櫻井郁也ダンスブログ Dance and Art by Sakurai Ikuya/CROSS SECTION

◉新作ダンス公演2024年7/13〜14 ◉コンテンポラリーダンス、舞踏、オイリュトミー

創作クラスのこと

2020-07-27 | レッスン・WSノート

無心になることmindlessness。これは、何かを生み出そうとする時にいちばん大切なことだと思います。少なくとも、踊りは無心でなければ踊れないと思う。踊りの稽古は無心になる稽古でもあります。無心について、鈴木大拙は no matter where you go,you can’t find out the division between the heaven and the earth,because there is infinity.(『日本的霊性』)と書きます。凄いイメージと思います。無心になって何かを行い続けることを通じて、天と地のあいだが無くなってしまうのだから、これは内的平和の実現ではないかと思うのです。彼に深く関わった音楽家のひとりにジョン・ケージがいます。舞踊家のマース・カニンガムと生涯にわたり共同作業を重ねました。僕はケージの音楽やカニンガムの踊りや発言にふれて、感じるものがいっぱいありました。また、日常に対する愛着が深くなってゆくキッカケをもらった感じもあります。肉体は日常に密着しています。身体にはその人の日常が反映しています。土曜午後の『振付・創作クラス』は文字通り、振付やソロダンスなど、自分でダンスを生み出してゆくことを学んでゆく少人数レッスンですが、今季(夏シーズン)は、ジョン・ケージの音楽を紹介し、そこから感じ得たものからダンスをつくる経験を楽しんでいます。このクラスでは、踊る時間と同じくらい、自由な対話の時間をもちます。それを受けて、僕は何らかの提案をしたり、面白い知識や哲学や方法論について解説したりします。先日7/25は踊りの合間に、いくつか哲学的な話題が出ました。それで、ケージの考えたことに加え、鈴木大拙のことを話しました。また、ケージとは直接関係ないのですが、寄り道をして、岡倉天心の言う「心の交通」のことについても少し話しました。心の交通というのはダンスにとっては核と言えることと僕は思います。ダンス創作は、単に自分の直感や思いを動きにして出してゆくだけでなく、他者との交感をいざなうためにこそあるのだと思うのです。創作という作業のなかで、色んなことを調べたり学んだりすることが積み重なっていきます。そして、自分の思い込みや世界観が、次第に変化してゆくこともあります。踊る、というのは、自分のことを表現する、というよりも、何かに寄り添っていったり、何かと一緒になるように自分を変化させたり、ということにも関わっています。相手の気持ちになるために一緒に踊るというのは自然なことです。踊ることで気持ちと気持ちが溶け合って一緒に変化してゆくのは、ダンスの醍醐味でもあります。ダンスの創作は、ともにある、ということのための作業でもあると僕は思っています。

 

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lesson 櫻井郁也ダンスクラス 

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