COCCOLITH EARTH WATCH REPORT

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不耕起栽培を広める岩澤信夫さんに研究の原点と醍醐味を見た

2008-09-18 00:00:32 | Weblog
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はじめに
 NHK教育テレビの「知るを楽しむ 人生の歩き方」で農業技術指導員 岩澤信夫さんのシリーズが始まりました。NHKから出版されている同名の冊子8~9月号(683円)に詳しい内容が掲載されています。読んで感銘を覚えたので、放送では伝えられなかった分を含めて、若干の感想を述べたいと思います。

1.岩澤さんの人となり
 岩澤さんは農家の出ながら農作業そのものはあまり好きではなく、他の人の農作業を眺めていて「こうすればもっとうまく行くのではないか」とアイデアを練るのを楽しみとしている方です。千葉産のスイカが出回るより早くに、熊本産のスイカが高値で売られているのを見て、苗をパイプの骨組にポリエチレンシートをかけたトンネル(今でいうハウスのようなもの)で二重に覆って苗を育て、早期出荷を可能にしました。この方法を取り入れた千葉の農家は大変に儲かったそうですが、どこの組織にも属さずに、アイデアを出して高校時代の友人に作業を任せていた岩澤さんには、特許を取って儲けようという気持ちはさらさらなく、残ったのは自分のアイデアが正しかったという満足感と、皆を喜ばせた充実感だけだったそうです。対象が稲に絞られてからも、この姿勢が脈々と流れていました。私も定年前は自然科学系の基礎研究に従事していたので、この気持ちはよくわかります。画面で見る岩澤さんには、世によく見る金の亡者の雰囲気が皆無で、農業技術の研究や普及を道楽の延長みたいにやっていると語っておられるのがぴたり合う方でした。

2.稲との出会いと苗作り
 東北の空から黄金色に広がる田圃を眺めて、稲の研究に取りつかれた岩澤さんを驚愕させたのは、冷害に見舞われて穂が高く伸ばしながら、ほとんど実っていない東北の田圃でした。例外的に実っていたのは、年寄りが昔ながらの方法で米作りをしている小規模な田圃で、苗に大きな違いがあったことがわかりました。稲はもともと暖かい地方で育つ植物です。寒冷地では予め保温した苗床で育てておいた苗を、春の訪れと同時に田植えして早く育て、早い時期に収穫して台風や早霜の被害を避けられてきました。保温に使われたのが、かつて養蚕が盛んだった時代に蚕を育てるのに使われた蚕座(蚕座)という木箱でした。これに種もみを蒔き、保温して葉っぱが二枚半のになった苗(稚苗、図では分かりやすいように2枚になっている)を、田植え機にセットできるように機械化・合理化が進められました。田植え機にセットする育苗箱のサイズは、蚕座が基本になっており、植えやすいように茎の部分を長く伸ばした稚苗が使われました。ところが、稲は5枚の葉で成長する植物で、生長しても5.5葉以上になると1枚を枯らして5枚を保っているそうです。冷害を免れた田圃では、苗代で5枚葉になるまで育てた苗(成苗)が使われていたのです。機械化・合理化が先行して、植物として不完全な稚苗植えすることで、冷害に弱い稲を育ててしまっているのです。しかし、機械化が進んだ今、昔ながらの方法で成苗を育てて植えるように言っても、農家に説得力がありません。岩澤さんは試行錯誤を重ねた末、保温した状態である程度の大きさになるまで苗を育ててから、育苗箱ごと寒い時期の田圃に出して、伸びすぎを抑えた成苗つくりに成功しました。
3.不耕起栽培との出会い
 岩澤さんの話の大きなポイントは、耕さない農法(不耕起栽培)にあります。不耕起栽培との出会いは文献で見つけたオーストラリアの地力のほとんどない砂地での稲の栽培でした。この方法では、前の年にマメ科植物のクローバーを植えます。マメ科植物の根には根粒菌が付いて空気中の窒素を植物が利用できる形に取込むので、窒素肥料を撒いたと同様な効果が得られます。翌年に羊を放牧してクローバーを食べさせた後で、地面に切込みを入れて種もみを蒔き、20~30センチの水を張るだけで、高収量で収穫できるというものでした。何度も耕す日本の稲作に、疑問を感じ始めた岩澤さんは、愛媛で耕しもせず、肥料もやらない農法を実践している福岡正信さんの著作「わら一本の革命―自然農法―」(春秋社 1983。2004)に出会いました。福岡さんの方法は、クローバーのタネと種もみを混ぜ込んだ粘土の団子を、11月に水抜きした田圃に蒔いて踏みつけておきます。クローバーは低温でも発芽して地面を覆い尽くすので、雑草の発芽は抑えられます。春、気温が上昇して発芽した稲がクローバーより伸びたら、田圃に水を張ります。クローバーは死んでしまいますが、根の根粒菌が取込んだ窒素が肥料になって、稲が育ちます。しかし、この方法は温暖な愛媛ではうまく行っても、より寒冷な地方で発芽が遅れてしまうので、成苗を育ててから、耕していない田圃に移植する方法(不耕起移植栽培)が試みられました。

4.不耕起栽培の開発と稲の野生化
 協力農家でも、いきなりに田圃一面を耕さずに植えてくれと頼むのは無理なことです。そこで、機械では耕せない四隅に手作業で成苗を植えて貰ったところ、四隅の固い土に植えた稲の方が耕した部分に植えた稲より体形も根もはるかに立派に育ち、穂も重みで垂れるほど実ったのです。岩澤さんは、丈夫な成苗が固い土に根を伸ばそうとすることで感じるストレスが引き金になって、大きさばかりでなく、病気や虫害、冷害にも強い稲に育つからだと考え、稲の野生化と呼んでいます。耕すことが当然という農業の常識を覆すような考え方ですが、稲はもともと耕さない地面で生育してきたもので、人間の都合で手を加えることによって、柔らかい地面で肥料や農薬を与えないと育たないようなひ弱なものが重用されてきたのです。

5.不耕起栽培のメリット
 耕さないことのメリットは農作業の軽減に留まりません。トラクターから排出される二酸化炭素の削減以上に、耕すことによって地中から放出されるメタンや亜酸化窒素が、環境に想像以上に大きな影響を与えているそうです。若し不耕起農法に変えて窒素肥料も使わなければ、メタンの放出を1/13程度、亜酸化窒素の放出も半分程度に減らせるそうです。耕すことで地中の鉄分が空気中の酸素で酸化されるので、耕さない田圃の稲の根が真白で生き生きしているのに、耕した田圃の稲の根には酸化鉄が沈着して弱々しく見えました。今の時代に不耕起移植栽培を田圃一面に広げて行くには、固い地面に植え付けできる専用の田植え機の開発が必要でした。岩澤さん不耕起栽培のメリットを働きかけても、多くの農機具メーカーは主力商品のトラクターが売れなくなるのではと尻込みしました。やっと協力してくれたメーカーも予想以上の開発の難しさで撤退し、開発が頓挫しかけましたが、1993年の冷害が追い風になって、開発に取り掛かってから9年後の1997年にやっと完成に漕ぎつけました。

6.冬季湛水で不耕起栽培のメリットが増す
 不耕起栽培のメリットを更に高めたものが、収穫後の田圃に冬の間も水を張っておく冬季湛水です。切り株や稲藁が水中の微生物で分解され、プランクトンや光合成を行うサヤミドロという藻が発生し、それらを食べる様々な生物も出現して、鳥を頂点とする豊かな生態系が形成されます。また、大量発生したイトミミズの糞が降り積もることで、雑草の種の発芽が抑えられることもわかってきました。害虫が居てもそれを食べる天敵もいるので農薬が要らず、不耕起栽培と冬季湛水を続けるほど、生物の営みで地力が増して美味しい米が採れるようになるのです。

おわりに
 従来の常識を覆す耕さない米作りは、少しずつ広がりつつありますが、未だ99%の農家は耕す米作りに止まっているようです。岩澤さんば、農家には長年受け継いだDNAのような考え方が染みついており、斬新な試みに挑戦するのは周囲の反対もあって非常な勇気を要することだと語っています。しかし、人間の都合による機械化・合理化で稚苗植えした、化学肥料や農薬に依存したひ弱な稲を育てるより、肥料や農薬に頼らずに自然の営みを生かした、冷害や病虫害に強い稲を育てる方が環境に優しく、これからの時代に適しているように考えられます。岩澤さん達の試みが大きく広がって行くことを期待します。

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