合唱団の活動最後のコンサートが終わって、感傷に浸る間もなく、団員それぞれは自分の予定通りのスケジュールをこなしていっていると思う。
第1ステージ「ソングの花束」
これらの曲選びは、当初先生が何曲か選んでこられたものを、先生の意向を優先的にして取捨選択した結果、結局は今まで歌い尽くしたものばかりとなった。特に宮澤賢治の詩によるものが半分を占めた。
プログラムの「Profile」のページにある先生の言葉の中にあった一節に「歌い残した作品は数多くあり、歌う機会を失った曲たちはとまどっていることでしょう」とある。
林光さんから届いている手書きの楽譜はコピーされて、華奢で随分と小さくなられた先生の、背中のリュックに詰め込まれて練習の度にドサッと持ち込まれた。
それらは団員たちのそれぞれのおうちの書棚に所狭しと収められていると思う。
1曲目「決してこない聖者の日」はベルトルト.ブレヒトの「セチュアンの善人」という芝居の中で歌われるソング。
「善良でやさしい娼婦のシェン・テが、神様に一晩の宿を提供してお礼をもらう。神様はシェン・テに善良であり続けるように言い残して去る。善良すぎる彼女はノーと言えないので、神様からの伝言を守ろうとしていろんなことに悩む」というお話。
人間は善人のままで生きる事ができるのか?
毒の効いたブラックユーモアたっぷりのブレヒトの詩が、林さんの作曲した軽やかなメロディーで歌われるソング。
ブレヒトは「異化効果」という、人間がそれまで信じていた考えをガラッと変えるための手法で芝居を書いていて、芝居には関係ない歌(ソング)を途中で入れるというような演出をしている。
1番「貧しいうまれの者なら 一度は聞いた話 貧乏にょうぼの小せがれが 玉座に座る日がくると その日の名前は決してこない聖者の日 決してこない聖者の日に 奴は玉座に座ってる」と始まり、3番「草は天から逆さに生え 川は下から上へ流れ 人みな善人ばかりなり この世はほんにパラダイス その日の名前は決してこない聖者の日 決してこない聖者の日に この世はほんにパラダイス」と皮肉たっぷりの詩は全開となる。
私たちが歌ってきた林さんのソングや、抒情歌曲集の編曲にも見られる特徴は、コーラスのハーモニーを目立たせるように作曲されているものが多く、頭からコーラスのア・カペラで始まり、途中から入ってくるピアノの音との融合に神経を使うが、その手法にはとても魅力を感じる。
「決してこない聖者の日」もそういう手法で始まるソング。
「女声合唱団風」はもともとソプラノが特に柔らかい声質で、ソプラノに他のパートの声が融和して、これまで「全員声楽科ですか?」「でもピアニストがそれぞれのステージを担当しているから、ピアノ科の人もいるんですよね」ということばをよく耳にした。
ユニゾン(斉唱)と、ディミニエンド(声のボリュームを徐々に落としていく)が特に綺麗と言われた。
声楽科もピアノ科も作曲出身の人も、音楽学専攻(音楽史やいろんな音楽家のことを勉強するなど)もいる。
このようなブレヒトの毒の効いたソングは、声色を変えて歌う部分がたくさんあり、正直「風」のメンバーにとって、自分たちのものにするのにはかなり時間はかかった。
いわゆる「これが合唱だ」という綺麗なハーモニーは、声を揃えるということの難しさと、うつくしく響きあうことが醍醐味でもある。
しかし「綺麗なハーモニーだったね」だけになって「どんな歌、詩だったか、どんなメッセージが込められていたのか」が残っていない演奏も多々あるように思う。
先生は林さんのメッセージ性の強いソングを歌う際に、そのように陥りやすい部分を警告し続けてこられた。
私たちが18年歌ってきて、ようやく先生との駆け引きが少しはできるようになったかなと思っている。
そのような主旨を少しでも感じて頂いて、16回のコンサートにたくさん方がおでかけ下さったのだと信じている。
林光さんのファンである一人の青年が遠方から駆けつけてくれて「プログラムはいつもどおりの辛辣なスタイルで,お別れじみたものでないこともよいと思いました」と感想を言ってくれた。これが指揮者大森先生のスタイル。少々頑固で扱いは難しいところがあるが。
この団がいつまでも続くと思っていてくれた人や、来年もうコンサートがないことを惜しんで下さる方々には、ただただ感謝の気持ちでいっぱいだ。