福島第一原発の事故から20ヶ月、事故現場での作業は依然として困難をきわめており、周辺地域の住民の方々の放射線障害への懸念は解消されていません。しかし多くのマスコミでは、他のセンセーショナルに報道される記事に隠されて、原発問題に切り込んだ記事は随分下火になりました。そんな中で東京新聞は、三大新聞が報道しないような記事を、以下のように、かなりの紙面を割いて報道しています。
6日朝刊では、11月11日に行われる、首相官邸前や国会周辺などを占拠する反原発行動の先陣を切るデモによる日比谷公園内の広場や通路の使用申請を、都公園緑地事務所が許可しなかったことを、集会の自由と民主主義の原点に関連付けて、24、25大きく取り上げています。これを不服とした主催者側の地裁、高裁への抗告は何れも却下されたため、同日の抗議行動は先陣を切るデモなしに行わざるをえなくなりました。
また、7日朝刊8、9面では、戦後復興 原発の影 第3回「被爆の記憶 原子力の夢」と題して、反原爆感情の強い日本に、平和利用をスローガンに原発を売り込んだアメリカの巧妙な核戦略が解説されています。
僕も、何らかの事情が無い限り、毎週金曜日には首相官邸前デモに参加しています。
今回の「反原連」主催の100万人デモにも参加する予定ですが、今回の東京高裁の抗告却下は本当に唖然とさせるほどの暴挙だと思います。
「九条の会」の呼びかけ人の一人でもある法学者の奥平康弘先生は、「表現の自由を求めて」(岩波書店)という本の中で、「社会体制に異議申し立てを行う、『少数者たる権利』にこそ、その意義があるのだ」と述べています。
アメリカの歴史から説いているのですが、僕はまったくその通りだと共感しています。
国家権力が原発ムラと一体のもである以上、個々の市民が表現の自由を如何なく発揮するのは至極当然だからです。
表現の自由の尊さ、全く同感です。国会周辺に大勢配置されている警官達は必要以上に表現の自由に圧力をかけていますが、11日の日比谷公園使用不許可は更に進んだ表現の自由の圧迫です。
今日の東京新聞には、原子力ムラ温存を批判する記事が大きく載っていました。都知事選に宇都宮健治氏が出馬表明しました。少数ではなく、多数の脱原発意見が実るよう願っています。
ttp://keshefoundation.org
ttp://www.onpa.tv/2013/05/13/789-3
ttp://www.onpa.tv/2013/08/11/1893
ttp://sunshine849.blog.fc2.com/
政府が未だに握りつぶしている、ケッシュ財団のプラズマリアクターを早急に公表させることが、この国の抱えるあらゆる問題を解決へと導く唯一の手立てでしょう。