アジア映画巡礼

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ディアスポラになるということ~『さらばわが愛、北朝鮮』

2020-04-13 | 韓国映画

本作も、5月2日(土)から2週間の公開が予定されていたのですが、緊急事態宣言で公開が延期になってしまいました。『さらばわが愛、北朝鮮』というタイトルから、私や香港映画好きの友人たちは、「レスリー・チャンの『さらば、わが愛/覇王別姫』(1993)と何か関係が?」と思ってしまったのですが、これは全くの的外れでした。本作の原題が『Goodbye My Love, North Korea』というのだそうで、それを直訳した邦題、というだけだったのです。ということで、まずは基本データをどうぞ。ここにはハングルでも原題が書いてありますが、ハングルは「グッパイ・マイ・ラブ NK(=ノース・コリア)」と読めます。

『さらばわが愛、北朝鮮』  公式サイト
 2017/韓国・ロシア/80分/韓国語、ロシア語/ドキュメンタリー/原題:굿바이 마이 러브 NK/Goodbye My Love, North Korea
 監督:キム・ソヨン
 配給:パンドラ
※5月2日(土)~15日(金)特別限定ロードショー@K's cinemaの予定が延期に。

©822Films+Cinema Dal

1952年、金日成(キム・イルソン)を指導者として1948年に成立した朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)から、8人の若者がソヴィエト連邦共和国(ソ連/現ロシア)のモスクワにある全ソ連国立映画大学(VGIK)に留学します。当時は、1950年6月25日に勃発した朝鮮戦争が約1年間の激しい戦いの後一時休戦に入っていた時で、スターリン時代のソ連に、8人は希望に燃えるエリート留学生として赴いたのでした。ところが彼らの留学中、1950年代半ばになると、北朝鮮の政治動向がおかしくなってきます。キム・イルソンの個人崇拝傾向が強くなり、朝鮮労働党内から民主的な空気が消え失せてしまうのです。1955年12月には、南朝鮮労働党出身の指導者的人物が処刑され、1956年には「延安派」と呼ばれる中国出身者や、ソ連出身者を中心とした「ソ連派」の人々も粛正されていきました。1957年になると、留学生たちとも親しかった駐ソ連大使が「延安派」と目されて更迭され、ソ連を去ります。一方ソ連では、留学生たちが到着した翌年の1953年にスターリンが死去。1956年2月のソ連共産党大会では、後継者のフルシチョフがスターリンの個人崇拝を批判し、「ソ連の春」が訪れようとしていました。

©822Films+Cinema Dal

そんな中、1957年11月にモスクワで開かれた朝鮮留学生大会では、映画大学のシナリオ科の留学生ホ・ウンベがキム・イルソンの個人崇拝を批判し、その後に行方をくらまします。大使館職員との攻防の末、ホ・ウンベは医科大学に留学していた恋人と共にソ連に亡命。あせった大使館は留学生たちがホ・ウンベの思想に染まるのを恐れ、留学生たちを監視しながら、何度か討論会を開かせました。その大使館の目を逃れ、1958年1月に集まった留学生たちは激しい議論を交わし、その結果彼らもソ連に亡命する決意を固めていくのです。そして1958年2月4日、ソ連政府に亡命申請書を送るのですが、これはホ・ウンベがすでに亡命していることもあり、たとえ北朝鮮に戻っても「ソ連派」として粛正されることが目に見えていたのと、「ソ連の春」を目の当たりにして、個人崇拝の北朝鮮に戻ることを嫌悪したからでした。

 

 

その後の彼らは、亡命に加わらなかった2名を除き8名全員が映画大学から退学となり、学生寮を出てモスクワ郊外で自活を始めます。先に亡命してタシケントに住んでいたホ・ウンベが食料を持って訪問し、「私たちは、今こそ真の人間になるという意味で、同じ”真(ジン)”という名前に変えよう」と提案したことから、何人かが名前を変えたため彼ら8人は「八真」と呼ばれているとか。その後、北朝鮮に配慮するソ連当局からは、亡命者として分散移住をさせらたりしながら、この「八真」たちはソ連で生き抜いていきます。8人のプロフィールは以下の通りです。

©822Films+Cinema Dal

「八真」プロフィール
キム・ジョンフン(写真↑↓)
・留学までの経歴:黄海道(ファンヘド)出身
         大学の物理学部で学ぶ
         朝鮮戦争で迫撃砲中隊小隊長として戦う
・ソ連/ロシアでの職業:映画監督(カザフフィルム所属)
・ソ連/ロシアでの居住地:モスクワ→ムルマンスク(北の沿岸部の西端)→アルマトイ(カザフスタン南部。ハン・デヨン、チェ・グギン、ヤン・ウィンシクとも)
・その他:本作韓国公開時の唯一の生存者(のち、逝去)

©822Films+Cinema Dal

チェ・グギン(1926~2015 /写真↓)
・留学までの経歴:1934年両親と中国に移住、人民解放軍に入隊
        1948年北朝鮮に戻り、北朝鮮初の劇映画「わが故郷」で俳優デビュー
・ソ連/ロシアでの職業:映画監督(カザフフィルム劇映画部門所属)
        「龍の年」を共同監督
        1987年「チョカン・ワリハーノフ」で芸術・文化部門国家賞受賞
・ソ連/ロシアでの居住地:モスクワ→アルマトイ(ハン・デヨン、キム・ジョンフン、ヤン・ウィンシクとも)
・その他:「八真」の最年長。本作最後のインタビューを終えた後、2015年5月に死去
     ハン・デヨン作「38度線」の映画化を希望していた

©822Films+Cinema Dal

ハン・デヨン(ハン・ジン)(1931~1993)
・留学までの経歴:金日成総合大学でロシア語を専攻
・ソ連/ロシアでの職業:作家
       カザフスタン、レーニンキチ新聞社(現・高麗日報)にて執筆活動開始
       1962年短編小説「ムクドリ」を発表、高麗人2世の文学をリード
       1965年「継母」の公演後、高麗劇場の文芸部長就任
・ソ連/ロシアでの居住地:モスクワ→バルナウル(西シベリア)→クズロルダ(カザフスタン)→アルマトイ(キム・ジョンフン、チェ・グギン、ヤン・ウィンシクとも)
・その他:留学中は他の留学生に授業内容をロシア語から朝鮮語に翻訳
     亡命後、ロシア人女性ジナイダ・イワノフナ(↓)と結婚

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リ・ギョンジン(1930~2002)
・留学までの経歴:(不明)
・ソ連/ロシアでの職業:(不明)
・ソ連/ロシアでの居住地:モスクワ(1958年一時居住証)→モスクワ近郊
・その他:ロシアで死去

ホ・ウンベ(1928~1997)
・留学までの経歴:(不明)
・ソ連/ロシアでの職業:在ロシア高麗人協会会長
            高麗日報会長
・ソ連/ロシアでの居住地:モスクワ→タシケント
・その他:1997年モスクワ(ウズベキスタンとの説も)で死去
     亡命の経緯は次の通り。モスクワ映画大学在学中の1957年11月27日、朝鮮留学生大会に参加し、金日成の個人崇拝を批判して失踪。大使館の追跡と説得により自主的に戻ったところ、すぐに監禁されたが、大使館のトイレの窓から逃げ、地下鉄の駅員に助けを請うた。ソ連/ロシア当局に引き渡され、医科大学に留学していた恋人(チェ・ソノク)と共に亡命

チョン・リング(1931~2004)
・留学までの経歴:(不明)
・ソ連/ロシアでの職業:(不明)
・ソ連/ロシアでの居住地:モスクワ(1958年8月一時居住証)→イルクーツク(中部シベリア)
・その他:ロシアで死去

リ・ジンファン(1933~2005)
・留学までの経歴:(不明)
・ソ連/ロシアでの職業:(不明)
・ソ連/ロシアでの居住地:モスクワ(1958年8月一時居住証)→ドネツク(ウクライナ)
・その他:ロシアで死去

ヤン・ウォンシク(1932~2006)
・留学までの経歴:(不明)
・ソ連/ロシアでの職業:ドキュメンタリー映画監督(カザフフィルム所属)
            カザフスタン高麗日報ハングル版主筆
・ソ連/ロシアでの居住地:モスクワ→スターリングラード→アルマトイ(ハン・デヨン、キム・ジョンフン、チェ・グギンとも)
・その他:2006年アルマトイで暴漢に刺され死亡

©822Films+Cinema Dal

本作のキム・ソヨン監督は1961年生まれの韓国の女性監督で、公式サイトに詳しい紹介がありますが、本作の主人公たちのことを知って、映画製作に着手した時にはすでにキム・ジョンフン以外の人はすべて亡くなっていたのだとか。チェ・グギンのインタビューは2015年に亡くなる直前に、キム・ジョンフンと共に訪問の記録として撮ったのではと思われます。そういった貴重な映像と当時の写真を紹介しながら、なぜこの8人が故郷を捨ててディアスポラとならざるを得なかったのか、その選択によって彼らの人生がどう変わったのか、といった点を描いていきます。ただ、80分に収めるにはあまりにも大きな物語で、登場人物の顔の区別もつきにくく、解説付きでもっとじっくりと見てみたいと思わせられる作品でした。

©822Films+Cinema Dal

本作中には、チェ・グギンが共同監督としてソ連で撮った映画『龍の年』等のクリップも出てきて、全編見ることができたら、と思ってしまいます。これらのクリップや、引用されている記録映像が、3画面を横に並べる方式で出てくるのにも興味を引かれました。あれはソ連式というか、ロシア式の紹介方法なのでしょうか。旧ソ連領には朝鮮民族の人も多く居住している、ということは知っていました(一昨年急死したフィギュアスケートのデニス・テンもそうです。彼は本作とも重なるカザフスタンの人でしたね)が、こんな経緯でソ連に亡命した人たちもいたとは。驚きの世界が広がる『さらばわが愛、北朝鮮』、新型コロナウィルスの感染が終息したら、ぜひご覧になってみて下さい。最後に予告編を付けておきます。

映画『さらばわが愛、北朝鮮』予告編

 


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