daddy-kのいきあたりばったりⅡ

以前のブログが閉鎖でⅡを立上げ。食の別ブログもあります:https://ameblo.jp/mightymogu/

ジョーン・バエズ/オハイオの岸辺で

2023-01-07 | 音楽つれづれ

1960年代=私が高校生の頃は、ポップスと共にフォーク・ソングも好きでした。

リアルタイムで聞いていたのはピーター・ポール&マリー等で、「500マイルも離れて」や「悲惨な戦争」など、僕はあの子を愛してる・・みたいなティーンズ・ポップスに比べ、知的な香りがして好きでした…ドリーミー・ポップスは、それはそれで大好きですが。

少し遡り、キングストン・トリオの「ミズリー越えて」や、ブラザーズ・フォーの「グリーン・フィールズ」、ジョーン・バエズの「ドナ・ドナ」とかも聞いたなぁ~ 懐かしいですねぇ。

ラジオのヒット番組でほぼ流れないフォークソング、そうレコードが買えるわけの無い私の情報源は、店でタダの新譜情報を貰って来る事…当時は各社セールス・プロモーション用に新譜紹介の冊子を配っていたのです…それを見てチャド・ミッチェル・トリオってアメリカでの評価が高いんだ!とか、ジュディ・ヘンスキーの「空に舞う鳥」ってどんな歌?とか、想像を膨らませたものです。

中に「オハイオの岸辺で」の曲紹介もあり、演奏者は多分ブルー・スカイ・ボーイズだったと思うのですが、これもどんな曲なのかと、タイトルに胸をときめかせたものでした。それは半世紀も経った後に、ジョーン・バエズで耳にする事になるのですが。

 

当時の女性フォーク・シンガーでは女王バエズ、女神ジュディ・コリンズ、妖精キャロリン・ヘスター等が人気でしたが、私はバエズはあまり好きでは無くて、マルビナ・レイノルズの「雨を汚したのは誰?」あたりの、今で言う”意識高い系”の歌が苦手だったのと、あのトラッドシンギング系が入った歌声がどうも…ザ・サーチャーズの歌ったフォーク・ロック風ヴァージョンの「雨を汚したのは誰?」は、好きだったのですけど。

バエズを好きになって来たのは、VANGUARD後期の「ジョー・ヒル」「さすらいの旅人」などの歌い方が穏やかになって来たあたりから。決め手になったのはA&Mに移籍してからの75年のアルバム、「ダイヤモンド&ラスト」でしたが。

 

そこから若い頃のバエズも気になり出し、1965年の国内中古盤を経て、見つけたのは英国のジャスミン・レコードから発売された2枚組CD。

彼女の最初の録音で、17歳当時の声が聴ける「サンフランシスコのジョーン・バエズ」18歳での録音「フォーク・シンガーズ…(略」、そしてVANGUARDでの正式なデビュー盤と二作目との合計4枚分が入り、しかも前者2枚は超レア盤の様子で、基本はアナログ派の私ですが、こんな時はCDのありがたさをつくづく感じます。そしてマニアック…というか、偏執狂(失礼)とも思えるイギリスのレーベルにも感謝です。

10代の頃は苦手だったバエズをねぇと、自分でも驚いているのですが、VANGUARDでの「バーバラ・アレン」など、トラディッショナル・フォーク曲中心の選曲良いですね。それもジーン・リッチーなどを通じ、時間をかけてトラッド・シンギングに慣れて来たからで、青臭い頃の自分には、この良さを理解できなかったろうな…とは思うのですが。

 

最初の録音について彼女は、「まだ高校生の頃2人の男が近づいてきて、『ねえ君レコードを作りませんか?』と言いました。彼らは悪党でしたが、私はそれを知りませんでした。それでサンフランシスコに行き、そこで巨大な借りたギブソンギターで、知っていることをすべて録音しました」 ※タワーレコードオンラインのディブ・トンプソン氏の紹介記事より引用しました。

ハリー・べラフォンテの「陽のあたる島」から「ラ・バンバ」まで節操なく入っているのはそんな訳だったのですね。初レコーディングの瑞々しい歌声は貴重ですし、少し荒々しい「ラ・バンバ」も、自分の出来る事や可能性を模索していた17歳の少女と思えば、これはこれで納得ですし。

次のアルバム「フォークシンガーズ…(略」では、男性2名とバエズの3名がそれぞれに歌うオムニバス・アルバムになっていて、ここで初めて彼女の歌う「オハイオの岸辺で」に出合い、そしてVANGUARDでの正規盤による「西部の百合」にも出会います。

前者は、結婚を拒んだ彼女を刺し殺し、オハイオの河に投げこんだと言う唄で、後者は西部の百合と呼ばれたフローラに恋し求婚した男が振られ、嫉妬のあまり恋敵を刺し殺したと言う内容で、両方とも暗くて救いが無い内容なのですが、なぜかメロディは美しく、バエズも妙な感情を入れず押えて歌っていて、特に前者の歌は好きになりました。

 

サザン・マウンテン・バラッドにはこうした美しいメロディで悲惨な内容を歌うと言うものが結構あって、それらを総称し「マーダー・バラッド」と呼ばれていて、70年代にアート・ガーファンクルが取上げた「柳の園で」などもそうでした。

これらの歌は元はイギリスのブロードサイド・バラッドが伝わり、アパラチア山脈周辺に残ったと言う事らしですが、まだまだ聞いていない唄がたくさんありそうです。

語学力のない私には、とても高い山なのですが…

 

■ 以上、聞きたい365日 第333話でした。