第2ステージのK.ワイルのステージは、ブレヒトの「三文オペラ」のテーマソング『マック・ザ・ナイフ/英語(メッキー・メッサ/独語 』(ドスのマック)のモリタートのメロディーを鼻歌で歌いながら、団員たちが下手と上手からバラバラに登場する形で始まった。
「モリタート」とはドイツで大道芸として歌われた『殺人大道歌」のこと。
三文オペラは、主人公「メッキー」という極悪人(殺人鬼)を中心に繰り広げられる、ロンドンの下層階級の人間たちの音楽劇。
ブレヒトの「三文オペラ」は、元々、ヘンデルのバロック・オペラ(神話や伝説など荒唐無稽な筋立てのオペラ)に対して、ブレヒトが皮肉って書いたとされるオペラ。
ブレヒトと仕事をしたクルト.ワイル(ヴァイル)の5曲を演奏した。
これについては昨年暮の「風の練習日記と忘年会」で書いたが、「Speark Low」と「I'm A Stranger Here Myself」はミュージカル「One Touch Of Venus」の中で歌われる曲。
ジャズシンガーが自由に歌っている。
当日聴きにきてくれた知人の中には、演奏がジャズの体をなしていないなどの感想をいう人もいた。
そういう批評は想定していた。
コーラスで、日本語でするんだから当然英語で歌うシンガーのようにはいかない。
このステージは、少し狭いナイトクラブと言った雰囲気をイメージして、団員の数人は、色々な柄や色合いのストールを羽織っている。私も腰に巻いている。
最初の「Speak Low」と「September Song」は 赤い照明を全開。
3曲目「Nannas Lied」は暗めの赤い照明。
4曲目「Youkali」は理想郷を歌ったものだから少し明るく黄緑の照明。
5曲目「I'm A Stranger Here Myself」はまた暗めの赤。
ピアノ横に小さめの丸テーブルと椅子が置かれ、ワイルのステージの前のソングの後、指揮者は舞台袖に引っこまず、その椅子に腰掛けて「ソング」と「ワイル」についてのお話をされた。
お話が進む中、途中から私はピアノの前に座り、先生のお話が終わると「モリタート」の最初のワンフレーズを引き出す。
団員たちはラーララーラとこのメロディーを歌いながら、めいめい舞台へと繰り出し、壇上に立つ者、背中合わせに座る者など色々な出で立ちでステージを作る。
団員が舞台に揃ったところで1曲目「Speak Low」
「やさしくはなして 夏の日はとおくへ 行った
ひくい声で ゆれる舟のように はなれ はなれた…」と歌いだす。
「September Song」は「ニッカボッカホリデー」というミュージカルで歌われる。
1952年の映画「旅情」のテーマ音楽にもなっている。
私たち年代の者にはこういう映画音楽はしっくりと気持ちの中に入ってくる。
始まりは少し語りのように歌い、そのあと「春はとおく かなたへ 去り 秋の日はみじかくて〜…」とゆったりと、人恋しい初秋の旅情を歌う。
いよいよ「Nanna's Lied ナナの歌」
Mさんが椅子に座り言う「私の名は ナナ。あぁ あの頃はよかったわぁ…」
そして歌が始まる「若かったあの頃は たのしく恋をして 乙女のままでした
なにもかも キラキラと かがやいて光ってた… ピアノの間奏/台詞 「私だってにんげんだもの)」
そして後半の間奏にもまた台詞 「あぁ 若さには勝てないわ…」
老いた自分の姿を鏡で見て、そこに他人のような自分がいる、心は氷のよう、と歌う。
4曲目までの訳詞は大森先生。
最後の「I'm A Stranger Here Myself (私 ここでは他人のようなの)」は団員の真澄さんの訳詞。
「愛はまだ力があるの?教えてほしいの 遠い昔のはなしなの? 私ここでは他人のようなのよ…」
これらのワイルのステージを「マックザナイフの軽やかなピアノアレンジに始まり、それぞれの曲が個性的でよかった。月日の経過とか老いを扱ったものが多かったように思うが、不思議な明るさのあるステージで、演劇的でもあり特に楽しめた」と言ってくれた人がいた。
私の妹も、照明などによる演出で物語風な雰囲気に、客席が聴き入っていたとよ言ってくれた。
いつだったかコーラスの練習の帰り、大森先生に「こんなジャズをコーラスで歌うのって難しいですよね」先生も「そうだよ」とおっしゃったので、「でもふつうのコーラスじゃ、ワイルをやらないでしょうし、どこもやらないことをやることに意義があるんですよね?」と言うと「そうなんだよ」と深く肯かれた。先生は86歳。これらの曲をステージに乗せようというセンス、歌詞の翻訳、誰でもが出来るものじゃない、これを書きながらそんなことを思い出している。