グー版・迷子の古事記

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由加山

2013年10月30日 | 古事記
ネット検索をしていて、由加山(ゆがさん)と言う文字が目に留まりました
小学校の研修旅行で行った所です。
由加山の思い出は…

まるでない……

よほどツマラナ研修だったんだろうか?
それでもなんとなく懐かしくて由加山の文字に視線を止めました。
ただ視線を止めた動機は懐かしさでしたが…
視線を留めた動機は懐かしさだけではありませんでした。
古代において「ユガ」と言う音は月を思い起こさせるのです

「ユ」…弓の形。空。
「カ」…輝き。神。

「ユ」と言う音は「弓の形」を表す事が多く、「ユ」は月の形容に良く使われます。

由加山はもしかすると月神と関係あるのではなかろうか?
そう考えた私は、由加山について少し調べてみました…

由加山には由加本宮神社があり、全国の由加神社の本宮とのこと…
岡山は地元なんですが全く知りませんでした
そしてこの由加本宮神社は、由加山の北麓にある熊野神社と関係が深いらしい…
私は「熊野」に反応していました。
やはり、由加山は月と関係あるのだ

「クマ(熊)」と言う音もまた月と関係が深いのです。
そして熊(ツキノワグマ)には、首に三日月の模様があります。
  〔月(キ)と日(ヒ)と魔(マ)と神(カ)アマテラスのお食事②ウケモチ

「ク」…木(キ)又は月(キ)の変化形。
「マ」…満月以外の月とその形を表す。

熊野神社(倉敷市林)

熊野神社(くまのじんじゃ)は、岡山県倉敷市郷内にある熊野神社。「日本第一熊野十二社権現宮」と称する。祭神は伊邪那美神、伊邪奈岐神、家都御子神、速玉之男神。社殿は左から第三殿・第一殿・第二殿・第四殿・第五殿・第六殿と並ぶ熊野本宮大社と似た形式を採っている。
修験道の祖と言われる役小角は文武天皇3年(699年)、朝廷より訴追を受け、熊野本宮に隠れていたが伊豆大島に配流された(続日本紀)。社伝によれば、この際、義学・義玄・義真・寿玄・芳玄ら5人の弟子達を中心に熊野本宮大社の御神体を捧持したとされる。彼らは3年にわたり各地を放浪し、役小角が赦免となった大宝元年(701年)3月、神託を得て現在の地に紀州熊野本宮を遷座したとされる。天平12年(740年)聖武天皇が児島一円を熊野神社の社領として寄進した。天平宝字5年(761年)には紀州熊野と同様の社殿(十二社権現宮)を整え、付近の木見に新宮を、山村に那智宮(現・由加神社、蓮台寺)を建て新熊野三山とした。
(ウィキペディア)

私は今まで「クマ(熊)」を、月神様の使いでは無いか?と考えていました。
でもどうやら考えを改めたほうがいいかもしれません

熊野神社は訓読みすると「クマノカミノヤシロ」です。
「クマ(熊)」は月神様が地上に現れた姿であり、月神様そのものであったのだと思います。
そこで思い起こされるのがアイヌの熊の神様です。

キムンカムイ…熊。熊の神様。

「キムン」の「キ」は「月(キ)」に通じる物かもしれないような気がしてきます。

「クマ」は神様の国では、人間と同じ姿をしていますが、人間の国へ行きたくなったら熊の姿をまとって出かけるので「クマ」に見えるのだといいます。
神様(クマ)は人間への贈り物として毛皮や肉を持って来ます。
人間はお土産を戴いたら、また神様が来て下さるように神送り(イヨマンテ)をして神様(クマ)の魂を送り出します。

これと良く似た風習は日本のマタギでも行われていたようです。

そう考えてくると…
熊野の神様と言うのは、熊神様であり、月神様であり、縄文の流れを汲む神様であると考えることが出来るかもしれません。

どうやら熊野神社で祭られている神様の姿が見えてきそうです

つづくかな


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