櫻井郁也ダンスブログ Dance and Art by Sakurai Ikuya/CROSS SECTION

◉新作ダンス公演2024年7/13〜14 ◉コンテンポラリーダンス、舞踏、オイリュトミー

大杉漣氏の訃報に、、、

2018-02-22 | ダンスノート(からだ、くらし)
昨夜のニュースが、まだ信じられない。とまどいながら、手を合わせるばかり、、、。

大杉漣氏が出演されていた「転形劇場」(太田省吾氏が演出だった)の芝居を観に、氷川台にあった「T2スタジオ」に何度か行ったことを、生々しく覚えている。
たしか1986年から88年あたりのわずかな期間だったが、そこで、舞台を観ることの貴重さを教えられた。
派手な装置も、幻想も、過激な発言も、エクスタシーも、冗談も、そこでは決してサービスされなかったが、清々とした静けさがあった。
そして何よりも、一期一会の情がそこには満ちあふれていた。
観ることは近づいてゆくこと、関係をこころみることなのではないか、
と、そこで強く感じた。
目の前に生身の人間がいて同じ時間をともに呼吸している事実、
その、あたりまえのこと、が、すこぶる大切に思えたのだった。
なかでも『水の駅』という作品からは忘れがたい感動を得た。
ついに無言になるまで台詞を削ぎ落とされた演劇で、それは大変な緊張感のなかで上演されるのだった。
あった言葉が削ぎ落とされて無言に到達するのだから、それは単に言葉の少ない無口な芝居とは全くちがう。
人と人が見つめ向き合うときに訪れる静寂、抜き差しならぬときの無言の関わり、あのときのような時、が、ずっと流れて人と人の隙間をうずめて満たしてゆくようだった。だから空間というものは全部にんげんになってゆくような感じがした。
いま言葉は排除されたのではなく、満ち満ちてゆくがゆえに、特別な静けさが到来しているのだと感じた。
それから、おそろしく張りつめたデリケートな一瞬一瞬の連続は、舞台上も観客席も一緒にならないと出来ないものだった。
鑑賞するのも集中力が必要だったけれど、一体感があった。
人と人のあいだに激しく圧縮されたものに、心をとらえられた。
テレビでにこやかにされる大杉氏を見ても、そのころの舞台で感じた空気感は消えなかった。これからも消えないと思う。
心から、ご冥福をお祈りします。
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