COCCOLITH EARTH WATCH REPORT

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急告 26日 00:50-02:05の「戦慄の記録 インパール」初回放送を見逃しの方は是非ご覧を

2017-08-25 22:45:44 | Weblog

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 8月26日(土)00:50-02:05 NHK総合テレビで、15日に初回放送されたNHKスペシャル「戦慄の記録 インパール」の再放送があります。初回放送を見逃した方は是非ご覧ください。以下に拙速ながら視聴記を添えます。
 この放送は1945年3月8日から陸軍ビルマ方面軍第15軍9万の将兵が夜間渡河と2000m級の山岳地帯のジャングルを侵攻して、インドのインパール攻撃を図った無謀な作戦を描いたものでした。軍上層部は兵站から困難との意見を圧殺して強行し、雨季入り前の3週間で達成する目論みも連合国側の圧倒的反撃で崩れ、夥しい兵員の犠牲を招きました。兵士達が敗走した雨季のジャングルには夥しい屍が散乱し、白骨街道の異名がつきました。作戦開始直前に牟田口司令官の下に配属された、陸軍経理学校を卒業したばかりの斉藤博圀少尉は、牟田口司令官の動向を含む克明な記録を書き残していました。前線の師団長らとの作戦会議で交わされた「5000人殺せば連合国側の拠点を取れる」とは、日本軍兵士5000人を突貫攻撃に投入すればとの意味であったと、斉藤少尉は書き残していました。6月には雨季に入って任務遂行は困難になり、4カ月で作戦は中止、牟田口司あ令官は帰国しました。この作戦の死者の約3万は戦死、4万は敗走中の病死や餓死といわれています。斉藤少尉は白骨街道を生死の境を彷徨いながらも克明なメモを記録、幸い帰還を果たしました。牟田口将軍は連合国側兵士に直接危害を加えていなかったので、東京裁判で裁かれることなく天寿を全うしました。昨日の敵は今日の友と歌われた日露戦争旅順要塞陥落後の乃木将軍とステッセル将軍よろしく、戦後に連合国側司令官との文通もあったことを書き残しています。
 番組を見終わって感じたことがあります。東京裁判は、連合国に危害を及ぼした日本人を戦犯として連合国側が裁きました。しかし、夥しい数の民間人を含む日本人を死地に追いやった罪は裁かれることはありませんでした。ことことがひそかに軍事国家日本の再興を目論む思想集団を温存し、安倍政権になってそれが急速に顕在化しているのではないかということでした。

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