3月30日午前8時58分、私と娘、2人の弟とその妻4人、総勢6人が見守る中
夫(76)はたいして苦しまないで安らかに天に召されました。4月2日に散髪を
してもらえると、子どものように指を折って待っていました。本人も私達も主治医
でさえ、こんなに急に死が訪れるなんて想像もしていませんでした。前の日に
私が友達にもらった巻きずしをお布団の中に隠して、病院のご飯を残して巻きずしを
たべんさいと言って帰りました。翌日行くと食べていました。そんな状態で誰が死ぬなんて
思うでしょうか。3月29日弟が夫の急変を知らせてくれた時、私は青春切符を使って
友達と長府のJRの電車の中でした。午後5時半です。車掌さんに”のぞみ”で帰る方法を
調べてもらいました。広島から大竹まで帰っていると30分早く着くだけと言われ、もう
まないたの上のコイになった気分で諦めました。午後8時45分に着いて話しかけた時
パッチリ目を開けてくれました。弟達4人が私が来るまで3時間半も夫の側にずっといて
くれました。皆が帰った後、「お父さん、ありがとう。あなたと出会って最高に幸せだったよ。
お父さんがどんなに深く私を愛してくれたか一度も疑ったことはないよ。よくがんばったね。
これからあなたの分も人に尽くして、2人分償って行くからね。私もすぐに行くからね。」
と誰もいない病室で大きな声で話しかけました。東京の娘も最終便の飛行機でその日のうちに
帰れました。話しかけると両目からスーッと涙が落ちました。何を意味していたのか。
9か月と10日、夫に取って歩けないと言う絶望との闘いでした。這いずってでも歩きたいと
言った言葉が忘れられません。神様が「もういい。苦しむな。休め。」と言って連れて行かれた
ような気がします。私はと言えば、多くの人が「さびしいでしょう?」と慰めてくださいますが
彼が生きているのか、亡くなっているのかよくわらなくて、心を許している友に駅で待ち合わせ
たりすると、いきなり涙が溢れて来て、慌ててしまいます。奇跡のような多くの恵みを連日味わって
います。苦しい9か月と10日でした。でもその後の恵みを思うと神様は絶対にいらっしゃるとの
思いを再確認しています。
満ち足りた人生だったと言ってるようですよ
思ってたより早くいかれたのは
神の計らいだったのでしょう