連休も明けるので早寝の予定でしたが…
と、寝る前に再度PCに通知が。
大雨警戒レベルが4に上がっていました。
河川の近くにお住いの方はお気をつけくださいね。
朝から降っていた雨が、
夕方からはかなり強く降っていまして、
何だか今は「警戒レベル3」らしいです(^^;)
ワタシの住む辺りは低地ではないし、
近くに大きな河川もないのであまり心配はしていませんが
川の近に住む方などは少し心配ですね。
5月1日、卓球の石川佳純選手が引退を表明しました。
お疲れさまでした、と卓球を見に行ったこともないオッサンが贈ります。
卓球そのものに大きな興味はないのですが、
やはり福原愛選手が3歳頃からの頑張る姿には
普通に注目していましたし、活躍は目にも入ってきました。
石川選手もその福原選手と同様に30歳での引退表明でした。
日本代表としての活躍はさまざまな記事があると思いますので置いておいて…。
福原選手の愛らしい感じとは別のスマートさがあって
ワタシは密かに応援していたのでした。
下世話な言い方になりますが、
ここ数年、特に女性としての印象は、
ごくごく普通に学校の先輩にも後輩にもいそうな感じ、
どこかのOLさんにもいそうな感じ、
お店屋さんで、販売してたり接客してたりしそうな感じ、
電車の中で隣の吊革につかまっていそうな感じ、
…オッサンのヘンな妄想ととられかねないですが(^^;)
ホントに普通の女性として素敵に思っていましたね。
娘のような年頃ですけどね。
もちろん、アスリートとして身体のメンテナンスや
遠征に必要な語学の学習など、
一般人とはかけ離れた素晴らしい一人の女性だとは思いますが。
T.LEAGUEの選手としても引退なのかはわかりませんが、
いずれにしても、これから日本代表の卓球選手としては
石川選手の活躍を追いかけることはできませんね。
スポーツ選手もバラエティ番組などに出るご時世ですが、
石川選手はあまりそういったキャラでもなさそうです。
地道に指導者への道を進まれたりするのでしょうか。
石川選手にはあまり芸能人のようにならずにいてほしいな。
と、勝手な一人のファンの願望でした。
石川佳純選手、ほんとうにお疲れさまでした。
23時過ぎ。
ああ、昨日の今頃は東京の八王子駅前でバスを待っていたなあ。
そして、おとといの今頃は阪急梅田付近でバスの乗車待ちだったなあ。
今日は家で風呂からも上がり、寝る前のPCいじり(^_^;)
同じ夜なのに、毎日違うところにいた3日間。
あちこち移動していた昼間よりも、
こうして落ち着いた夜のほうが不思議な感覚に陥ります。
もちろん、昨日の昼頃は懐かしい友との再会があり、
今日の同じ時間帯は仕事に向かう電車内だったし。
こうして、あっと言う間に思い出になっていくんだなあ、
なんて今さらのように思っているのでした。
で、大昔の彼女の誕生日であったことも
もちろん思い出していました。
さっちゃん、63歳おめでとう(*^-^*)
もうおばあちゃんになっちゃったかなあ。
DAZNでサッカー観戦でしたので、
いつもは17時からのシフトですが、
18時に変更させてもらったアルバイト。
忙しくて、結局1時間延長で22時まで(^_^;)
あ、忙しいというのは人手が少なかったからでもあります。
ただ、高校3年生のNクン。
彼がホントにできた子で、動きがいい。
そして、ワタシを含めた他のヒトの動きをきちんと見る。
「あ、あのヒトがアレをやっているから、自分はコレをやっちゃおう」
「あのヒトがコレをやったのは、次にアレをするためだな」
そんな察しがものすごいできる子なんですよ。
ですので、忙しさでバタバタはしていましたが、ストレスフリー(^^)v
だって、途中でテレビのチャンネルをバラエティ系に変えようとか、
レジのドロワにたまった千円札を束ねておこうとか、
ほんの少しのこともやっているヒマもない。
いやあ、頑張ったわ、自分。
(もちろん自分だけではアリマセンが)
先日、お出かけした月曜日の朝。
ひさしぶりに強烈な“こむら返り”に見舞われました(T_T)
早めに家を出るので5時過ぎにアラームの予定でしたが、
4時半頃でしょうか、気配に目覚め、
(そう、「来るぞ来るぞ」があるのです)
何と左右両方の太もも、というか膝上の裏側でした。
片側だけなら、何とか筋が硬直したほうの足が楽になるように
逆側の足や身体で支えたりするのですが、
なんせ両足ですからねえ(^^;)
ただ、痛みというか強張りがひどいのが右側だったので
のたうち回りながらも、何とかさすったりして耐えます。
でも、その間も左側はピクピク筋が痙攣したりして、
今にも筋がピキーンとなりそうで
ホントに生きた心地がしませんでした。
で、右側が少し治まってきたので、
今度は左足をさすったりして、
でもそろそろ起きておかなきゃと、
左足は伸ばしながら起き上がります。
このころには右足はすでに痛みもなく、
左足(膝下の裏)のまだ硬直した筋をマッサージ。
時間にしたら10分も経っていないんでしょうね。
いやあ、地獄の10分でした。
ただ、実はこれで終わりじゃなかった。
鉄道旅行に出かけて結構歩きもしましたが、
左膝裏の筋は痛みが残っていたのです。
で、列車の中でも、今にもまた攣りそうなまま、
ビクビクしながら乗っていたんですね。
すると、帰りがけに少し乗車した新幹線、
その中で左足が攣ってしまったのです。
これはまいりました(^^;)
新幹線を降りてホームで左足を伸ばしてたヤツ、
それはワタシです。ハハハ。
で、翌日も膝裏の筋は触ると痛い。
仕方ないので湿布を貼って、次の日も遠出していたのでした。
帰ってからネットで“こむら返り”を再度調べてみましたが、
ひどい時には靭帯を痛めることもあると怖い情報も。
いやあ、今回のは靭帯に影響があったな、絶対。
そして日が経つにつれて太ももの脇、
そして左の腰あたり、左の臀部、
そんな感じで痛みが腰のほうに上がってきています。
今日もまだ、腰?いやお尻の横辺りが痛いまま。
お知りに湿布貼って仕事に行く始末でした。
これはきっとつながった一連の筋なんでしょうねえ。
今日もまだ、左のお尻は痛いままだったのでした。
自分で自分の誕生日のことを書くのもどうかと
毎年思っていますが、今年もやってきてしまいました。
生んでくれたヒトももういないし、
家族から何か言われるわけでもないし、
今年も一人で日帰りプチ旅行の予定です。
あ、今日は大阪ダービーですが。
さて、今年も既にユニパッチンを作成済みです。
この画像は各種のSNSでアイコンとしても使っているんですよね。
何かでこの「62」を見かけたら、見つけたゾってことで、
それだけでいいんですが(^^;)
さ、また一年、コツコツと粛々と生きることにしましょう。
今日はやるせない、せつない出来事がありました。
ワタシの勤務先の関連施設である高齢者介護施設なのですが、
そこの前施設長が亡くなられたのです。
昨年の夏まで仕事をされていて、体調不良から癌が見つかり、
休職だか退職だかされたのです。
その方が、伝え聞きではありますが、亡くなられた、と。
その関連施設については、
職場のPC入れ替えやら、大掛かりなレイアウト変更やら
2年ほど前から結構関わっていまして、
もちろんその前施設長ともいろいろと打ち合わせしたりしていました。
昨年9月頃に最後にお見かけしたのですが、
まだ、さほどシンドそうでもなく、
でも、実はワタシ癌で療養されるというのを知っていたので
なんだか、あまり喋れずに肩を叩くことしかできませんでした。
やるせない、せつない、というのは
その方がワタシと同年代だからです。
ワタシより8ケ月ほど若いものの、同じ61歳。
癌ねえ…。
やっぱりそんなに早く進行してしまうのか。
せつないなあ(T_T)
安らかにお眠りください。
もうシンドくないからね、西田さん。
合掌。
お店の混み具合はそれほどでもなかったのですが、
まあそれでも日曜日の夜の飲食店ですから
それなりに混みますわな。
それよりも疲れた原因は、店員の人数。
いつもよりも一人少ない状態だったのです。
もちろん多いばかりが良いわけではありません。
客商売は当然お客様の来店があるか否かで忙しさが異なります。
店員が多いときにヒマだと「やることないわ~」状態で
かえって“やること探し”で疲れてしまいます。
時間が経つのも遅く感じますしね(^_^;)
さらに人数が多くても、
息の合わない人が多くてもシンドいのです。
新人さん、というよりも、
少し仕事の流れを覚えてきたヒトに多い。
それぞれがそれぞれの仕事をしながら、
必要に応じて連携するのが効率的なのですけど、
別の人がやっている作業を「あ、手伝わなきゃ」と
ヘンに気が付いてしまう人は
寄っていってしまうことが多いんですね。
つまり一か所に固まりやすい。
それよりも「じゃあ私はこれをやっておこう」と
周囲に目を配りながら別の作業をしてもらえばいいのです。
飲食店の場合は、
お客様の来店があって、注文を聞き、
出来上がった商品を運び、レジでのお会計、
そして初期の片づけと洗いもの。
ホールの担当者はそんなことの繰り返しです。
例えば、私がテーブルの片づけをしていて
テーブル席をご希望のお客様がお待ちだとすると、
早くに片づけてご案内をしたいので、
手が空いているヒトは食器を下げること、
つまりお客様を受け入れる準備を
手伝ってくれればいいのです。
が、ヒトによっては、
ダスター(ふきん)を洗っていたり、
メニューを拭いていたり、はたまた
ご案内するお客様に出すお水を準備していたり…。
いや、今それじゃないでしょ、と。
早くに片づけて、お客様をお待たせしている時間を
短くすることを目的にしようよ、と。
ま、それなりに「次はこうだから、これをしておこう」も
考えているのだとは思いますけどね。
今日の忙しさは、人が少ないなりに
比較的うまく作業が回っていたので
ホントに人が少ないだけのシンドさでしたが。
なんだか、本業以外のバイトも
なんと14年目です(@_@)
大学生のバイトの子らが
小学校に入るか入らないかの頃からですからねえ。
そして当時のアルバイトの子らは、
もうとっくに社会人ですしね。
イヤイヤ働いていないからこその長続きですが、
小言おやじになって
若い子に嫌われないようにしなくちゃだわ、ホンマ(^_^;)
朝も書きましたが、
家を出て10mほど歩いた時に
ショルダーバッグのストラップがブツンと根元からとれ、
これまた重い本の入ったバッグをずっと手提げ状態で
持ち歩かねばなりませんでした。
何をまた重い本入れてんねんと、こんな時は思っちゃいます。
ま、それでも仕方ないことなので何とか職場に着いたところ、
ワタシの使用しているPC4台のうち、1台が起動しない(^_^;)
1台はweb用なので使えなきゃ何とかなります。
1台は古い業務システム用です。
これは、旧システム利用中のユーザからの問い合わせ対応用なので
特に問題なければ、ほぼ使わずにいるものです。
で、あとの2台は主たる業務で利用中のもの。
そのうちの1台が起動しない。ヤバい。
ただ、時間がかかって起動することはわかりましたし、
HDDを外して内容を確認したら、死んだわけではなさそう。
たぶんWindowsの起動に関連するシステムファイルのセクタが
一部読み込みづらくなっているのだと推測。
いずれにしても、これが調子悪いままだと仕事に影響が大きい。
メインのもう1台でチマチマ仕事しながらリカバリも並行します。
ところが、ここでまた問題が(^_^;)
HDDが死んでないので、
ディスク全体のバックアップができるソフトを使い、
イメージバックアップを行おうとしてみるも
「Back Up Failed」だとぉ??
あまりにシンプルなエラーメッセージなので、
これまた原因がわからず四苦八苦なのでした。
気持ちに余裕があれば、のんびりとメーカに問い合わせしたり
ネットで情報を探してみたりしますが、
昨日も(仕事とはいえ)雑務ばかりでしたし、
すべきことが進んでいないのでした。
はあ、疲れた。
利用者のPCのサポートやリカバリも疲れますが、
自分の道具(PCはそう呼んでマス)が動かないと
ホントに困るのです。
でも、今日はバッグを買いに行くミッションが最優先でーす(^^)v
いいや、帰ろうっと。シャットダウンでぇーい!! @職場
5000日と言っても全然ピンときませんが(^^;)
今日でgooブログを開設してから5000日になりました。
最近では、じっくり長文を書くことが少なく、
自分の中では“書きたい気持ち”と“ブログを書くことの見直し”など
いろいろと葛藤もあるのです。
ま、何より“ゆっくり書く時間”がないのが理由なんですけどね。
何度か書いたことがあるのですが、
gooブログの前に数年間書いていたサイトが閉鎖になり、
gooブログに引っ越したのが、2009年5月。
おー、それでも13年半も経っちまったか。シミジミ。
子供たち、特に息子との行動が多かった頃には
息子も「お父さんのブログ」を楽しみにしてくれたりして(*^-^*)
ブログを書く甲斐もあったものですが。
最近は、ただのジジィの日常ですからね。
どうでもいいっちゃどうでもいい(^_^;)
ただ、サッカー練習と一緒でケーゾクが力なり、と
ほそぼそと続けることにします。
今後ともよろしくお願いいたします。
それより、たまってる下書きを何とかしろよ!俺(-_-;)
昨晩のアルバイト時に「明日の夜は休みになりました」と言われまして(^_^;)
いつもはあの電車の中から見ているところに立ってマス。

もうこの歳になると人生で初めて、
と言うことで文字もブラウン(^^;)

高橋幸宏さんが亡くなりました。
わかりやすく言えば、YMO。
そして今、坂本龍一さんも、がん闘病中。
高橋幸宏さんが亡くなられて、
不謹慎な言い方とは思いますが、
坂本さんよりも先に…。
実は高橋さんも坂本さんも、
その音楽には特別な思い入れはありません。
ただ、YMOに至るまで、そしてYMO後の音楽活動、
いわゆる70年代に日本の音楽業界を、
表立つばかりでなく支えてこられた方々。
ワタシにとって高橋幸宏さんはミカバンド。
そう、今や伝説のサディスティックミカバンドのドラマーでした。
YMOではテクノと言われたシンセ系のドラムで
そのテクニックよりもライディーンの作曲者としてのほうが
注目されてしまったかもしれません。
と言うよりもYMOそのものが時代の先端であり異端でしたから、
個々の才能よりも、その存在に対する注目が高かったですし。
ところが二十歳そこそこのユキヒロさんのドラム、
ミカバンドでそのテクニックが堪能できます。
バンドではあるものの、加藤和彦さんとミカのバックで
高中正義さん、小原礼さんとユキヒロさん。
カッコよかったんですよねえ。
ユキヒロさん、70歳とのことでした。
またひとり、あの頃のアーティストが亡くなり、
いろいろなことが過去になっていきます。
お疲れさまでした。安らかにお眠りください。
くしくも13年ほど前に加藤和彦さんが亡くなった際、
サディスティックミカバンドの黒船のことを書いていました。
高橋幸宏さんのドラムのことも書いています。


やはり空が開けてていいですね。


つかの間の散策…いや買い出しは終了でした。
