イスタンブール 旅のつづき

以前旅の終着点だったイスタンブールに戻ってきて、生活を開始。また旅のつづきを始めたい・・・

年末 よいお年を

2006-12-31 08:05:04 | 日々の出来事
トルコは1月1日よりkurban bayramı(羊などの動物を殺して犠牲として神に捧げる祝日)が4日間あります(太陰暦のため毎年日にちは変わる)。この間、犠牲となった動物の肉を親類などに分け与える、また年長者への挨拶を行うなど一般的には行われます。でもイスタンブールではそれほどでもなさそうですね、イスタンブールからのチケットは欧州各国、ほぼどこも満席になってましたから・・・

昨日何とかテストを通過。これで私も心置きなく旅立てる。
一番の山場と言われたOrta3(7ヶ月目のクラス)が終わり、ちょっと一安心。

さて、今回はやはりギリシャに行ってこようかと。以前学校で一緒のクラスのギリシャ人が暇にしているというので明日から行ってきます。それとロドス島にも。来る前に読んだ塩野七生「ロドス島攻防記」にすっかり虜になっていたので、ようやく念願叶って。本当は夏に行きたかったけれども・・・

それでは皆さん良いお年を。iyi bayramlar!!

クリスマス+忘年会

2006-12-27 06:48:43 | 日々の出来事
といっても特にないんですが・・・
こと、トルコに限っては。

今日は会社の先輩に飯+酒+ラーメンをご馳走になり、久しぶりに日本食で腹いっぱいになって、何となくそれで幸せな気分になってます。今年はこの坦々麺で締めになりそうだ。

1月1日から始まるバイラム(祝日)の前にテストがあるので、当面はそれに向けて勉強中。ボアジチ大学(トルコNo.1)の助手をしている友達を家庭教師にし、しかも彼の研究室で。地震研究をしているだけあって、何とも素敵な光景・・・



その彼も明後日から彼女とレバノンに行くようだ・・・

私はというと、ギリシャの友達に会いに行こうかと。アテネで新年を祝うつもり・・・ 

皆さんもそこそこに飲みましょう。

トルクメン、大統領の死

2006-12-22 19:39:14 | トルクメニスタン
昨日学校の同じクラスのトルクメニスタン人の女の子が、授業中に携帯のメッセージを読みながら、「すいません、大統領が今日の朝亡くなったそうです。」と突然言った。

確かに悲しそうな顔はしていたのだが、独裁体制である同国の国民はなんて感じるのだろう、とても興味深かった。トルコ人と結婚している彼女にとっては、幼少育った同国に対する愛着は強く、それほど仲が良いわけではないので多くは語らなかったが、それでもショックのようであった。

さて、トルクメニスタンとは?
大統領が亡くなったというので多少の情報が流れているが、トルコにおいてはトルクメニスタンは同じトルコ系、またトルクメン語がトルコ語に80%ほど同じということもあって、関係は近い。ただ、実際はこれまではトルコ語に近い、独裁政治ということくらいしか知らなかった。


独裁政治、その別名は「中央アジアの北朝鮮」だそうだ。
ソ連からの独立後、99.5%の支持率でニヤゾフ大統領が再選され、以降も個人崇拝のような形で大統領崇拝が貫かれ、2002年には終身大統領となった。議会はあるものの、事実上民主党の一党独裁制。

首都アシュガバートには約50mおきに大統領の肖像画、銅像が並べられ、金で作られた14mの高さの大統領像は、太陽の動きに合わせて「回転」するそうだ。

国民の一般品、食べ物とか衣類とかにニヤゾフブランドなるものがあり、市場にはニヤゾフブランドが並び、そして神の啓示を受けて書いたとされる「Ruhnama」は国民の必読書となっていて、本屋にはずらっと並ぶようだ。それと、3年くらい前の朝日新聞の記事によれば、一般国民のインターネット接続は制限されていたようだ・・・

大統領像といい、是非とも行ってみたい国ではある・・・

補足、独裁制とはいえ、同国もイスラム国家ではあるものの、イランからのイスラム原理主義者、アゼルバイジャンからの原理主義者の流入を警戒するなど同国体制を保持しており、いわゆる今の北朝鮮のような対外政策を取ってはいないようだ。


トルクメニスタンの経済はというと、対外輸出額の3位にトルコがある。
これは恐らく原油、天然ガスか石油製品かと思われる。(ただ、トルコから見た輸入額としてはトルクメニスタンはその他に入るほど、額は大きくない。)

同国は、天然ガス、石油の埋蔵量が豊富。天然ガスの埋蔵量は世界第四位の規模で、同国輸出額の約50%。そしてその他の輸出額3割が原油、石油製品。綿花も盛んであるが、同国は資源によってのみ支えられていると言える。クラスの女の子に言わせれば、トルコでは2ドル/ℓ近いガソリンが1/10の値段で買えるそうだ。

ロシアからの影響力を排除するため、ソ連時代に天然ガスの輸出に対する恩恵が同国に還元されなかったことが原因の一つのようだが、ソ連からの独立後、ロシアへの天然ガス供給を停止している。そして、「永世中立国」として95年国連から承認されている。このようにロシアからの影響を逃れた同国にとって、最大の資源輸出先はイラン。新たなに建設したパイプラインを使い、天然ガスを供給している。

今年6月、カスピ海の原油がアゼルバイジャンのバクーからグルジア、トルコへと供給されることになったのは記憶に新しい。同じくカスピ海に接するトルクメニスタンにとっても、その可能性は膨らむ気はしていたのだが(実際、カザフスタンの原油まで手を伸ばそうかなどという話しもあったようだし)、今後新しい大統領になってどのように体制が変化するか、トルコとの関係はどう新たに構築されるか、注目したい。

第4回 旅行

2006-12-21 18:46:17 | 旅行
第4回 旅行 ören

しばらく忘年会やら友達が来ていたりで書き込みが滞りました。

さて、15日から週末にかけてエーゲ海沿いの海辺の町örenへの小旅行に行ってきました。そもそも以前にも書いた日本へ行ってしまった友人がこのören出身であり、そのörenから来た友人たちは、同郷ということもありここistanbulでもroommateだったり、毎週のように飲んでいたりとつながりは強い。

この友人の送別会で知り合った友人たちとのつながりも強く広がりを見せ、ören出身者はもう10人くらい会っただろうか。その中の一人のおじさんにistanbulで会った縁で、今回örenで開催された「オリーブとオリーブオイルのフェスティバル」に招待された。名前の通りそれからこの町周辺から始まりエーゲ海沿いに南へ200kmくらいがオリーブ畑の同地方は、オリーブが当然盛んで、トルコの朝の食卓には欠かせないオリーブの一大産地である。



istanbulよりバスに乗る事8時間。örenはburnaniye市の一部。土曜日、家から歩いて数分の所に広がる海辺を歩きながら昼を過ごす。istanbulの友人たちとあの場所で高校時代、夜な夜な飲み明かしては、夏であれば夜中でも海に入ったり、などと懐かしい話しに耳を傾ける。この日は天気が本当に良かったので、桟橋で釣りをするおっちゃんと話しながら、友達が「ビールでも」と、ちょっと目を離した隙にいつのまに買っていた。さすがエーゲ海と言えるんだろうか。昼間からビールを飲む、うん素晴らしい。

örenの海はちょうど半島に囲まれたようになっているので、波が全くなく本当に静かな海だ。そして遠くかすれて対岸にギリシャの島が見える。何もしていないとistanbulにいる時には久しく聞いていない静寂があり、船のエンジン音がかすかに聞こえてくるくらい。



ören、かつての名をadlamytteion(アドラミティオン)。かすかに残された当時の遺跡が残る。



ビールを飲み干し、Burnaniye市長が参加するオリーブに関するカンファレンスに向かった。そもそも友達のおじさんがBurnaniye市で働いていた関係で、市長が日本に強い関心を持っていたこともあり、私を招いたのだそうだ。とはいえそこはトルコ。オリーブのカンファレンスに参加したものの、まず友達が「飽きたので後10分で出よう」と始まって20分もしないうちにおれに耳打ち。そして外に出てしばらくするとおじさんも出てきて、友達が「腹が減ったので」と切り出すと、「そうだな、何か食べに行くか」とカンファレンスも市長もそっちのけで食事へ。そしてそこでもビールと、もう飲みへ走ることに。(ちなみにカンファレンスと言っても小さな市の会議。せいぜい100人いたかどうか。)

でも食べながらパンフレットを読んでいたら、サブタイトルにuluslararası(international)の文字が。「オリーブと言えば、イタリアとかヨーロッパから来ているんですか」と聞いたら、「来てないよ。せいぜい来ているのは日本からかな。一人、日本人がいるだけでもinternationalだ。」とおじさん大笑い。
それっておれじゃん。



その後、おじさんは日曜日の最後のプログラム「劇」の練習のため練習場へ向かった。このフェスティバル、3日間で劇やコンサート、写真展などいくつか用意されており、締めが劇だった。

その練習に家族皆で見に行くというので一緒について行く事に。劇はトルコ共和国建国の父、アタトュルクが建国までにどんな道を辿ったかという、アタトュルク万歳!の劇である。まあ劇の内容はともかくとして、さすがは芝居をやる若者たち、ノリもいいし面白い。ひょんなことで練習に参加した日本人もいるということで、休憩時間もトルコの踊りやら歌で盛り上がる。そしてお決まりの日本人の番。

といっても何かをできる訳でもないので、歌を歌うことくらい。以前にもistanbulで同じようなことがあったのだが、なぜだがこういう時に頭に鮮明に浮かぶのが浜田省吾の「悲しみは雪のように」。とはいえ自分でも歌いながら、この歌詞合ってないよなと気付くくらいのレベルだが・・・(ただ、実際カラオケの点数で一番高得点を出したのはこの歌。)

でもこの歌を歌っている時点でやっぱり古いよなと思う。


練習も終わり、別の友人たちの飲む所へ。
ここでは3ヶ月ほど前にistanbulで会った友達と久しぶりに再会。彼はいわゆるgemi(軍艦)で軍人としてではなく軍艦に従事しており、3ヶ月、半年という単位で軍艦に乗って働き、しばらく陸で休憩し、また働くという生活をしている。今回はフランスに行って、帰ってきたそうだ。

ここで会った他の友達がまた興味深かった。何ともトルコ人とは言えない顔付きをしていて、果たして誰がトルコ人でしょうかクイズができるのでは?と思えるほどだった。中央アジアっぽい顔、中国人っぽい顔、それこそinternationalだった。
そのまま友達の家に向かい、朝方まで飲み明かした。以前の送別会で家にある酒を全部飲まれたので、何とかワインを空けたかったが、最後のボトルは空けられなかった。



日曜日起きたのは昼頃だったか。
トルコの簡単な朝食「menemen」。トルコ風オムレツ、スクランブルエッグというか、好きな料理の一つ。トマトと辛子を炒めて卵をかける。これを男どもで作って食べながらゆっくり目を覚ましていく。

そして他の友達がいるcafeへと向かった。まだ3時くらいだったけど、cafeに着いたら他の友達がビールを飲み始めた。静かな海の見渡せるcafeには日が差し込んでいて、まだ飲むには体調は回復してなかったけど、そこはトルコ。友達と一緒に飲み始める。皆古くからの友人のようで、懐かしい話しや、今の生活について語り合い、聞いているだけでも楽しい時間だった。




ここで知り合った人も面白かった。何が面白かったかというと、その出身地。一人はおじいちゃんがボスニアヘルチェコビナ、もう一人は母がギリシャ、そしてもう一人はおじいちゃんがブルガリアという何とも国際色豊かな顔ぶれ。確かに第一次大戦前まではオスマン帝国がバルカン一帯に影響力を持っていたことを考えれば不思議ではないが、彼らもそのオスマン帝国の影響をもろに受けているんだよなとつくづく思った。例えば、オスマン帝国の強力な軍隊を象徴するイエニチェリ軍団は、支配地のキリスト教国より屈強そうな若者をトルコへ連れてきて、イスラム教へ改宗させて組織された、最強軍団である。

それよりももっと興味深かった話しもある。以前トルコに住むユダヤ教徒を調べていた際、今でも例えばトルコの財閥(profiloという近所の大型マーケットを運営する会社の社長)などにユダヤ人がいるのだが、トルコとユダヤ人の関係は良いようだ。15世紀に迫害によりイベリア半島を追われたユダヤ人(スペインから来たスファラディー系ユダヤ人)が、テッサロニキ経由でトルコへ逃れてきたらしい。もう一方のユダヤ人(東欧出身のアシュケナジー系)の一部もやはりトルコへ逃れてきており、このörenにも来ているようだ。というのも、先祖がポーランド人という人がここörenに何人もいるようである。


話しはそれたが、cafeで、そして海辺を散歩しながら、劇に向かった。劇は40分ほど。アタトュルク万歳の劇なので、だいたい内容は分かっていただけるだろう。小さな町だし。

劇が終わってからも大変だった。劇で連中とも仲良くなっていたので、終わった後の打ち上げ、いわゆるトルコの踊りや歌やらの会に参加し、大いに盛り上がったのはいいのだが、またしても日本人の歌コールにあってしまい、昨日に続いて、と思いながらまたしても浜省を歌ってしまった・・・
次はレパートリーを増やしていかないと。



それにしても、気持ちの良い出会いと別れだった。
学生時代サークルで植林などをしながらフィリピンの山奥に行っていた時の、あの温かい人との触れ合いというか、すごい久しぶりに彼らとの感動的な最初の出会いと別れをちょっと思い出させる、胸にぐっとくる別れだった。トルコに来て半年、初めて味わった感覚だったと思う。

帰りのバスは熟睡、起きたらイスタンブールに戻っていた。


さて、最後にオリーブについて少々触れておこう。

トルコのオリーブ生産量は、スペイン、イタリア、ギリシャに次いで4位もしくは5位。毎年の生産量にむらがあり、不作の年はシリア、チュニジアなどに次ぐ。トルコ国内では約9000万のオリーブの木があり、その80%は今回訪れたエーゲ海沿いにある。

オリーブの歴史について少し触れると、オリーブの栽培は約6000年前に今のトルコ南東シリアとの国境近くで始まったというのが定説のようだが、トルコ人はエーゲ海沿いが最初だと主張しているらしい。ただ、エーゲ海沿いでも北部産がイタリア産に、南部産がスペイン産の味に似ているらしく、トルコを発祥としてギリシャ、イタリア、スペインへと広まったとも考えられなくもないようだ。(まあ、トルコ人は何でも「発祥の地はトルコ」と言っているように聞こえる時も多々あるが・・・)

トルコはスペインやイタリアのような丁寧な生産管理が行われていないこともあり、生産や品質にむらが出るようである。但し、今はやりのオーガニックオリーブの生産に力を入れ始めるなど、今後の対策次第では大いに飛躍のチャンスがある。そして、国際オリーブ協会(EUを中心とした組織)に属していないトルコにとって、EU加盟問題と合わせてオリーブでもその統合が問われる時が来るのだろう。とはいえ、トルコにとってどこが巨大マーケットになりうるかだが。

日本ではほとんど口にしたこともなかったのだが、日本はどうなのか?
世界の年間生産量が平均300万トンに対して、日本の輸入量は約3万トン/年。(日本でも瀬戸内海の一部で生産している)アメリカが約20万トンの輸入量なので、日本・アメリカはいわゆる健康食品、健康品の人気から今後伸びるのではないかと思われる。人口約1000万人のギリシャが最大消費国で、約30万トン/年なので、国民に定着すれば大いに伸びるだろう。

ただ、今回友達からもらったのだが、オリーブオイルの石鹸。
こうした健康グッズの方が人気が出そうな気もする。

みんなに言われた日本へのオリーブの輸出。う~ん、実現するには健康グッズへの加工が必要かな。