写真はお借りしてます。
色弱検査で引っかかる私は、赤緑色弱らしいです。
赤と緑の違いはわかりますが、赤と赤 緑と緑の違いが分かりづらい。
例えば口紅。
売り場にピンクから真っ赤まで順番に並んでて、両サイドの赤とピンクは違いはわかりますが、ピンクとピンクの隣の多分少し赤に近いだろうピンクの違いはわからない。
一個ずつ見比べてわからないのにいつの間にか真っ赤になってる 笑
緑も似た感じ。
赤緑とつくくせに、白い壁に黄色い点とかピンクで書いても見えない。
個人差はあると思いますが、私は赤と緑以外にも判別しづらい色があるみたいです
話はここからです。
長くなるのですが興味があればお付き合い下さい。
色が判別しづらい。ということは見えづらい色の部分に関しては、人と違う色が見えてるわけですよね?
で、昔からそれを知ったときに思ったこと。
私から見た色は、他人と同じなのであろうか?
例えば赤があって、私から見たら赤。
でも他人は、その赤を私の目で見たら青色のことを赤と言っているのではないかな?と。
本来色の見え方は他人にはわからないので、共通認識で赤と思ってはいるが人それぞれ見えてる色は違うのではないか。
共通認識というものがあるから、赤と位置づけられたものはその人から見て本来紫であっても赤。
私個人が認識している色が、妻にはすべて反転して見えているかも…
など、私には確認できない謎をずーっと考えてます。
それを考えると出てくる謎がもう一つ。
私個人、あるいは他人でも同じではあるが
ホントは誰もこの世には存在してなくて、存在と呼べるものはすべて意識のみなのではないか?
んー!例えづらいけど続けます。
例えば、私が締め切った個室にいたとします。
でも、それは存在しません。
意識のみなので脳内と呼ばれる中で想像されている状態。
想像された締め切った個室に私がいる。
そしてドアを開ける。
ドアを開けるという思考が生まれた瞬間に、ドアから先の世界が想像されているのではないか?
それは他人も同じになる。
では、なぜそのお互いが会うことができ、互いに違う人生を歩むのか。
それは一つの思考の中に全てが存在してるのではないか?
分かりづらいのでメインを、Aとして
Aの思考領域の中に、今存在してる人類や地球や宇宙ってのがあり、私達はAの思考の中の妄想に過ぎないのではないか?
なので、先程の扉は、閉じられてるときはその外は無。なのではないのか?
と、よくわからない思考してた私。
最近考えなくなりましたが、小学生の頃は頭の中ぐるぐるしながらドア開けたり閉めたりしてたなぁ 笑笑
くだらない話にお付き合いいただきありがとうございました
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます