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発達障がい・こころのやまい

専門外ながら相談を受けることがあり、その際に読んだ本や集めた情報を書き留めました(本棚9)。

対人関係療法でなおす「双極性障害」(水島広子著)

2018-06-04 21:36:45 | カウンセリング
 「社交不安障害」に引き続き、同シリーズの「双極性障害」編を読んでみました。

対人関係療法でなおす「双極性障害」(水島広子著)創元社



 双極性障害は、以前は「躁うつ病」と呼ばれていた病気です。
 現在はうつ病のことを「単極性うつ病」と呼び、躁うつ病のことを「双極性障害」と呼ぶようになりました。

 すると、単極性うつ病は双極性障害の「うつ相のみ」の病気と考えがちですが、そうではありません。
 単極性うつ病は治る病気ですが、双極性障害は治らない、一生つき合っていかなければならない病気です。
 治療の最終目標は「治る」ことではなく、躁状態・うつ状態の再発をできるだけ抑えて病気に振り回されないようになること」にとどまります。

 そして双極性障害は20歳代で発症する、残酷な病気でもあります。
 それを本書では「健康の自己の喪失」と表現しています。
 「あなたは一生薬を飲まなければなりません」と宣告された若者が病気を受け入れることがいかに難しいか、想像に難くありません。

 患者が望んで病気になったわけではありません。
 患者が自在に病気をコントロールできるわけでもありません。
 患者が努力すれば病気と縁が切れるわけでもありません。
 病気になったことで誰よりも人生にダメージを受けているのが患者本人です。
 同時に、周囲の人が症状のために傷つき、問題を抱え込むことも事実。

 それに対して、本人・家族の腹のくくり方というか、覚悟の仕方がしっかりと書かれていたのが印象的でした。
 家族が本人を支えるスタンスも大変参向になります。

 「病気+本人」 vs 「家族」
 ではなく、
 「病気」 vs 「本人+家族」

 であるべきだ、という提案には感動しました。
 双極性障害という難敵には個人では分が悪い、だからチームで闘う必要があるのですね。

 社交不安障害では「対人関係療法」での対応でしたが、「双極性障害」では対人関係療法に社会リズム療法を加えた「対人関係・社会リズム療法」となっています。これは双極性障害向けの修正版だそうです。
 双極性障害は生活の変化により大きく影響を受けるため、生活リズムに焦点を当てる必要があります。

 文中の以下の文言には考えさせられました;

 双極性障害では「無理がきかない」ので困る。いや、「無理をきかせる」ことが現代社会の異常さなのであって、「無理がきかない」ことは生物としての自然な叫びなのかもしれない。

 現代社会に潜在する病理は、経済性・生産性を重視するあまり、人間が自然のリズムで生活できなくなっている環境に起因するのかもしれません。

 この本は、病気との付き合い方を解説することにより、覚悟と勇気を与えてくれる内容だと思います。


<メモ>

■ よい睡眠のための習慣
・毎日決まった時間に起床する(休日でも朝寝坊しない)
・日中適度に体を動かす
・昼寝をする場合は、午後3時までの短時間(30分以内)にする
・夕方以降はカフェインなどの刺激物を避ける
・寝る前は穏やかに時間を過ごす(パソコンやメールも避ける)
・寝る前にアルコールを飲まない
・ベッドでテレビを見たり本格的に本を読んだりするのを止めて「ベッド=寝る場所」という関連を心身につける

※ どうしても眠れないというときには、決まった就寝時刻に電気を消して横になっているだけでも刺激を減らす効果はあるので、応急処置としては有効。
※ アルコールは睡眠に悪影響を与える。睡眠がかえって浅くなり、逆効果になる。飲むと一時的に気分がよくなる気がするかもしれないが、アルコールはうつを促進する効果があるので、結局はうつになる。アルコールに期待すること(睡眠、気分の高揚、不安の解消など)は、すべて薬物療法に期待した方が確実である。

■ 活動量と刺激のバランス
 活動の刺激が強すぎると「躁」になり、活動の刺激が少なすぎると「うつ」が促進される。
 双極性障害の場合には、「躁」にならない程度に行動を抑制し、「うつ」にならない程度に行動を活性化する必要がある。

■ 双極性障害のエピソード間は無症状ではなく「軽度のうつ」でいる人が多い。

■ 社会リズムの変化を予測してエピソードを予防する。
 双極性障害という病気の嫌なところの一つに「無理がきかない」ことがあるため、社会リズムを乱すようなことは避けなければならない。いや、「無理をきかせる」ことが現代社会の異常さなのであって、「無理がきかない」ことは生物としての自然な叫びなのかもしれない。
 社会リズムを安定させるためには、色んな要素の時間的束縛程度・刺激の強度の検討が必要である。
 例えば、新しい仕事に就く場合の検討項目;

・労働時間
・出張の多さ
・通勤時間
・責任の重さと範囲
・ストレス
・勉強しなければいけないことの量やその期限

■ 対人関係療法の実際
 現在進行中の重要な対人関係に焦点を当て、対人関係上のやり取りや出来事と、気持ちや症状とを関連づけて進めていく期間限定の治療法。
 治療の際には四つの問題領域のうち一つか二つを選んで治療焦点とする。

1.悲哀(重要な人の死を十分に悲しめていない)
2.役割をめぐる不一致(重要な人との不一致)
3.役割の変化(生活上の変化にうまく適応できていない)
4.対人関係の欠如(上の三つの問題領域のいずれにも当てはまらない=親しい関係がない)
(第5の問題領域)
5.「健康な自己の喪失」に対する「悲哀」

■ 対人関係問題領域①-「悲哀」
 大切な人を亡くしたとき、人は以下の「悲哀のプロセス」を踏む;

・「否認」
・「絶望」
・「脱愛着」

 悲哀のプロセスは、人の心が喪失という大きな傷から立ち直るために必要なものである。
 この悲哀のプロセスをきちんと経験しないと、心の傷は手当てされずに放置されたままで、先に進む態勢ができないため、その無理がたたってあとでうつ病などの病気が出てくることになる(双極性障害のうつ状態もその一つ)。

■ 対人関係の第5の問題領域-「健康な自己の喪失」に対する「悲哀」
 病気になることは「役割の変化」の範囲にとどまるという意見もあるが、双極性障害はその枠組みでは扱いきれないために追加された。
 双極性障害では治療継続の動機づけが難しい。
 それは診断と治療の受け入れが難しいことに起因する。そのための儀式が「健康な自己の喪失」という枠組みにのける悲哀である。
 「健康な自己の喪失」を受け入れて悲しんだ後の「現在の生活」というのは、「双極性障害という病を受け入れて、うまくコントロールしていく生活」のこと。治療の過程で、「健康な自分」は死んだかもしれないけど、決して自分自身が死んだわけではない、ということにだんだん気づいてくる。

■ 対人関係問題領域②-「役割をめぐる不一致」
 あらゆる対人ストレスは「役割期待のずれ」から発生する。
 双極性障害では、病気が対人関係に及ぼしている影響も常に考慮に入れる必要がある。
 家族は躁状態を重く見るけれども本人は軽く見る傾向があり、本人はうつ状態を重くみるけれども家族は軽く見る傾向がある。
 双極II型障害の場合にも「ずれ」は起こりやすく、軽躁状態の気持ちよさを手放したくない本人と、とにかく治療を続けて気分の波をなくしてほしい周囲との間で役割期待がずれることがある。また、軽躁状態の時もイライラしがちに焉、様々な衝突が起こる。

■ 双極性障害は、社会リズムの変化に敏感な「無理のきかない」病気である。

■ 双極性障害になったことと、双極性障害の症状は、本人の責任下にはない。
 本人にできることは、せいぜい、薬を欠かさずに飲み、自分の社会リズムを安定化させることくらいであり、ひとたびエピソードが起こってしまったら、その中での症状はまったくコントロールがきかない。
 躁やうつを「気合い」や「意志」で治すことはできない。

■ 対人関係問題領域③-「役割の変化」
 生活上の変化にうまく適応できずにエピソードが起こるときに治療焦点として選ばれる。
 「役割の変化」が問題領域となるようなケースでは、その本質は「変化そのものの見通しが立たない」ということよりも、「自分や周囲への基本的な信頼感を見失ってしまっている」ことにある。「まあ、何とかなるだろう」ととても思えなくなってしまう。
 なので、自分の力や周囲とのつながりを取り戻すことが重要になる。そのために必要なのは、自分が現在どういう経験をしているのかという「位置づけ」である。変化を位置づけるために欠かせないのが「自分の気持ち」の確認である。自分の気持ちをよく見つめ、肯定し、できればそれを身近な人に伝えて共感して貰うもらうことが重要である。
 双極性障害に起こる「役割の変化」は「病気の結果」(症状隊のために仕事や家庭を失う、借金のために生活レベルが低下する、職場や家庭での居心地が悪くなる、など)であることが多く、それを乗り越えるのは困難がつきまとう。
 「変化」を乗り越えるポイントは、自分の気持ちを感じて肯定し、それを周囲の人とも分かち合うことである。身近な人たちと役割期待の整理をし、こういうときにどうやって支えてもらうを話し合っておくことはとても大切である。
 
 「役割の変化」の時には社会リズムが変わることが多い。事前の準備で予防できることなのかどうかを見極め、常に自分の社会リズムを優先させるという姿勢を崩してはいけない。
 もし、突然職を失った、突然離婚された、というようなときでも規則正しい生活を心がける。ひどい体験によって既に傷ついている自分を、これ以上傷つける必要はない。「安定した社会リズムで自分を癒やそう」と発想を転換し、仕事はないとしても、規則正しい日常生活を送り、適度な活動と刺激を盛り込む。自尊心が低下し「これからどうしていったらよいか、わからない」ときにも「いつも通り生活できている」ことが精神的安定につながる。

 エピソードから回復し、復職するときも「役割の変化」である。「社会リズムの変化」によく注意して安定化させるようにしておかなければ、エピソードのぶり返しが襲ってくる。起こりがちなのが、復職してがむしゃらに働いてしまうこと。復職にあたっては、社会リズムの変化を最小限に抑える努力をすべし。

■ 対人関係・社会リズム療法と薬物療法との関係
 双極I型障害では併用が原則。

■ 双極性障害対策チームを作るべし
 患者と周囲の人たちが「病気」という問題を与えられて、皆で苦労しているというのが双極性障害の構図である。
 周囲に求められるのは、「患者を支えるチーム」ではなく「患者を含めたチーム」である。

 [周囲]対[患者+病気]
 になりがちであるが、これでは解決に向かわない。目指すべきは、
 [患者チーム(周囲+患者)]対[病気]
 という構造である。

 チームとしての危機管理の目的は、

1.患者の命を守ること
2.社会的信用の失墜をできる限り防ぐこと
3.経済的な危機を回避すること
4.家庭崩壊を防ぐこと

 を最優先する。

■ 自殺対策
 自殺したい気持ちが高まっているときは、その気持ちを表現してもらって肯定する(自殺という行為を肯定するのではなく、自殺したいほどつらい気持ちを肯定する)ことにより、少しは楽になることもある。
 「自殺はしないで」と言うことと「自殺したいなんて言わないで」と言うことは、まったく逆の効果になる。

対人関係療法でなおす「社交不安障害」(水島広子著)

2018-06-03 08:37:13 | カウンセリング
 “不安”というモンスター。
 人間の心の弱みにつけ込む難敵です。

 私自身も持病に伴う“不安”にさいなまれ、理屈ではコントロールできない不安とどうつきあっていくべきか悩む日々を経験したことがあります。「気にしないようにしよう」と自分に言い聞かせても繰り返し襲ってきます。

 今は何とか飼い慣らして落ち着きつつありますが、ここに至るまで何が大切だったのか、振り返ってみますと・・・

・自分を客観的に見つめる視点を持つ。
・不安の対象の正体を知る。

 以上を心がけても、やはりうまくいきませんでした。
 不安の正体を見極めて「命に関わることではない」とわかっていても、不安をぬぐえないのです。

 ふと、以前購入してあった本書が目に止まったので読んでみました。
 すると、上記に対する答が書いてありました。
 「不安は安全確保のための自然な反応」であり「不安センサーが過敏になっているだけ」との説明。

 なるほど。
 確かにそうかもしれない。

 ただ、この本の内容は「社交不安障害」であり、私の場合と内容が少し異なります。
 「人間のストレスはすべて対人関係に由来する」と言ったのはアドラーだったでしょうか。
 対人関係が不安対象の場合、それに対する思い込み・誤解を解きほぐしていくことにより、軽減する手法が紹介・解説されています。

 私の場合は実体のある病気・症状なので、それを解決しないことには不安が消えてくれません。
 実際には、発作性のものが頻度が増すとともに軽症化・日常化していく過程で「それ程焦ることはないのかな」と緊急性がないことを繰り返し実感すると、不安は軽減していきました。 

 というわけで、不安対象の種類に関わらず、「敵を知り、それほど怖がる必要のないことを繰り返し体感していくこと」が地道ですが一番の近道かもしれません。

対人関係療法でなおす「社交不安障害」(水島広子著)創元社、2010年発行



 「社交不安障害」の「社交」って聞き慣れない言葉ですが、これは「社会」と同義と捉えてよいそうです。

 さて、精神疾患に対するカウンセリング・精神療法は
1.行動認知療法
2.対人関係療法
 の二つが代表的。

 近年、1が有名になり、その第一人者の大野裕先生の名前をよく耳にします。患者さんの認知(感じ方・考え方)のゆがみをカウンセリングの中でゆっくり矯正していく手法です。
 一方の2は馴染みの薄い言葉ですが、国会議員も務めた精神科医の著者が第一人者だそうです。とともに、水島先生は大野先生の教え子でもあります。

 2は、不安障害の症状に注目するのではなく、そのベースにある対人関係に注目します。
 不安障害を“不安に対するセンサーが過敏になっている状態”と捉え、症状を否定するのではなく肯定し、対人関係のゆがみを矯正することにより、症状のコントロールを目指す手法です。
 ここでいう“対人関係のゆがみ”とは、複雑な人間関係を意味するのではなく、“思い込み”程度の意味です。

 この文言を読んで、私はアレルギー疾患のメカニズムとの共通性を感じました。
 アレルギー反応は、自分の体を守る免疫システムが、敵ではないダニや花粉にも過敏に反応して暴走し、つらい症状を引き起こす病態です。
 それが心で起きると・・・自分に危害を加えるはずのない他人を“不安センサー”が過敏・過剰に反応して不安が募り、つらい症状を起こすのですね。

 ただ、その心の“病的なクセ”を治すのは簡単ではありません。
 試行錯誤を繰り返しながら、周囲の協力を得つつ、小さな成功体験を積み重ねて克服していくモノなのでしょう。
 まあ、“思い込み”や“病的なクセ”を矯正していくという点では、認知行動療法と共通するところがありそうです。

 本書はテキストではなく啓蒙書のため、内容が今ひとつ系統立ててかかれていないので体系的に理解するのは困難ですが、“おわりに”と“あとがき”にそのエッセンスが書かれていましたので、一部を抜粋させて頂きます。

“おわりに”から;
 社交不安障害からは何が学べるでしょうか。私は「人間性の受容」が学べると思います。
 相手そのものに関心を向けることは、社交不安障害の症状を楽にします。また、相手の不完全さを受け入れることも、社交不安障害の治療にプラスです。人間としての相手を見て、相手が実際に感じていることを知り、受け入れていく、というプロセスが、成功する治療の中で必ず起こります。そしてその結果として、社交性不安障害をこじらせている、自分に対する評価も手放すことができるのです。人前で話すときに緊張するのは、恥ずかしいことではなく、むしろ人間らしいことなのだと、自分自身のことも受け入れられるようになると、社交不安障害は治ります。


“あとがき”から;
 社交不安障害の人が感じる孤独感や疎外感、自分には対人関係能力がないという無力感は、実は、症状そのものから来るのではなく、「生の」人間関係が乏しいところから来ているのではないかと思います。
 症状はあるとしても、「生の」相手との実質的なやり取りをするようになると、人間の心には豊かな変化がいろいろと生まれてきます。自分や他人の不完全さを受け入れることによる暖かい受容も生まれてきます。そんな中で、症状の相対的な重要度が下がってくると、症状も改善してきます。それが、社交不安障害への対人関係療法の真髄だと思っています。単なる対人スキルの訓練ではなく、実際の対人関係を通して、人間の温かさや自分に備わった力に繋がっていく治療だと思うのです。



<メモ>

■ 不安は自己防衛反応
 不安という感情は安全かどうかわからないと言うことを自分に知らせてくれる、安全確保のための機会を与えてくれるものであり、不安の存在意義は「安全の確保」である。

■ 不安障害とは?
 不安の「質の問題」ではなく「程度の問題」である。

1.不安の程度が強すぎて苦しいもの
 人間として理解できる不安、不安そのものの内容が異常なのではなく、「確かにその通りなのだけれども、いくら何でもそこまで気にしていたら生活が成り立たなくなってしまう」というところに特徴がある。本来自分を守るために備わった感情が強くなりすぎて自分を苦しめる結果になる。

2.不安そのものに不安を抱くという悪循環が成立
(例)パニック障害
 パニック発作はどんな人にも起こりうるものだが、「またパニック発作になったらどうしよう」という点に不安の対象が移っていく。つまり、自らの「不安(パニック発作)」に不安を抱き、それが次の不安につながり、その不安に対して不安を抱くという悪循環が成立してしまう。
 本来何が不安だったのかという客観的な見方がだんだんできなくなり、「なんだかわからないけどとにかく不安」という状態になってく。

 通常、不安という感情は、それを引き起こす状況を繰り返し経験することによって減じるが、社交不安障害では繰り返しにより不安が減じるということはあまりなく、むしろ繰り返しによりますます不安に焦点が当たっていくようなこともある。

■ 社交不安障害の診断基準(DSM-IV-TR)

1)よく知らない人たちを前にした状況や行為に対する著しく持続的な恐怖がある。自分が恥を掻かされたり、恥ずかしい思いをしたりするような形で行動する(あるいは不安反応を呈す)ことを恐れる。
2)1の状況にさらされると、ほとんど必ず不安反応が誘発される。
3)自分の恐怖が過剰、または不合理であることを認識している。
4)1の状況を回避しているか、強い不安または苦痛を感じながら耐え忍んでいる。
5)1の状況の回避や苦痛のために、正常な生活が障害されているか、著しい苦痛を感じている。

・社交不安障害は典型的には十代半ばで発症する。
治療をしないと慢性の経過をとり、自然に回復する率は低い
・社交不安障害を持つ本人も、自分の不安が合理的なものではないということを自覚している。だからこそつらい。
・「自分は病気だとは思わない」という感じ方も社交不安障害の特徴。「自分は人間としてできそこないなのだ」と感じている人がとても多い。
・社交不安障害は「回避性パーソナリティ障害」と質的に違いがなく、回避性パーソナリティ障害は、全般性社交不安障害のより重度な形であるという見方もある。
・うつ病は社交不安障害の人の約1/3に起こる。

■ 社交不安障害の治療のポイント
・社交不安障害が、ある日突然憑きものがとれたようにパッと治ることはない。
・社交不安障害は、複数の悪循環により維持されている病気である。このうち一つだけでも悪循環を打ち破ることができれば、計り知れないプラスの効果をもたらす。
・治療目標の大きな目標は「自分自身のコントロールを取り戻す」ことである。そのためには、自分に何が起こっているのかを正確に知り、実現可能な目標を立てること。
・対人関係療法では、治療目標を「症状」という自分が直接コントロールできないものにはあえて置かず、「自分の力を感じる」ことを目指す。回復のイメージは「不安症状がきれいになくなる」というものではなく「回復に向けての取り組みそのものが自分の力を感じるプロセスになる」というもの。結果ではなくプロセスに満足を見いだせるようになったとき、社交不安障害は本質的に治ったと言える。
・治療上の重要なポイントは、対人関係上の不一致は自分だけのせいでないことを理解すること。全て他人のせいにする人も問題だが、社交不安障害の場合の問題は、何でも自分のせいにすること。

■ 用語の整理;社交不安障害=社会不安障害=社会恐怖
・米国精神医学会の診断基準(DSM-IV-TR)の2002年日本語訳では「社会恐怖(社会不安障害)」
・2008年日本精神神経学会の改訂版精神神経学用語集(第6版)では「社交恐怖(社会不安)」
という経緯から用語の混乱を招いているが、上記は全て同じ意味である。

■ 社交不安障害の不安の本質は「人からのネガティブな評価を恐れる」こと
 ネガティブな評価をされたときに、「自分がその程度の人間だから」と、「自分の問題」として捉えるのではなく、そんな言動しかとれない「相手の問題」として捉えられるようになると、自分自身についての感じ方がだいぶ変わってくる。

■ 社交不安障害では「危険センサー」が過敏な状態
 不安反応による身体症状は、その状況を危険と認識したときに生物としての人間に起こる反応に過ぎず、本来はその危険から逃れるために体の機能を集中させるシフトである。
 社交不安障害では危険に対する不安反応そのものは適切だけど危険センサーが少しずれてしまっている。本来は危険ではない状況なのに危険センサーが働いてしまい、体が危険対応モードになってしまう
 その対策は危険センサーを調整することである。つまり、本当は危険でない状況に危険を感じなくなるにつれて、だんだんと治まってくる。

■ 認知行動療法(CBT)
 認知(物事のとらえ方)に焦点を当てた治療法である認知療法と、恐怖する状況に段階的に慣れていく行動療法を組み合わせた治療法。
 社交不安障害では、基本的な認知が偏っている。不安という感情そのものに対処することはできなくても、その不安を生み出している考え(認知)は客観的に見つめることが可能である。
 薬物療法に比べて再発率が低いが、無効例が40%以上ある。

■ 対人関係療法(IPT)
 現在進行中の重要な対人関係と病気の症状との関連に焦点を当てて治療をしていく期間限定の精神療法である。
 「現在の」対人関係に焦点を当て、社交不安障害という病気の症状がどのように現在の対人関係に影響を与えているか、そして現在の対人関係が社交不安障害にどのような影響を与えているか、というところに注目する。
 治療目標は、コントロールを取り戻して自分の力を感じられるようになること。
 不安障害に対する治療法なのに不安そのものに焦点を当てない、とてもユニークな治療法である。

■ 治療目標は「不安を感じなくなること」ではない
 不安の恐ろしさは「この先どうなるかわからない」ところにある。その「コントロールできない感じ」が怖い。
 治療目標は、不安を「コントロール可能なもの」にしていくことであり、それは「不安を感じなくなること」ではなく、「不安を正統な感情として理解し、活用できるようになること」である。
 「不安を感じなければ何でもできるのに」ではなく、「ある程度の不安を感じながらも」何かをすれば、それが結果として不安を軽くすることになる。

(社交不安障害)ネガティブな評価を恐れる→ 対人関係を回避する→ ますます自信がなくなり、ますますネガティブな評価を恐れる、という悪循環。
 ↓
対人関係をよく研究して、それを自分のコントロールの範囲内に納めることができれば・・・
 ↓
(治療過程)ネガティブな評価を恐れる→ 実際に人とやりとりをしてみたら、ある程度の成果を得られた→ 少々自信がつき、次のやりとりをしてみる気になる、というサイクルへ軌道修正していくことができる。

 ・・・治療効果は、徐々に、そして地道な努力の中で起こる。

 何の戦略性もなく、ただ人のいるところに行っても、おそらく失敗体験を繰り返すだけ。
 対人関係療法では「その場でどのように人とやりとりするか」というところに焦点を当てる。そのための作戦を立て、実際に何が起こったのかをよく振り返り、次へとつなげていく実験のようなものである。「失敗」に見えるものも含めて、一つ一つが成功体験である。
 不安は「病気の症状として当面仕方がないもの」として、また「現在どのくらいストレスがあるか」を示してくれる指標として見ていく(体温計の目盛りのようなモノ)。
 16回(4ヶ月間)の面接で社交不安が治ることはないが、「やり方」がわかる。その「やり方」を続けていることで自分はよくなるという感覚が持てる。すると、将来を自分のコントロール下に置くことができる。「この先どうなってしまうのかわからない」のではなく、「こんなふうにやっていけばよい」ことがわかるからである。

■ 不安センサーを調節するための第一歩は「自分の感じ方を肯定する」こと
 社交不安障害の人は、おそらくこれまでに「これは不安を感じなくてもよい状況のはず」と自分に言い聞かせる、ということを試してきて、うまくいかなかった経験を持っている。そうやって考えれば考えるほど不安に意識が集中してしまい、不安を感じる自分がおかしいという気持ちが強まってしまう。
 対人関係療法では、逆転の発想で「自分の感じ方を肯定する」ことからはじめる。自分の感じ方がおかしいと思っている限り変化は始まらない。自分の感じ方がおかしいと自分を責めていると、能動的な変化を起こすために必要な自己肯定感も育てることができない。
 どんな気持ちであれ、感じた以上は適切であり「不適切な気持ちなどない」。これは社交不安障害のような病気で、状況の意味づけを知るセンサーがずれてしまっている場合ですら正しいことである。
 自分の感じ方が不適切だと思ったときは「それが別の人の気持ちだったら」ということを考えてみると役に立つ。自分が逆の立場だったらどうだろう、という視点を持つことは自分の気持ちを肯定していくためのよいトレーニングになる。

■ 対人関係療法の実際
 現在進行中の重要な対人関係に焦点を当て、対人関係上のやり取りや出来事と、気持ちや症状とを関連づけて進めていく期間限定の治療法。
 治療の際には四つの問題領域のうち一つか二つを選んで治療焦点とする。

1.悲哀(重要な人の死を十分に悲しめていない)
2.役割をめぐる不一致(重要な人との不一致)
3.役割の変化(生活上の変化にうまく適応できていない)
4.対人関係の欠如(上の三つの問題領域のいずれにも当てはまらない=親しい関係がない)
(後から追加)
5.役割不安(本来は能力のある領域なのにリラックスできない)


■ 役割の変化
 生活上の変化にうまく対応できていないことが症状悪化につながっている場合。
(例)一般的に「よいこと」とされている昇進は、社交不安障害の人にとってかなりの負担になりえる。昇進すればそれだけ注目を集める機会も増え、昇進したのにつらいという自分を「こんな事では一生何をやってもうまくいかない」とますます絶望的に捉えることも多い。
 このような場合は「霧の中で遭難したと思っている人の霧を晴らす」イメージで扱う。
 起こっている気持ちをよく知って、安全な環境で表現して位置づけていくことと、自分を支えてくれる人間関係を再確立して安心感を作っていくことで、霧は晴れていく。すると、自分は「遭難」しているわけではなく単に「移動」しているに過ぎないことがわかってくる。
 相談できる、愚痴を聞いてもらえる、などのサポート源があれば、それだけ変化は乗り越えやすくなる。
 役割の変化によるストレスに対処するためには、不安を何らかの形でコントロール範囲に収めることが大切。そのために重要なことは「新しい役割に入る時に不安を感じるのは当たり前」と認識すること。
 これについては、似て非なる考え方を頭の中でしてみたことのある人は多いはず。「気にしないようにしよう」と呪文のように自分に言い聞かせるようなやり方・・・でもそういう方法は、まず、うまくいかない。なぜかというと、「気にしないようにしよう」というところに力点が置かれているために、現在の感情を肯定するという重要なテーマが抜け落ちてしまっているから。すると、気にしないようにしようとすればするほどますます気になるという状況に陥ってしまう。現在の不安を一度キチンと受け入れることによってしか、次のプロセスに進むことはできない。感情を受け入れる作業は、他人にも共有してもらうことで容易になる。

■ 役割をめぐる不一致
 対人関係上のストレスは、役割期待がずれるときに起こる。自分が期待していることと相手が実際にやっていることがずれていたり、相手が自分に期待していることが苦痛なことだったり、という場合である。
 社交不安障害をもつ人は「いい人」を演じやすい。自分のニーズよりも他人のニーズを優先させる傾向にあり、それはネガティブな評価を恐れるためでもあり、本人の自己肯定感の低さとも関連している。社交不安障害の人は「自分のニーズを伝えないことが相手との関係性をよくするための秘訣」と思っているが、実際の人間関係では、お互いに色々なことを打ち明け合うことにより相手への理解が深まり、親しくなっていくもの。相手は親しくなるためにもっと自己開示してほしいと望んでいるのに、こちらは親しくなるために自己開示を控えているというずれ(不一致)が存在する。
 ずれの原因を「自分の方がおかしい」と自分の責任だけにするのではなく、「相手の問題」「関係性の問題」として捉える習慣をつける必要がある。問題は自分にあるのではなく相手にあるのだという認識は、社交不安障害においては治療的になり得る。
 自己開示のきっかけは「気軽な一言」である。これを面接の中で一緒に考えることが多い。

 次のステップは「境界設定」と呼ばれる考え方。
 これは、自分側の問題なのか、相手側の問題なのか、という境界線をはっきりさせること。境界線がしっかりと引かれ、お互いの「敷地」を尊重し合うことができれば満足のいく人間関係が構築されるが、「敷地」を侵してしまうとストレスにつながる。
 治療において対人関係上で意識していきたいのは「自分の敷地を守る」こと。
 ネガティブな評価を回避することによって自分の敷地を守っていると思うかもしれないが、実際は逆で、「いい人」になってしまうことに代表されるような自己主張のなさは、相手が自分の敷地に入りこむのを許していることになる。
 本当に親しく安定した関係を作っていくためには、境界線をきちんと守ることが必要であり、問題が起こったときに、それが自分の敷地の話なのかどうかを考える視点を持つことが重要。
 これができるようになると、他人と親しくないことで寂しさを感じ、他人と親しくなることに恐怖を感じるというジレンマが軽減する。

 ずれを解消して安全かどうかを確認する方法は「コミュニケーション」しかない。
 しぐさなどの言葉を使わないコミュニケーション、直接的な言い方をせずに遠回しな物言いをする間接的なコミュニケーションなど、曖昧なコミュニケーションは思い込み・誤解の温床となる。さらに“沈黙”はコミュニケーションの打ち切りであり、最も破壊的な対応である。
 以上、問題あるコミュニケーションでは「生の」相手に向き合っていないという特徴がある。

■ 役割不安
 本来は能力のある領域なのにリラックスできない状態。
 身近に批判的な人がいたりした影響で、長年の間に身につけてしまった「根拠のない不安」。

1)社会的孤立
2)傷つきやすい自尊心
3)受動性/自己主張のなさ
4)怒りを表現することができない
5)対立の回避
6)リスクの回避
7)社交やパフォーマンスのポジティブな側面を楽しむことができない
 という要素が含まれる概念。

 まず、自分を「役割不安」から守るために身につけているパターンを検討してみる。
(例)
・いつも忙しそうにしている → ①
・人と一緒に時は常にスマホを操作している → ①
・その場の話に関心が無さそうなふりをする → ②
・人と目を合わせないようにする → ③
・できるだけ目立たないようにする → ③
・「いい人」になって相手のいうことを何でも受け入れてしまう → ③
(対人関係や自己肯定感への影響)
① 社交に関心のない人だ。
② 自分たちと関わりを持つことに関心がないんだな。
③ 自己肯定感をますます失っていく。「いい人」でいないと自分は好かれない、という感覚を増す。

★絶対に謝らない人
 「負けることへの恐怖」が潜在する。ほんとうは、ちょっとした行き違いの中で謝るということには「負ける」というほどの意味はないが、自己肯定感が低く、ネガティブな評価を常に恐れている人は「負け」に敏感である。絶対に謝らないという態度は、人間関係の断絶に直接つながることもあるし、社会適応としても好ましくないと思われることが多い。
 「謝る=負けを認める」という図式から抜け出して、謝ることも一つのコミュニケーションだと思えるようになることが目標となる。現実世界では「勝ち負け」以外の要素の方が人間関係にはむしろ多いことを体で覚えていく必要がある。

■ 社交不安障害の人は怒りの表現も苦手
 怒りは不安と同様、人間の自然な感情であり、無理に抑制するのはよくない。
 通常、怒りを覚えるような環境は「役割期待のずれ」があるような状況である。

■ 仕事における役割は定義がはっきりしているため「得体の知れない不安」が少ない。

■ 「自分は緊張症」とさりげなく公言してみる。
 不安を恥ずかしく感じないために、ことさらにそれについて口に出してしまうということも一つのやり方である。
 人から笑われる前に自分から話題にして笑わせてしまう処世術は、社交不安障害においても有効である。
 コミュニケーションを諦めてはいけない。

■ 「予期不安」に自分一人で対処するのは困難である。
 不安は「感じないようにしよう」と思えば思うほど不安になるものである。
 それを和らげる方法は、信頼できる相手に話すこと。否定したりアドバイスしたがる人は適切ではなく、ただ聞いて受け入れてくれる人がよい。

■ 自分以外の人の不完全さを受け入れていくことも、社交不安障害からの回復につながる。

■ 不安障害における不安反応は条件反射である。
 理屈を超えているので、新たな条件付けをしていくことでしか変われない。人間は機械ではないので、新たな条件付けにはある程度の時間がかかるため、対人関係に自信が付いてから、実際に不安反応が治まってくるまでには時間のギャップが存在する。
 不安反応が起こった時は、「以前のパターンが続いているだけ」「また症状が出たな」と認識し、引き続き精神面の安定を図る努力を続ければよい。

■ 社交不安障害の人の家族にできること
・治療可能な病気であることを認識する。
・本人の感情を肯定する。
・新たなパターンは本人のやり方で試してもらう。