グー版・迷子の古事記

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三貴神

2013年09月05日 | 古事記
  《三貴神》

三貴神の神名については最初に古事記を読んだ時から不自然さを感じていました

・アマテラスオオミカミ…非常に大仰な感じがします
・ツクヨミ…(ミ)を神霊と取ると
 (ツクヨ)(ミ)で月夜の神霊?
 (ツキ)(ヨ)(ミ)で月と夜の神霊? 
 いずれにしても神名としてはアマテラスより古そうです
・スサノヲ…須佐の男?単純すぎます

兄弟でこれほどまでに差をつけるものなのか?

高天原を追われたスサノヲは出雲へ向かいついに母のいる根之堅州國へ旅立ちます。
スサノヲの母イザナミの別名はヨモツオオカミであるため、
根之堅州國=夜見の国 で問題ないと思います。

・高天原…天上
・出雲…地上の出雲国
・根之堅州國…出雲?の地下

この関係もほぼ問題ないかと思います。

そして夜見の国へ向かったスサノヲは夜見の神様と位置づけられたのかもしれません。
ここでもう一つ問題になってくるのが、

・イザナミ(黄泉大神)…夜見の神しかも大神です
・ツクヨミ…夜見の神 しかも三貴神ですから当然大神と言えるかも知れません。

ここで?と思いました。
もしかして同一神?

まだ日本国内が混沌としいくつもの集団に分かれていた当時ならそれぞれの集団にそれぞれの神がいたことでしょうから、同一神と簡単に考えるのは早急かもしれません。
しかし一つ言えることが、どちらも神霊を表す最後の言葉が (ミ) となっていることです。
(ミ)はどのような神霊を表すのでしょうか?

《イザナギ・イザナミ》

そこでイザナミとついになるイザナギはどうでしょう?
イザナミと対照的な性格をもっていることが推測できます。
イザナミが黄泉大神(夜見大神)であることから夜の大神であることは間違いありません。

・(ヨ)(ミ)…夜の神霊

夜の大神ということは月神の可能性も捨てられないところだと思います。
もしそうだとするとイザナギには古代太陽神の性格があった可能性も出てくるかもしれません。
また、昼夜の繰り返しが太陽の生と死を意味するならば
この可能性を助けるものとなるかもしれません。

・イザナミ…夜・死 ⇔ イザナギ…昼・生

そこでイザナミの(ミ)・イザナギの(ギ)を問題にしていこうと思います。
この続きはもう少し考えをまとめた後、アラハバキの太陽神としての可能性を書くときにまとめたいと思います