トルコ国内旅行
遅れてしまったが1週間ほど前の旅行。今回はトルコ中部を黒海からずっと南に下る旅。黒海から地中海までと思ったけどバス移動はさすがにしんどいので、
黒海のサムソンから中部の最大都市コンヤまで。トータル700kmくらいだろうか。
黒海のめぼしい都市に飛行機がなかったので、というだいぶ消極的な理由でサムソン(Samsun)には行く事になったのだが、サムソンに着いて観光案内所に行って地図をもらって、そこで働く彼と話してまさにその通りだった。地図で現在地とめぼしい観光地を、と思ったら2つほど上げて(しかも一つは丘、眺めが良いとのこと)終わり。他にはないらしい。
まあ期待はしてなかったのでいいのだが、サムソンはロシアからの天然ガスパイプライン(ブルーストリーム)がつながっており、サムソンを通してジェイハン(地中海側)までつながる。ジェイハンに関しては前回旅行を参照。と、黒海でも主要港の一つなのでその意味でも実際に見てみたかったというのはあった。
海岸沿いには米、麦、油などの食料倉庫が建ち並ぶ。内陸から、国内への輸送地点になっているのだろう。すぐ近くにもサイロが建つ。隣接するTCDDの港にはひっきりなしにトラックが出入りしていた。
サムソンの町は港沿いから町の大半が丘のような高台に位置しているので、上からの眺めはいい。
と、歩き回ってもそれほど見所はないので4~5時間の滞在で次のアマスヤ(Amasya)へ移動。
サムソンからはバスで3時間ほど。山間にぽつんとあるこの町は真ん中に川が流れ、周りを山に囲まれていて、景色、雰囲気が非常にいい。日本で言ったら温泉街とでも言えるだろうか・・・
トルコによくある形の町の中心には丘があって城壁がある、ここもその典型とも言える。そしてここには城壁の下にある絶壁にかつてのポントス王の遺跡がいくつか残されている。これも川沿いから目に入るほどの大きさで、川沿いの古い家並み、遺跡と眺めが素晴らしい。ちなみにホテル(yalıboyu Hotel)も名前の"川岸"の通り、川岸にあって眺めもいい。
橋の上から丘の上から。
町は川をから南に広がる程度で小さなもの。かつての神学校やジャミなどが残っておりこじんまりとしていていい。"Amasya"料理を食べさせるレストラン(Amasya mutfağı)や、ハマムもあって滞在するにはもってこいと言える。
見るからにはあやしいが、おいしいスープ。この地方ではオカカが有名なようで、オカカを使う料理がいくつかある。この中にも油に混じって入っている。
雰囲気があっていい街だ。
1日滞在後、南のシバス(Sivas)へ移動。
バスで4時間ほどでアナトリアの高原に入ってくる。ここは標高1285mで人口は30万人ほど。アマスヤからの移動途中の景色もすっかり高原の様相となり、翌日、世界遺産であるディヴィリー(Divriği)へ移動した際も、かつてチベットで見たような透き通った青い空、白い雲、多少荒れた草原が広がっていた。
着いたのは夜11時近かった。何とか中心地に来たものの地方にも関わらずホテルの値段が高い。pazarlılık(値引き)はトルコでは当然のことなのでやってみたけれど駄目だったので、諦めて他の所へ。
中心からほど遠くない"Akgül otel"も値引きの末、30YTL/night(約2500円)。それでもテレビも冷暖房もすべてついているので、文句は言えない。それとここには面白い事に大学生がアパート同様に部屋を借りて住んでいる。
おれの値引き交渉に付き合ってくれたので、ここに泊まることに。そして腹が減ったので教えてもらった5軒ほど隣のレストランには"シバスキョフテ"がある。キョフテは普通肉ボールみたいなものだが、ここのは平べったい。でも、田舎だから素材が新鮮。値段はサラダからデザートまで付いて9YTL(約750円)なので安い。そしてうまい。これはいつも思うことだが、イスタンブールのレストランよりも圧倒的に田舎の方がうまい。
ここシバスには特筆すべきものはあまりない。ただ、かつてのオスマントルコ以前のセルジュク朝の遺構がいくつか残っていて、ジャミ、神学校の門構えがトルコ西部、イスタンブールではほとんど見られないものばかり。
この13世紀に建てられたウルジャミのミナーレはどうみても傾いていると思うが。
それと、忘れていけないのはここシバスには1919年9月4日の国民会議にてトルコ共和国建国の父アタテュクルが議長に選出されて連合国、イスタンブール政府に対する独立の姿勢を鮮明にした重要な契機となったsivas kongresがある。
さてさて、翌日は世界遺産のディヴィリー(Divriği)へ。シバスからミニバスを乗ること2時間半。朝に出て夕方に帰ってくるイメージである。
ここは13世紀に建てられたウルジャミが世界遺産となっている。病院と一体となったこのジャミは現役のジャミで、今でも使われている。門構えがいわゆるシバスにあるセルジュク朝のものと似ているが、それよりも更に精巧に作られていて幾何学模様がその荘厳さを表している。世界遺産といっても訪れるツーリストはやはり少ないようで、それも頷けるのがシバスからも遠いし、町はほんとに小さくレストランも数軒。ウルジャミを見てしまっては特にやることはない・・・ 1時間見て周って、1時間トルコ人とだべって2時間もあれば十分であった。
門の精巧な作り。
と、シバスに戻り"çerkez kahvesi"を大学生と飲んで、あまりの濃さに寝付けない夜を過ごすことに・・・ちなみにçerkez人とはグルジアなどコーカサス地方から来た人たちのことを指す。シバスもその一帯(西端)ということなのだろう。
翌日からカイセリ、コンヤへと移動。長いのでまた後ほど。
遅れてしまったが1週間ほど前の旅行。今回はトルコ中部を黒海からずっと南に下る旅。黒海から地中海までと思ったけどバス移動はさすがにしんどいので、
黒海のサムソンから中部の最大都市コンヤまで。トータル700kmくらいだろうか。
黒海のめぼしい都市に飛行機がなかったので、というだいぶ消極的な理由でサムソン(Samsun)には行く事になったのだが、サムソンに着いて観光案内所に行って地図をもらって、そこで働く彼と話してまさにその通りだった。地図で現在地とめぼしい観光地を、と思ったら2つほど上げて(しかも一つは丘、眺めが良いとのこと)終わり。他にはないらしい。
まあ期待はしてなかったのでいいのだが、サムソンはロシアからの天然ガスパイプライン(ブルーストリーム)がつながっており、サムソンを通してジェイハン(地中海側)までつながる。ジェイハンに関しては前回旅行を参照。と、黒海でも主要港の一つなのでその意味でも実際に見てみたかったというのはあった。
海岸沿いには米、麦、油などの食料倉庫が建ち並ぶ。内陸から、国内への輸送地点になっているのだろう。すぐ近くにもサイロが建つ。隣接するTCDDの港にはひっきりなしにトラックが出入りしていた。
サムソンの町は港沿いから町の大半が丘のような高台に位置しているので、上からの眺めはいい。
と、歩き回ってもそれほど見所はないので4~5時間の滞在で次のアマスヤ(Amasya)へ移動。
サムソンからはバスで3時間ほど。山間にぽつんとあるこの町は真ん中に川が流れ、周りを山に囲まれていて、景色、雰囲気が非常にいい。日本で言ったら温泉街とでも言えるだろうか・・・
トルコによくある形の町の中心には丘があって城壁がある、ここもその典型とも言える。そしてここには城壁の下にある絶壁にかつてのポントス王の遺跡がいくつか残されている。これも川沿いから目に入るほどの大きさで、川沿いの古い家並み、遺跡と眺めが素晴らしい。ちなみにホテル(yalıboyu Hotel)も名前の"川岸"の通り、川岸にあって眺めもいい。
橋の上から丘の上から。
町は川をから南に広がる程度で小さなもの。かつての神学校やジャミなどが残っておりこじんまりとしていていい。"Amasya"料理を食べさせるレストラン(Amasya mutfağı)や、ハマムもあって滞在するにはもってこいと言える。
見るからにはあやしいが、おいしいスープ。この地方ではオカカが有名なようで、オカカを使う料理がいくつかある。この中にも油に混じって入っている。
雰囲気があっていい街だ。
1日滞在後、南のシバス(Sivas)へ移動。
バスで4時間ほどでアナトリアの高原に入ってくる。ここは標高1285mで人口は30万人ほど。アマスヤからの移動途中の景色もすっかり高原の様相となり、翌日、世界遺産であるディヴィリー(Divriği)へ移動した際も、かつてチベットで見たような透き通った青い空、白い雲、多少荒れた草原が広がっていた。
着いたのは夜11時近かった。何とか中心地に来たものの地方にも関わらずホテルの値段が高い。pazarlılık(値引き)はトルコでは当然のことなのでやってみたけれど駄目だったので、諦めて他の所へ。
中心からほど遠くない"Akgül otel"も値引きの末、30YTL/night(約2500円)。それでもテレビも冷暖房もすべてついているので、文句は言えない。それとここには面白い事に大学生がアパート同様に部屋を借りて住んでいる。
おれの値引き交渉に付き合ってくれたので、ここに泊まることに。そして腹が減ったので教えてもらった5軒ほど隣のレストランには"シバスキョフテ"がある。キョフテは普通肉ボールみたいなものだが、ここのは平べったい。でも、田舎だから素材が新鮮。値段はサラダからデザートまで付いて9YTL(約750円)なので安い。そしてうまい。これはいつも思うことだが、イスタンブールのレストランよりも圧倒的に田舎の方がうまい。
ここシバスには特筆すべきものはあまりない。ただ、かつてのオスマントルコ以前のセルジュク朝の遺構がいくつか残っていて、ジャミ、神学校の門構えがトルコ西部、イスタンブールではほとんど見られないものばかり。
この13世紀に建てられたウルジャミのミナーレはどうみても傾いていると思うが。
それと、忘れていけないのはここシバスには1919年9月4日の国民会議にてトルコ共和国建国の父アタテュクルが議長に選出されて連合国、イスタンブール政府に対する独立の姿勢を鮮明にした重要な契機となったsivas kongresがある。
さてさて、翌日は世界遺産のディヴィリー(Divriği)へ。シバスからミニバスを乗ること2時間半。朝に出て夕方に帰ってくるイメージである。
ここは13世紀に建てられたウルジャミが世界遺産となっている。病院と一体となったこのジャミは現役のジャミで、今でも使われている。門構えがいわゆるシバスにあるセルジュク朝のものと似ているが、それよりも更に精巧に作られていて幾何学模様がその荘厳さを表している。世界遺産といっても訪れるツーリストはやはり少ないようで、それも頷けるのがシバスからも遠いし、町はほんとに小さくレストランも数軒。ウルジャミを見てしまっては特にやることはない・・・ 1時間見て周って、1時間トルコ人とだべって2時間もあれば十分であった。
門の精巧な作り。
と、シバスに戻り"çerkez kahvesi"を大学生と飲んで、あまりの濃さに寝付けない夜を過ごすことに・・・ちなみにçerkez人とはグルジアなどコーカサス地方から来た人たちのことを指す。シバスもその一帯(西端)ということなのだろう。
翌日からカイセリ、コンヤへと移動。長いのでまた後ほど。