大悟の日記

DAIGO KOBAYASHI
-OFFICIAL BLOG-

大悟少年史 小学生篇 第二話

2008-11-21 | 大悟少年史
好評?だった連載の第二話です!
是非、読んでみて下さい。

週末の準備は万端ですので、
応援、宜しくお願いいたします!


それではまた。



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大悟少年史 小学生篇 第二話


サッカーを始めた翌年にJリーグが開幕。

この年、プロ野球選手になってジャイアンツに入るという夢が一転、
プロサッカー選手になって読売ヴェルディに入ると言い始めた。

ヴェルディVSマリノスの開幕戦は今でも鮮明に覚えている。

カズさんやラモスさんに憧れ、
覚えたフェイントを出来るまで何度も何度も練習して試合でやってみる。

僕にとってはそれが毎日の宿題だった。


現代のサッカーは
すごくシンプルで試合の流れが早い為求められる事も違うけど、
この時見て憧れたエンターテイメントなサッカーは今も忘れないし、忘れたくない。

一方、親父は全くと言っていいほどサッカーには興味が無く、
当たり前の様に毎日テレビを占領して野球を見ていたけど、
水曜日と土曜日はJリーグが放送されていたため渋々チャンネルを換えてくれた。

今思うと週2はビールが美味く飲めなかったんじゃないかな…。

だけど僕と兄貴は毎週2回のJリーグが待ち遠しくてしかたなかった。
2人でビデオに録画してテープが擦り切れるほど見た。


そう、僕には一緒にサッカーを始めた年子の兄貴がいる。
今回は少年時代を振り返る上で大事なこの存在について書きたい。


小さい頃から兄貴にくっついて歩き、何でも真似してやろうとしていた。だからサッカーを始めて最初のライバルは兄貴だった。

2人で買ったカラーコーンを家の前に並べ、
ドリブルやリフティングを競いあったり、教えあったりした。

休みの日は近くの保育園のグランドに行き、ゴールはブランコの枠で、順番にシュートとキーパーをやる。

これがまた、ただシュートを打つだけじゃなく、
色々なプロ選手のワンシーンを盗んだプレーからのフィニッシュ。

例えばカズさんなら5回位ボールをまたいでからシュート!!!

みたいな。。。


2人の間で流行ったのは
Jリーグ開幕元年に得点王になったラモン・ディアスの
鹿島アントラーズ戦のゴールシーンとフリューゲルス戦のループシュート。ちょっとマニアック過ぎたかな。。。


そんなことを毎週何時間もやってるうちにみるみる技術を身に付け、
気付くと2人共チームの中心になっていた。


そして4年生から入ることのできる富士市の選抜チーム(富士JFC)に選ばれ、これが僕のサッカー人生初の選抜入り。

毎週火曜日と土曜日の19時からの練習に参加するようになり、
益々サッカーへの情熱が増した。
兄貴は4年生から始めたせいで入る事が出来なかった。。。

だけど地元では兄貴の方が上手いと言う人もいて
何とも悔しい気持ちでいっぱいだった。
でも、それがまた上手くなるためのモチベーションになっていた。


上手くなりたい、1番になりたいと強く想い、
人一倍努力して練習したら必ず上手くなれるから、
特に小学生でプロを目指している子供たちには出来る限りボールを触って欲しいな。



話を戻し、

この頃から段々お互いを意識しだしたのか、一緒にボールを蹴ることが少なくなっていた。

僕が兄貴のチームに入って試合する機会も増え、
家に帰ったらお互いのプレーに対してケンカすることも多々あり、
良いのか悪いのか…とにかく本当にライバルだった。


振り返ってみるとやっぱり兄貴の存在が大きくて、
今プロとしてサッカーをやれているのは兄貴のお陰で、
プロサッカー選手っていうのは2人の夢だったから
いいプレーをする事で恩返ししたいって思ってやってきた。

もちろんこれからも。

いつも一緒だったからサッカー観が同じで、プレースタイルも全く同じ。
今でもオフの自主トレーニングで練習相手になってもらうことも。


ちなみにあれから17年経った今、
リフティングは僕よりちょっとだけ兄貴の方がうまい。


つづく。。。

大悟少年史 小学生篇 第一話

2008-11-03 | 大悟少年史
こんばんは。
天皇杯まずは1回戦突破!

自分はスタンドで観戦してましたが、
難しいゲームをよく勝ったという試合でした。
間違いなくチームは勢いにのり、次のリーグ戦に繋がるはずです。

また1週間良い準備をしていきます。


勝利とともに新企画、第1話です。

読んでみて下さい。


それではまた。

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大悟少年史 小学生篇 第一話

僕がサッカーを始めたのは小学校3年生。

兄貴の友達のひとり、わっくんに誘われて
嫌々というかあんまり乗り気ではなく練習に付いて行ったのがきっかけ。

なぜなら人見知りだから。

知らない奴がいっぱいいるしサッカーなんて知らんし…
みたいな感じ。

自分の通う岩松北小学校と隣の岩松小学校の2校の生徒が集まる地元の少年団(岩松SSS)の練習で、あっという間にサッカーの虜となりすぐに入団することになるけど、サッカーにハマるまではとにかく野球が大好きで巨人ファンでした。

親父が熱狂的な巨人ファンでその影響だと思うけど、
物心ついた頃の僕のヒーローは原辰徳。

背番号8で何かの縁じゃないかって勝手に思っているけど、
まあそれはさておき、毎日小林家のテレビは必ず巨人戦だった。

巨人が勝ったら親父も機嫌がいいし、自分も嬉しいから気持ち良く眠れた。

だからサポーターの方々の気持ちは良く分かる。


サッカーに出会うまでの毎日の遊びと言えば、暗くなるまで近所のお兄ちゃん達と野球をするか、山を探検して秘密基地を作るか。

ホントにみんな悪ガキで良く怒られていましたが…


あとは泳げないとカッコ悪いという理由で週に2回スイミングスクールに通わされていました。(お陰様で泳ぎは得意です)

こんなどこにでも居る田舎の小学生だったわけですが、誘われて1度やったサッカーが楽しくて仕方なかったのを覚えてます。

入団して初めてつけた背番号は「84」。

富士市の中でも弱いチームで試合はいつも負けていて、その度に泣いていた。それでもいつも皆でサッカーを楽しんだ。

友達も増え、練習が無い日は学校が終わり帰宅してボールを持ったらすぐにまた学校の運動場や土手や公園へ。

ゴールなんて何でもよくて皆のヘルメットとかリュックサックとかで作った。

ストリートサッカーとまではいかないにしても今思えばめちゃくちゃハングリーと言うか本当にサッカーが好きでサッカー出来ればどこでも良かった。

今も忘れちゃいけない1番大切な気持ちだと思う。

そして昔からとにかく負けず嫌いだった。
仲間より遅れて始めたから上手くなりたくて来る日も来る日も練習した。1人で何時間もずーっとリフティングした。

寝るときには枕元にサッカーボールを置いて、家族でどこかに出掛けるときでもサッカーボールを持っていき、学校までの通学路はドリブルして、その年の正月には少ないお年玉でカラーコーンを買った。

気づけば、ただのサッカーばかになっていた。

この時のテクニックの練習とサッカーへの強い情熱はきっと今に生きている。



つづく。。。