イスタンブール 旅のつづき

以前旅の終着点だったイスタンブールに戻ってきて、生活を開始。また旅のつづきを始めたい・・・

暑い

2007-07-25 05:58:25 | 日々の出来事
先月にアフリカからの熱波・・・がやってきたせいで約70年ぶりだったか50度を越えるなんて日があったけど、それに続いて最近また暑い。

今週はイスタンブールから東200kmあたりに自動車メーカーの工場があるのでよく行くのだが、月曜日も昼間は40度までいった。最近は40度でもそうは驚かなくなってきた。まあ言ってみれば何もない田舎で、イスタンブールほど風が涼しいわけでもないので、これまたもわっとくる。

イスタンブールから東に延びる高速は首都アンカラまでを結ぶメイン道路なので、交通量も多い。150kmくらいで飛ばせば4時間ほどで行ってしまう。まあでも暑いと人間ぼけっとするのだろう。行き帰りあわせても5件ほどの交通事故があった。もともとトルコは運転が荒いから事故は付き物だけど。。。

今も夜、部屋の中は暑い。
家にはクーラーがないのは前にも言った通りで、やっぱり最近トルコのクーラーの売れ行きが伸びているように、クーラーなしではトルコ人も耐えられないのだろう。

トルコに来る人は結構驚くんだが、緯度は日本で言えば青森くらいあるので冬はもちろん雪も降るし(東京とほぼ同じ感じ)、「北」ではあるのだが。
明日もその方面に行く、どうも暑そうだ。



日曜日の選挙の結果はAKPの大勝。とりあえずイスタンブールっ子は怒っている人は多いけど、そこまでの混乱はなし。これで大統領もAKPはギュルで再度押してくる可能性があるかな。またそれは別の機会で。

選挙

2007-07-23 01:31:21 | 日々の出来事
今日トルコで総選挙が行われた。今はその開票待ち・・・

経済に与える影響というのは実はあまりないと言われている。大統領選挙の際にアブドラギュル(AKP:与党)が大統領になった場合は、首相・大統領がAKPとなり、トルコ共和国建国以来貫いている「政教分離」が崩れると国民による大規模なデモが行われた。つまり、法案に対する拒否権を持つ大統領までがAKPとなると危険だと。。。AKPはもともとRP(福祉党)のいわゆるイスラム教政党の流れを汲んでいるだけに、首相、大統領の奥さんは頭に布を被っていて、公共の場では被るべきだという発言もあったそうな・・・

さて、現時点でもAKPは43%ほどの得票率である。第一党には変わりないであろう。後はどこと組んで組閣していくかという所くらい。

前置きは長くなったがこの状態でもトルコへの直接投資は衰えていないし、イスタンブール証券取引所は連日最高額を叩き出し、リラ高は続いている。なので恐らくこの選挙の結果がどうであろうと経済には影響は出ないのではないかと。ただ、恐らくリラ高は多少落ち着いてくるだろう。


一般市民への影響・・・・
1つ、リラ高が続いているせいで去年来た時は1リラ=80~85円くらいだったのが、今は1リラ=98円~100円。約20%弱は高くなっている。円もよわっちいからね、今は。

1つ、選挙で市民のデモなどが起きないようにと、今日はアルコール類がレストランなどで売られていない。ゴルフの後に飲めないし、これから日本から来る友達とも飲めないし・・・
どちらも大きい。

第14回旅行 キプロス

2007-07-18 05:54:18 | 旅行
先週末に去年トルコに来てから3回目のキプロス。

今回は前回のラグビーという目的があるわけでもなく、ただ海、そしてカジノ・・・土曜日の昼に着いてホテルに行き、海へ直行。キプロスはイスタンブールと違って地中海性気候だからだろうか、日陰に入っても風が涼しいということはなく、むあっとくる暑さである。

今回は「バカンス」ということで後輩と行ったのだが、海でも遊ぶということでもなく、日焼けをして寝るか、本を読んで過ごすという贅沢ぶり。

このホテル、前も言ったけど泊まっている間はどこで何を頼んでもタダ。ひたすらビールを飲んでいたが、夜食もうまかった。海をバックにトルコミュージックを聞きながら。




それから以前知り合ったトルコ人の友達と合流。その友達の友達の誕生日やらとに呼ばれ、船の上のパーティに参加。この時の子供はかわいかった。トルコでは小さい子供からミュージックにあわせて踊るという習慣があるのだろうか。トルコ人にとっては「踊り」「音楽」というのは欠かせないモノではある。



今までトルコ人の子供はそこまで人懐っこいことはなかったが、この子はなぜか私のことが気に入ってしまい、「bu benim(これ、私の)」と言ってはみんなは大笑いしていたが、お母さんの目線が痛かった。

と、夜中にホテルに帰りカジノへ。
結局朝近くまでの戦いもたいした成果も上げられず・・・しかもカジノへ入る時は短パンでイスタンブールから来ていたこともあり、「短パン」入場不可に大慌て。どう交渉しても仕方ないので、ホテルのボーイからズボンを借りることに。恥ずかしいというか、勝ってお金と一緒に返したかったのだが。

と、こんな感じで翌日はまあほとんど寝ている状態。いかにも夏らしい休日の過ごし方。せっかくだから日本に帰っても例えば、沖縄に、韓国に、中国に、なんて色々やってみようと思う。あまりにも時間を有効に使っていなかった気もする。まあそれ以上に仕事があり過ぎるとも言えなくもないが。

さて次はどこにするか。

ことわざ

2007-07-06 06:02:55 | トルコ語
今日は久しぶりのラグビー。
先週の40度越えに続いて暑い日が続くイスタンブール、さすがに週末でも15時から外で走るのはおっさん達には辛いということで週末はなし。平日の仕事の後にやることに。今日は風もあって涼しい方。
また、今週末に熱波が再来するようだが・・・

さて今日は全然別の話題で、トルコの「ことわざ」。
たまたま帰る時のエレベーターでトルコ人が話していたのを思い出し・・・

「komuşun tavuğu komuşuya kaz görünür」

直訳すれば、「隣の鶏は隣にはダチョウに見える」
要は日本で言うところの「隣の芝生は青く見える」である。

最初にこれを聞いた時には、鶏は卵を産んで生産性があるのだからいいのではない?と思ったけどそうではないらしい。例えばダチョウの産地である東部(エルズルムなどの地方)のダチョウはそれは絶品らしい。しかも季節が秋にかけてと限られているようで、貴重なようだ。
本当にそこがこのことわざの語源になっているのか、鶏の卵が待てない辛抱弱いだけなのか、分からない。

とにかく、以前会社の人と飲んでいる時に「ことわざを言ってみろ」と突然言われて出てきたのがこれ。この鶏の議論でおれのトルコ語の実力試しの議論の話題から離れたので、そういう意味では思い出深いことわざではある。

話しはそれるがそのダチョウ。トルコも以前は鳥インフルエンザで人が亡くなるなど畜産業は打撃を受けた。もともと鳥は結構盛んではあるが、どうもまだ脆弱なようだ。例えば、自動車などトルコで競争力がある商品はEUとの関税同盟によって関税ゼロで輸出されている(トルコ製の家電製品はEU内でも30%ほどのシェア)のに対して、こうした弱い製品にはトルコへ輸入する際の関税が極めて高い。ようは自国産業の保護として、日本で言うところのアジア産の米に高い関税をかけるようなものである。


何年後にこのことわざを聞く時には「トルコ産のダチョウ」ではなく、フランス産になっているかもしれない。

第13回旅行 ルーマニア

2007-07-04 06:04:06 | 旅行
今回は週末を利用しての旅行。
トルコ国内は一段落して、周辺国から順番にと前回のブルガリアと同様2007年1月にEUに加盟したルーマニアへ。ブルガリア北部に位置する東欧ルーマニア、イスタンブールからは飛行機でわずか1時間20分の距離。

国の広さは日本の本州の半分ほどと、トルコの1/4程度の大きさ。人口は2500万人ほどで、GDPもトルコの約1/5程度。EUに入ったとはいえ、まだまだこれからといえる。

前日の金曜日が2時頃まで飲んでいたので朝8時半のフライトも結構しんどい。出発の1時間前に空港に着くもトルコ人も夏休みに入っていて、空港は混む・・・

ルーマニアの首都ブカレストに到着。聞いていた以上に何もない感じのする街並み。旧ソ連時代の影響でよく旧ソにありがちな画一的な街の作り。建物も廃墟になったままだったり、古く壊れた家が目に付く。それと、一部昼からでもビールを飲む若者が集まるバーやお店が並ぶ通りも、日曜日の昼間だったとはいえ、寂しい通り。トルコではこんな静かではない。それと、廃墟となった映画館。




首都の中心地に行くとやはり高層ビルも多少目に付き、賑わいが見える。面白いのはキリスト教国、ビルの中でもポツンと教会を残す。このような計画性の無さというか、街の景観へ重きを置かないのは日本にも共通するか。




その中でも異彩を放っているのが、独裁者チャウシュスクが1980年代に1500億円なる大金を使って作らせた「国民の館」。未完のまま工事は終わったようだ。




首都の中でも面白いなと思ったのは、ドラキュラのモデルになったと言われるヴラド・ツェペシュ公が15世紀に築いた砦の跡がある(地下に残る)。ドラキュラと言えば誰でも知っているが、なかなかそのモデルが誰であるかまでは知らないのだろうか。私も実はトルコに来るまでは知らなかったが、ここに来るにあたってお客さんから薦められた一冊の本があり、それがこのドラキュラに関する本「Historian」である。ドラキュラはそもそもルーマニアのワラキア領の領主で、オスマントルコ軍と戦い、トルコ兵を串刺しにしたことから、「串刺し公」の異名を持つようである。かつその恐怖からあのような暗闇でも生きる半ば不老不死のようなイメージがつき・・・ 残念ながら今回はヴラド・ツェペシュ公の城には行けなかったのだが。



実際に国立軍事博物館に行ったら、ルーマニアの15世紀から20世紀はじめの独立まではずっと支配されていたオスマントルコとの戦いの歴史であることがよく分かる。この本を読んでもらうとドラキュラとはというのが多少分かって頂けるかと。
また、イスタンブールも舞台の一部になっており、「ここ」で読んでいると臨場感があってなお面白い。

他にいくつか写真を。ルーマニアは数箇所でこのように街中に車を展示している。
HondaのCRV新車で約380万円。トルコに比べれば安い方か。




さて、首都から北へ170kmほどに第二都市ブラショフがある。首都の喧騒からは離れ、中世の街並みが残っている落ち着いた雰囲気がある。土曜日のうちにさっと移動して、ここでゆっくり休む事に。

この移動の時驚いたのは列車の設備がかなりしっかりしていること。切符売り場のおばちゃんなんかはまだまだ欧州?という感じではあるものの、列車の発着時間が正確、清潔である。前から「鉄道は国家の力を表す」と思っているが、その点ルーマニアはトルコよりもブルガリアもしっかりしていると思う。逆にその2国は道路(バス)がしっかりしているとは思うが。



車窓はというと、ブルガリアの光景と同じ。つまり旧ソ連時代の計画経済時に作られたと思われる施設が無残にも廃墟となっている。修復をしても使い道がないのか、そこまで財源が回せないのか分からないが、あの光景を見るとまだまだという気がする。いい景色もあるのだが。




ブラショフの目玉は「黒の教会」。かつてオーストリアのハプスブルグ家の攻撃を受けた際に黒くなってしまったことからつけられた名前のようだが、そのルーマニア一とも言われるパイプオルガンも素晴らしいが、教会内に飾られた絨毯が面白い。すべての壁にかけられたこの絨毯。何を意味するのか分からないが、かなりの確実でオスマントルコからの戦利品なりであろうと思われる。そこにもまたオスマントルコとの歴史がある。教会とその前の広場。




あとは聖ニコラエ教会。14世紀に作られてその後改修されたこの教会。外壁にはイエスなどの絵が描かれている。



かなり歴史ある建物の前の広場でサッカー。ここもサッカーが一番のスポーツ。



ルーマニアの物価はトルコ(イスタンブール)より20%ほど安いくらい。このピザとビールを飲んでも1000円弱。ビールは安い。




それと思ったのがルーマニアは緑が非常に豊かである。列車に3時間ほど乗っている間、ひたすら緑の山々が続く。農業国であるこの国、林業が盛んで日本にも木材を輸出している。そういえばボスポラス海峡を木が積まれて輸送されている光景を思い出したが、ルーマニア一の港コンスタンツァからボスポラス海峡を渡って輸送されているのであろう。


工業化もまだまだこれからなので、今後はうまくEUートルコを結ぶ東欧の中心として発展する可能性はあるかと。トルコは欧州の工場でもあり、消費国でもあるので。