<プロフィール>
新疆ウイグル自治区、ウルムチ出身。父親は画家、母親は国営企業を経て貿易会社を起業。地元の高校を卒業した後、英国カーディフ大学に留学。3年次には日本の国際基督教大学に交換留学。日本語を中心に1年間、三鷹キャンパスにて勉強。大学卒業後は中国のChina Children and Teenagers Foundation(NPO)にて子供の教育支援活動に従事。その後、中国系IT企業Beyond Softに入社。日本勤務を経験した後、東京にて英国系リード・エクシビジョン・ジャパン社に転職。2011年に帰国し、北京にて両親が興したオークション会社の経営をサポート。
Q. 家族について簡単に教えてもらえる?
A. 父は画家。母は元々、国営企業で働きながら貿易会社を興して、カザフスタンとか外国との取引をしていた。母親の仕事がずっと上手くいっていた訳ではないけど、周りの人と比べると豊かな生活を送っていたと思う。
Q. 小さい頃は、どんな子供だった?
A. 漫画や本を読んだりするのか好きだったの。父の影響もあったのかも知れない。日本の漫画も好きだったよ。「聖闘士星矢」を観て、ギリシア神話に夢中になったりしてた。歴史モノとか、ファンタジー系が好きだったかな。中国の「十万个为什么」っていう子供向けのシリーズ本も大好きだった。自分でお話を考えて書き溜めたりしてたの。それを自分で考えたとは言わずに「ねぇねぇ、面白いお話があるんだけど」って、友達に話して聞かせたりしてた(笑)。
Q. 高校までは地元の学校だよね?
A. そう。両親もそんなに厳しくなかったし、勉強に夢中になるタイプでもなかった。競争してNo1を目指すより、人と違うユニークな人生を送りたいって思ってた。
誰とも違う人生が歩みたい
Q. 大学はイギリスに留学したんだよね?
A. うん。ウルムチから見たら、北京も上海も大都会で魅力的だし行ってみたかったんだけど、もっと人と違う人生が歩みたくて、海外で勉強しようと思ったの。日本に行きたいって気持ちもあったのだけど、日本語が話せなかったし、英語が得意だったからイギリスに決めたの。ウェールズにあるカーディフ大学という学校で、経営学を専攻したわ。副専攻は日本語にしたのよ。
Q. イギリスでの生活はどう感じた?
A. 寮長とか中国人学生会のリーダーとかいろいろチャレンジした。寮生活ではイギリス人の女の子達と一緒だったのだけど、年齢も私が少し上だったしバックグランドも違ったから、なかなか会話に入っていくのが難しかった。みんな好きな人のこととか話してたけど、私は彼氏もいなかったし、ゴシップも何を言っているのかよく分からなかった(笑)。そのせいで落ち込んで、だいぶ悩んでいた時期もあった。
日本で出会った大切な人
Q. 学生時代の想い出と言えば?
A. それは恋よ、恋(笑)。3年次に国際基督教大学との交換留学で日本に行くことができたのだけど、そこで彼氏ができたの。
Q. 学校の同級生ってこと?
A. ううん。日本に着いたら、友達はみんなバイトしてたから、私も何かやりたいなって思ったのね。それで、英語や中国語を教えてバイトをしようと思ってウェブサイトで生徒を募集してみたの。それに最初に応募してきた人が、彼氏(笑)。私より8歳年上で、IT会社を起業してた。彼には中国語でなくて、英語を教えてた。最初は全然そんな感じじゃなかったのだけど、3カ月くらいしたら告白されて付き合うことになったの。
Q. そうなんだ、じゃあ彼とはイギリスに帰るまでの1年間付き合っていたってこと?
A. ううん。その後も、遠距離で5年間くらい付き合ってた。彼を通して、日本のことも深く理解することができたし、人生に関してもすごく勉強させてもらった気がするの。女性として愛されている実感もすごくあったわ。年は離れていたけど、彼の価値観がすごく私に影響を与えてくれた(笑)。
海をまたいだ恋、そして就職
Q. イギリスに戻って、それから就職はどうしたの?
A. 中国に戻ったわ。イギリス留学時代にOxfamというチャリティ団体に関わっていたこともあって興味があったから、「China Children and Teenagers Foundation」というNPO団体で、子供の教育支援事業をやることにしたの。ただ、入ってみると中国のNPOは政府機関に組み込まれているようなところがあってイメージと違ったから、3か月で辞めたわ。次の会社は、Beyond Softという中国のIT企業。対日事業部という部門に配属されて、すぐに日本への転勤が決まったの。すごくラッキーだったと思う。お客さんがソニーだったから、木更津の工場に行って食堂でご飯を食べたりした。ラーメンがすごく美味しかったのを覚えてる(笑)。仕事は、ソフトウェアの品質管理を担当してたわ。
Q. 彼氏とも、もちろん再会できたんだよね?
A. うん。再会というより、彼はずっと待っていてくれた。仕事については、ソニー向けのプロジェクトが終わってから、所属していた部門そのものがなくなってしまったこともあって、新しい会社を探すことになった。幸い、間もなくリード・エグジビション・ジャパン社に採用してもらえたわ。
Q. 新しい会社での仕事は?
A. 国際見本市の開催というビジネスをやっている企業。社風もよくて素晴らしい会社だった。入社して間もなく、大きな仕事を任せてくれて海外出張や見本市での英語のMCをやらせてもらった。すごく楽しかった。社員はほとんど日本人だったけど、あまり日本的でないというか、自由な会社でとても好きだった。結局、この会社には2年間勤めて、メディア・リレーションや広告予算の管理などを担当した。
悩んだ末の帰国、中国で直面した現実。
Q. その後、中国に戻って長江商学院に入学したんだっけ?
A. ううん。2011年に中国に戻ってきたのだけど、当時、母親の体調が悪くて手術を受けることになったのね。長く別々に暮らしていてすごい心配だったし、両親はその時、オークション会社を経営していてから、私が手伝わなきゃって思ったの。それで中国に戻ることに決めた。
母親の近くにいてあげられたのは良かったのだけど、仕事は・・・・・・めちゃめちゃ大変だった。つらかった。私は中国での仕事経験が少なくて、お客さんとどうやって付き合えばよいのか感覚が掴めなかったし、政府との関係も複雑で難しかった。日本人との付き合いの方が、むしろ楽なくらいだったわ。従業員からしても、いきなり社長、つまり父親の娘が管理職として入社して、よく思っていない人もいたのね。私も業務が分からないからうまく指示を出せないこともあって、その頃は、自分の能力に自信を無くしちゃってた。さらに、社内のいざこざで退職してしまう社員もいたりして、本当にショックだった。彼氏と別れたのもその頃ね。仕事にかかりきりで連絡も途切れがちだったし、両親のことを考えると日本に戻ることも考えられなかったから、私から別れようって切り出したの。ただ、彼との出会いには本当に感謝しているわ。
Q. 中国でMBAを取ろうと思った理由は?
A. 両親の仕事を手伝っている時の経験から、もっと中国のビジネスを理解しなきゃダメだって思ったの。ビジネスセンスを磨いたり、もっとネットワークを広げたいなって。友達もたくさんできて楽しんでるわ。
Q. 卒業後のキャリアはどう考えている?
A. 両親の仕事は落ち着いてきたから、また教育関係の仕事をやりたいなって思ってる。最近、北京外国語大学のインターンに採用されて、10代の子供向け英語教育プログラムの開発を任されているの。政府関係者向けのワークショップもあって、今度講師をやるのよ。今から楽しみ。もちろん、将来的には日本に関わるビジネスもやりたいわ。
今も心の中に響く言葉
Q. 漫画もまだ続けているんだよね?
A. うん、まだ描いてる。実はアシスタントを2人雇って手伝ってもらってるの。プロになれるとは思わないけどね(笑)。別れた彼氏がね、勉強以外で私に最初に聞いた質問が「あなたの夢は何ですか?」っていうものなの。それまでそんな事聞かれたことなかったから、びっくりしちゃって、うまく答えられなかったけど、その質問が今でも私の心の中で響いている。
「特別でOnly 1の存在」になりたくて世界に歩き出した私。いろいろ国で生活をして、大切な人に出会って、お友達を作って、大変な時もあったけど、楽しいこともたくさん経験した。まだ「特別でOnly 1の存在」になれたとは言えないけど、好きな人と一緒にいて、好きなことを一生懸命やる豊かな人生を送れていると思う。これからも仕事はもちろん、漫画や小説など子供時代から夢中になっていることを、ずっとやり続けたいなって思ってるの。この先の人生もとても楽しみ。
<インタビューを終えて>
中国に来て戸惑うことばかりだった最初の頃、クラスで席が隣だったのがGinaでした。彼女から「私も日本での生活が長かったから、まだ北京に慣れないところがあるよ」と言われ、中国人でもそうなのかと安心したことを覚えています。そんなGinaのインタビューはひたすら恋バナでした。
中国の中でもウルムチという辺境で育ち、大学生活以降は日中英を股にかけて生活し、三か国語を流暢につかいこなす彼女。そんなGinaを見ていると、「中国人」という言葉の意味の多様性と広がりについて考えさせられます。ちなみに、チラ見させてもらった漫画のスケッチは、とても上手でした。いつか完成版を読んでみたいです!