Chris's monologue

二匹+ONE?のクマンズとChris(謎の生命体)の怠惰な生活

くまんず in 陸中海岸 Part. 5

2013-04-05 08:36:18 | 旅ぃ~ゆけ~ばぁ

この標識は、陸中海岸、国道45号線を走ると、数十本……いや、数百本目にすることができます。

註:海岸沿いの黄色い線が45号線です。


震災から2年。
もう復興してるんでないべか? そんな希望をいだいて東北に来ました。
けれども……クマルが見たものは、生々しい傷跡でした。
陸中宮古から釜石まで、45号線を海岸沿いに走ると、おびただしい数の浸水区間。
アップダウンの激しい道路で、

浸水区間はここまで。って、標識があった途端、また浸水区間がスタートします。
とにかく、ひたすらその連続。
長い距離です。
これがずっと大船渡、陸前高田、気仙沼とつづいているかと思うと、気の滅入る距離です。

これって、絶対テレビじゃ伝わらない。
テレビって、一部の映像を区切って伝えてるだけだから。

瓦礫は撤去されても、そこに残るのは廃墟。

なぎ倒された電柱が生々しかったです。

こんな鉄筋が引きちぎれるなんて……。
海さえ見えないこの土地に、津波が押し寄せたことを想像するだけで、身も心も振るえました。

写真はあまり撮りませんでした。

詳しくは、
美○しんぼ 108@Chris's monologue】←これを読めばわかります。
2012/03/05初版本なんだけど、現在もその当時とほとんど変わりありませんでした。


この川にも水がゴーゴーと流れ込み氾濫したことでしょう。

あのとき、ここから見た風景はどんなだったのか想像できません。

だって、こんなに穏やかに海が凪いでいるんだもん。
けれども、いったん牙をむくと、

生き物として、命の儚さを感じます。

美しい風景。
その麓では、

行き先のない瓦礫の山。
クマルは、涙がとまりませんでした。
運転しているチャイロ系ちゃんの目にも涙が浮かんでいます(危ないっつーの!)。
けれど、45号線には復興のため働くヒトたちの車やトラックをたくさん見ました。
この町をどうにかして復興させたい。
そうやって汗をかいているヒトが大勢いることにクマルは正直感動しました。
いまの日本は、経済、経済、また経済で、お金を稼ぐことにしか目が向いてないけど、それと同時に失うものがあるってこと、この場所に来てもう一度考え直してみたほうがいいと思う。
景気がよくなると、失うのは心です。
2年前は、あれだけ同情していたにもかかわらず、おそらくGWなんかは海外旅行とか大勢行くことでしょう。
けれども、そこで立ち止まって考えてみて。
海外で散財するなら、ここ岩手に来てお金使おうよ。
ここにヒトが来てくれることが、復興支援としてお金をくれるよりも、どんだけ地元民が喜ぶことか。
亡くなったヒトはもう戻らない。
だからって、日本人から心をなくす必要はない。
お金って、ヒトを狂わせるけど、使い方を間違えなければいいだけでしょ。
そう思って、クマルは祈りの場所を探していました。
すると、45号線沿いに、

こんなものが。
 
昭和8年3月3日 津波記念碑
後ろに見えてる手すりが痛々しかったです。

ちびっこい観音さまにお線香あげて、お祈りしました。
すると、クマルの耳に観音さまの御声が!!

「これより南へ下りなさい。そこでお待ちしています」

え!?
南?
どーゆーこと?
ま、まさか福島第一原発ってこと!?

つづく



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