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『腸・美人』 通信

『頭とおなかの中』に地震と災害が一度にやってきた。そして、健康を創る自分に変化した。現在、おなかの「免疫力治癒力」育成。

江戸総鎮守の「神田明神」

2014年04月06日 15時25分36秒 | Weblog

 「東京に行く時があれば、神田明神にお参りするのもいいよ」…「神田明神は江戸総鎮守の神社と呼ばれていて、スゴイ神社だったよ」…そんな話を友だちから聞いていたのを思い出した。東京都内を…街歩きをしながら思い出すとは何か縁があるのかもしれない…是非、お参りに…石の上に腰をかけてちっさな「東京の観光地図」を広げ、どこにあるか探してみると…あるある、千代田区…神田明神は神田駅の近く…メトロのフリー切符を持っているから…乗り放題の身…地下鉄メトロ…スイスイ…神田明神と言えば、明神下に住む銭形平次がセットになっている。“銭を投げて悪人をやっつける”何と気分がスッキリとするストーリーなのでしょう。


 舟木一夫がうたっていたよな…“男だったら 一つにかける かけてもつれた 謎をとく…誰がよんだか 銭形平次……道は時には 曲がりもするが 曲げちゃならない 人の道…なんだ神田の 明神下で 胸に思案の 胸に思案の 月を見る”人情時代劇…代々木公園駅から電車に乗り、お茶ノ水駅(聖橋)より徒歩5分となっている。駅を出て通りすがりの方に“神田明神”を尋ねると「ここを真直ぐ歩くと、左側に神田明神の鳥居が見えますからわかります」…近い。“江戸総鎮守 神田明神裏参道”との案内提灯…その横に階段…その左に石柱が…ここを上るのだ。総鎮守と言うからにはかなり広い明神さんを想像していたのだが…これが都会の広さ。


 裏参道の階段を上がると大きな建物の裏手…赤い色が目立つ…!神田明神さんは“お稲荷さん”右手にまわると…神社もお稲荷さんも祀られている。そうなのか…明神さんは神社…!正式名称は「神田神社」…神田祭をおこなう神社として知られているのだ。神田・日本橋・秋葉原・大手町・丸の内・旧神田市場・築地魚市場など108か町会の総氏神さまだと書かれている。なるほどなるほど…!江戸総鎮守の役割…江戸の伝統文化を保ちつつ、それでいて絶えまなく発展と創造を繰り返す東京都心を守ることが指名なのだろう…!本殿の境内のまわりには10~15社の末社が建造されている。これだけの末社を抱えていることは、なるほどスゴイ神社…!

 なになに…「憩いの庭」もある。境内に入る前にトイレを…と探していると庭園の横を通り抜けたところに小さな公園があり、その中に落ち着いたトイレが見える。奥に民家が…古い日本建築、もしかすると江戸時代の歴史ある人家なのかもしれない。横から境内に入ると…思っていたよりも広そうだ。右手には隋神門…あれ、あそこが正面入り口…そういえば、隋神門から入れば正面の御神殿に向って進めばいいようになっていたのだ。隋神門と御神殿のちょうど真ん中に立ち…周囲を観察してみると、どうも建物は朱色で統一されているようだ。御神殿に向って右手には「.祭務所・神楽殿」離れて「明神会館」左手には「鳳凰殿」…正面御神殿の奥に「祭祀殿・資料館」がある。

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緑豊かな鎮守の森「代々木八幡宮」

2014年04月02日 22時00分13秒 | Weblog

 もちつき唄は…日本の伝統文化・郷土文化…唄にして次の時代に語り継ぐ…一番いい方法だ…!ああ、平岩弓枝さんの実家だって…?NHKの大河ドラマで名前は…小説家であり、脚本家なのだ。そうそう、日本経済新聞の「私の履歴書」欄に1ヶ月ぐらいかけて載っていたのを思い出す。「代々木八幡宮」が実家。開運、厄除…平岩弓枝さんは生まれた時から「開運」の光を受けているのだ…!

 ちなみに、【初宮詣、七五三詣、厄除開運、家内安全、交通安全、病気平癒、社運隆昌、商売繁昌、合格祈願、心願成就、安全祈願、方位除、結婚式、地鎮祭、上棟祭、竣工祭、安全祈願祭、開店祓、家祓(新築・引越)、その他】…何と盛りだくさん…!


 神社の屋根を見あげると…大きくはないが…屋根のおさまり方が素晴らしい。左右対称…これが「権現造」なのか…!だんだんと拝殿に近づき…立ちどまり…鈴緒を握り鈴を鳴らし呼吸を整えて二礼すると…気持ちが静まり返り頭の中が無になってくる。応神天皇を主座に祀り、天祖社・天照大神・白山社・白山大神を配祀しているという。神様にお願いすることはいけないと思いながら二拍手(神にとどきますように!)…健康をください!…と小さくつぶやいて、御朱印をいただき…右隣にお祀りしている稲荷神社の参道にまわった。

 緑が豊かである。赤い旗に「代々木出世稲荷大明神」と大きく書かれている。ここのお稲荷様に参ると出世の御利益が…八幡神社よりも人影が多いそうだ。さすが都会のお稲荷さん…また、芸能人も多いいから”出世稲荷大明神のうわさ”が日本中に広がったのだろう…!私もその他大勢の方達に混ざり手を合わせて回った。これで…出世稲荷の御利益が…裏道から来たから表道に帰ろう…と考え、鳥居のある参道に入ると、かなり古い石灯篭…!

 “己がやらで、誰がやる、いまやらなくてはいつできる”“かたよらず、こだわらず、とらわれない心”…半紙に書かれた言葉。相反する意味のようでもあり、青年と老人の生き方のようでもある。左側にお寺が…「宝珠山福泉寺」と書かれている。神仏混淆が禁止されてから「八幡宮」と「福泉寺」に分けられたのだ。緑に囲まれた参道を散策していると小鳥の鳴き声が…階段を下りると大きな通りにでた。いままでは車やバスの騒音など聞こえなかったが、現実は都会のど真ん中…!

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延命長寿を願うには、「自分を知る、気付く、実践する」
ことで健康を創る人になる。 知ってほしいこの情報

都会の中で自然林が残る「代々木八幡宮」

2014年03月24日 20時05分07秒 | Weblog

代々木八幡駅に降り立つと「東京の田舎」…下町か上町かわからないけど、雰囲気は都会の田舎のようである。駅員さんに「代々木の八幡宮はどちらに行けばいいのでしょうか?」とたずねると「あちら」ですと手を指してくれたのだが…あちらに行ってみると…そこからどちらですかと聞きたくなってしまう。案内人はいないのか…案内標識はないのか…これはさすがにミステリー……!地元風のおばちゃんに「八幡宮に行きたいのですが?」と首をかしげて顔を上げると…そこの路地を右に折れて、少し行くと複雑な交差部に突き当たり、その交差部を左に曲がり細い道路を進み…???そこから先はわからなくなった。丁寧に説明をしてくださるのだが…頭の中に描けない…とにかく小高い山がある場所を探そう…!

 まず右に折れて…あれ、八幡湯の看板が…お風呂屋さんだ!するとこの地域は“八幡商店街”の八幡通りなのだろうか?ああ、そんなことを言っているから、そこから次ぎの道順がわからなくなった。ならば…感を頼りに進んでみるか…15分程さまよえば代々木八幡宮の本体である緑に包まれた小高い山…発見。少し厳しい坂道を登れば…境内…?…あれ、ここは裏口から入ってきたようだ。説明板が…神輿の由来(祭礼のたびに町内を巡行されていた神輿が奉納・解体修理)また、関東大震災、東京大空襲の大災害を無事くぐりぬけてきた……何とパワースポット!!それから…神功皇后(じんぐうこうごう)に関する「神話の絵馬伝」…鶴岡八幡宮の分霊をまつっている(代々木八幡宮の創建)「代々木八幡縁起絵馬」…お宝があるんだ。


 「代々木もちつき唄」保存会…なになに、どこか耳に残る詩

(1)目出たな 目出た目出たの 若松さまよ
枝も栄えて 葉も茂る  …この歌はお祭りの時…今治地域で歌っている。

(2)庭にゃな 庭にゃ鶴亀 五葉の松
松の下にゃ おじじとおばば  …もちつき唄というのだ…知らなかった。


(3)お前な お前な 百まで
わしゃ 九十九まで 
共に 白髪の 生えるまで  …どうして、代々木八幡宮で歌っていた“もちつき唄”が今治地方に残っているのだろうか?しみじみと読み返すと…目出たく生まれ元気で大きくなる(お祝い)…結婚して幸せに年を重ねる(お祝い)…共に白髪が生えるまで生きる(お祝い)…人の一生…人生訓…泣き笑いの峠を越え、幸せに生きる生き方を詩にしているようだ。

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健康は「知識を活用して、実践すること」が三番大事である

「帝国ホテル」からの展望

2014年03月19日 18時16分40秒 | Weblog

 部屋に入ると右にクローゼット、左に「バス &トイレ」正面にベッド3台…しかし、ここには2人だけの宿泊で、おばあちゃんは横浜に出張。一部屋に3人泊まれば追加料金無しで、2人であれば割増料金がくっついてくる。超割安の「運」をつかだおのぼりさんである。荷物を部屋に置きロビーで人間観察をしていると…後ろから団体のお客さん。中国語の会話が聞こえる。中国からの観光客のようだ。フロントの前に丸く寄り合って何か説明を受けている。服装は普段着にプラスアルファ―がのっかかっているような感じに見える。説明に耳を傾けながら、目先はロビーの中に漂う人間模様を感じ取っているのだろう。ボーイに連れられてエレベーターに消えてしまったが、このような高級ホテルに宿泊するのは…中国の富裕層の方たちだろう。

 帝国ホテルは、玄関側が西北西…客室側が東南東になっているので、朝の展望は西北西が見え、夕方は東南東が見えるようになっている。日当たり抜群…早起きするために早寝をしなくては…!朝早くの朝食会場は楽々…私たちは「和風、洋食、バイキング」の中からバイキングの会場を選ぶ。どうも“バイキング”という名前は当ホテルの歴史から生まれたと聞く。さすが、食材の種類も多いい中…バイキングと言いながらも、気配りや気づかいなど…細やかな身のこなしでお客さんにつくしてくれるウエイトレス…ありがたいものである。私たちは昼食分まで食べて、31階まで上がり西北西の窓にしがみつくと皇居が…日比谷公園が丸の内ビル群が…天空から見える。空は青空…まさに絶景…初めてみる東京の絶景…!!


 南南西に伸びている廊下に突き当たり窓から天空を眺める。ここからは、自動車専用道路、東京駅に集まる線路…遠くが新橋や浜松町だろう。あれ、遠くに…あれは東京タワーではないか…東京タワーが見えるのだ。東京タワーができた頃の景色…この帝国ホテルからの景色は…想像ができない。反対側の北北東に伸びる廊下に突き当たり窓から天空を眺める。高い大きなビル群…東京駅や日本橋・浅草や両国方向なのだろう。すると…東京スカイツリーが見えるのでは…あ、あ、ちょうど、ビルの角の上にあるのが…東京スカイツリーだ。方向から行くと、東京江戸博物館が両国にはあった。浅草の左の方向に秋葉原があるよな~…空がこんなに澄み切っていると近くに見える。しばらく景色を鑑賞して振り向くと…お部屋係のヘルパーさんが忙しくしている。おはようございますといって…さりげなくロビーに降りた。

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健康は「気付いて、知識を持つこ」が二番大事である。

宿泊…「帝国ホテル」

2014年03月17日 20時47分14秒 | Weblog

 ネオンの光に誘われて…ふらりふらりと目指すは「帝国ホテル」…!切手をオデコに貼って俺(おい)ら東京さイクべ…!!映画で見たような雰囲気になってきた。左手のガード下は飲食店街のようだ。お店は何と間口が一間もないようなお店もある。イスがないお店もある。長い行列が…行列の先には「食」…ゆっくりと食事を…何ていうところではなさそうだ。これが東京の商売なのか…東京で生きていくにはそれなりに知恵と勇気と気合いが必要なのだ…!!そう言えば、有楽町で日本一の「宝くじ売り場」があると聞いた時がある。「運」がこちらに向っているかどうか…さりげなく買ってみることにするか!電車と高速道路のガード下を東向いてくぐれば銀座になっている。新橋から有楽町まで歩いた時があるが、山手線内は歩いたってそう遠くはない…??

 あれ、東京宝塚劇場…東京にも宝塚があるんだ。隣が日生劇場…テレビで見たり聞いたりしている劇場だ。いま東京のど真ん中…!!大きな通りを越せば「帝国ホテル」…ホテルに入ろうとすれば、ガードマンが「どちらへ…」と聞く。「帝国ホテル」と建物には書いているのに“どちらへ”と聞くとは…返事に困ったが「帝国ホテルはここですか?」と尋ねると「ああ、ホテルはあちらです」と言って日比谷公園の方を手で指した。“ありがとう”と言って歩くが…何か煮え切らない言葉…!道路に突き当たり、左方向に周り込むとホテルの玄関が見える。なるほど、先ほどの入口は…きっとホテルからの専用出口…セキュリティーがかかっているから、自動ドアで開いている時に外から中に入れないように守衛がいたのだろう…!


 ホテルに入ると…何と広いロビー…チェックインすると両サイドにボーイさん!これでいいのでしょうか?周りを見渡すとスーツ姿の宿泊客…俺はみかん色の防寒ジャンバー…目立っていいが、目立つ必要もない。「お荷物をお持ちします」と言って荷物を持ち、館内の説明を受けながら22階の部屋まで案内してくれる。ちょっと、いままでのホテルとはケタが違う。地下4階、地上31階…さすが「日本の迎賓館」…ここが日本の中心なんだ。開業が1,890年…昨年度で123年…数字もいい! ***開業以来、国際交流やビジネスの舞台として、また、ご家族やご友人との特別な日の舞台として、心をこめてお客様をお迎えして参りました*** これが帝国ホテルの使命…“おもてなしの心”…東京オリンピックをお願いします。
 

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健康は「自分を知り、気付くこと」が一番大事である。

“東京駅~有楽町”散策

2014年03月14日 19時50分14秒 | Weblog

 東京駅に着いたのは17時少し前だった。そこから…右も左もわからない地下街…「東京ステーションホテルは…」どちらに行けばいいのでしょうか…?田舎者にわかるように言ってください…!これを真直ぐ行けば…???その先は右手ですか左手ですか…?何のお店ですか…?お店の名前はわかりません…?食べ物屋以外は難しいカタカナ名…日本語で言ってください…!大勢が進んでいる方向が「東京ステーションホテル」とはかぎらない。そんな異色人が集う地下街が迷路になるとは不思議なもの…!「東京駅中央出口」と言えば分ってくれたものが…「東京ステーションホテル」というからわからない。東京に住んでいる人は宿泊しないからわからないのだろう。

 
 何とか、中央口の中央に立つことができた。上を見上げてみると…通路の丸い窓枠に思い出が…そうだ、結婚式…思いだす…親戚の子供が…ここで結婚式を挙げたのだ。いまにして…語れば“田舎から動かない両親は、テレビでしか見たことのない東京駅を知らない。そうだ、東京を見せよう…!”そんな子供心を…両親から何度も聞かされた。目の前のステーションホテルは…少しすすけた色だったがあざやかな色に生まれ変わっている。中央の天井に八角形…円に一番近い角形…九星盤にも似ている。丸の内南口から出ると目の前に「東京中央郵便局(KITTE)」のビル…たしか…昨年度の完成ではなかったかな…?「切手…来て…KITTE」となるのだ。考えたね…!


 隣のビルが「東京国際フォーラム」…真直ぐ西に進めば「皇居」…なるほど、なるほど、道路を渡り「KITTE」ビルへ…郵便局が食品販売…?物品販売・飲食店…?この建物はショッピングスポットなのだ。「コーヒーでも飲もう」と言って入ったお店…左手に「ビール」が…哀しいかな俺をよんでいるではないか…ここには居酒屋もあるんだ…!東京では「どこでもなんでも売れる物は売れ」…そんな見えない言葉が見えてくる。全国各地のご当地銘品を扱う食物販店…日本の美意識を感じさせる物販店…地域や地元で愛さ
れる飲食店…心地よさや奥深さを求め愉しさを伝えるショップ兼レストランなど何でもある。さすが…日本の中心・東京丸の内…人と人のつながり、街と街のつながり、つながりのある社会なのだ…!
しかし、つながりのある社会が…つながらない社会を生みだすこともある!!

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ジオパークの中にある 「龍神橋」

2014年02月28日 19時27分02秒 | Weblog

 渓谷を望む道路の端に立つと…足が竦(すく)む。あれ“すくむ”…何て日本語。目の前に見えるのは歩く勾配ではない。急過ぎる。しかし、案内板に従わなくては…少し降りると岩を削った跡が見える。削り面にはねじれた断層が見える。この地層はどこかで見た時が……玄武洞…兵庫県の城崎温泉の近くにある“玄武洞”…玄武洞には、八角形の暑さ10cm程の石が積み重なり…上に向ってねじれていた。ガイドさんの説では、“地球に噴火や地震が繰り返された後、地球の自転と公転が加わりこのような地層が出来上がった”と言っていたような気がする。まさしく…ジオパーク…!西予市のジオパークとつながっているのでは……!


 日本列島誕生の鍵を握ると言われている地層…大地の遺産・文化遺産・歴史・生態系など等…多様な面白さが加わってきているのではないのだろうか?…そんなのんきなことを考えながら歩く参道ではないが、足場材で歩道が出来上がっている。下を向いて歩くより、上を向いて降りるのがベストのようだ。あ、滝が見える…あれが“三杯谷の滝”なるほど、なるほど…横に“龍神橋”が…滝壷が橋の下…“轟の淵”周りの岩には苔がへばりつき、何と見事……龍神橋の中央に立つと、川底部の幅は1m余りぐらいだ。この橋は、木橋・歩道橋で屋根は銅板葺になっている。使用材料が新しいから旧橋を復元したのだろう。

 それにしてもこの川は“キビシ川”と名がついている。どうして、カタカナなのか、漢字で書くのであれば、どんな字なのだろう。川を見れば…厳しい渓谷なので“厳しい川”と理解はできるのだが、漢字となれば想像するには「木菱(きびし)川」が妥当かな…?しかし、河川名などは地名とか歴史とか偉人などが使われるが…???橋を渡ると「龍王神」がいるはず…龍王の神がいない…左岸の岩の下に小っさい社…それとも…社の上にある燻拳(いぶしこぶし)の岩…それとも、この自然環境一帯なのだろうか?
はらえたまえ…きよめたまえ…かむながら…まもりたまえ…さきわえたまえ…!

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「橋の浪漫」が「龍の浪漫」に…!

2014年02月27日 18時54分15秒 | Weblog

 七つの橋が終わった…残る屋根付き橋はあと一つ…そこの橋を見ると“浪漫八橋”のお土産が頂けるのではないのだろうか?そもそも、最後の橋にも「龍」がいるという…河辺村にはたくさんの龍がいるのだな~…?そういえば…中国の北京市制50周年記念日の少し前、北京市を珍道中した旅を思い出す。あれは、宮殿・故宮・世界遺産…その宮殿の中には「龍」に関連した文化遺産(彫刻や絵画)も多く存在していたように思う。中国では龍は神聖なものとされ、皇帝は龍の生まれ変わりであると信じられていた。その皇帝が住んでいた宮殿(紫禁城)が故宮なのである。


 九龍伝説…周りの九つの山から龍が降りてきて永遠に発展する地になると言う風水からきた説。9人兄弟の漁師が波打ち際で遊んでいて…龍に変身してしまった。そして、この地を見守る役割をするようになったと言う説。また、この地にかつて龍と言う名の家族が9人住んでいたと言う説などいろいろとあるようだが、どれもおとぎ話(伝説)で明確な理由は推し量れない。龍は風水によれば非常に縁起の良い想像上の動物として知られている。そして、中国思想のなかでも、龍は中国古代の神話上の獣で、冬は時至らず…雄飛の時を待ちながら湖の底にひそみ…力をひたすら蓄え、春分に飛龍天に昇り風雨を降らせるという。


 天と大地を行き来できる動物は「龍」以外には存在しない…神社に住む「龍」がサイコロをふるように不思議な世界に引き込まれるのは何故なんでしょうか…?人は大自然の営みに従うのが良いとし、人間社会の秩序と自然の秩序…共通の原理が結合して天地人が一緒になって回っていると考えられている。そこに…「龍」がいなければ物語ができないし…語れない…!龍がいるからこそ“心の整理”がつくのだ…!

 河辺村は山岳領地に囲まれた急峻な渓谷の山村なので、山の尾根を越すにはどうしても川の合流地点(出会い地区)まで下らなくてはならない。そこからキビシ川の上流(川上地区)を目指して上っていると、少し開けた地形になってき。集落が見えだした時…そこに“坂本龍馬脱藩”の矢印が…広場に車を停めると大きな「坂本龍馬脱藩の道」と書かれた案内板がある。川の渓谷に向ってゆくと「龍神橋」同じく「龍王神」…ああ、そうなのかこの橋も…龍王神にお参りする橋なのだ。

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帯江橋・三嶋橋・豊年橋・秋滝橋・龍王橋 

2014年02月22日 18時37分46秒 | Weblog

山から川に下り…川から山に入る…山の稜線が違えばとんでもない所に出会う。それを避けるためにも生活の匂いがする場所も通過しなければ…案内人も隠密でなければいけないのだろう。私たちは、屋根付き橋を見学しながら河辺川とキビシ川の合流地点まで下がり、キビシ川の上流にある坂本龍馬脱藩の道(三杯谷の滝)に向かうことにした。日本ではとても珍しい「屋根付き橋…」昔の河辺村の人は雨露から護るために屋根を付けたと言われているが…昔の橋は木材であり、木材資源の豊富な地域では屋根付き橋が残っているという。それは、木製の橋は外から芯に向って短期間で傷むので、上部に屋根を設置することにより構成要素を保護でき寿命が延びるからである。

 帯江橋 (木橋・歩道橋・屋根杉皮葺)
“農産物や農機具の保管場所として、また、住民の憩いの場所として昭和27年に架設されたとなっている”

 三嶋橋 (木橋・歩道橋・屋根杉皮葺) 
“三嶋神社への信仰心をあらわすため、屋根をつけたと言われており、大正12年に架設されたとなっている”

 豊年橋 (木橋・歩道橋・屋根トタン葺)
“河辺川に架かっていた木橋の屋根付き橋が、取り壊されることになり屋根付き橋の材料を住民が譲り受け昭和26年に移設されたとなっている”

 秋滝橋・竜王橋 (木橋・歩道橋・屋根杉皮葺)
“この屋根付き橋は、農業の神様として信仰される秋滝龍王神社へ通じる道に位置し、古くから集落のコミュニティ空間の場として、共同活動休憩所、農産物の仮置き場などに利用されていたものを、農林水産省補助事業であるふるさと・水と土保全モデル事業により平成9年に復元されたものですと書かれている”

 昔…龍王神社には龍が住んでいたという伝説が残されており、魅力あるスポットとなっている。そして、その龍神社の反対には、2匹の大ウナギが住んでいたという美しい「龍王の滝」が…何なに…龍とうなぎの恋物語…?そこを霧が隠してしまったのか…?ちょうど…修繕中…!であり“浪漫八橋”マップの案内板を取り付け中…!でもある。修繕もかなりの費用がいるだろう!!

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御幸の橋と天神社

2014年02月13日 17時32分51秒 | Weblog

 なるほど、この公園は子供から大人まで楽しめる施設になっているんだ。ふれあい橋を後にして、河辺村の一番奥の渓谷に向って進みながら…坂本龍馬が高知県梼原町の三嶋神社境内から山に入り、高知県と愛媛県との境にある韮ヶ峠に足跡を残し…河辺村に入った所までは頭の中で整理が出来ているが…いったい河辺村のどこなのか?…友だちが「もう少しで御幸の橋」…!“そこに韮ヶ峠から坂本龍馬が脱藩してきた”という。韮ヶ峠から御幸の橋までは車…通れるの…?「通れるが…その間はなにもない……いや…そうそう、途中に“夜明けの道”という記念碑があるのを見た」という。ああ、脱藩した時に通った道…そこで夜が明けたのか…すると、三嶋神社の境内を夜中に出発したことになる?それにしても早い足取り…!


 御幸の橋の下流側に車2台ほど止まるスペースがある。車からおりると橋の向こうに神社が…橋も古いが神社も古い。屋根付き橋…高欄の横に“坂本龍馬が通りし道”と刻まれた石碑がある。木の高欄に「御幸の橋」と彫られている。橋は、側面や下面から見るのが美しいのだが川に入れない。しかし、両サイドの岸から見れば、いかに自然とマッチしているかがわかる。屋根のある太鼓橋…外観が風雅…まわりの老木と苔が付着した巨岩…俳句がでない。橋桁は三本の木材を渡して、柱、欄干、踏み板まで木材…ケヤキの木なのだろうか?説明板には杉皮押さえの釘意外…金具類は使用されていませんととある。なかなか工夫された匠の技…欄干には擬宝珠がついている。


 このお社は…天神社!河辺の天神社なのだ。燈籠にも鳥居にも「紀元二千六百年記念」と彫られている。“石に刻むのだから彫り間違いもあるさ”…と簡単に考えていたが、なになに、いろいろ人に聞くと「初代天皇である神武天皇が即位したとされる年を元年(紀元)とする、日本の記念法である」と…だから、いまの西暦と比較すると660年程差がある。難しいものである。そういえば“紀元節の歌”がある。いつできたかわからないし歌えないが、紀元節と歴史と歌がどんなになっているのか未知数である。まあそんなことはいいとして、坂本龍馬は、天神社に‎お参りして河辺川に架かる御幸の橋を渡り、北平郵便局(現在)から山道に入り封事ヶ峠経由三杯谷の滝に出たのだ。坂本竜馬は、夜の山道を急ぎ足でかなりの道のりを歩いている。未来に夢を持って、日本の夜明けしか見えていなかったのだろう…!

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