水銀党本部執務室

冬月のブログです。水銀党本部の活動や、政治社会問題、日常の中で感じた事など様々なテーマで不定期に更新されております。

【JR西前社長に無罪】当然の判決、検察は重く受け止めるべき

2012-01-11 13:42:58 | Weblog

JR西前社長に無罪判決 傍聴席沈痛
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120111-00000016-mai-soci

予め申し上げておきますが、福知山線脱線事故の被害者の方々には同情を禁じ得ません。
事故を起こしたJR西日本には、公共インフラを預かる企業としての重い責任があり、被害者に対して一層の償いをしていくべきだと思います。
しかしそれとこれとは全く別、今日の無罪判決は、当然といわざるを得ません。

そもそも争点となっているATS(自動列車停止装置)がどういうものか詳しく知ろうともせずに、惨劇への怒りの持って行き場をJR西日本と前社長に求める感情ありきで糾弾する人やメディアが多過ぎる。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm14033801

かくいう私も知識の浅い一人でした。↑の動画は、ATSの仕組みと歴史について、我々鉄道の専門知識がない初心者にもわかり易く親切に作られていますので、どうかご覧になって下さい。

今日の判決で神戸地裁の裁判長は、「JR西日本の曲線でのATSの在り方などに問題があり、大規模事業者として期待される水準に及ばないところがあるといわざるを得ない」とJR西日本の責任に言及しつつ、被告個人の過失責任は認められないとして無罪判決を出したそうですが、この言及は事故の被害者遺族、世論、そして捜査立件した検察への政治的配慮でしょう。
この事故でATSの不存在をJR西日本の過失とすることが技術的には筋違いな検察のミスリードであることは、裁判の中で行われた双方の主張立証や、鉄道専門家の客観的な証言を丁寧に読み込めば、裁判官側も内心ではわかっているはずです。

動画の中で説明がありますが、ATSは基本的に同じ線路を走る前後の列車同士の衝突を防ぐために、線路に定期的に設置されている信号機を列車が見落として停止しない場合に警告や強制停止をさせる目的の装置で、福知山線の事故はそういった前後の列車の衝突や信号無視のケースではなく、いつもと同じカーブに運転手が不適切な速度で進入したために曲がりきれなくて脱線したものですから、ATSが無かったから事故が起きたというのは論理のすり替えです。

また、ATSの設置については前の日記でも書きましたが、政府の明確な基準も、法令上の規制も無かったのです。
過去にATSについて旧運輸省が設置基準の通達を出していますが、それはあくまで私鉄に対してのもので、当時の国鉄(現JR各社)は私鉄に比べ規模が大きいという政治的配慮から通達の対象外であり、厳しい通達が出された私鉄よりも旧国鉄は安全面で劣る状況が認められていたのです。しかも、国鉄が民営化されるにあたっては、通達は撤回されています。
国の制度上の不備にまで立ち返り、それこそ「東京裁判」のような魔女狩りをしたいのであれば、現JRだけでなく現国土交通省など政府の関係者も裁かなければならなくなってしまう。JR西日本の経営陣だけ刑事責任を問い立件するのはナンセンスです。

繰り返しになりますが、被害者の感情は理解できます。
事故を招いた直接の加害者である運転手とは別に、組織としてのJR西日本や当時の経営者を敵として憎みたい気持ちは、同じ人間として私もよくわかります。
しかし法廷は、誰かを悪者に仕立てて私怨を晴らす場所ではなく、客観的な事実認定を行う場所なのです。

また、国の機関である検察には、今回の判決を受けて改めて反省と、捜査姿勢の見直しを促したい。
このような悲惨な大事故においてこそ、嘆き悲しむ被害者と一線を画す第三者として冷静で客観的な事実関係の調査を行うべき検察が、世論に迎合して自分の株を上げようと、最初から立件ありきでJR西日本の前社長を悪に仕立て上げようとした、政治的な思惑があったのは本当に残念でなりません。

前社長によれば、検察の取り調べについて「検事から耐えられない言葉を言われ、起訴するぞとののしられた」そうですが、まだそんな暴力団まがいのことをやっているのか。時代錯誤も甚だしい。
選挙によって民主的に国民の負託を受けたわけでもない、一官僚に過ぎない検察が、歪んだエリート意識をもっていわゆる「国策捜査」や、世論に迎合あるいは誘導するような捜査を行うことは、戦前の陸軍の暴走と同様、問題視されるべきです。
旧日債銀の経営陣立件では、銀行への公的資金注入と引き換えに経営陣に罰を与えなければ気が済まないという当時の社会的要請のもとで検察は「国策捜査」を行いましたが、結果は最高裁までいって無罪だったではありませんか。
ライブドア・村上ファンドへの捜査も公正さに疑問が投げかけられていますし、田中角栄のロッキード事件から現在の小沢一郎問題に至る旧田中派への執拗な攻撃も、小沢氏に非が無いとは言いませんが、全体を通してみれば、もはや検察と旧田中派との仁義なき政争に等しいものです。

検察が起訴した事件の有罪率9割の今の日本で検察に起訴されれば、無実の人でも「被告」のレッテルを貼られ、その人と家族は長い間社会から迫害され苦しめられるのです。
日本に魔女狩りは要りません。
このまま誤った立件を重ねれば、従来の検察機構の見直し・権限の縮小が現実のものとなるでしょう。


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