daddy-kのいきあたりばったりⅡ

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ドディ・スティーヴンス/ピンク・シュー・レーセス

2023-04-13 | 音楽つれづれ

幼い生き物はどれも可愛いなんて言いますが、確かによちよち歩きのニャンコなんて、あの目と顔のバランスとか本当にキュンとします。人間の赤ちゃんは無論の事ですが。

これが中途半端にこまっちゃくれてくると私は苦手で "大人顔負けのちびっ子 演歌を歌う" なんてなるともういけません、ちびっ子は園歌でも歌ってろ!と、ココロの声が漏れそうになるのです。

 

70年代のロックン・ロール・リバイバルがブームの頃、オムニバスLPで初めて知ったのが、ドディ・スティーヴンスの「ピンク・シュー・レーセス」でした。59年のヒットだと言うから、まだ小学生の真ん中頃の私は、リアル・タイムで知ってる訳がないですが。

なめし革靴にピンクの靴紐結んで…って、まあ調子良い曲だけど、ジョニー・ソマーズとかに比べ、そんなキュンとはならないな?などと思っていたら、これを歌った当時彼女はまだ11歳だったそうで、本当はローティーンの歌には興味が無いのですが、それも曲と歌唱によりけりで…と、私のいつものご都合主義が出てくるのですが。

この曲は1959年の今日4月13日に、ビルボードの3位となるヒットで、この時の№1はフリートウッズの「Come Softly to Me(やさしくしてね)」で、これは4週連続№1となる大ヒットでしたから、ライバル曲が強力すぎ、これ以上上は無理だったのでしょうけれど。

結局彼女は後のヒットが続かず、ワン・ヒット・ワンダー(一発屋)で終ったのですが、その後16歳で結婚、19歳で出産し音楽活動をやめ20歳で離婚と、人より10年は前倒しで生き来たあと音楽活動を再開し、縁あってセルジオ・メンデスとブラジル'66のメンバーに加わったそうです。

セルジオ・メンデスのグループと言えば、ラニ・ホールが有名で、彼女ともう一人ジャニス・ハンセン(いずれもアメリカ人)の名はアルバムに出てきますが、彼女の名は無く、多分ですが、ツアー・サポートの役目をしていたのかも知れません。

その後、オールディズのブームがあり、リバイバル・ショーの出演や、他の歌手のバック・コーラスなどの仕事が結構あったそうですから何よりでした。

 

ところでこの曲、日本で松島トモコのカバー盤が出ていたのですね(コロムビアSA-451)バックは中島安則とラテン・リズム・キング、編曲は小林郁夫となっています。

1960年9月の発売だと言うから探すのは難しいでしょうが、どんな歌唱だったか聞いてみたいような、想像がつくような=当時の彼女が歌う童謡「紅い帽子白い帽子」からの連想ですが=もしかしらどこかで出会わないか、中古漁りの時チェックしておくとしましょう。

因みに松島トモコさん、私より若い熟年世代だと、テレビのロケで猛獣に襲われたお嬢さんという印象でしょうが、私が子供の頃は小さい頃から映画に出て、歌を歌って、子供向け雑誌の表紙になってと、小さな大スターだった人なのです。

 

■ 以上、聞きたい365日 第346話でした。