櫻井郁也ダンスブログ Dance and Art by Sakurai Ikuya/CROSS SECTION

◉新作ダンス公演2024年7/13〜14 ◉コンテンポラリーダンス、舞踏、オイリュトミー

インプロヴィぜーション:4/24クラス報告

2015-04-25 | レッスン・WSノート
金曜夜の「ダンス/舞踏クラス」、今週はインプロヴィぜーション(即興)の練習だった。4/24。この日の練習は非常に感慨あるものになった。

集まりの最初、たまたま写真の話になった。メンバーの一人が持ち込んだ写真家サルガドの写真。それを扱ったヴィム・ヴェンダースの新作映画の話。関連して、ユージン・スミスの写真を僕は見せ、人が人に視線を注ぐことの豊かさについて言葉が巡った。やがて、光と闇の話に、命を見つめる視線の話に、とりとめなく会話が進むなかメンバーが揃い準備運動や会話がふっと途切れて、そろそろ踊りましょうか。と、僕はピアノを弾き始めた。G#のアルトをピアニシモで繰り返すなかで、メンバーの一人が姿勢をやわらかく整えた、そこに一人また一人と空間に寄り添うように歩み出て、床を踏みしめる音が微かに響き、眼や指先に力が宿る、そんな始まりだったと思い出す。ゆるやかな変化が互いに伝えられる、反発のようなジャンプが出る、回転しかかったまま停止する人がいる、ふと踊りをやめてじっと見つめてまた踊り出す人がいる、眼を閉じて音に聴き入る人がいる、、、現れては消える踊りが何故か誰かに受け継がれて、時の流れが絶えない。単純なメロディのオスティナート、ペダルを深くしたグリッサンド、クラスター、様々な変化を演奏しながらダンスを促すうち、メンバーの身体は微熱をたたえて汗ばみ表情に深みが出ている。気づくと40分くらいか、静かなデュエットが現れて見つめている眼がそれを支えている。そっとストップをかけた。

そのあと話した。何よりも誰もが見つめる眼を持てたね、それは素晴らしいことだと思う、自分が踊っている時は誰でも夢中になれる、だけど、他の人の踊りを観ることから沸き起こる何かは、もっと貴重で、それは踊っていることと同じなんだよね、なんて言った気がする。いや、本当にそう思う。他者に自然に眼を注ぐことは熱を注ぐことに近いしそれはきっと身体に新しい衝動を与えることなのだ。互いに見つめ合うことから、踊りは生まれる。そのことを確認できた今日の練習は、貴重だったと思う。そんなことを話した。


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