なぜ命を落としたか?
それ故、自分を責めたり、誰かを恨んだりするつらさに心身を削るより、
亡くなった方々が、「誰に愛され、誰を愛し、誰に感謝されたか?、、」
を心に刻み続けて(悼んで)日本中を放浪する静人。
あらすじ(レビュー?)、ネタばれば等はネットにて検索してちょ。
私はに、「1日の王」さんのレビューが腑に落ちた、かな?
静人が立ち寄る、村や町の風景。
雄大な山や川の自然美。夕日など、美しい光景も必見の価値あり。
でも私が一番印象に残っているのは、、
場末の古びたスナックで、抗太郎の父の柩をかこみ、
抗太郎の父の愛人のスナックのママと常連の飲み仲間が、
お経の代わりに詩を口ずさんでるシーン。
父親が詩を朗読してる録音テープ(CD?)を
店で流し、繰り返しお経のように唱える。中原中也の
「詩」を。
それを抗太郎は聴いてる。
父の愛人は、形見だと言って、抗太郎に一冊のスケッチブックを渡す。
言葉を発せなくなる程、衰弱してたため、愛人とは筆談だった。
そのページの最後の方は、
「抗太郎に会いたい、呼んでくれ!」
「抗太郎に会いたい」
会いたい、、だけだった。
自分と母親を捨て、愛人の元に走った父親を一生涯許さず、
怨むと誓っていた抗太郎。顔も見たくないと。
父親が息を引き取った時、抗太郎は女を買っていた。
きっと、父親を一生涯憎むと言ってた自分を
裏切らない為、ワザと
「オヤジに会いたい、、」と言う想いを封印する(掻き消す為の?)行為だったんじゃないかな?
薄暗いスナックでの、詩を唱えてるワンシーンを見て私は涙が止まらなかった。
抗太郎も、「会いたい」と書かれたノートをじっと見つめてる、、
美しい山が美しいのは当たり前だ。
でも、私にとってはこのワンシーンも美しく見えた。
薄暗い店の中が、、目に見える自然の美しさより美しく見えた。
(見えるように思えた?思うように見えた?)。何故かよくわからないけど、、
少なくとも、抗太郎の父親は、愛人とカウンターに座ってる
飲み仲間には、愛され、感謝されていたのだ。
そして、死ぬまで抗太郎のことを愛し続けた。
それでいいじゃないか??
上手く書き表せないけど、この記事を書いてる時も、涙が溢れでてくる。
お経のように唱えてた詩は、、
汚れっちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れっちまった悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる
汚れっちまった悲しみは
たとえば狐の革裘(かわごろも)
汚れっちまった悲しみは
小雪のかかってちぢこまる
汚れっちまった悲しみは
なにのぞむなくねがうなく
汚れっちまった悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢(ゆめ)む
汚れっちまった悲しみに
いたいたしくも怖気(おじけ)づき
汚れっちまった悲しみに
なすところもなく日は暮れる……
中原中也
静人の母親役の、大竹しのぶ の演技も圧巻だった。
私個人では、この映画の主役はこの静人の
母親なんじゃない??
なんても感じた。
母なる大地?を演じてたか?
二ヶ月も、玄関を彩ってくれた。
ありがとう、もう充分だよ(^_^)
二ヶ月以上も、浜より遅く咲く、わが庭の越前水仙。
やっとこさ、葉が伸びてきましたわ~。
おっせー!
主に似て、ズボラか?
はたまた恥ずかしがり屋か?(んなことないか?)
いや、結構テレ屋?