少し前の朝日新聞・天声人語から。
その日のテーマは別件だったのですが、
こんな話が引き合いに出ていまして…。
紙コップやらストローやら身近にあるものを使って音を出す、
そんな実験教室が開かれたとのことでした。
参加者の大半は小学生とのことで、人の声が出る仕組み、
肺から空気が送られ、声帯で音が作られ、
のどや口腔、鼻腔などで響き合って声になる、
というようなことを学んだようです。
そんなヒトの身体の仕組みを知って、
ある男の子が言った言葉、
「すげーな、人間」。
そう、楽しく知識を身につけられる、
場合によっては感動すら覚える、そんな教室は楽しいですよね。
歳をとると、新しいことを知っても、
知ってたふうな態度や表情でいたりしますし、
無関心みたいな態度さえとることもあります。
そうなんです、
「おお、すげーな」
「ああ、そうだったのか」
と思うことはすごく大切ですよね。
いわゆる一般的な知識だけでなく、
知人・友人がそんなことまで知ってるのか、できるのか、といったようなことも
「そんなの知ってた」
「そんなの誰でもできる」
なんて顔するのはやめましょう。
私たちが知らない、できないことなんて
世の中には星の数ほどあるのですから。
「すげーな、人間」
うーん、名言だ(^^)v
ネット上で目にされた方も多いと思いますが…
5年前、家族旅行の車の中で寝ていた9歳の男の子が、
飲酒運転の車の衝突が原因で亡くなった記事を見ました。
富山県から福井県の祖父母宅に行き、
その深夜に京都へ移動していたときのことだったそうです。
悲しい、悲しい事故の記事でした。涙がこぼれました。
その中でその男の子は日記を書くことを習慣にしていて、
その事故の日、たぶん祖父母宅を出る前かどこかで書いたのでしょう。
楽しかったお休みの日のことが綴られていて、最後に
「あしたはもっと楽しくなるといいです」
という言葉で終わっていたとのことです。
ああ、今日は楽しかったなあ、明日は京都のお兄ちゃんに会えるなあ。
明日も楽しいといいなあ。
あした。
明日、明くる日、翌日…。
その子には来ることはありませんでした…。
明日を待つ、そんな気持ちで、でもごくごく普通に書いたのでしょうね。
そんなこんなを思うと、今もこれを書きながら鼻の奥がつんとしてきます。
ここでワタシはいったい何を感じたか。
明日を迎えることはないかもしれないから今日を大事に生きよう?
いえいえ違います。もう十分生きてきたし、
ワタシになんか明日が来なくてもいいんです。
そう、車を運転するワタシですから、
絶対に人の命を奪うような運転をしちゃいけない、ということでした。
子供たちに限りなくある明日、親の希望、
それらを奪うようなことは絶対にしちゃいけない。
当たり前のことかもしれませんが、
当たり前の「明日」をみんなが当たり前に迎えるためには
一人ひとりが普段からルールを守って独りよがりにならずに生きる。
それしかないですよね。
自分ルールがいつどこで他人に迷惑を及ぼすかもわかりません。
せめて、それを気にしていかなきゃ、と戒めのように思いました。
例えば制限時速30~40kmの市中の歩道のない道路。
30kmまでとか40kmまで速度を上げていい、ということではなく、
歩行者、特に子供がいたら。
遅いくらいに徐行してもいいんですから。
速度を緩めずにハンドル切ってよけるのではなく、
待てばいいのですから。
というようなことを改めて心がけようと思いました。
世間では相変わらず、高校生の自転車がトラックに巻き込まれるだの
登校中の児童の列に自動車が突っ込むだの、
子供たちの命を奪うような事故が毎日のように伝えられます。
心誠(しんせい)くんは、
歳の離れたお兄さん、お姉さんにも可愛がられていたとのことですし、
心誠くん自身もお兄ちゃん、お姉ちゃんが大好きだったようです。
そんなふうに、ごくごく普通に生活されていたご家族を悲しませちゃいけません。
子供の日記のひとことが
悲しく、悲しくココロニヒビキマシタ
心誠くん、安らかに。
沖縄慰霊の日。
沖縄での戦闘が終わった日とされています。
もちろん、気持ちの上ではそんな日には終わらなかった、
まだ終わっていない、家族を返せ、
それぞれの想いはあると思います。
素朴に考えると、敗戦した国の一部とはいえ、
相手国の施設が多くその地に残っているということに疑問はあります。
戦後25年を経てようやく返してもらった沖縄、
「返すかわりに、軍事施設は残させろ」
「軍事施設があれば、いざという時にはお前らの国も守ってやる」
手放しでは喜べない政治的なものもあったはずです。
ただ、「じゃあ返してくれなくていいです」とは言えないですよね。
条件を呑むしかなかったのかもしれません。
さて、小学校二年生の子が書いた詩、
「こわいをしって、へいわがわかった」が心に響きました。
怖い気持ちになったときに
お母さんにくっついてあたたかくてほっとしたことを
小さい子なりに平和として感じ、
その平和はポケット入れて持っておこうと思った。
「ぜったい おとさないように
なくさないように
わすれないように」
そう、子どもの頃のポケットって、
大切なものをなくさないように入れておくものでした。
手に持っているのがめんどくさいとかじゃなくて
ポケットに入れて、
ポンッポンッと叩いて「うん、あるな(*^-^*)」ってネ。
だから、平和。
今、普通に生きていることを「平和」として
その想いは、みんな心の中のポケットに持っておきましょう。
おとさないように
なくさないように
わすれないように
ガンバ大阪が10月1日に設立30年を迎えました。
記念試合やイベント、エンブレム変更など、
さまざまな取り組みがありましたが、
記事も選手だけでなく、クラブとしての方針など、
メディアもいろいろと取り上げていたようです。
その中で、設立当初から働くクラブスタッフへの取材もあり、
その記事に、感動的な言葉がありました。
いえいえ、そのスタッフの言葉ではありません。
記事へのリンクは貼っていません。
何年か経つとリンク先が消えてしまったりしますしね。
抜粋させていただきたいと思います。
そのスタッフが「ガンバ大阪が地域に根づくためには」と
頭を悩ませ、地域活動として学校などに出向くようになり、
子供たちと選手の交流が生まれ始めた頃。
選手のボールさばきを見て子供たちが盛り上がったり、
選手の話を集中して聞くことを先生や保護者が見てくれる。
そして、訪問した小学校で代表の女の子が、
「ガンバは近くにあるクラブだけど、
今日やっと私の心に入ってきました」
と、その言葉が忘れられないとの話だったのです。
ただスタジアムに試合を観に来てください、だけではダメなのだ。
相手のホームに行くことが大切なのだということに気づいた。
記事の一部にそんな内容があったのです。
「今日やっと私の心に入ってきた」
ワタシもその言葉に何とも言えない気持ちになりました。
どんな人づきあいでも、
近くにいるだけではなく、
もう一歩近づいて、相手の懐に入る気持ち。
そこからホントのつきあいが始まるのだと。
少し飛躍しますが、仕事でも本気で向き合うことで、
仕事相手にも認めてもらえるのだと。
「私の心に入ってきた」
ものすごい褒め言葉ですよ、これは。
かなり感動してしまいました。
こんなふうなことから、
もっと良い仕事をしよう、と思えたりします。
そして、先日書かせていただいた、
アルバイト先で褒められた話。
やっぱり、言葉で伝えていただいたら頑張っちゃいますよね。
自分の仕事のクオリティ、
これでいいのか、と思うこともしばしば。
でも「私のこの仕事、どうですか?」ではなく、
何も言わなくても相手が思わず
「いいね!」と言ってくれる、
それを目指していきたいと思います(^^)v
あまりこのカテゴリーで
取り上げたくはないのですけど、
今回は“悲しい言葉”です…。
3歳の男の子が、母親の交際相手の男に
熱湯をかけられて(かけられ続けて?)、
亡くなるという事件がありました。
その男の子が、その男と一緒にいるのをイヤがっていた、
と数カ月前に知人が聞いていたとされる言葉です。
言葉を覚えて、少しずつ会話ができるようになった
3歳の男の子。
そんな子に「誰かが嫌い」という言葉を言わせるなんて。
そんな子供に嫌われたからといって、
そんな子供に何か腹立つことを言われたって、
それはお前が嫌われるような人間だから、
それはお前がその子を叩いたりすることがあるから、
そうじゃないのか?
そもそも自分より力の弱い子供を
虐待するなんていうのは、
本人の心だけではなく、
生育環境、親との関係、
などに問題があるのだと思います。
言っちゃいけないかもしれないけど、
絶対に「親のせい」。
対等な大人同士、年が一緒の友達などと
喧嘩になってやりあう、
敵対している組織(ま、ヤバい系ですが)との抗争、
もちろん良いことではありませんが、
百歩譲ってそんな関係性ならばともかく…。
虐待はいつでもそうなんだ。
結局は弱いものいじめなんだ。
どこかのニュースサイトのコメントで
誰かが
「『罰は同じことをされて償わせる』のがいいのでは」
なんて書いていましたが、
極論であるとしても、ワタシは賛成です。
裁きということにおいては、
いろいろな意見もあると思いますが
人を一人でも殺したら、
同様の仕打ちを受けての刑罰。
同じことをされて死ぬ場合、死にきれない場合、
ケースバイケースかもしれないですけど。
これは書き出すとエスカレートして
残虐感が出てしまうのでやめておきます。
親の言葉遣いもホントに大切です。
親がまともな言葉をしゃべらないと
子供はマネをするので、
生意気な言葉をしゃべる幼い子ができてしまいます。
どんなに可愛らしい小さな子でも
親が家で喋っている言葉をそのまま覚えて、
「◯◯じゃねえよ」なんてことを口にしたら、
大人でも一瞬「なんだ、この子」となりますよね。
って、論点がズレちゃいましたが。
しかし、毎年毎年、同じような事件があります。
実の親の虐待もさることながら、
「母親の交際相手」ってのがホントに多いです。
シングルマザーが誰かとおつきあいすることは
まったく問題ないことですが、
自分は良くても、お子さんがどうなのか、
「子連れの女性は男性とつきあっちゃダメなのか?」
いえ全然違いますよね。
ただ、相手によっては、
子供のことなど目に入らず、
女性だけを求めてつきあう男もいるはずで、
子供を疎ましく思うようになるかもしれない。
そうなると子供は悲劇です。
じゃあ、男を見る目がないなどと、
女性を責めるだけでいいのか。
悩ましいところです。
人間がみな、弱き小さきものに優しければいいのにな。
スミマセン、支離滅裂ですな。
きっと、虐待が常習化していたか、
全然優しくない、この男のことが大嫌いだったのでしょうね。
「たっくん、いや」
自分をいじめる男のことを避けようと
3歳の子の必死の訴えだったのでしょう。
熱かったね、痛かったね、イヤだったね。
ごめんね、間違った大人に出会っちゃったね。
どうか天国で、優しい大人に出会えますように…。
ご冥福をお祈りいたします。
ネットの記事で見かけ、
共感を覚えました。
東日本大震災10年目のドラマに出演する
俳優の池松壮亮さんのインタビュー記事です。
ドラマの内容もさることながら
30代前半の池松さんがどう考えているかなど、
興味深いものではありましたが、
その中でもワタシは、彼の語った
「この国に生きる人間として
3.11は特別な出来事ですから」
この言葉に惹かれました。
もちろん、
実際に被災された方、遠くで危機感を持った方、
ボランティアに駆けつけた方、
想いも人それぞれでしょう。
でも、ワタシも同じ考えです。
以前に書いたことがありますが、
「ヒロシマ」
そう、この国は原爆を投下された国。
戦争と天災で意味合いは異なるかもしれませんが、
同じように思うのです。
「この国に生きる人間として」
たとえ行動は何もできなくても、
口に出さなくても、
それを心の奥底に思っていること。
それが存在したこと。
それを忘れないこと。
それだけでも大切な気はしています。
昨年の夏、新聞の読者投稿欄を見ていて
とても気になったものがありました。
切り抜いて保存までしてあるのです。
ある50代の女性の投稿でした。
全文を転載するわけにもいかないので、
まずは概要だけご紹介します。
女性のお母さんは女性が赤ちゃんの頃に離婚。
お母さんは祖父母に預けて働いた。
水商売、いわゆる夜のお仕事をされていたのだと思います。
少し大きくなった女性が、
電車の中でキャバレーの看板を見て
「ママが働いているところだね?」と
うれしそうに言ったので、
お母さんは恥ずかしかったこともあるそうです。
その後、小料理屋を始めながらも
あまり商売が上手じゃないお母さん。
お客さんはつけ払いも多く、
そんなことを見て
「大きくなったら働いて稼いで
お母さんを楽にさせてあげたい」
とも思ったそうですが、
その反面、
「手に職がないと水商売しかない」と
軽蔑をしたこともあったそうです。
でも今、女性は、誇りをもって
「どんな仕事でも恥ずかしくない」と言える。
一生懸命働かないことこそが恥ずかしいことなんだ。
という投稿だったのです。
ワタシのココロニヒビイタのは、
お母さんが水商売をして、女性を育て上げた、というところ。
実はワタシの母も父と別居状態で、
稼ぐために水商売をしていました。
いわゆるホステスだったと思います。
ある意味では高度成長の良き時代だったので
夜遅くまでお酒を飲む殿方も多かったでしょうから、
まあお金にはなったでしょう。
社交的だった母とはいえ酔客相手の接客など、
シンドくなかったとは言えないと思います。
ほぼ一人で兄とワタシ、二人の子供を育て、学校に行かせ、
はたまたプチ外食もしたし、旅行などにも連れて行ってくれたし、
子供としては、生活が大変だとはまったく思うこともなく、
兄もワタシも好きなことをやらせてもらえたのでした。
(ちなみに兄は演劇、ワタシは音楽でした)
この女性の投稿を読んで、
自分が親になったから解る子育ての大変さ、とか
仕事に貴賤はないんだ、とか
そういうことを今さら感じたのではなく、
単純に仕事とはいえ水商売で夜中まで働いて、
母親一人が男の子ふたりを育てるのは
やっぱりにシンドかっただろうな、ということ。
たぶん私の中にも
「お父さんが別のところに住んでいること」や
「お母さんが夜中に働いている」ことは
大声で友達には言えないこととして存在していました。
ただ、夜の商売だと母親は昼間は家にいます。
(学校に行っている午前中などは寝ていたと思いますが)
ですので、友達に「家にお母さんがいない」などと
言われることもなく、普通にしていられたのです。
決して水商売をしている親に
偏見があるわけでもないのですが、
子供ごころには、
やっぱり少し恥ずかしかったことも事実です。
と、そんなことを思い出させる投稿だったのでした。
さて、投稿者の女性、今は保育所を経営されていて
毎日頑張っておられるようです。
検索をかけてしまい、facebookも拝見しました。
通ってこられる小さなお子さんたちの
可愛い日常や成長などがアップされていました。
投稿の最後に女性は、
私が母親にあらためては言えずじまいだった
そんな言葉を書いていました。
そっか、次に墓参したらこれを言わなきゃな。
「ありがとう、ママ」
ハハハ、子供の頃は「ママ」と呼んでいたんですねえ(^^;)
そうです。ワタシはガンバ大阪サポです。
でも、このポスター、
いやコピーはココロニ、ヒビキマシタ。
神奈川県川崎市のブランドメッセージです。
最後の
「やること全てが挑戦になる。
楽しみでたまらない。
オレはそうなんだ。
キミはどうだろう?」
川崎フロンターレの中村憲剛選手。
引退したとはいえ、まだ40歳。
還暦間近のワタシでも、
「そうだよな、楽しんで挑戦しなきゃな。」
なんて思わせられます。
実際は楽しんでばかりもいられませんが(^^;) ハハハ。
全国の各自治体それぞれ外向けに
何かしらの取り組みをされているとは思います。
それぞれの地域に合わせたものや
観光客誘致をメインとしたものなどなど。
でも、こういった
「自分の住んでいる街を誇りに思うために」
も、もちろん素敵ですよね。
さ、春に向けて、そして60代に向けて
心を新たに何かできる、かな。
子供たちが通った中学校のホームページから。
今週からいよいよ通常登校が再開し、
授業を受ける生徒たち、そして部活などが
写真つきで紹介されていました。
そこに載っていた
校庭での部活の写真に添えた言葉です。
書かれたのは校長先生か、別の担当の先生か
そこは判りませんが、
先生自身の気持ちも絶対にありますよね。
部外者のワタシでさえ「良かったね」と
少しウルウルきていました。ハハハ(^^;)
学校に子供たちがいて、子供たちの声が聞こえて
子供たちは友達に会えて、先生に会えて、
もちろん勉強もできて。
先生たちも"教える"という自分の仕事を通じて
子供たちの成長をその目でみることができて。
もちろん、始まったら始まったで、
それぞれつらく苦しいこともあるだろうけど、
そう、普通に学校生活の始まりだ!
生徒も先生も、みんながんばれー!
部活ができる。
仲間と部活ができる。
感謝。
ありがとう。
yahoo!のニュースにも載っていたので
ご覧になった方も多いとは思いますが。
岡山県で学校帰りの夕方6時頃、
道路わきの用水路に転落していた高齢女性に
小学校から一緒で部活も一緒の
藤澤クンと四木(しぎ)クンが気づき、
連携して近所の人を呼んだり通報したりして
助け出しました。
こういう記事を見ると
世の中、というか若者たち、
まだまだ捨てたもんじゃない、と思いますが、
ワタシがこの記事でいいナと感じたのは、
四木クンが「藤澤が水路に飛び込む速さと勇気に驚いた」と言えば
藤澤クンが「四木は冷静だった」と返す。
そんな二人の称えあいでした。
もちろん、記者が話を聞いたときに
「僕がこうしました」なんて
自慢気に言うはずもないので、
その時の行動を説明する言葉を
記者が上手くまとめたのかもしれませんが。
それでも、友達の行動を見ていて、
照れながらも良かったところを伝えたのだとは思います。
子供らのちょっとした勇気と行動を
大人がきちんと見て、認めて、誉めてあげると
自分たちの存在に自信が持てるようになりますよね。
ココロニ、ヒビイタヨ。
昨日の新聞の特集記事にあった小田和正さんのインタビューより。
小田さんの活動は40年ほど追いかけてきたので、
活動内容ももちろん、お人柄も記事などから
理解できているつもりです。
でも、特に重い言葉ではなくて、
普段の会話でもさらっと出てくるような
こんな言葉に一番惹かれますね。
そう、これは自分の中でも思っていること。
全てがそうできないことも多いのですけど。
小さなことでもgettin' betterの精神です。
このあとの言葉に
「すると、毎回ハードルがあがってっちゃう」とも。
そうなんです。
でも、そこに挑戦する意義、
それをクリアしていく快感、もあるんです。
遊びでも仕事でも、
そんなところを理解してもらえるといいのですけどね。
「そこまでしなくてもいいのでは?」
というヒト、多いですからねえ(^^;)
京都アニメーションの放火事件で亡くなられた、
色彩設計担当の石田奈央美さん。
アニメのイメージを色を通して表現するという、
重要な役割を担当されていたようです。
「世界は美しいということを意識して
キレイな絵になるように試行錯誤しながら作っています」
ネットの記事で拝見しましたが、
ある映画のパンフレットに掲載された石田さんの言葉とのこと。
アニメというフィルターを通して、
きっと「私たちの生きるこの世界は美しいんだ」、と
アニメの世界を飛び越えて、美しい世界を求めながら
お仕事をされていたのではないかと、勝手に想像しています。
世界的に注目されるアニメに携わっていても、
現場の方々は日々の仕事をコツコツと黙々とこなすだけです。
そんなふうに、仕事に責任と誇りを持っていた方々。
ホントに悲しい出来事でした。
新聞記事のサイトを見ての転載です。
悲しく悲しく心に響きます。
埼玉県で昨年8月、部活に行くと出かけた中一男子が自殺。
後日、「今まで、ありがとう」と書かれたレポート用紙が見つかる。
顧問の厳しい指導が原因とも言われている。
母親の回想が悲しい。
「争いが嫌いでやさしい。ネガティブなことを言わない。」
でも、部活のことでは弱音を吐くこともあったらしい。
自殺の5日前の富士登山で
「俺、部活で体力ついたのかも」と登る。
当日も熱中症を心配してタオルを渡した。
中一の夏って、少し前まで小学生ですよ?
そんな子に自殺を思わせるって、どんな部活指導?
理想論かもしれませんが、
教師は、まず、
子供らが
「学校に行きたいな」「部活に行きたいな」
そう思わせる指導を心がけてほしいと思います。
何でもそうですが、
「頑張れ、よくなってるぞ」と励まし、
「ダメだな、何やってんだ」ばかりでは
イヤになるばかりです。
もちろん、教師側だって指導が伝わらなければ
イライラするでしょうし、ジレンマもあるでしょう。
でも、
きれいごとかもしれませんが、
生徒は教師の奴隷ではありません。
いろいろな生徒がいて、
いろいろな指導方法を教師も身につける、
そうあってほしいものです。
スミマセン、きれいごとでm(__)m
一部報道によると、
「メディアが殺到するから、不慮の事故で」
などと学校が保護者に伝えたとか…。
まあ、いますけどね、
責任転嫁、責任回避の大人たち。
悲しい悲しいことでした。
君ハ、ドンナ気持チデ
「今まで、ありがとう」ト、書イタンダ?
ツラカッタネ。
大人ガ、守ルコトガデキナクテ、
ホントニ、ホントニ、ゴメンネ…。
先日のガンバ大阪vs湘南ベルマーレの試合。
試合後の選手インタビューで、MF#6田中達也選手が…
「試合に出たら『やってやろう』と余計なことを考えずに
自分ができること、すべきことをやるだけです」(大意)
と話していました。
「余計なことを考えると空回りするので」とも。
この試合、走ってペナルティエリア深くまでボールを持ちこみ、
クロスボールを上げる、ということを
田中選手、ホントに繰り返していました。躍動していました。
どんな仕事でも当てはまることだと思います。
自分がやってきたことを認められて抜擢されて、
自分の能力以上のことをやってやる!と思いがちですが、
“いつもどおり”、も非常に大切なことだと思い、
ココロニヒビイタぞ(*^-^*)
大坂なおみ選手の言葉。
ネットで“異例の長文”などとニュースになったので
ご存知の方も多いでしょうね、
そう、女子テニス世界ランキング一位の大坂選手。
SNSで公開されたメッセージ、というか“気持ち”です。
最近、自分が目標にされていることへの驚きと嬉しさ。
きっとそんな立場になったことに対して
身が引き締まる思いなのでしょうけど、
それよりも「うれしい」「ありがとう」という
ピュアな思いが見えてきます。
日本語のたどたどしさが
メディアに取り上げられることが多くて、
あまり気持ちのいいものではありませんでしたが、
本人が素直に語った言葉、
ホントに人柄が見えてきます(*^-^*)
さて、英文のメッセージの中に
“if I'm too soppy haha…”という文がありました。
日本語訳では
“センチ(センチメンタル)になり過ぎてたらごめんなさい”
となっていましたが、
この“soppy”という単語、初めて知りました。
調べたら「いやに感傷的な」という意味でしたが、
ひとつ勉強になりました。
“happy”の対義語のような“soppy”なので
何となく想像はついていましたが。
「ありがとう」
大切な言葉だよね。