私の音楽 & オーディオ遍歴

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「小澤征爾さんと、音楽について話をする」by 村上春樹

2011年12月10日 | クラシック
 作家の村上春樹さんによる指揮者の小澤征爾さんへのインタビューまとめた内容です。
 この二人、私のお気に入りの人物なので、ワクワクしながらページをめくりました。

 う~ん、さすが春樹さん、その辺のインタビューとは訳が違います。
 春樹さんがジャズに造詣が深いことはその小説から窺い知っていましたが、クラシックにもこれほど詳しいとは驚きました。
 
 ワイン愛好家に例えますと・・・

1.赤ワインと白ワインの違いを知っている
2.ワインの産地を国レベルで区別できる・・・フランスワイン、カリフォルニアワイン等
3.ワインの産地をフランス国内の地域で区別できる・・・ボルドー、ブルゴーニュ等
4.ワインの産地を地域内の土地名で区別できる
5.ワインの産地を畑・製造者で区別できる

 といろんなレベルがあるとします。
 春樹さんのクラシックへの造詣レベルは、ずばり「5」ですね。

 というわけで、この本の内容は「春樹さんが小澤征爾氏の音楽性の変遷を言語化した」あるいは「小澤征爾氏の半自伝」と云ってもよいくらいのレベルであり、読み応えがありました。
 グレン・グールド、ヘルベルト・フォン・カラヤン、レナード・バーンスタインなど、おなじみのアーティストの裏話も満載。
 春樹さんとの出会いがなければ、彼でなければ小澤征爾氏の音楽的魅力は引き出されることなくベールに包まれたままではなかったか、とまで思わせる深い対話集です。

 小澤征爾氏とともに斎藤秀雄氏の薫陶を受けたサイトウ・キネン・オーケストラの演奏家がTVのインタビューで答えたコメントが思い浮かびます。
 「セイジはぼくらのアイドルだった」
 彼の魅力は、この一言で言い尽くされるような気もします。
 単身でヨーロッパやアメリカに渡り、東洋人ながら西洋音楽の世界に飛び込み、カラヤン先生やレニーに可愛がられ(小澤征爾氏は二人の師匠をこう呼ぶ、他にもルービンシュタインやオーマンディに可愛がられたらしい)、ここまで成功したのは、皆に愛されるその人間的魅力に帰する所が大と思われます。

 私はインタビュアーの春樹さんの小説を同時代的に読んできた世代です。
 学生時代には初期三部作の「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」を下宿の四畳半で繰り返し読んだものでした。
 「肌にピシピシ音楽がしみ込んでくる」という表現を今でも覚えています。
 この本を読み進めるうちに、彼の音楽に対するスタンスが私自身にも染みついていることを改めて感じました。
 まあ、私のレベルは上記の分類では「3」ですけど。

 シリアスな対話の途中で挟まれる微笑ましい会話も春樹さんらしい。

小澤氏:「このおにぎり、食べていいかな」
春樹氏:「どうぞどうぞ、お茶も入れましょう」

小澤氏:「うん、これおいしいね。マンゴ?」
春樹氏:「パパイヤです」

<メモ>
私自身の備忘録です;

■ ニューヨーク・フィルはベルリン・フィルとかウィーン・フィルに比べると、どうしてもドイツ的な味わいには欠ける。シカゴはニューヨークに近く、ボストンとクリーブランドはもっとマイルド(P31)。

■ オーケストラは指揮者により音が違ってくる。そう言う傾向が一番良く出るのはアメリカのオーケストラ。ヨーロッパのベルリン・フィルとかウィーン・フィルは指揮者が変わっても自分たちの色をほとんど崩さない(P34)。

■ レニーは平等主義でオーケストラの団員の意見に耳を傾けたが、カラヤン先生は他人の意見なんてものはまず聞かなかった(P59)。

■ (インマゼールのベートーヴェンピアノ協奏曲第三番を聴いて)このオーケストラの演奏は子音が出てこない。音楽的に耳が良いというのは、子音と母音のコントロールができるということです(P73)。

■ グールドは対位法的要素を積極的に持ち込んでいく。ただオーケストラと調和的に音を合わせるというんじゃなくて、積極的に音楽をからめ、緊張感を作っていく。
 でも不思議なのは、彼が死んじゃった後、そういう姿勢を引き継いで発展させるような人が出てこなかったこと(P74)。

■ ルービンシュタインは遊び人、ゼルキンは真面目一方で田舎のおじさんみたいな人(P83)。

■ ベートーヴェンの方が管楽器と弦楽器との対話なんかが見えやすくなっています。ブラームスの場合になると、それを混ぜて音色を作っていく、ということです(P119)。

■ カラヤン先生から「長いフレーズを作るのが指揮者の役目だ」とよく云われました。スコアの裏を読みなさい、と。小節をひとつひとつ読むのではなく、もっと長い単位で音楽を読め、と(P121)。

■ 夏目漱石の文章はとても音楽的。あの人の場合は西洋音楽というよりは江戸時代の「語りもの」的なものの影響が大きいような気がします(P132)。

■ ニューヨーク・フィルでレニーのアシスタント指揮者をした。その後、アバド、デワールト、マゼール達も同じ職に就いた(P138)。

■ 一人の音楽愛好家としての勝手な感想を言わせていただきますと、1960年代の小澤さんがシカゴとかトロントのオーケストラと演奏しているのを聴くと、両手の手のひらの上で音楽が闊達に踊っているという感じがするんです、恐いもの知らずというか。それが1970年代に入って、ボストンとやるようになると、手のひらが少し丸くなって、その中に音楽がスッと包み込まれているような印象が強くなってきます(P165)。

■ (小澤征爾氏が指揮した3種類の「幻想交響曲」を聴いて)しかし三つの演奏を聞き比べてみると、これはほんと違うものだね。こんなこと(自分の演奏の聴き比べみたいなこと)は初めてやったから、自分でもけっこう驚きました(P169)。

■ 1960年代前半にバーンスタインが熱心に取り組むようになるまでは、ごく限られた人しかマーラーはやらなかった(P193)。

■ バーンスタインの指揮するウィーンフィルの「フィデリオ」をベームの隣の席で聴いた(P197)。

■ マーラーのスコアを初めて見たとき「オーケストラというものをこれほどうまく使える人がいたんだ」と驚いた(P206)。

■ マーラーの音楽って、伝統的なドイツ音楽から崩れていますよね。俗謡的なものが顔を見せたり、ユダヤ人の音楽が急に出てきたり。シリアスな音楽性、耽美的な旋律の中に、そういうものが乱入者のように混じり込んでいく。そう言う雑多性というのは、マーラーの音楽の魅力の一つになっていますよね(P219)。

■ 指揮者にとっては理解力が大事なのであって、記憶力なんかは特にどうでもいい。暗譜は一つの結果に過ぎず、そんなに大事なことじゃない。ただ、暗譜していいことは、演奏者とアイコンタクトがとれることですね(P230)。

■ (リヒャルト・シュトラウスとマーラーのオーケストレーションを比較して)マーラーは音が浮き出て迫ってくるんです。乱暴な言い方をすれば、音をどんどんナマで、原色で使っています。楽器ひとつひとつの個性・特性をある場合には挑発的に引き出していきます。それに比べると、シュトラウスは音を融合させてから使っています(P233)。

■ 日本人、東洋人には、独特の哀しみの感情があります。それはユダヤ人の哀しみとも、ヨーロッパ人の哀しみとも、すこし成り立ちの違うものです(P246)。

■ でもマーラーって、どうみても根っからまともじゃないというか、あえて分類すれば、分裂症的ですね(P239)。

■ ラヴィニア音楽祭にサッチモとエラ・フィッツジェラルドを呼んだことがあります。なにしろサッチモが大好きだったから。サッチモのあの味はもう、何ともいえないです。日本でいう芸の「シブミ」っていうか(P274)。

■ カラヤン先生に「セイジ、君は是が非でもオペラを勉強しなくちゃダメだ」と強く言われました。サンフランシスコからボストンに移る際、ひと夏のスケジュールを空けてカラヤン先生のところへ勉強に行きました(P288)。

■ 「ねえセイジ、今度は『ラ・ボエーム』」を一緒にやろうよ」ってミレラ・フレー二はずっと僕に言ってたんだけど、どういうわけか結局できなかったですね。
 カルロス・クライバーがスカラ座のオーケストラをつれて日本で「ラ・ボエーム」をやったのを観てあんまりにも良くて、「あ、これは僕にはできないな、これ以上のものはできない」と思いました(P289)。
 クライバーはよく勉強する人だったし、よく曲を知っていました。でもねえ、よくトラブルを起こす人でした。ただ彼にとってかわいそうだったのは、親父があまりにも偉い人だった(P296)。