櫻井郁也ダンスブログ Dance and Art by Sakurai Ikuya/CROSS SECTION

◉新作ダンス公演2024年7/13〜14 ◉コンテンポラリーダンス、舞踏、オイリュトミー

映画『大いなる沈黙へ』

2017-01-16 | アート・音楽・その他
映画『大いなる沈黙へ』を再見しました。
神田の岩波ホールでのロードショーは長蛇の列だったのを覚えていますが、あれから何年もたつのに、大方のシーンもまた覚えている通りで、印象に刻まれる刻まれ方が余程強かったのでしょうか。そして初めての時よりも、見ながら感情の高ぶりがありました。もちろん内側からじわじわと満たされてゆくように。

この映画は、アルプス山脈にある修道院での生活を伝えるものです。
中世以来の厳しい戒律を守り、毎日ひたすら祈り、清貧のままで一生を生きる修道士たちの姿は、同時代の生き様として僕にはかなりショッキングでした。
会話は日曜の昼食後の散歩の時間にだけしか許されないというのですから、まさに沈黙の生活です。

この映画自体にもナレーションや伴奏音楽が付けられることは一切なくて、僕らは風景と3時間近い時間を過ごします。
作品HPには監督自身の言葉が載っていて、そこにもとても印象的なものがありました。

『修道院を映像化するのに、映画を修道院そのものにしてしまう以外にどんな方法があるだろうか』

『雲のようにつかみどころのない映画、私が最初にこの作品のアイデアを思いついた時、こう表現していた。そしてこの考えは、1984年に私が初めてカルトジオ会の修道士に会った時も、1年後に彼らに「今はまだ早すぎる、10年か13年後であれば」と言われた時も、2000年に修道院から「まだ興味を持ってくれているなら」と電話をもらった時もまったく変わっていなかった。』

この「つかみどころのない」何かを制作する、というのは素晴らしく素敵な発想ですが、すごく難しい事だと思いました。

自分の才能ではなく対象への強いリスペクトがなければ、そして、何よりも受け手の感受性や創造性を信頼できる人でなければ、このような作品を制作するのは無理だと思いました。

(自分のことばかり伝えたい時は、「つかみ」やすく「分かり」やすい方向に流され易いと思います。)

『サイレントシグナルズ』『3月の沈黙から』など、沈黙という言葉を題名に入れたダンス公演が僕には幾つもありますが、最近あらためて沈黙というものに対する興味がどんどん拡がっています。

沈黙は怖いけれど、しかし、沈黙からしか生まれてこないもの、というものもまたあるように思えてきます。



 


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« バッハの風、音楽、踊り | トップ | カラスの虹は何色か »
最新の画像もっと見る

アート・音楽・その他」カテゴリの最新記事