@Guitar & Music & China

日本・中国を中心とした主に音楽と楽器を紹介します(節操はありません(笑)楽器は主にGuitarです)

【北京旅行顛末記 2012春】今までにない持て成しを受けました!

2012-04-29 | 旅行記(中華圏オンリー)
 
今日はもう21日、残り後4日となりました。今回は宿泊地が北京站前なんで最終日はチェックアウトぎりぎりまで部屋にいて
チェックアウト後そのまま地鉄2号線に乗り、東直門まで行って机場快速に乗るつもりなんで遊べるのは実質3日ですね。
今日は親しいお姉さんが“家でご馳走するから”と言ってくれていたので、朝飯食いませんでした...約束は下午3時なんすけどね(笑)
だもんで、バスで王府井まで行き時間まで例の如く小吃街で遊んでました...

どんより曇った王府井站より西を望む

毎度お馴染み東方新天地
王府井站から見た周りの風景



そうそう、この日でしたね、くそガキ中国人と遭遇したのは...
今回仲良くなった娘のお母さんがやたらと“小日本”を連発するんで(“小日本”は日本に対する差別用語です)その事で娘と筆談込みの話しをしてたら
地元の奴か観光客かは分かりませんが、商品を見ていた数名の学生らしき集団がそれを聞いて“日本人?”“日本人?”とか行った後
何処で覚えたんだか、その中の1人が日本語で“ば~か”と言ったのが聞こえました...何処の国でも集団になると強がる奴がいるもんでんなぁ。

聞こえよがしみたいな言い方だったんで“どうせ聞きっかじりだろう”と、すかさず大きな声で“た~こっ!”と言い返しました。
スラングなんで何言われたか分かんなかったでしょうけどね、こんくそガキが!一人っ子政策の象徴みたいなガキ集団でしたね。
まぁ、こんなくそガキは日本でも繁華街へ行きゃあ良く見かけるんで“バカは世界共通なんだなぁ”なんか思っておしまいでしたけど(笑)

賑わう小吃街
賑わう小吃街



その後奥の方へ行き、しばらくガキんちょなんかと遊んでましたが3時近くになったんで“約束があるから”と元いた店のほうへ戻りました。
今日はそのお姉さんは店にいなかったんですが、妹妹がいたのでそこでしばらく待っていると突然ガキんちょが来て“来い”と促すので
付いて行くと...着いたのは裏門でした。五輪開催でデカい道が作られていたので、小吃街も途中でぶった切られたようです...随分と短くなってました。
ガキんちょは“ここで待ってろ”と言い残し去って行きました...どうなっとんのか全然分からん (;^_^A

小吃街の裏門
小吃街の裏門



...意味も分からず待つ事おおよそ15分、突如“ご馳走するから”と言っていたお姉さんが現れました...旦那の運転する車で(笑)
しかもHONDAの車でした...ホント日本好きだわ、このお姉さん。
セイコーの時計頼まれてたんですが、MADE IN JAPANだと最低でも15,000円するんで、聞いてからと思い今回は買って行きませんでした。
...正直、小吃街で働いている人は下層階級の人ばかりだと思ってました・・・ゴメンナサイ (/_;)

そこから王府井大街を通り長安街を横切って車は東方向へ進んで行きました。天壇の文字が見えたんで天壇公園に程近い所にあるようです。
しばらく走ると横道に逸れ、走る事暫しで高層アパートの並ぶ所へ着き車を降りました。
そこから“こっちこっち”と歩いて行き、とあるアパートの入り口へ着きました...1人だったら絶対分からんす、入り込んでて(笑)
家は11階、建築時期がちょっと古そうな外観と風情でしたが、どうやら改革解放後すぐにに建てられたような印象を受けました。

部屋に着いて中に入ると...テーブルの上で女性が3人がかりで餃子を作っていて、連れて来てくれたお姉さんもそこに加わりました。
餃子といっても、向こうでは皮も自家製でみんなせっせと餃子作りに励んでました...その横で座っていたのが家の主のようで
どうやらその人の叔父さんみたいでした...と、その叔父さんが嬉しい事に日本に8年程在住していたそうで日本語が話せました!
話しによると、1991年から1999年まで日本に居たそうで(多分ですが)不景気で戻って来たようです。バブルが弾け切ってどん底でしたからね、日本。

その場で餃子を作っていたのは、親戚や近所の人たちだったらしく実際その家の住人はお子さんを含めて4人だったようです。
出来上がった餃子を、次から次へと台所に持って行き調理し始めました...ハッキリ言って凄い量でした (;^_^A
出来上がるまでの間、ボクは叔父さんと日本滞在時の話しや世間話をしてました...何処の国でも男連中は呑気なもんです。
その内、出来上がった餃子が次々と食卓に並べられ皆席に付くと...凄い人数でした(笑)

ボクが居るせいか、定番の茹で餃子の他に焼き餃子も作ってくれたようで、賑やかな食卓になりました。
叔父さんに“ビールは飲むの?”と聞かれ“飲めます”と言うと、そそくさとビールを注いでくれて乾杯となりました。
連れて来てくれたお姉さんは“仕事があるから”と途中で退席しましたが、叔父さんが通訳代わりになってくれて
かなり楽しい夕食となりました(わたしゃ周りの会話を意味も分からず聞いてるだけでしたが(笑))

食事が始まったのが下午4時半くらいでしたかね?時間が経つにつれ1人帰り2人帰りと人数が減って行き
最終的には叔父さん夫婦とボクの3人で飲み食いしてました...中々量が減りませんでしたけど(笑)
そこの奥さんがまた酒が強くて(笑)次から次へと注いじゃあ“乾杯”“乾杯”と乾杯の連続!
都合12本開けたみたいですがその内8~9本がボクと奥さん、残りが叔父さんを含む残りの人って感じでした(笑)

結局下午9時半頃まで飲み食いと会話を楽しみ“バスがなくなるから”とお開きになりました。
ご夫婦にバス停まで送ってもらい“心配だから”と叔父さんの電話番号を教えてくれて“着いたら電話して下さい”と
最后の最后までお世話になりっぱなしのひと時でした...楽しかった~♪

丁度北京站行きの終バスが下午22時10分で、どうにか終バスに乗り北京站に無事到着、叔父さんに電話をいれてお礼を言いました。
普通じゃ経験出来ない中国の家庭料理やご近所関係と親類関係の強さ...日本人が徐々に無くして行った物がまだ中国に残っていました。
今までは1人で王府井や西単、前門なんかをぶらぶらして時間を過ごしていましたが、小吃街の人と出会って初めて
本当の意味での中国の楽しさを味わったような感覚になりました...買い物殆どせえへんかったし(笑)

そのまま、ほのぼのとした気分でその日は床につきました...奥さん酒強っ!ってのを実感しながら(笑)
貴重な経験をさせてもらい、本当に感謝感謝の気持ちで一杯です。昼間のくそガキを除いて(笑)

次回は、翌日の出来事を書こうと思います...ちょっくら頼まれ事をされたんで若干変化はありました。
ではまた・・・

 


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