ついで本省中部、南部、東部で到る所に聖筆の堂が設立され、著作や宣化や救世や救民などに携わっておりますが、その宗旨はもとを正せば同一の源からきているのです。

 中日甲午戦争になると、台澎は日本に割拠され、日本は皇民化運動を推し進める為、聖筆の堂の創立、四書五経等を教本とした講読説法は大漢民族意識に深く富んでいて日本の警察はこれをひどく嫌い遂には扶jiを禁止する令を発しました。

 当時の紳士信者の人々は表では従っているフリをして実際は自宅の奥まった所や山洞の中で密かに扶jiを続け、人々を救い世を救う事業に中断することなく携わっておりました。

 台湾が復興し、台澎は再び祖国の懐に戻り、宗教信仰の自由を取り戻し、聖筆の堂の設立は雨後の筍の如く、まさに到る所に堂が開設されました。方々で教えが述べられ一世を風靡する有様でした。

 今に至っては台湾の聖筆の堂は訳500余りになり、経典善書は300~400種にものぼり、全て無料で各界に贈り、社会国家の治安の維持に対して卓越した貢献をしています。

 加えて近年来人々の生活は向上し、世の道に関心を寄せる善士も多く、献財や協力を惜しまず、皆で協力して扶ji説法事業に尽力し、神聖の顕現、現代の人々の需要に適応する聖賢の真理を布教し、信者は日々に増し聖筆の教えの前途はまさに輝かしい未来が現れ、国家と人々の福であります。







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